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うんちく池

昔話雑学

 昔話のちょっとした知識が、お話を選ぶときにも語るときにも役に立ちます。
 深い研究の成果は学者の先生に学ぶことにして、ここでは、初歩の私たちでも知っておきたいことや、調べるためのとっかかりになることなどを書いてみます。
 

 昔話の発端句

 昔話は一般的に、冒頭で時代・場所・人物が不特定に語られます。 「 むかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがいました 」 のように。伝説が本当にあったことを語ろうとして時代・場所・人物を特定するのに比べると、とても抽象的ですね。いかにも昔話って感じさせます。昔話の語法的に言えば固定性があらわれているのですね。
 そのなかでも 「 むかし 」 の部分、つまり時代を表す部分は、独立した文や句としてとくに印象的に語られることが多いです。
   ○ なんとむかしがあったげな ( 中国地方 )
   ○ とんとむかしがあったげな ( 中部地方など )
   ○ ざっとむかし ( 東北 ・ 中部 ・ 四国地方 )
   ○ むかしむかしさる昔、猿が三匹尾が四つ ( 丹波地方 )
   ○ あったことか、なかったことか ( コーカサス )
   ○ むかしむかし、まだ人の願い事がかなったころ ( ドイツ )    などなど。
 これらを昔話の発端の句、発端句とよびます。これから昔話が始まるよという合図です。 「 ファンタジーの始まり始まり 」 というわけです。本を読む場合は表紙をめくることでおはなしは始まりますが、耳で聞くお話は、この発端句がおはなしの始まりになるのです。
 発端句はほかにもこんなのがあります。
   ○ ありしかなかりしか知らねども、あったこととして聞かねばならぬぞよ ( 鹿児島 )
 この話は伝承の話であって、創作でもないし直接体験でもないよ、ということを示しています。真偽のほどは責任をもたないということですね。
 発端句は、伝承されたものであり、語り手によって一定していたり土地によって決まっていたりします。
     参考 : 『 日本昔話事典 』 弘文堂刊 など

 昔話の結末句

 昔話の結末は、ある一定の文や句で結ばれることが多いです。大きく分けると、つぎのようになります。
1、 形式句
2、 教訓的な文
3、 いわれや起源を説明する文
 
 一般的に結末句といわれるのは 1 の形式句に属するものです。たとえば、
○ とっちぱれ ( 青森県 )
○ どっとはらい ( 東北地方北部 )
○ いちご栄えた ( 東北 ・ 関東 ・ 中部地方、近畿 ・ 中国地方の一部 )
○ とうぴんぱらり ( 東北地方 )
○ たねくさり ( 京都府 )
○ むかしこっぷり ( 中国地方 )
○ 昔まっこう ( 中国・四国地方 )
○ 米ん団子 ( 大分県 )
○ いまでもたっしゃで、裕福に暮らしています( シベリア )
○ 長い縄はいい縄なんだ、けれどおしゃべりは短ければみじかいほどいいもんだ ( コーカサス )
○ もし死んでいなければ、今でも生きているでしょう ( ロシア )
○ わたしもそこにいたんだよ。そして、はちみつ酒とワインを飲んだのさ。だけど、ひげをつたって流れてしまい、口にははいらなかったよ。わたしは、ドイツとうひの森へ行った。そして、お金を革靴に入れて運んで行ったんだ。お金は、落ちてしまったよ。おまえは、そのお金を拾い集めて、この上着を買ったんだな。さあ、その上着を返しておくれ! ( リトアニア )   などなど。
 
 とっても印象的ですね。これでファンタジーはおしまい、という合図です。書物ならばここで裏表紙を閉じる、ということです。これも発端句と同じく伝承性がつよく、日本の昔話ならばたとえば、とっちぱれ伝承圏、むかしこっぷり伝承圏などと把握できるそうです。これらの語のもともとの意味は分からないものが多いそうです。
 昔話は発端句と結末句にはさまれた枠のなかでのファンタジーだ、と考えればいいですね。
     参考 : 『 日本昔話事典 』 弘文堂刊 など

 昔話の再話

 昔話絵本や昔話本に「だれそれ再話」と書いてあることがよくありますね。この「再話」って何でしょう。
 昔話はだれか個人が創作したものではなくて、もともと口で伝えられてきたものです。ですから、語られるそばから消えていきます。けれども、そのような口伝えが、研究者の手によって文字や音声のかたちで保存されています。録音データであったり、それをテープ起こしした翻字(ほんじ)であったり、または聞き書きであったりします。膨大な資料です。
 それらの資料を多くの人が読んだり語ったりして楽しめる文章にすることを「再話」といいます。
 
 「語りの森」では、「日本の昔話」と「外国の昔話」のページで昔話をPDF形式で掲載しています。これらはすべて村上再話です。その元の資料は、各テキストの末尾に「原話」として明記しています。興味のあるかたは、私の再話と原話を比較してください。
  
 さて、私たち現代の語り手が語るためのテキストの面から「再話」を考えてみましょう。
 保存されたなまの資料をテキストにはできません。なぜなら、口伝えされた資料の多くは、語り手が日常使っている土地言葉そのままだからです。その語り手と同じ土地で同じ時代に生きた人でなければ、正確に理解することも、またその言葉を使うことも難しいでしょう。
 資料によっては、思い出しながらの語りで、不完全なテキストだったりすることもあります。
 また、聞き書きのばあいは、土地言葉ではないにしても、調査者の覚書的なものが多く研究には有用でも、そのまま覚えたり語ったりして楽しむには不向きです。
 そこで、わたしたちは、これらの資料をより普遍的に多くの人が分かるような文章に整理したものをテキストに選ぶわけです。
 再話に使われる言葉としては、最も普遍的なものが「共通語(標準語)」ですね。語りの森では共通語で再話しています。ただ、私は、語るときにはこれを日常語に解凍して語っています。「日常語で語ろう」参照。逆に日常語で再話してから共通語に再話し直すこともあります。
 外国の昔話のばあいは、翻訳された資料ですから、日本語のはなし言葉としてこなれた文章に整理しなくてはなりません。
 
 私たちは語り手です。だから、聞き手が確実にイメージできる言葉で語らなくてはなりません。そうでなければ聞き手を物語の世界にいざなうことができないのです。ところが聞き手は(語り手も)、それぞれ異なった固有の言語生活をもっています。そこから語り手の苦労とよろこびが始まる(笑)
 もろもろの苦労と工夫については他の項に譲るとして、最も基本的なことは、口伝えされたものには耳で聞いてわかりやすい独特の言葉の法則(昔話の語法)があるということです。まずはそれにのっとった再話テキストを選びましょう。昔話の語法参照
 
 昔話は先祖からの贈り物です。原話の語り手の思いや表現を大切に受けとってつぎへと伝えていくのが、わたしたちの仕事です。再話は、神経を使うとても重要な作業なのです。
 

 逃竄譚(とうざんたん)

 「何らかの理由で知らずして鬼あるいは山姥の家に行き、それと知って何かの援助を得て逃亡し、おわれるとなんらかの方法でそれを振り切って無事逃げおおす、という構造の話を逃竄譚と呼びならわしている」 『日本昔話事典』(弘文堂刊)
 
 みなさん、このような話に心当たりはありませんか。
 たとえば。栗拾いにいった小僧が山の奥深く入ってしまって一軒家に泊めてもらう。そのばあさんが実は鬼婆で、逃げだした小僧をとって食おうと追いかけてくる。小僧が、和尚さまからもらったお札を投げると、お札は大きな砂山になって鬼婆の行く手をさえぎる。また追いついて来るので二枚目のお札を投げると大川になって鬼婆をさえぎる……
 そうですね、子どもたちに大人気の「三枚のお札」。ほかにも「馬方山姥」も山姥から逃げますね。「食わず女房」、「油取り」も同じです。
 追いかけられる話って、子どもたち大好きです。古今東西を問わず、子どもって鬼ごっこが好きですものね。
 
 日本のばあい、多くはこのように、追いかけられるというひとつのモティーフを中心にしてひとつの話が成り立っています。ヨーロッパではどうでしょう。やはり追いかけられるモティーフがあちこちに見つかります。
 グリム童話の「みつけ鳥」は変身しながら逃げます。ケルトの昔話「鳥たちの戦争(オーバーン・メアリー)」はリンゴの切れ端に代返してもらって逃げます。馬の耳の中から櫛を取り出して投げると森になる、などなど。ヨーロッパの場合は追いかけられるモティーフひとつではなく、ほかのたくさんのモティーフが組み合わさって、長いストーリーになることが多いです。
 この追いかけられるモティーフを「呪的逃走」といい、全世界に広がっているそうです。
 
 呪的逃走。う~ん、ババ・ヤガーでも追いかけてみたいテーマです。
 

 AT・ATU

 

 昔話の資料を読んでいると、AT番号という言葉が出てきます。これは、昔話の話型番号です。
 昔話にはよく似たものがたくさんあります。この類似した話(類話)をそれぞれ集めて、ひとつの話型とみなします。その話型を配列したカタログがあって、その話型番号がAT番号です。カタログを見れば、たとえばこんなことが分かります。
 
 AT2番は「尻尾の釣り」という話型。話の内容は、「熊(狐)がだまされてしっぽを氷の穴に入れて釣りをする。尻尾はすぐに凍る。のちに熊が襲われて逃げようとすると、尻尾が切れる」。
 「語りの森」の「くまのしっぽはなぜみじかい」は、AT2番ですね→こちら。大阪だけではなくて世界じゅうに分布しているのですね。
 AT327番は「子どもと鬼」という話型。内容はモティーフ構成で説明されています。それを読むと、「ヘンゼルとグレーテル」「かしこいモリー」「ミアッカどん」「はらぺこピエトリン」などがこの類話だと分かります。
 
 ATというのは、カタログを作ったふたりの人物の名前です。
 1910年に、フィンランドの民俗学者アンティ・アールネがヨーロッパの昔話をもとに、カタログ『昔話の型』を作りました。それをアメリカのスティス・トンプソンが1928年と1962年に、広く世界の昔話をもとに増補・改訂しました。ふたりの名前の頭文字をとって、ATカタログと呼ばれているのです。
 
 ATカタログは、『世界の民話25』(小澤俊夫著/ぎょうせい)に部分的に翻訳されています。すべてを日本語で読めないのは残念ですが、これを使えば、たくさんの類話を集めることができます。本書には、『世界の民話1~23』所収の話のAT番号の一覧がのっています。昔話を語る者にとって、類話比較はたいせつです(ステップアップ「おはなしの姿」参照)。また、これをただ読むだけでも、昔話の世界に深く広くわけいることができます。
 
 さて、研究が進むにつれ、カタログはさらに増補改訂され充実したものになりました。2005年ドイツのハンス=ウェルク・ウター氏が発表し、ATUと呼ばれます。これは、話の内容はモティーフ構成ではなく、あらすじが文章で書かれています。その翻訳が『国際昔話話型カタログ』(加藤耕義訳/小澤昔ばなし研究所刊)として、2016年年8月に出版されました。
 
 

 隣の爺譚(となりのじいたん)

 

 日本の昔話には、善良なおじいさんと、対照的に人まねする隣のおじいさんを登場させる構成を持ったものがあって、隣の爺譚とよばれていますー『日本昔話事典』(弘文堂刊)。
 關敬吾『昔話の型』 十一「葛藤」のC 「 隣人」 からどんな話型があるか引いてみましょう。
 「地蔵浄土」 「鼠浄土」 「雁取り爺(花咲爺)」 「鳥のみ爺」 「竹伐爺(屁ひり爺)」 「舌切雀(舌切り雀・腰折り雀)」 「蟹の甲」 「瘤取爺」 「猿地蔵」 「見るなの座敷」 「猿長者」 「宝手拭」 「親を棄てる」 「大年の客」 「厄病神」 「貧乏神」 「大年の火」 「笠地蔵」 「大年の亀」 「物いふ動物」 20個ありました。
 これ以外にも、たとえば「取っつく引っ付く」 「天福地福」なども、隣の爺譚の構成を持っています。
 
   これには、ヴァリエーションがあって、爺―隣の爺、婆―隣の婆、爺―婆の対照になっているものがあります。どれも構成が同じなので「隣の爺譚」と呼びます。人が入れ替わっているだけです。
 
 また、前半の善いじいさんが成功する話だけで終わるもの、隣のじいさんの失敗だけで終わるものがあります。
 
 完全な形では、後半、隣のじいさんが善いじいさんの成功をうらやんでまねをして、失敗します。「だから、人のまねをしてはいけない」という教訓が、話の終わりに付くこともあります。
 前半と後半は同じ言葉でくりかえされますが、結末はまったく対照的です。昔話は極端な対照を好む、その好例といえます。→ ≪昔話の語法≫「極端性」
 
 隣の爺譚は、日本には、先にあげたようにたくさんあるのですが、世界的には朝鮮半島と中国に少しあるだけで、世界的な分布はないようです。日本の昔話の特色といえるでしょう。
 隣人関係を強く意識する日本人の生活意識のなかで、この形式が育ったのではないかといわれています。興味深いですね。
 
 語りの森の≪日本の昔話≫に「こしおれすずめ」を載せていますので、どうぞ。
 

 累積譚(るいせきたん)

 

 『国際話型カタログ』によると、ATU2000~2100までの話型が累積譚としてあげられています。
  累積譚は形式譚のひとつです。
 
  形式譚というのは、話の内容にはほとんど意味がなくて、言葉や話し方の面白さが興味の中心である話群を総称していうそうです。よくあるのは、長い話をしてと聞き手にせがまれたとき「天からふんどし」などと話す「長い話」とか、梅の実が次から次と落ちつづける「果て無し話」、落語の「寿限無」のような「長い名の息子」などです。ときには、聞き手に手をつながせて「はなし!」といって放させる「はなし」などもあります。
 
  累積譚は、登場人物(動物)やエピソードがつぎつぎと鎖のようにつながって続いていく形式の話です。
  「おばあさんとブタ」「ホットケーキ」などといえばおわかりでしょう。日本の現代の語り手がテキストにする「おはなしのろうそく」(東京子ども図書館)にもいくつか掲載されていて、子どもにも人気です。
 これらの話の面白さは、繰り返しの言葉が正確に順序正しく続けられていくところにあります。子どもたちはすぐに覚えて自分たちでも唱えて楽しみます。また、早口言葉のように語って競争することもできます。
  メインの話にはなりませんが、言葉遊びとして欠かすことのできないものです。
 
  語りの森ホームページでは、《外国の昔話》のコーナーに「犬を書いて飲む」「ありとこおろぎ」を載せているので見てください。音声も聞いてみてくださいね。
 
  また、『世界の民話』全36巻(小澤俊夫編/ぎょうせい刊)等から、AT番号をてがかりに累積譚のリストを作りました。興味のある方はどうぞごらんください。こちら→
 

 枠物語 ( わくものがたり )

 
 この言葉、聞きなれないかたもおられるかと思います。
 Frame Story の訳語。説話集の構成方法のひとつです。全編を統一した物語の中に、たくさんの物語を入れ込んでいます。
 たとえば、『千一夜物語』、アラビアンナイトですね。ペルシャのシャフリヤール王が、妻の不実をきっかけに女性不信に陥り、毎日ひとりの娘を宮殿に呼んでは翌朝殺すようになります。街に若い娘がいなくなる。これを憂えた大臣の娘シェヘラザードが、これを止めるために自ら王の妻になります。そして、毎晩ひとつ物語を語り、一番面白いところでやめて、続きは翌日に語る。すると王は、続きを聞きたいがために、翌晩までシェヘラザードを生かしておきます。次の日もまた同じこと、というように、毎日物語を語り、とうとう王の悪習をなおしてしまいます。
 そうやってシェヘラザードが語った話が、「まほうのランプ」であり、「シンドバッドの冒険」であり「アリババと四十人の盗賊」・・・なのです。
 この、「シェヘラザードがシャフリヤール王に語るという」という枠があって、その中で独立した物語が語られるという構成の物語が、「枠物語」です。
 枠物語という構成方法は、インドに起源があるようで、オリエント、ヨーロッパと伝わっていきました。『デカメロン』『ペンタメローネ』『カンタベリー物語』などなど。
  さて、ホームページの《外国の昔話》掲載の「りこうなまほうの鳥」を思い出してください(『語りの森昔話集1おんちょろちょろ』にも入れています)。鳥がインテゲル王に物語を語り、王が悲しんだら鳥は逃げ去る、という枠の中で、三つの話が物語られていますね。規模は小さいですが、枠物語と考えていいでしょう。
  日本の場合では、「百物語」を思い出します。
 夜に人々が寄り集い、順番に怪談を語り合います。一話終わるごとに灯をひとつ消していき、最後の話が終わると、真っ暗になる。そのとき、今までの話に登場した妖怪たちが現れる。という遊びです。これはあくまで遊びであって、説話集ではありません。
  江戸時代に『百物語』(万治2年)という書名の説話集がありますが、中身は必ずしも怪談が集められているわけではありません。遊びに名を借りているといえばいいでしょうか。これは枠物語ではありません。

 小さ子の誕生 (ちいさこのたんじょう )

 昔話のモティーフに、「小さ子の誕生」というのがあります。主人公が小さな姿で生まれてくる話を、私たちはいくつも知っています。「一寸法師」「親指小僧」などなど、洋の東西を問いませんね。
  日本の場合、古くは『日本書紀』や『古事記』にも、現れます。その場合は、人間であったり神であったりします。
 日本の昔話のなかで、彼らは、どんなふうに生まれてくるか、ちょっと思い出してみましょう。 まず、多くは、子どものない夫婦が神さまに祈ってさずけられます。神の申し子です。「神に祈って」とまでいかなくても、欲しい欲しいと願っているとやっと生まれる。
  どこから生まれてくるのでしょう。もちろんふつうにおばあさんのお腹から生まれてくる者もいますけれど、多数派ではありません。多くは、川を流れてきた桃や瓜の中から、竹の中から、おばあさんの脛(すね)や親指から。ときには死んだ母親のなかから。人というより、やはり神的なものを感じます。
  どのような姿で生まれてくるでしょう。人間のすがたで。また、動物にすがたを借りる者もいます。たにし、へび、かえるなど、多くは水の世界とかかわりが深く、水神の性格を帯びていたと考えられているそうです。
  小さく生まれたものが思いがけない成長を遂げるということが、このモティーフを持つ話型の約束事のようです。
  『日本昔話事典』では、「その小さな形にかかわらず、人並み以上の働きをするということ、そして、美しい妻を持って豊かな幸福な生活をかち得たということが、小さ子の物語の眼目であった」と説明されています。
  語りの森では、「日本の昔話」に4話紹介しています。さがしてみてください。
 

 ウリアの手紙

 ヨーロッパの昔話では有名なモティーフです。命名は『旧約聖書』から来ています。
  『旧約聖書』「サムエル記 第2-11」を簡単に説明しましょう。神の意志によって王となったダビデが、罪をおかす場面です。
  ダビデ王は、ひとりの美しい女性を垣間見て心動かされ、人妻であると知りながら一夜を過ごします。彼女は、懐妊します。ダビデ王は自分の罪をかくすため、彼女の夫ウリアを呼び寄せ、ウリアの上官であるヨアブに手紙を届けさせます。手紙にはこう書かれていました。「ウリアを戦いの最前線に送り、他の者はみな撤退して、ウリアが討たれて死ぬようにせよ」。結果、ウリアは死に、しかも他の者たちもいっしょに討ち死にしてしまいます。
 このように、「ウリアの手紙」とは、手紙の持参者を殺すようにと書かれた手紙のことです。この旧約聖書のモティーフが昔話に取り入れられ、昔話モティーフとなったとき、つぎのようになります。
 主人公は、自分を破滅させる手紙(ウリアの手紙)を持ってでかける。とちゅうで、援助者によって手紙が書きかえられ、運命が逆転して幸せを手に入れる。
 これを、「ウリアの手紙」のモティーフ、または「手紙の書きかえ」のモティーフといいます。旧約聖書がウリアの死によるダビデ王の罪を語っているのに対して、昔話がいかに主人公中心に語られるかが、よくわかる例ですね。
 このモティーフを持つ昔話の話型には、ATU425A「魔女の息子」、ATU462「追放された妃たちと鬼女妃」、ATU910K「製鉄所へ歩く」、ATU930「予言」があります。グリム童話の「三本の金髪を持った悪魔」はATU930です。
 
 「三本の金髪を持った悪魔」では、このようになっています。
 ある村の貧しい夫婦に幸運の皮をかぶった男の子が生まれます。主人公です。この子は王の娘と結婚すると予言されます。それを知った王は阻止するために、男の子を殺そうとしますが、失敗します。約13年後、王はこの子と再会します。驚いた王は、再び殺そうと考えます。そして、「この子が着いたらすぐに殺すように」を書いた手紙を男の子に持たせ、后に届けさせます。城への道の途中、男の子は盗賊の家に泊まります。盗賊は、こっそり、「この子が着いたらすぐに姫と結婚させるように」と手紙を書きかえます。翌日、男の子はその手紙を后に届け、王の娘と結婚するのです。
 日本の昔話では「水の神の文使い」という話型がそれです。「沼神の使い」ともいいます。こんな話です。
 ある男が沼のそばを通りかかると、美しい女が出てきて、妹に手紙を届けてくれといいます。妹は、もうひとつの沼に住んでいます。男は手紙を受けとってでかけますが、とちゅうで、お坊さんに会います。お坊さんに手紙を見せると、「この男をとって食え」と書いてありました。お坊さんはその手紙を書きかえて男にわたします。男はそれを沼に持っていって渡します。すると、沼の女は、手紙に書いてある通りに、すばらしい金銀宝物をくれました。
 
 この「手紙の書きかえ」のモティーフをより広い意味でとらえると、手紙を書きかえることによって、主人公の運命が変わるモティーフすべてを指すことになります。
  「手なし娘」などに含まれるモティーフです。
 「かわいい男の子を生んだ」という妻(または夫の母親)の手紙を持った使者が、途中で悪魔(または継母)の手によって「化け物を生んだ」と書きかえられます。そして、「大事に育てよ」という夫の手紙が「追放せよ」と書きかえられ、主人公は苦難の旅に出ます。
 この場合は、主人公を救ってくれるのではなく、主人公に試練を与えるためのモティーフになっていますね。
 
 世界的に同じモティーフがあります。みなさんも探してみてください。
 

 伝説

 古くは「言い伝え」「いわれ」と呼ばれていたもので、英語ではlegend。
 昔話が架空の物語であるのに対して、伝説は、具体的な事物と結びついて、真実と信じられてきた口伝えの話です。
  ですから、昔話は「むかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがいました」のように、時代、場所、人物が不特定に語られますが、伝説では、特定の時代、特定の地域、具体的な人物のこととして語られます。
 
  具体例をみてください。
 「松柿の木」(『大和の伝説(増補版)』高田十郎編/大和史蹟研究会)
 「磐城村に、松に接がれた柿の木がある。文明19年に、蓮如上人が巡錫の際、この地の家主弥七郎という者に、他力信仰をすすめた。弥七郎は、そこで、松の木に柿を接ぎ、もし弥陀の本願虚妄ならば、この木も空しくなるであろう、と試したところ、りっぱにその木が育って、今のごとくなったのだという。この柿の実をツルして食べると、腹痛がなおるという。」
 
 昔話と比較すると、伝説を理解しやすいです。
 
 たとえば、川上から流れてきた桃を割ったら中から赤ん坊が出てきた話を、昔話として語れば、ファンタジーですから、聞き手はおどろくことなく受け入れます。昔話の一次元性ですね。こちら→
  ところが、伝説として語れば、これは奇跡です。本当にあるはずがないことが起こったわけですから、だれでもびっくりしますね。桃の中から出てきた子どもは将来有名な高僧か大将になるでしょう。つまり伝説的人物の誕生譚として伝えられるでしょう。
 
  またたとえば、わたしたちは、「きつね女房」という昔話を知っています。助けた狐が娘に化けてやって来る。その娘との間に男の子が生まれる。ところが、正体がばれて、狐は子どもを残して去っていく。
 この昔話と同じストーリーの伝説が、大阪府和泉市に残っています。
  平安時代、村上天皇の御代、大阪の阿倍野(現)に住んでいた安倍保名(あべのやすな)が和泉の信太(しのだ)の森の狐を助けます。狐は恩返しに保名の家にやって来て妻になります。狐の名前は「葛の葉」。生まれた子どもは「童子丸」。童子丸は成長してりっぱな天文博士になります。この人物が、かの有名な陰陽師、安倍晴明です。実在の人物ですね。
 
  この「きつね女房」と「信太のきつね」の例でわかるように、昔話と伝説は、同じモティーフや構造を持っていることがよくあります。ひとは土地を行き来しますから、物語もあらゆる土地に伝わります。その過程で、昔話がある特定の土地に根付いて伝説になったり、ある特定の話が、伝わっていくうちに昔あるところのファンタジーになったりしたのでしょう。
 
  伝説は、世界じゅうにあります。ヨーロッパでは、各地に妖精が棲んでいます。その地元の妖精がいて、そこの人たちはその存在を信じています。また、「ハーメルンの笛吹き男」のようにふしぎな男の話が特定の町と結びついて語られたり、湖や城や寺院にはふしぎな出来事が起こり、それが本当のこととして伝えられます。
 
  また、伝説には、物事の由来を述べるという性質もあります。先ほどの安倍晴明の誕生譚も由来話の一種ですね。
 たとえば、「なぜカバは水の中にすむか」「なぜ太陽と月があるのか」「なぜ男と女があるか」などなど。読んでいると、由来譚は、限りなく神話に近づいていることがわかります。
 「これはほんとうにあったことだよ」と伝えられてきた話には、伝説だけでなく神話があります。神話は神さまの世界の話、伝説は人間と人間の時代の話です。
 
 昔話、伝説、神話。くっきりと境界線を引けるものではなさそうです。それほど、口伝えの世界は多様で豊かだということなのでしょうね。
 語りの森昔話集の第2巻には、土地と結びついた短い伝説を一話入れようと考えています。伝説というより世間話のような小さな話です。お楽しみに。
 

 山姥 (やまうば・やまんば)

 山の中に棲んでいる女の妖怪。たいていはおばあさんで、山母、山姫などともいうそうです。実在すると伝えられていて、昔話にも登場します。背がとても高かったり口が耳まで裂けていたりと、おそろしい風貌です。ときには頭のてっぺんにも口があります。
 山姥は、人間を害する恐ろしい存在であるだけでなく、人間に恩恵を与える神さまであることもあり、善悪二面性を持っています。昔話で例を挙げると、前者は「三枚のお札」「食わず女房」「馬方山姥」など、後者は「糠福米福」「姥皮」などがあります。詳しく見ていきましょう。
 「三枚のお札」。小僧(子ども)が山の中に入っていくと山姥に遭遇します。山姥の家に泊まって、便所の神さまの助けなどで逃げだします。逃げながら和尚さまからもらったお札(や鏡やくしなど)を後ろに投げると、山や川や火になって山婆の行く手をさえぎり、小僧は無事寺に帰りつきます。山姥は追跡中に命を落とすか、または和尚さんの知恵でやっつけられます。この山姥は、ものすごいスピードと迫力で追いかけてきます。足が速いのです。逃竄譚(とうざんたん)の代表的なものですね。そして、これは子どもを食べる山姥です。
 「食わず女房」。男が、飯を食わない女房が欲しいと言っていると、ある日そんな女がやって来て妻になります。ところが米がどんどんなくなっていくので、男が天井からこっそり見ていると、女は頭の口から握り飯を放りこんでは食べます。男が知らぬふりをして別れてくれと言うと、女は男を桶に入れて山へ連れ去ろうとします。男は逃げて難を逃れます。菖蒲やヨモギの原にかくれる五月の節句の由来譚と、女が蜘蛛になって夜に男の家にやって来て退治されるという「夜蜘蛛は親に似ても殺せ」ということわざの由来になっている型とがあります。どちらにしてもこの山姥はものすごい大食漢です。また節句の由来型は「三枚のお札」と同じく足が速い。俊足です。後者の山姥は、正体が蜘蛛です。
 「馬方山姥」。ここでは馬方(または牛方)の積み荷の魚をつぎつぎと強奪する山姥です。ものすごい大食漢で、しかもすごいスピードで追いかけてきます。これも逃竄譚です。馬方が木の上に逃げ、池に映った馬方を見た山姥が池に飛びこんで死んで終わるというものもありますが、たいていは、馬方は山姥の家に逃げ込んでしまいます。そして、機転を利かせて山姥の餅や酒を飲んだあげく、山姥を殺してしまいます。山姥の正体が蜘蛛であったりします。
 柳田国男の『山の人生』によると、足が速くて大食いという性質は、実在すると信じられていた伝承上の山姥の性質でもあったようです。
 では、善い山姥を見てみましょう。
  「糠福米福」。「米福粟福」ともいいます。継子譚です。ATU510、いわゆるシンデレラ話で世界中に分布します。話の冒頭で姉妹がクリ拾いにいきますが、姉(継子)のふくろにはあなが開いていてなかなかクリがたまりません。新しい袋をくれるのが亡くなった生母なのですが、これが山姥だったりします。芝居見物の時に姉に美しい着物をくれるのも生母(または山姥)です。つまりこの山姥は主人公を助ける神のような存在です。
 「姥皮」。これもATU510、シンデレラ話のもうひとつの型です。前半は「蛇婿」の話で、困っている父親を助けて末娘が蛇の嫁になります。娘はうまく蛇をやっつけて逃げだしますが、かくまってくれるのが山姥です。じつは父親が助けてやった蛙の化身だったりします。山姥は娘に姥皮をくれて、娘はそれを着て火焚きばあさんになって雇われます。たまたま娘が姥皮を脱いでいるところを長者の息子に見染められ、結婚して幸せになります。
 ほかにも「ちょうふく山の山姥」「山姥の仲人」など、幸せを運んできてくれる山姥がいます。
 ところで、民俗学では、山の神の民間信仰が説かれます。農業者にとって山の神は、春になると山から下りてきて田の神となり、秋には山へ帰って山の神となると信じられてきました。猟師やきこりなど山で働く人にとっては、山の神は怒らせると恐ろしい、山を支配する神であったようです。神ですから、どちらもお祭りをします。その山の神の零落したのが山姥だという説が有力だそうです。そういえば、河童は川の神の零落した姿ですね。どちらも自然の脅威と自然の与える恵みの両方の側面があり、それが山姥の二面性として表れているのでしょうか。
 語りの森では、『語りの森昔話集1おんちょろちょろ』に「めしを食わないよめさん」と「へびの婿さん」を掲載しています。ぜひ読んでみてください。「三枚のお札」は『語りの森昔話集2』に掲載の予定です。
 

 いろり (囲炉裏)

 日本の昔話にはいろりがよく登場します。
  いろりというのは、おもに農家の、日常的に使われる部屋に作られていました。家の奥の座敷ではなく、土間に近い、家族やお客の集まる部屋にいろりがあったのです。だから、いろり端というのは、一家だんらんの場でもあるし、情報交換の場でもあるし、昔話が語られる場でもありました。
       
  いろりの機能は、まずは暖房。部屋全体を温めますが、とくに「背あぶり」をしてみるとその温かさがよくわかります。背あぶりしている鬼ばばや猿を、みなさん知っていますね。
  それから、煮炊きに使います。天井から自在鉤(じざいかぎ)をつるして、鍋などをひっかけて煮ます。五徳に乗せた網で餅を焼いたり、串に刺した魚を灰に立てて焼いたりもします。馬方は梁の上から餅をつりあげて食べてしまいますね。
  それから、灯りとしての機能があります。山で道に迷った薬売りが、遠くにぽつんとひとつ灯りを見つけます。この灯りはいろりの火です。いろり端で家の者が夜なべ仕事をしているのでしょうか。
  もうひとつ、いろりの火には防虫の役もあります。木造の家で、屋根はかやぶき。今のように化学的な防虫剤がない時代は、たきぎを燃やして出る煤(すす)が害虫を追いはらいます。シックハウスの心配はありませんが、たきぎがうまく燃えてくれないと非常に煙いです。
  昼間、人がいるときはたきぎを燃やすのですが、夜になると上から灰をかけて火を埋めます。火は消すのではなく、翌朝、灰をかいて火を起こすのです。火を消してしまって、となりの家に火種をもらいに行く性悪ばあさんのはなし、心当たりがあるでしょう。いろりの世話もできないダメ主婦という意味です。ただ、大晦日の晩だけは、大きな木を一本入れて燃やし続けることで、家の繁栄を願ったそうです。その火を消してしまったお嫁さんの話がありますね。
  いろりの上には、竹などを編んで作った棚があることが多く、「火棚(ひだな)」と呼びます。火棚には、ぬれたわらぐつや衣服、食べ物などを置いて乾燥させます。朝、じいさんが火を起こしていると、火棚から貧乏神がぶらさがってくる話もありますね。
  いろりは四角ですが、土間から見て正面の席を「横座」と呼んで、その家の主人がすわります。向かって右が「嬶座(かかざ)」で主婦がすわります。向かって左が「客座」で、お客がすわります。子どもや手伝いの者たちは、土間に近い「下座(げざ)」または「木尻」と呼ばれる席に座ります。
  いろりには火の神が宿っています。この信仰は日本全国にあってアイヌのはなしにも出てきます。家の中の神については、おもしろいことがたくさんあるので、別の機会に譲ります。
 『日本大百科全書』(小学館)にいろりの構造がわかりやすく図式化されていたので貼り付けました。
 
 つぎの写真の横木をよく見てください。「一富士二鷹三茄子」を彫ってあります。
 京田辺市の酬恩庵一休寺のいろりです。

 
 

 長い名の子供

 夫婦に子どもができたけれど、名前が短かったので早死にした。それで長い名前を付けた。ところが、その子が井戸(や川)に落ちて、みんなで名前を呼んでいるうちにおぼれて死んでしまった。というストーリーの話は、全国に伝わっていて、「長い名の子供」と呼ばれる話型です。
  この話型は、笑い話の中の大話(おおばなし)に分類されています。大話というのは、ほら話のことで、頭に柿の木が生えたとか、ふんどしにはさんだ鴨に運ばれて大仏殿まで飛んでいったとか、あり得ないようなうそ話のことです。
  本格的な昔話では、主人公がこんなにあっけなく死んで終わるということはありませんね。この話は、聞き手が主人公と同化する前に、つまり長い名前をおもしろがっているうちに、死んじゃった、でおしまいです。
  この話の面白さは、長い名前を唱えるところにあります。例えばこんな言葉が使われます。
  「イッチョウギリカチョウギリカ」
  「トクトクリンボウソウリンボウ」
  「ジュゲムジュゲム」
  「ゴコウノスリキレ」
  「ヘエトコヘエトコヘエガーノコ」などなど
 これらの言葉がつながって長い名前になります。もともと早(はや)物語という、早口言葉で唱える口伝えの文芸があって、それと関りがあるそうですが、早物語については詳しいことはよくわからないそうです。また、井戸に落ちた子どもの名を呼ぶのに大あわてでしょうから、語りかたとしては、早口言葉のように唱えるのが、この話の面白さを活かすことになります。
  笑い話なので、おまけの話として、子どもの死を気にかけないでからっと語ればいいでしょう。笑い話だと分かっているから、子どもも本気にとることはないし、ちょっとブラックなユーモア感覚をはぐくむことも大切かと思います。
  ≪日本の昔話≫のページに「へーとこへーとこ」を載せていますので、ぜひ語ってみてください。
 
 

 瓜子姫

 よく知られている瓜子姫の話は、東北から九州まで広く分布しています。典型的な「瓜子姫」は、当ホームページ《日本の昔話》で紹介している「うりひめの話」に代表されるものです。
  おばあさんが川で洗たくをしていると瓜が流れてきて、女の子が誕生する。瓜子姫と名づける。瓜子姫が機織りをしているとあまのじゃくがやってきて、家の中に入りこむ。あまのじゃくは瓜姫を外へ連れ出し、木にしばりつける。それから瓜子姫に化けて機織りをしている。おじいさんとおばあさんは気づかず、翌日あまのじゃくはかごに乗って嫁入りする。が、途中で声がして正体露見し、瓜子姫は無事お殿さまのところに嫁入りする。
  これは、西南日本に伝わっている型です。
  それに対して、東北地方や北陸では、瓜子姫があまのじゃくに殺される型が多く残っています。《日本の昔話》「きゅうり姫」に代表されるものです。顔の皮をはがれたり、瓜姫汁にされておじいさんとおばあさんに食べられたりと、ショッキングなモティーフが多くとられています。
  お伽草子『瓜姫物語』や江戸時代の『嬉遊笑覧』など古い書物で読むことができる「瓜子姫」は西南日本型なので、西南日本型のほうが口伝えとして古いのではないかといわれています。
  柳田国男は、瓜子姫を神に仕える織姫となぞらえて、古代信仰と結びつけています。
  關敬吾は、AT408「三つのオレンジ」の類話ととらえ、外国から来た話型だと考えています。
  どちらも興味深いですね。
  ところで、あまのじゃくは、山姥、きつね、たぬきであることもあります。
 あまのじゃくの正体がばれる場面は、東日本では鳥の声が知らせることが多く、西南日本では、瓜子姫自身が泣いて知らせることが多いです。
  あなたの地方ではどんな「瓜子姫」が伝えられているでしょう。
 
 

 鼠浄土(ねずみじょうど)

 地下にある鼠の楽園を訪ねて財宝をもらってくる昔話を、総称して「鼠浄土」といいます。ひとつの話型で、全国に伝わっています。
 主人公はたいていおじいさんです。おじいさんが穴の中に転がすのは、団子や餅、握り飯、豆などで、「~ころりん」といいながら落ちていきます。それをきっかけに、おじいさんも穴に入っていきます。
  穴の底では、ねずみたちが「猫さえいなけりゃ、ねずみの極楽」「猫の声など聞きたくない」などど歌って踊り、もちつきや黄金(こがね)つきをしています。
  おじいさんは、転がした団子のお礼に餅、黄金、宝物などをもらって帰ります。ときには、猫の鳴きまねをして、ねずみが逃げていったすきに餅や黄金を持って帰る話もあります。
  隣の爺型のことが多く、隣のよくばりじいさんが、まねをして団子等を転がし、猫の鳴きまねをしたがために、ねずみにかじられたり、殺されたりします。また、ねずみがいなくなってまっくらになり、土の中から出られなくなってもぐらになったという話もあります。
  ねずみは、人間にとって身近な存在でした。しかも大黒天の足元に描かれるように、神性を持っています。人間に見えない地下に浄土があって、ねずみたちが何不自由なく豊かに楽しく暮らしているという想像は、人びとの憧れの表れだったのかもしれません。
  地下の浄土にいるのは、お地蔵さまであることがあります。これは、「地蔵浄土」といって、ひとつの話型をなしていて、これも全国に分布しています。

 十二支のはじまり

 民間信仰の干支(えと)のうち、動物に当てはめられた、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の十二支(じゅうにし)の起源を説明する昔話のひとつの話型です。

 そもそも、十二支は、動物とは無関係です。中国の殷の時代の甲骨文字に書かれていて、日付を記録するためのものだったそうです。殷だから、紀元前十七世紀~紀元前十一世紀。つまり今から3000年以上前にはあったということになります。
  それが、日付だけでなく、年月や時刻や方位もあらわすようになりました。つまり、天体や地理などの科学の基本的な記録方法だったのです。文明のアジアの中心だった中国で、古代から近代まで、長い間、使われてきたのですから、日本や周辺の文化圏に影響を及ぼさないはずはありません。タイやベトナム、モンゴルといったアジアはもちろんのこと、東ヨーロッパやロシアにも十二支はあるそうです。

  さて、その十二支に動物が当てられるようになりました。なぜなのか、理由ははっきりしていません。覚えやすいからだとか、バビロニアの天文学と関係があるとか、諸説あるようです。とにかく紀元前200年にはすでに動物と組み合わせられていたということです。
  どの国も十二の動物に大きな違いはありません。が、ちょっとだけ違うところもあります。「丑」はベトナムでは水牛、「寅」はモンゴルではヒョウ、「午」はタイではヤギです。「亥」は本来はブタの意味の漢字ですが、日本ではイノシシが当てられていますね。
  そうして、なぜ、ねずみ、牛、虎、うさぎ、・・・の順番なのかという、お話が生まれ、語り伝えられていったのです。

  さて、日本の昔話に話題をもどします。
  「十二支のはじまり」は青森から鹿児島まで広く分布しています。
  まず動物たちを招集するのは、神さま、お釈迦さまなど。期日は、一月一日になっている話が案外少なくて、ふつうの日であることの方が多いです。
  牛は足が遅いので早く出掛け、ねずみは牛の背中に乗って行き、牛より先に門に入る。ねこは、日にちを忘れ、ねずみに嘘を教えられたため一日遅れ、神さまに「顔を洗って出直して来い」といわれた。だから、ねこはいつも前足で顔を洗っているし、ねずみを見ると怒って追いかける。というのが、よくある話です。動物競争譚であり、動物由来譚です。幼い子ども向けのお話で、子どもに十二支を覚えさせるために語られたのでしょうか?
  伝承によってバリエーションがあって、奈良には、イノシシが寝坊して、朝ごはんを食べながら一生懸命走っていったので、口が長くなったという話があります。
 あなたの地域にはどんな伝承が残っているでしょうか。  

 昔話の難題

 昔話では、主人公に与えられる課題のひとつとして、「難題を解く」ということがあります。
「課題」は、なしとげるのが困難であればあるほど(極端であるほど)、物語としての面白さがあります。さまざまな課題が昔話には出てきますが、その中でも、なぞなぞや判じ物のような、知恵を必要とする「難題」について、どんなものがあるか調べてみました。

 まず日本の昔話から。
  よく知られているのが「天人女房」。天に上った夫が、妻の父から難題を出され、それを解いたら婿として認められる、という筋書きです。妻が援助してくれるおかげで、解決することが多いです。
  また、「絵姿女房」。殿さまが、難題を出し、解かなければ妻をよこせというパターンのお話です。これも、たいていは、妻が答えを教えてくれます。
  また、「難題婿」。難題を解決して、長者の娘の婿になるお話。助けた動物たちが恩返しをしてくれるパターンが多いです。
  そして、「姥捨山」。となりの国から難題がもたらされ、殿さまが、それを解いたらのぞみの物をやるという。年寄りをこっそり隠していた息子が、年寄りの知恵で解決し、年寄りを捨てる風習はなくなったというお話。
  難題は、たいてい3題出されます。3は昔話の好む数ですね。例えばこんなものがあります。
@灰で縄をなえ。
@打たぬ太鼓に鳴る太鼓を持って来い。
@裏山に木が何本あるか。
@そっくりの二頭の馬のどちらが親でどちらが子か。
@七曲の穴に糸を通せ。
@角材のどちらが根っこでどちらが先か。
  主人公が、自分で答えを考えるより、だれかに助けてもらうことのほうが多いようです。妻(となる娘)や、助けた動物、助けた親、などです。
 
  難題は世界中にあるモティーフで、S・トンプソンのモティーフ索引では、H「難題」としてたくさん集められています。この索引では具体的な難題の内容はリストアップされていないので、ATUの索引から、「課題」でさがしてみました。その中から難題にあたるものをさがすと、こんなものがありました。
@木でもなく石でもなく鉄でもなく土でもない橋を作る。
@ふるいで水を運ぶ。
@馬に乗らず歩かず、裸でもなく服も着ずに来る。
@最良の友と一番の敵とともにやって来る。
@好きなだけ食べて、しかも丸ごと残す。
@砂でロープをなう。
@これまで聞いたことのないことを言う。
@白い大理石のスーツを縫う。
  おもしろいですね。答えが分かりますか?たくさんの昔話を読んで、答えを見つけたいものです。
  まずは、グリム童話から、KHM94「かしこい百姓娘」、KHM152「羊飼いの男の子」を読んでみましょう。この2話は、主人公が、だれにも助けてもらわずに、自分の知恵で難題を解きます。
 
 

 昔話の起源

あるひとつの昔話が、いつ誰の手によって生まれたのか、古今東西の研究者たちが考えてきました。けれども、結論は出ていないようです。
口づたえであるかぎり、語られたその場で消えてしまうわけですから、元をたどることが難しいのは当然です。ただ、その話が記録されて、目に見える形で保存されていれば、それを手掛かりに考察することは可能です。
以下、素人目であることをご承知の上、お読みください。
ふたつの方向からの研究があるようです。
 
まず、時間軸をさかのぼって考える場合。
ある話が、たまたま書き記されていれば、その時点まではさかのぼれますね。けれども、書かれなかった話もあるだろうし、書かれた資料がないからといって無かったと断定することはできません。つまり、在ることは証明できても無いことは証明するのが難しいわけです。
日本の場合は柳田国男などが研究したし、グリムも、仮説を立てました。どちらも神話が昔話の起源ではないかと考えたのです。そののち、研究は進んでいるようですが、定説はありません。
 
たとえば、わたしたちがよく知っている「三枚のお札」。鬼ばばに追いかけられながら、小僧さんがお札をうしろに投げると、お札が山になったり川になったりして、鬼ばばの行く手をさえぎります。呪的逃走譚です。いっぽう、8世紀に成立した『古事記』のイザナキとイザナミの話の中にとてもよく似たエピソードがあります。《日本の昔話》に「黄泉平坂」として紹介しているのでご覧ください。
なにか深い関係がありそうです。けれども、ただ似ているからといって、「三枚のお札」の起源が『古事記』の神話だと断定するのは無茶な話です。さらに、『古事記』は、稗田阿礼が口で語ったものを太安万侶が書きとめたものだから、それ以前から「黄泉平坂」の話はあったわけです。けれどもそれがどのよう話だったのか、またどの時代までさかのぼることができるか、ということになると、新証拠が発見されない限り分からないのです。
 
またたとえば、「浦島太郎」は、8世紀に成立した『丹後風土記(逸文)』『万葉集』にまでさかのぼることができます。それらの文献には、浦島の伝説だとして書かれています。「三枚のお札」と「黄泉平坂」は似ているだけ、もしくはモティーフが同じなだけだけれど、「浦島太郎」はいわば直系です。8世紀に記録されるより以前から、口伝えで語られていたのです。それ以前の浦島太郎がどのような話だったのかは、やはり、現時点では分かりません。
 
もうひとつは、世界の昔話を比較して、空間軸で考える場合です。
世界じゅうによく似た昔話が存在します。たとえば、《外国の昔話》の「こびとのおくりもの」は、「こぶとりじい」にそっくりですね。ほかにも、ホームページの《日本の昔話》《外国の昔話》の解説を読んでくだされば、同じような話があちこちにあることにお気づきかと思います。
この類似は、偶然の一致なのか、それとも、どこかに源があってそれが伝播したのか、という問題です。これも、まだ定説はなく、一つひとつの話型についての比較研究が進められています。小道具は民族によって異なっていても、あらすじがそっくりな場合は、きっと同時発生ではないと思われます。「天人女房」や「シンデレラ」などの論及は、多くの研究者によってなされており、まるで推理小説のようで、おもしろいです。

 
 

 和尚と小僧譚

 貪欲な、あるいは愚かな和尚を、頓智のある、あるいはわんぱくな小僧がやりこめるという形の笑い話群。さまざまな話型があります。くつか紹介しましょう。
「あゆはかみそり」 和尚がこっそり鮎を食べて、小僧に見つかり、「これは、かみそりというものだ」と言い訳をします。あるとき、川をわたっていて、小僧が鮎を見て、和尚に「かみそりがいるので、足を切らないように」と注意します。
「和尚おかわり」 和尚が、便所にかくれてこっそりぼたもちを食べます。同じく小僧が、ぼたもちをこっそり食べようと、便所に行くと、和尚が先に食べています。小僧は、とっさに、「和尚さん、おかわり」といって、持って行ったぼたもちをさし出すという話。
「飴は毒」 和尚が水飴を、毒だといって、小僧に食べさせないでいます。ある日、和尚が出かけているあいだに、小僧は、水飴を全部なめてしまいます。そして、和尚の秘蔵の品物(すずりなど)をこわして、泣いて待っています。和尚が帰って来ると、小僧は、「大事なものをこわしたので、死んでおわびをしようと毒を食べましたが、いっこうに死ねません」といいます。
 これらの話の眼目は、優位の者が下の者にやりこめられるという構造、やりこめる者の抜け目なさとやりこめられるものの愚かさ、やりこめ方のおかしさに、あります。なんとも人間臭いテーマですね。聞き手は下の者(小僧)の立場ですから、大人も子どもも共感できるでしょう。ただ、この世界観を認識できるのは、ある程度の人生経験が必要なので、幼い子には向かないと思います。また、とんちが分かる年令でなければなりません。
 和尚と小僧譚は、13世紀の『沙石集』や、14世紀の『雑談集』といった文献にも残っています。いわゆる中世ですね。中世は、各村々に小規模のお寺が、急激に林立した時代です。それは今でも続いていますね。今以上に各人はお寺と密接につながっていましたから、急激な変化の時代は、混乱の時代だったともいえるでしょう。たとえば、急に和尚の数が増えると質の低下を招くとか。その中で生まれてきた、生活に密着した笑い話だったといえます。
 さて、私たちはこの話を聞いて、とんち以外にどんな面白さを感じることができるでしょう。

 愚か村話(日本)

 ある村の住民が、もの知らずだったり言葉知らずだったりして、愚かなことをするという笑い話群です。
  たとえば、「飛びこみ蚊帳」は、村人がお伊勢参りに行って、途中の宿屋で、かやの使い方が分からなくて、さかさまにつるします。どうやって入ろうかと考えて、上から飛びこむという話。 「長頭(ちょうず)を回す」は、村に役人が来て泊まります。朝、役人が、顔を洗うために「手水を回せ」といいます。たらいに水を入れてもって来いという意味です。ところが、村人たちは「手水」の意味が分かりません。さんざん考えたあげく、村一番の長い頭の男をさし出します。男は、役人の前で、一生懸命長い頭を回します。
 多くはひとつのモティーフからなっています。話型としては30くらいあるそうです。
 この愚か村話は、人気があって、全国に残っています。村の名前をとって、「○○話」と呼ばれます。この村々は、実際にある村です。『日本昔話事典』からすべて書き抜いてみますので、みなさんのお住まいの地域や出身地の近くの村を探してみてください。
 南山(みなみやま)話(福島県)・栃尾話(新潟県)・二十村郷話(新潟県)・秋山話(新潟県)・安寺持方(あでらもちかた)話(茨城県)・栗山話(栃木県)・美麻村話(長野県)・小倉話(長野県)・川上話(長野県)・奥道志話(山梨県)・川津場話(千葉県)・子安話(神奈川県)・須賀話(神奈川県)・黒谷話(京都府)・野間話(京都府)・横行話(兵庫県)・佐治谷(さじだに)話(鳥取県)・俣野話(鳥取県)・湯船話(岡山県)・星山話(岡山県)・越原話(広島県)・山代話(山口県)・杢路子(もくろうじ)話(山口県)・木頭(きとう)話(徳島県)・韮生(にらう)話(高知県)・山分(やまぶん)話(高知県)・寒田(さわた)話(福岡県)・野間話(福岡県)津江山話(大分県)・倉谷話(佐賀県)・高千穂話(宮崎県)・世知原(せちばる)話(長崎県)・五箇庄話(熊本県)・日当山(ひなたやま)話(鹿児島県)
 実在の村なので、実際にその村を知っている人たちの間では、事実談・経験談として語られているとのことです。知らない人にとっては、一般的な昔話として語られています。
 愚か村話は成立したのは、中世から近世にかけて、町の商人が農村に商売のために回るようになったころだと考えられています。貨幣経済が農村に入りこむことで、新旧の対立が生まれます。商人は農民の古い価値観を笑い、農民は商人のずるさをののしります。そして、商人たちがこの笑い話を伝えて歩いたのです。聞いた農民たちは、自分たちより愚かな村を笑うことで、自尊心を取りもどしたのではないかといわれています。なんだか、閉鎖的で差別的ですね。でも、それも人間の性(さが)なのでしょう。
 愚か村が、平家の落人村だといわれることが多いのは、その村の人たちの自尊心から来る反発かも知れません。また、愚かを装うことで、圧政から逃げるという知恵を持っていたとも考えられます。
 愚か村話は、外国にもたくさんあります。次回は外国の愚か村についてお話します。

 山の背くらべ

 山と山が背比べをした話が、日本各地に残っています。  これは、その土地に根付いた話で、ほんとうにあったこととして伝えられてきました。だから、昔話ではなく、伝説です。
  柳田国男の『日本の伝説』に、「山の背くらべ」として、具体例と解説があります。おもしろいので、ご紹介します。日本地図に落としてみたので、参考にしてください。
 
  
 
1、愛鷹山(あしたかやま)と富士山・・・静岡県
 むかし、諸越(もろこし)の愛鷹山が、富士山と背比べするために、海を渡ってやって来ました。それを見た、足柄山(あしがらやま)の明神さまが、生意気なやつだといって、愛鷹山をけとばしました。それで、愛鷹山の頭がくずれて、かけらが海にちらばってしまいました。そのかけらを集めて作ったのが、浮島が原だそうです。ほら、富士山の東側の小さな山、あれが愛鷹山です。浮島が原には、自然公園があります。
 
2、孝霊山(こうれいざん)と大山(だいせん)・・・鳥取県
 むかし、韓(から)の国から、大山と背比べするために高い山がやって来ました。韓から来たので韓山といいます。韓山は、大山より少しばかり高かったので、大山は腹を立てました。大山は、木履(ぼくり:木をくりぬいて作ったくつ)をはいたまま韓山の頭をけ飛ばしました。それで、今でも、韓山の頭は欠けていて、大山よりだいぶ低いのだそうです。韓山は、今は、孝霊山と呼ばれています。
 
3、根子岳(ねこだけ)と阿蘇山(あそざん)・・・熊本県
 阿蘇山の東南に、猫岳という珍しい形の山があります。むかし、猫岳は、いつも阿蘇山と高さくらべをしていました。阿蘇山は、怒って、ばさら竹の杖で、しょっちゅう猫岳の頭を打っていました。猫岳は、頭がこわれてでこぼこになってしまいました。猫岳は、今は根子岳と書きます。
 
4、浅井(あさい)の岡と伊吹山(いぶきやま)・・・滋賀県
 むかし、伊吹山の神さま多々美彦(たたみひこ)の姪である浅井の岡の浅井姫は、おじさんの伊吹山と高さくらべをしました。そして、ひと晩のうちにするすると伸びて、伊吹山より高くなりました。多々美彦はたいへん腹を立て、剣を抜いて浅井姫の首を切りました。首は琵琶湖に飛んで行って島になりました。これが竹生(ちくぶ)島です。
 
5、鳥海山(ちょうかいさん)と富士山・・・山形県
 むかし、鳥海山は、われこそは日本で一番高い山だと思っていました。そころがある日、旅人がやって来て、富士山のほうが高いといいました。鳥海山はくやしくて、腹を立て、いてもたってもいられず、頭だけ遠く海に向かって飛んで行ってしまいました。それが、今の飛島(とびしま)です。
 
6、飯田山(いいださん)と金峰山(きんぽうざん)・・・熊本県
 むかし、飯田山と金峰山が高さくらべをしました。いつまで争ってみても勝負がつきません。そこで、両方の山のてっぺんに樋(とい)をかけ渡して水を流してみようということになりました。すると、水は、飯田山の方に流れて、飯田山の方が低いということになりました。そこで、もう今からはそんなことは「言いださん」といったので、飯田山と呼ばれるようになったということです。飯田山のてっぺんには、その時の水がたまった池が今でもあるそうです。
 
7、尾張富士と本宮山(ほんぐうさん)・・・愛知県
 むかし、尾張富士と本宮山が背比べをしました。山のてっぺんに樋をかけて水を流すと、尾張富士のほうに流れました。尾張富士が負けたので、ふもとの村の人たちは、年に一度のお祭りに、石を引いて行くようになりました。少しでも山が高くなるようにとの願いからです。今は石上げ祭りといって、8月の第1日曜に行われているそうです。
 
8、白山(はくさん)と富士山・・・石川県
 むかし、白山と富士山が背比べをしました。山のてっぺんに樋をかけて流すと、白山に向けて水が流れ始めました。それを見ていた白山のふもとの人たちが、急いで、はいていたわらじをぬいで樋のはしに当てがいました。すると、ちょうど同じ高さになりました。それで、今でも、白山にお参りする人は、かならずわらじの片方をぬいで、置いて帰るそうです。
 
9、立山(たてやま)と白山・・・富山県
 むかし、立山と白山が背比べをしました。すると、立山のほうが、わらじ一足分だけ低かったので、立山は、たいへん悔しがりました。そこで、立山に参詣する人たちは、わらじを持って登るとご利益があるといわれています。
 
10、飯降山(いぶりやま)と荒島山(あらしまやま)・・・福井県
 むかし、飯降山が荒島山と背比べをしました。すると、飯降山のほうが馬のくつ一足分だけ低かったそうです。そこで、飯降山に石を持って登ると、願い事がひとつだけかなうといわれるようになりました。
 
11、本宮山と石巻山(いしまきやま)・・・愛知県
 本宮山と石巻山は、大昔から背比べを続けていますが、まったく高さに差がありません。それで、いまでも、石を手に持って登れば少しもくたびれないけれど、小石ひとつでも持って帰ると、罰が当たるといわれています。
 
 これらの伝説は、柳田国男が、古い文献から探しだしたものです。けれども、日本各地を歩けば、もっとたくさんの山の背くらべが残っていると思います。
 山が擬人化されているというより、山には神さまがいて、その神さまはとっても人間的だったのだと感じます。古い土着の信仰から生まれた伝説なのでしょう。
 どれもコミカルな話で、山に親しみがわいてきます。
 「全国山の背くらべツアー」なんてあれば、行ってみたいです。そして、山をながめながら、山たちの表情を想像して楽しみたいです。
 
  ところで、これは、日本だけの伝説で、世界的にもにあるのでしょうか?知りたいです。
 
 

 愚か村話(外国)

昔話のカタログによると、ATU1200~1349が、愚か話で、1400以降にもぽつぽつと愚か者の話があります。つまり150種類以上もの愚か話があるのです。愚か話とは、とんでもない愚かなことをする人を笑う話です。そして、愚か話の中でも、愚か者が複数で登場するのが愚か村話です。
このホームページの≪外国の昔話≫には、「ゴタム村のかしこい人たち チーズ」「導師、川をわたる」の再話を載せています。
 
『世界の愚か村話』(日本民話の会・外国民話研究会編訳/三弥井書店)には、119話も載っているので、ぜひ読んでみてくださいね。ほんとに多彩です。
その解説には、「愚か者を主人公とする笑い話を、実在の村を指名して、その村人たちが実際に引き起こした話として語るものが愚か村話」とあります。
具体的には、イギリスのゴータム村。ドイツのシュヴァーベンやシルダの町。ロシアのヴォトカなどなど。
 
実在する村名は出て来ますが、話自体は伝説ではなくて昔話です。
・・・はい、復習です。伝説は信じられることを求め、昔話はうそ話、虚構ですね。
つまり、実在の村に仮託しているだけで、ほんとうにあった実話ではないと、語り手も聞き手も分かっています。その内容は、ファンタジーの形で普遍的な人間の有様を描いているのです。
 
読んでみると、確かに、バカバカしいほら話なのですが、常識をひっくり返す発想があり、まあまあそうやって生きていけばいいんじゃないのと思えるような、自由さや解放感があります。
 
『ケストナーの「ほらふき男爵」』(池内紀・泉千穂子訳/筑摩書房)所収の「シルダの町の人びと」は児童書です。ケストナーは、あの『エーミールと探偵たち』の作者ですが、いくつかの再話もあります。
 
「シルダの町の人びと」の冒頭に、なぜシルダの人たちが愚かになったのかといういきさつが書かれています。
それによると、実はシルダの人たちはとてつもなくりこうなのです。そのために周りの国々から男たちが呼び出されて難問解決に東奔西走していました。おかげで、シルダの町には男手がなくなってすっかりさびれてしまいます。そこで、女たちに呼び戻されて故郷に帰って来た人たちは、愚かを装うことで、町を再生します。
「とにかくこの世は賢明さが幅をきかしている。ところがどっこい、人を救うのは愚かさだけよ」
「バカじゃないのに、バカなふりをする。これにはけっこう知恵がいる。しかし、おれたちならできようぜ」
という豚飼いの言葉は意味深長です。
 
グリム童話集の34番「かしこいエルダ」、119番「七人のシュヴァーベン人」も愚か村話です。
 
『決定版世界の民話事典』(日本民話の会編/講談社)には、実在の村が舞台になることによって、信じがたい愚かさはより滑稽に、だれにでも起こりうる愚かさは他人事として、人びとは心おきなく笑うことができたのだろうとあります。
また、『世界昔話ハンドブック』(稲田浩二編/三省堂)には、住民の愚かさを宣伝することにより、過酷な税を逃れたり、商談や交渉事を有利に運んだともあります。
 
愚か者を笑うストーリーは、昔話だけでなく、落語や狂言など、古い芸能にもありますね。ヨーロッパの道化師の起源をさぐれば古代エジプトにまでさかのぼるようです。人の心の在り方の根元の所にある何かに深く関わっているようです。これを差別だといちがいにいえない、生きる力のようなものがあると感じます。
 
愚か村話、けっこう哲学的です。

 トリックスター

昔話には、いたずら者・ペテン師が活躍する話がよくありますね。必ずしも道徳的ではなく、だましたり詐欺まがいのことをして、痛めつけられたり、逆にうまくいったりします。
日本の昔話の「寝太郎」がそうですね。寝太郎型の「桃太郎」もそうです。 このような存在を、トリックスターといいます。
≪外国の昔話≫で紹介したポルトガルの昔話「ねこのしっぽ」の主人公の猫もその一人です。
猫といえば、ペローの「長靴をはいたねこ」の猫も、トリックスターです。貧しい粉屋の息子(主人公)を助けて、お姫さまと結婚させます。そのときの方法は正攻法ではなく、あらゆるペテンを使います。
 
明鏡国語辞典(大修館書店)にはこうあります。
「神話・民話などに登場する、いたずら者。秩序と混沌、文化と自然、善と悪など対立する2世界の間を行き来し、知恵と策略をもって新しい状況を生み出す媒介者。」
 
日本の笑い話の主人公、吉四六さんや、彦一、話型「和尚と小僧」の和尚をやっつける小僧などもトリックスターです。 笑い話で終わればいいのですが、「俵薬師」のような日常社会で考えればかなり悪質な、悪戯が過ぎる話もあります。
 
アフリカの昔話では、うさぎやクモがいたずら者として登場します。北米の原住民のあいだでは、ワタリガラスがトリックスターである昔話がたくさん伝わっています。ワタリガラスはトリックスターでもあり、トーテムでもあります。神ですね。
天の火を盗みに行くうさぎ。これもトリックスターです。地上とあちらの世界の仲介をして火をこの世にもたらします。ただのいたずら者とは言えず、英雄であるとも考えられます。
 
そう考えると、トリックスターにはピンからキリまであるといえるでしょう。
 
河合隼雄氏によると、グリム童話「忠実なヨハネス」のヨハネスもトリックスターです。ヨハネスは、主人のために心を尽くし、自分の命まで投げ出して主人の願いを叶えさせます。彼の心情を想像するととても深く感動するし、重い話の印象があります。けれども、彼のすることは、「だまし」です。変装して王女をだまして誘拐しています。そして、結果として、「天の火を盗んだうさぎ」と同じく、価値の転換(=主人公の幸福、成長)を招いています。
また、主人公は王さまですが、王さまはヨハネスの言うとおりにするだけでよく、脇役のヨハネスこそが主人公に見えます。題名も「忠実なヨハネス」ですね。
 
河合隼雄氏は、『昔話の深層』(福音館書店)の中でこのように言います。
「われわれも心の中にトリックスターを持っている。われわれが新しい創造活動を遂げようとするとき、心の中でトリックスターのはたらきに身をゆだねることが大切である。しかし、問題はトリックスターの破壊力が強いときは、それは古い秩序を壊すのみでなく、新しい建設の可能性まで根こそぎ奪ってしまいそうに感じられることである。われわれはそれがたんなるゴロツキの破壊者か、創造的な英雄なのか見分けることができないのである。」
 
このことは、昔話を語るとき、違和感のある人物をどう考えればよいか、ヒントを与えてくれると思います。
 
じつは、「ジャックと豆の木」のジャックもトリックスターなのです。ジャックは巨人の財産を盗む泥棒ではないか、だから語れないという声を聞きます。が、彼が善悪を越えた創造者トリックスターだと考えると、この話が時代を越えて残ってきた理由が分かります。なぜ子どもが支持するのか、なぜ私たちは語っていてスカッとするのか(笑)ということが分かります。 「われわれが新しい創造活動を遂げようとするとき、心の中でトリックスターのはたらきに身をゆだねることが大切である。」ということです。
 
『決定版世界の民話事典』(日本民話の会)にはこうあります。
「おそらく、トリックスター話は、それを語り伝える人たちが、胸の中に抱いている反抗心を吐き出す安全弁として機能してきたといえるでしょう。」
 
トリックスター話に限らず、心の中にある負の部分の「安全弁」として、大人も子どもも、語り手も聞き手も昔話に興じることは、とても重要だと思います。
 
マックス・リュティの言葉を思い出します。「昔話というガラス玉のなかに世界がうつっているのである」といっていましたね。→昔話の語法・含世界性
 
心理学者のユングはトリックスターを「未分化な人間の意識の模写」といい、人類学レヴィ・ストロースは「人間が世界を把握するために用いる基本的カテゴリーの対立を仲介し、世界についての統一的認識を与えるもの」といいます。
興味を持たれたかたは、『道化の民俗学』(山口昌男/岩波現代文庫)がおすすめです。