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 昔話の主人公 2

主人公こそが他のあらゆるものと結びつく可能性を持っていること、わかりましたか。
 もういちど、リュティの言葉を引用します。
 

 リュティ先生いわく。

「物語のまばゆいばかりの照明は、主人公の歩むせまい道と、主人公だけを追っていく。そして照明は、主人公があらゆる本質的結合関係を受け入いれ、また本質的でなくなった結合関係を解くことをいつでもできるような態勢で、孤立して進んでいることをわれわれに示している。」

これで、昔話は脇役には冷たい理由がわかるね。
「かしこいモリー」でひどい目にあう大男の娘もおかみさんも、モリーの身の安全のためにはわきにおいやられてしまうんだ。照明はモリーにしか当たっていない。おかみさんは、モリーを家の中に入れるために存在し、モリーの代わりにぶったたかれるために存在しているだけなんだ。

続いてこう述べています。

 リュティ先生いわく。

「主人公の前に立ちふさがる課題や苦難、危険などは、彼にとって可能性以外のなにものでもない。そうしたものと出会うことによって、彼の運命は本質的なものになる」

これって、人生哲学だね。ぼくなら、おばあちゃんにこんなふうに語ってもらえたら、どんなことにぶつかってもがんばろうって思えるよ。目の前がぱっと明るくなる。

もうひとつ、昔話の主人公について、たいせつなことがあります。
それは、主人公は自分のいる位置を知らないで行動する、だけど目的に到達するということです。
「ならなしとり」の末っ子は、おばあさんの助言通りに道を選んで歩いていきます。でも、そのときはただ言われたままに道を選んだだけで、その道の先にならなしの木があって、沼の主が出てきて、そいつを退治して、兄さんたちを助けて、ならなしどっさり持ってかえって、おかあさんの病気を治すことができる、ということことなんか知りません。そのときそのときの目の前の状況に対処しているだけなのです。「いけっちゃ、とんとん」「いくなっちゃとんとん」と鳴っているから、どちらかを選んだだけなのです。
でも主人公だから「いけっちゃとんとん」を選ぶことができたんですね。主人公は正しいキーを押すことができる。
「白雪姫」は、りんごがほしかったから買っただけなのです。これを食べたら自分が死んで、ガラスの棺に入れられて、王子さまに見つけられて、棺を運んでいた召使がよろめいて、生きかえって、王子と結婚するんだなんて、まったく知りません。

ぼくだってそうだよ。人生の先に何が待っているかなんて知らないし、いまやっていることが、人生の中でどんな意味があるかなんて知らない。
ただ目の前にあることを、ひとつひとつ、一生懸命なんとかしながら生きてるだけだ。  でも、しょっちゅう失敗するよなあ。
あ、ちょっと待って! 白雪姫も失敗してる!
そして失敗していちど死んじゃったからこそ、王子さまに会えたんだ。失敗も正しいキーだったんだ。
 うう。勇気が出るなあ~!

リュティ先生いわく。

「主人公は、自分の独自の道を追求していくことによって、他のひとびとを救うことになる。しかもべつに救うことを意図しないで救ってしまうことがたびたびある。あるいは自分のことは考えずに他のひとびとを救ってやる―そしてまさにそのことによって自分の目標への道が開けるのである。」

グリム童話の「かえるの王さま」を思い出してください。
 
おひめさまは、かえるが近づいてくるのがいやでたまりません。でも王さまに叱られるからしぶしぶ椅子の上にあげてやり、一緒に食事をし、自分の部屋につれていきます。ふたりきりになると、おひめさまはかえるを壁にたたきつけました。このようにおひめさまは自分の道を進んでいったのです。
 
ところが、壁にたたきつけることがかえる(王子)を救う唯一の方法だったのです。おひめさまはそのことを知りませんでした。だから、かえるを救ってやろうなどと考えていたわけではありません。意図せずに救ったのです。そして、そのことによって自分は王子さまと結婚することができたのです。「結婚」は昔話の主人公の幸せのひとつです。
 
日本の昔話「仙人の教え」を思い出してください。
 
息子は母親の目をなおすために仙人をさがして旅立ちます。途中で出会った、長者と百姓と大蛇から、仙人にきいてきてくれといってひとつずつ課題を引き受けます。ところが、仙人の家に着くと、仙人は三つの課題にしか答えないといいます。息子は、頼まれた課題を優先し、母親の目のことはあきらめて帰っていきます。
 
帰り道で、息子は、大蛇・百姓・長者に、仙人に教えられたことをつたえてやります。するとそれぞれからお礼をもらうのです。そして大蛇からもらった蛇骨石に母親がさわったとたん、母親の目が開きます。
 
他の人を救うことによって、自分の目的に達することができたのですね。そればかりか、百姓からは千両箱をもらい、長者の娘と結婚します。

主人公は、特別の能力があるわけでもなく、今自分がどこに向かっているかも知らないでそのときそのときの状況を生きていく。そしてかならず本質的に大切なものに出会うのです。
 
それは、わたしたちの人生の在り方そのものです。
 
昔話は、それを、主人公や人、物、援助者、エピソード、すべてを孤立させることによって、つまり抽象的な様式を使って表現しているのです。