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学びの山小屋

 ステップアップ

大男

 おはなしを始めたころは無我夢中で気づかなかったことが、ある程度語りこんでくると、気になって仕方がな
くなることがあります。
 また、自分はとっても面白いと思って語るのに、聞き手の反応はもうひとつということもよくあります。
 そんなとき、どんな工夫をすればいいのでしょう。ちょっと考えてみましょう。
 

    などなど。

 おはなしの姿

 おはなしには、おもしろい話、ハラハラする話、ほっと心が温まる話、ロマンティックな話などなど、いろいろな姿がありますね。
 冒険譚、小話、動物話、切り無し話。男の子の成長の話。女の子の成長の話。お爺さんお婆さんの話。魔女や山姥が出てくる話。巨人や鬼が出てくる話。小人の話。とくに昔話は、なんてさまざまに彩られていることでしょう。
 そんな豊かなおはなしの世界を、どれもこれも同じように、一色に語っていませんか?
 
 おはなしは、人のさまざまな生きかたを語っています。とすれば、当然、それを伝えようとする人の心のありさまはその話その話で異なります。
 語り手は、ひとつの話を文字として覚えているのではなく、イメージとストーリー ( 文章 ) とその話が訴えかけるすべてを受けとめて自分のものにします。一つひとつが別の話として語り手の中で生きています。それならば、語り手はそのひとつの話を表に出す、つまり表現するとき、その話はほかの話とは別の顔かたちを持っているはずです。
たとえば、「 とりのみじいさん 」 と 「 忠実なヨハネス 」は別の個性をもって私の中で生きています。語るとき、その個性が自然に表に出てきます。
 ふだんのおしゃべりでも、楽しいことは楽しく、悲しいことは悲しくしゃべっていますよね。その自然な言語生活の中での昔話の語り、と考えたいと思います。話の持つその自然な姿に敬意をもって語りたいです。それは、語り継いできた人々の思いでもあると思うからです。
 これは、おはなしを語る人たちがよく問題にする 「 たんたんと語る 」 とか 「 演じる、演じない 」 とかとは、次元の違うことです。
 
 さて、では、その話の姿をどうやってとらえるかが次の課題になります。わたしは、類話と子どもが手がかりだと考えています。自分の感性はあまりあてにしていません ( 笑 )。
 類話を読み比べて、この話型はそもそもどのように伝えられてきたのだろうと考えます。すると、たとえば、持たざる者の幸せを語っていると信じていた 「 幸せハンス 」 が、じつは、どんでん返しのある笑い話の結末が変化したんだとわかります。グリムさんが意図的にやったとしても、この話、この形で今も生きていますよね。でも類話を読んでからは、私の中で 「 幸せハンス 」 は必ずしも道徳的な姿ではなくなりました。では、どう語るのか。ということになるのです。
 つぎに子どもです。語るとき、まず、自分がこうだととらえているおはなしの姿は、自然に出てくるに任せます。いっぽうで語っている自分とは別の自分が、子どもたちに、ねえ、これってどんな話なのかなという問いかけをしています。自信満々で語らない、ということです。すると、子どもは真実をとらえる力が鋭いので、ちゃんと返してくれます。
 
 昔話は、かつての語り手たちと聞き手たちによって育てられてきたのでしょうね。一つひとつの姿を知ることはとても楽しいです。

 おはなしの練習

  これは、入門のページに書くべきことかもしれません。いまさらですが、ちょっと考えてみましょう。いったん覚えてからの練習についてです。
 語りはじめて何年かたち、レパートリーが少し増えてくると、自分なりの練習方法ができてきます。それはとても良いことです。が、たまにはこれでいいのかと見直すことも必要ではないでしょうか。
 というのは、「ある種の話はなかなか覚えられない」とか、「練習ではうまくいくのに、本番では思うように語れない」とか、「自分ではうまく語れているつもりなのに、勉強会で批判される」とか、経験を積むにしたがってさまざまな問題がつぎつぎにおそいかかってきます。その原因が練習量と練習方法にあるのではないかと、私は思うのです。もちろん、自戒を込めて、です。
 
 まず、練習量。
 覚えるのが早い人っています。また、話によってはとても早く覚えられたりもします。でも、おはなしは、言葉を覚えたらそれでいいというものではありません。その言葉を血肉に変えるためには、時間が必要です。繰り返し繰り返し自分に聞かせる。しばらく寝かせてからまた取りだして練習する。
 私は、自分で再話した話や日常語に直した話は、すぐに覚えられるのですが、安心しているとすぐに忘れてしまいます。イメージやストーリーは忘れないのですが、「これぞ」と思った大事な言葉が口にできなかったりして、とっても悔しい思いをします。
 練習、練習、また練習です(笑)
 そうやって言葉を定着させます。
 
 つぎに、練習方法。
 ひとつめ。
 大きな声で練習しましょう。
 丹田を意識してお腹から声を出します。
 これは、実際のおはなし会で子どもたちに語るときの発生の仕方ですね。部屋の大きさと聞き手の人数に合わせて、全員が苦労せずに聞き取れる声を出さないといけません。ふだんからその声で練習します。
 声くらい本番になったら出せるだろうと高をくくってはいけません。本番では練習の時以上の語りはできないと肝に銘じておくべきです。
 モソモソと練習して完璧に仕上がったと思っても、さて大きな声で練習しようとすると、詰まったりすることはよくあります。ウォーキングしながら繰り返し練習するだけでは、実践力にはならないのです。まあ、よっぽど肝っ玉の太い人や地声の大きい人は別ですけどね。
 
 ふたつめ。
 たまには、いろいろな語りかたを試してみましょう。
 例えば、読点を無視して、一文をひと息に語る。早口言葉のようにぺらぺら語る。一語ずつ丁寧に確かめるように語る。役者のように思い切り演技してみる。思い切りつまらなく棒読みする。一定のテンポで家の中を歩き回りながら語る。
 あくまでも、練習、試すだけですよ。極端にやってみて、ちょうどいいと自分が感じる語りかたを模索してみてください。そうすれば自分の語りかたに幅と厚みが出てきます。お話にはそれぞれ姿があることは前回書きました。その姿に適した語りかたが自然にできるようになるための練習です。
 また、ひとつのおはなしの流れなのかでも、早く進むところやじっくりイメージしたいところ、ハラハラドキドキしたいところなど、さまざまに山あり谷ありですよね。それをくっきりイメージできるように語るためには、いつも同じ一本調子ではだめですよね。
 自在に表現するためには、極端な練習も役に立ちます。いつもいつも自分の理想形ばかり追うよりも、自由度が増して、練習が楽しいです。
 

 笑い話

 「おはなしの姿」に書いたように、笑い話には、笑い話の姿があります。それは、笑いを提供しようというおもてなしの気持ちから生まれます。
 子どもの笑顔や笑い声っていいですよね。
 でも、子どもがなかなか笑ってくれないという経験はありませんか。
 
 笑いは、間(ま)がすべてです。ひとつ外すと悲惨な結果を招きます。わたしは、おはなしを始めたころ「ホットケーキ」でこけました。最初から最後までしーんとして聴かれてしまったのです。長い話なので、どうしようもなくて、泣きそうになりましたよ(笑)。その体験の後しばらく「ホットケーキ」は封印しました(笑)。でも、いつの間にか語れるようになりました。いまは笑わせようと思わなくても笑ってくれます。
 
 間(ま)というのは、体得するしかないものだと思います。もちろん、考えるし、計算もします。それは、語りながらの計算です。まえもって作った間で語ってもだめなのです。語りながら、聞き手の返してくる間で瞬時に計算して、次の言葉を出す。
 ただ、わたしたちの語っているテキストは、特別難しいもの、特に読むために書かれた創作物でなければ、きちんとイメージできるように語りさえすれば、たいていは笑ってくれます。「ホットケーキ」でこけたのは、笑わせようと焦って、イメージより雰囲気を伝えようとしたからだと思います。それで間がとれなかった。
 
 つまり、まず聞き手がしっかりイメージできるように語るという基本を忘れないことです。つぎに、聞き手の返してくる息をきちっと読みとることです。そして、その聞き手の求めているものを誠実に返すことです。これで「間」が生まれます。
 
 そう考えると、間が大切なのは笑い話だけではないことに気づかれるでしょう。はらはらドキドキの冒険物語も、怖い話やジャンピングストーリーも、間をうまくとれないと、ストーリーの面白さは半減します。でもそれらのタイプの話は、失敗していても気づきにくいのです。笑い話は、失敗するとそれが目に見えるから恐いだけなのです。逆にいうと、笑い話で「間」の練習をすればいいということです。
 
 笑い話には、頭をちょっとひねって考えなければわからないものと、ナンセンスで笑わせるものと、音の面白さやリズムで笑わせるものとがあります。たいていのはなしは、それらが融合しています。考える話やナンセンスな話は年齢の上の子ども、音や繰り返しのリズムによる笑い話は幼い子に向いています。

 恐い話

 前回、笑い話は失敗したとき、失敗があからさまになると書きました。笑ってもらえなくていたたまれなくなるんですね。
 恐い話の場合は、もともと、子どもは虚勢を張って「恐くない」といいますから、ほんとうは恐いのに恐くないといっているだけなのか、ほんとうに恐くなくてがっかりしているのか、現象としてはっきりあらわれません。
 ただ、子どもは、ほんとうに恐いときは、笑います。
 
 恐い話には、いくつかのパターンがあります。
 
 「ジャックと豆の木」こちら→や、「食わず女房」こちら→や、「ババ・ヤガー」こちら→、「日と月と星」こちら→、のように、大男や鬼婆などの自分に危害を加えるものから逃げる話も、子どもたちは恐がります。ただ、これは得体のしれないものへの恐怖心ではありませんね。スリルを楽しむのです。はらはらどきどきしながら、恐さに耐えて聞きます。昔話は、かならず主人公が勝ちます。最後は幸せになることが分かっているので、長い話でも恐さに耐えることができます。次から次におそいかかる危地から脱出するたびに、子どもたちは笑いますね。緊張が緩和したときに起こる笑いです。
 ただし、子どもはひとりひとり感性が違うので、語り手は子どもの表情を読みとって、恐がらせすぎないように気をつけなくてはなりません。
 
 得体のしれないものにぞっとする話。子どもたちの好きな「学校の怪談」のような話もあります。「山姥と桶屋」こちら→、「死人の手」こちら→、「こんな目かあ」こちら→、「九尾の狐」こちら→、などです。たいていは1モティーフの短い話です。
 この類の話を語るときは、語り手は、子どもたちの「恐がらせて!」という要求に、思いきり楽しみながらよろこんで応えるといいです。声の音の高低や大小、表情も使います。恐い話も「間」が命ですが、この間をとるのは、笑い話ほど難しくありません。きっと大人は子どもを恐がらせるのが本来好きなのかもしれないと思ったりもします。
 ただし、この類の話は最後がハッピーエンドであることは少ないので、子どもの心を恐怖で傷つけていないか、注意が必要です。親しい間柄の子どもに語りましょう。
 
 もうひとつ、聞き手を物語の最後でびっくりさせる話があります。ジャンピング・ストーリーといいます。
 「くらいくらい」こちら→、「ちいちゃいちいちゃい」『イギリスとアイルランドの昔話』石井桃子訳福音館書店刊、「金の腕」『おはなしのろうそく』東京子ども図書館、などです。
 語り手は最後の一言で突然大きな声を発し、聞き手を跳び上がらせます。最後の一言に向けて声の大きさをディミニエンドしていきます。このディミニエンドによって、逆に、聞き手の恐怖や不安がクレッシェンドしていきます。
 ジャンピングストーリーは語るのはとても楽しいのですが、突然大きな音がすると硬直する子どもがいるので、大丈夫かどうか前もって確認しておく必要があります。
 
 どのタイプの話にしても、子どもを恐がらせすぎないようにすることが重要です。
 

 おはなし会のプログラム1

 
 おはなしの時間が終わったとき、子どもたちに「ああおもしろかった」と思ってもらいたいですよね。
 この「ああおもしろかった」は、わたしたちがよい本を読んだ後の、またはよい映画を観た後の充足感に似ていると思います。深い感動であったり、軽やかな笑いであったり。
 そのためには、まず、その子たちにぴったりのおはなしを選ばなくてはなりません。その子たちの聞く力や心の成長にぴったりの話を選ぶことから、おはなし会のプログラム作りが始まります。
 
 場合分けして考えてみます。
 
 1、定期的に学校等に出向く場合。 週一回、月一回、学期に一回などです。(年一回は定期的とは言えませんね、イベントです)
 定期的にいく場合は、きちんと記録をとり、反省も書き入れましょう。次回の話を選ぶときの参考にするためです。今回この話がきけたのだから、つぎはこちらの話も聞けるだろう、などと考えて、子どもの成長に合わせて話を選ぶことができます。
 記録は自分たちの使いやすいかたちでいいと思います。ただ、同じ子たちが1年生のとき、2年生のとき、・・・と時系列に並べると、成長が見えやすいです。サンプル→
 
 2、不定期、イベント的に出向く場合。
 冒険はせず、これまでの経験から確実に楽しめる話を選んで持っていきましょう。難易度でいうと、定期的なおはなし会より1学年下の話を選ぶと無難です。聞きなれていない子にとって、理解しにくい話を聞かされるのは苦行ですから。またききたいなと思ってもらいたいですよね。
 
 3、不特定多数の場合。
 図書館や、地域の子ども会などでは、どの年齢の子が、何人参加するかわからない。聞きなれた子もいればはじめてお話を聞く子もいる。参加の目的もさまざまだったりします。選ぶのが最も難しいケースです。そんなときは、できるだけ幅広く喜ばれる話(たいていは昔話)をいくつか用意しましょう。
 30分のおはなし会なら、60分ぶん、用意します。幼い子も高学年の子も、それぞれが少なくともひとつは「おもしろかった」と満足できるようにかんがえましょう。大きい子が来ていたら、幼い子向けのものだけでなく、様子を見て大きい子向けのものも思い切ってやる。そうすれば、たとえば図書館のおはなし会の低年齢化が少しは防げるかもしれません。
 
 そのほかにも、そのグループの構成が、同年齢なのか異年齢なのか、聞き手同士が知り合いか初対面か、語り手と聞き手が知り合いか初対面かによっても、ずいぶん「場」の雰囲気が変わります。できるだけリラックスできて、しかもピリッとした緊張感もある空気がほしいですが、とても難しいことですね。これはまた、おはなしの選びやプログラムの組みかたとはべつに改めて考えることにします。
 
 さて、おはなしの選びはもちろんのこと、おはなしの組み合わせにも心を砕かなくてはなりません。一つひとつの話が活きるプログラムを組むにはどうしたらよいでしょう。 つぎの項でお話したいと思います。
 

 おはなし会のプログラム 2

 
 語り手の事情でお話を選ぶのではなく、聞き手である子どもの成長に焦点を当てて選べば、まずそのおはなし会は半分は成功するでしょう。でも、たとえその子たちにぴったりのおはなしを選んだとしても、うまく組み合わせなければ、全体として重くなったり軽くなりすぎたりしてもったいない時間を過ごすことになりかねません。 ひとつひとつのおはなしが活きるような組み合わせを考えましょう。そのためのヒントをいくつか書いてみます。
 
 1、中心になる話→サブの話→おまけの話の順に組み合わせる
 子どもの集中力は最初が一番強くて、時間がたつにつれてだんだん弱くなっていきます。ですから、いちばん集中力のあるときに、集中の必要なメインの話をします。いちばん長くてテーマの重いはなしです。「今回はこの話だけを聞いてくれればそれでいい」という思いで選びます。
 最後は、軽く笑って終わります。
 
 2、雰囲気の異なった話を組み合わせる
 雰囲気が似ていると子どもの思い描くイメージもよく似たトーンになってしまいます。すると、ストーリーが混同することがあります。背景の絵が異なるほうが、話の違いがはっきり見えてきます。日本の者と外国のものを組み合わせたりするのもいいですね。
 
 3、モティーフの同じ話の組み合わせは避ける
 たとえば、「手を切られた娘」(グリム童話)と「沼神の手紙」(日本の昔話)は、雰囲気は違いますが、手紙の書きかえ(ウリヤの手紙)のモティーフがおなじです。「みつけ鳥」(グリム童話)と「三枚のお札」(日本の昔話)は、呪的な力を使って逃げる(呪的逃走)モティーフが同じ。「おおかみと七匹の子やぎ」(グリム童話)と「赤ずきん」(グリム童話)「はらぺこピエトリン」(イタリアの昔話)は、おなかを切り開いてのみまこれていた子どもを助けるというモティーフが同じです。
 先に聞いたイメージがあとの話に影響してしまいます。
 
 4、構造の似た話の組み合わせは避ける
 たとえば、「三本の金髪のある悪魔」(グリム童話)と「仙人の教え」(日本の昔話)は、悪魔(仙人)に教えを乞いに出かけるとちゅう、三つの質問を依頼され、帰り道で順に答えていきます。「トム・ティット・トット」(イギリスの昔話)と「大工と鬼六」(日本の昔話)もストーリーの似た名前当ての話です。
 大人には興味深いかもしれませんが、子どもはもっとランダムに楽しむほうがいいでしょう。そうやっていろいろな話を聞いていくうちに、子ども自身が、同じモティーフと気づいたり、類話に気づいたりするのも発見があっていいと思います。
 
 5、季節外れの話や季節の先取りの話はしない
 まだ人生経験の少ない子どもたちは、雪やかみなりなどの自然現象や、たなばたやひな祭りといった行事など、季節のものは、先取りしてもイメージしにくいと思います。ちょうどいま経験していること、またはつい最近経験したことをおはなしのなかで聞くと、実感できるので、子どもは「知ってる!」と、喜びます。
 「ねずみのもちつき」はもちつきが終わって興奮がさめやらぬうちに。
 
 6、様子を見てリラックスタイムをとるとよい
 ストーリーテリングの合間の手遊びは、わらべ歌が、邪魔にならなくていいですね。
 
 7、語り手はひとりかふたりに限定する
 子どもは耳が敏感なので、語り手がつぎつぎ変わると、声に慣れようとして耳が疲れてしまいます。また、語り手が立ったり座ったりするのも落ち着いたムードが作れません。ひとつのプログラムに三人以上の語り手はお勧めできません。
 
 8、テーマを設けるとよい
 たとえば、「夏を楽しむ」「冬の夜話」「いのち」など。さまざまな方向からひとつのテーマにアプローチするのもおもしろいです。プログラム全体にまとまりが生まれます。
 

 絵本 古典の力

 数年前、ある高等学校でのことです。
 保育科の授業で、生徒たちが保育園の子どもたちに読み聞かせの実習をするというので、その手ほどきに、講師として行ってきました。多くの生徒たちが幼いころに絵本を読んでもらった経験を持っていましたが、まずは「読んでもらう体験」を思い出してもらおうと、何冊かの本を読みました。
 『ぐりとぐら』(福音館書店)『いないいないばあ』(松谷みよ子)『かにつんつん』……。キラキラした目を見開いて嬉しそうに聞いてくれる様子は、図書館に来る小さな子どもたちと少しも変わりません。純真さに驚き、心動かされました。
 
 その日は講義で終わり、次の週は、生徒たち自身が本を選んで持ってきて、みんなの前で読むことにしました。できるだけ地域の図書館に行って、たくさんの本のなかから自分の目でよく見て選んでくるようにといっておきました。
 当日、生徒たちが持ってきた本は、『しろくまちゃんのほっとけーき』『ねずみくんのちょっき』『11ぴきのねこ』『しろいうさぎとくろいうさぎ』『はらぺこあおむし』『しょうぼうじどうしゃじぷた』などなど。
 どれも長く読み継がれているいわゆる古典ばかりでした。
 
 最近、小学校の読み聞かせの時間に、ボランティアのお母さん方が選ぶ本は、新しい目先の変わったものに流れる傾向があります。子どもにワッとウケると読んでいて楽しいし、よろこんでくれていると錯覚するのでしょう。その傾向をずっと苦々しく思っていました。そして、高校生たちも同じ傾向にあるのではないかと思っていたのです。ところが、この結果です。
 生徒たちの絵本を見る眼に深く安堵しました。そして、幼いころ読んでもらったよい絵本こそが子どもたちの心に残るのだということも、あらためて確信しました。心に残った絵本が基準となって、それにそって、自分が読む本を選んだのです。
 私にとってもよい学びの場となった2日間でした。
 古典に学ぶ……絵本選びでも大切なことです。
 
 それから5年以上たった今も、毎年同じ高校に行っていますが、高校生たちの選ぶ絵本は変わりません。
 がんばろう~! ボランティアのおとなたち!
 
 

 おはなしの間(ま)

 間(ま)とは、ポーズのことです。楽譜でいえば休符の部分、楽曲の音のない箇所です。
 どんな芸術芸能にも間(ま)はあり、それがその作品を生かしも殺しもします。
  たとえば、能、狂言、歌舞伎や文楽といった伝統芸能には、秘伝の間のとり方があります。落語や漫才といった比較的新しい、テキストが現代進行形で変化しているハナシも、間をひとつ外すと、聞いていられない代物になります。
 では、私たちの「おはなし」、「語り」といってもいいのですが、この場合の間はどう考えればいいのでしょうか。結論からいえば、「おはなし」も間(ま)がいのちです。 もちろん芸能ではありませんから、先にあげたそれぞれのジャンルとは異なることは確かでしょう。
 
  言葉でうまく伝わるかどうか、難しいのですが、以下、おはなしの間について、考えを述べます。
  「おはなし(語り)」には、ふたつの間があると思います。ひとつは、テキストが求める間、もうひとつは、語り手が仕掛ける間です。
 

テキストが求める間

  入門講座では、これから覚えようという話を読むとき、まずは段落分けをしましょうといいます。これが、テキストが求める間の一番大きな間です。場面が変わる、時間の経過が感じられる、そこで段落分けをしますね。大きく間をとる箇所です。
  さらに、1文ずつの間というものがあります。「文」とは、句読点の「。」から「。」までの言葉の連なりです。前の文と次の文のあいだに間があります。「。」がそのしるしです。が、これは、前の文の意味と次の文の意味との関係によって、その長さが変わってきます。関係が間髪入れずなのか、フツーの説明なのか、想像を促しているのか。行間を読むことが大切です。
  また、さらに細かく、言葉と言葉の関係によっても間が生まれます。その言葉の重さも重要です。重要な言葉は、「言葉を立てるように」と、わたしはいつも言います。それは、その言葉の前後に一瞬の間をとるとか、わずかに速度を落とすとかいうことです。決して大きな声で強調するというのではありません。間です。では、重要な言葉以外は重要でないのかというと、そうではなく、ひとつひとつが組み合わさって意味のある文章を作っているのだから、それぞれの役割があるはずです。よく読むと、さらっと流してほしがっている単語や、肩を組んで歩きたがっている単語たち、などが見えてきます。重要な語を引き立たせる役割の単語もあります。それを見極めるのです。
 
わたしたちは、覚えるとき、テキストを何度も口にします。そのとき、多かれ少なかれ、上記の「読解」をやっているはずです。
  テキストの読解ということです。テキスト自体は小中学生でもわかる文章だから、小中学校の国語の練習問題をしているようなものと思ってください。ただ、練習問題には決まった答えがありますが、私たちには、模範解答がありません。自分でどこまで詳細に読み取るかが課題です。これが語りの力を左右すると思っています。
  このとき、現代演劇や朗読をする人たちの本の「読み」を見習うべきだと思います。彼らは、本を覚える前に徹底的に「読み」ます。
 
 

語り手が仕掛ける間

 これはいいかえると、聞き手が求めている間、でもあります。
  芸能の間に近いかと思います。パフォーマンス的な意味合いがありますね。
  おはなしは、聞き手が、つぎはどうなるかを予想しながら聞きます。語り手は、うまく予想させてやる、または、うまく期待を裏切ってやる、そうやって聞き手をストーリーの先へ先へと導いていきます。これは、テキストの文章を完全に覚えて、子どもに語って、語りながらでしか作れない間です。ひとりで練習しているだけではどうしようもないし、大人を前にした勉強会でも難しいです。現場でしか作れない間です。しかも、今日うまくいったからといって明日同じ間で語れるかというと、そうは問屋が卸さないところが、くせものです。
  テキストの求める間は語り手が決めることができます。聞き手が求める間は、まえもって決めることができません。
 
  具体的に。
  テキストでは「。」だけれども子どもの引っぱる力によっては「、」ですらないこともあります。また逆に「、」なんだけども、まるで四部休符ほどの「。」を求められることもあります。これは子どもを見ながら、子ども+テキスト+自分、三位一体にならないと作れない間です。
  これは、どうすればいいのでしょう。
  入門講座で、子どもを知ることが大事だといつも言っていますが、ここにもその例があるのです。語ってあげるという上から目線ではなく、子どもの中に入っていかないと、子どもを知ることはできませんし、子どもははだかになってくれません。つまり、聞き手は受け身でしかなく、求めてくれないのです。
  また、場数を踏むことがたいせつなのは当然です。
  そして、意外に思われるかもしれませんが、リュティ理論、昔話の語法を知ることが、大いに役に立ちます。耳で聞いて伝えられてきたことから生まれた言葉の法則だからです。子どもに語ることでこの理論の正しさを実感することはしょっちゅうです。
 
  間。難しいですが、これが語りのだいご味、愉しさなのです。
 

 ライブ録音から

 語りの森では、子どもたちがどのようにお話を聞くのか、みなさんに実感していただきたくて、実際のおはなし会のライブ録音をときどき紹介しています。いろいろな条件をクリアした音源のみUPしています。
  わたしが再話した話の場合は、各話のから聞けます。それ以外の既存のテキストから語っているものは、各ページの右上三行をクリックしていただけると音声が流れます。
  さて、過去の右上三行の7話について、説明を加えたいと思います。をクリックしてください。
 
  「あなのはなし」小学1年生・・・こちら→
  お話を聞いていて、子どもが知らない言葉に出会うことはいくらでもあります。そのとき、子どもは、文脈から判断して聞くことが多いのではないかと思います。たいてい黙って聞いていますから。でも、ときどき、「~~~って、なに?」と声をあげる子がいます。
  わたしは、子どもが自分で判断することも、声に出して質問することも、どちらも大切だと思っています。
  お話は、聞き手と語り手の双方向で成り立つものです。だから、こちらからの言葉を子どもが前のめりに受けとめていれば(つまり、受け身で聞き流しているのでなければ)、思わず質問の声が出ることは、当然あり得ます。
  では、質問されたとき、語り手はどうすればいいでしょう。
  いま目の前に見えている物語の世界をこわさないこと。これがポイントです。
  子どもは、その言葉が見えないから、見たいから、質問するのです。そうすると、対応は当然のことながら「説明してやる」のが正解です。世界が壊れない程度の短い的確な言葉で。
  「あなのはなし」では、子どもが「小屋って何?」と聞いています。わたしは説明しています。そうでないと次の場面が見えてこないからです。
  話が進んでいくと、「ひつじ」が出てきます。子どもが「ひつじ」と「やぎ」をごっちゃにしているのが聞き取れると思います。このときわたしは、「ひつじ!」ともう一度いうだけで、何の説明もしていません。質問ではないからです。すべてに正解を求めなくてもいいのです。
 
 「とりのみじいさん」小学1年生・・・こちら→
  これも、子どもの質問にどう対処するかの例としてUPしました。
  最後の場面でお殿さまのくださる「ほうび」の語意を質問しています。わたしは、「たからもの」と答えています。もちろんこれは正確ではありません。でも「ほうび」はひとことでは説明できず、あえて説明すれば、物語の流れが途切れて世界が壊れてしまいます。そこで、この類話を参考にします。「はなさかじい」「へこきじい」などの隣の爺譚→昔話雑学 です。「ほうび」はたいてい「着物」や「たからもの」ですね。
 
 「とりのみじいさん」図書館・・こちら→・
  上記1年生と同じ「とりのみじいさん」を図書館で語ったときの音声です。この日は0歳から10歳までの子ども20人余りと、大人が10人ほど聞いていました。上記1年生で質問が出た「ほうび」は使わず「たからもの」とテキストを変えて語っています。音声からわかると思いますが、幼児がとても楽しんでくれていたので、あえてわかりやすい言葉を選んでいるのです。
  年齢に合わせて言葉を変えることは、少しは必要だと思います。でも何もかも変えてはいけませんし、たくさん変えないと分からない話やテキストを選ぶのも間違いです。
  これが分からなければ全体の理解にさしつかえるようなキーワードの場合、変えます。また、子どもは、ちゃんと、キーワードを質問します。
 
 「おはなしの大好きな王さま」小学3年生・・・こちら→
  「かも取り権兵衛」小学5年生・・・こちら→
  この2話は、演じなければおもしろくない話の代表的なものとしてあげました。
  ただ、気をつけなければならないのは、「演じる」という言葉の定義です。
  演劇では役者は登場人物になりきって話し、動きます。衣装もメイクも登場人物そのものです。役者が登場人物を「演じる」。とうぜん、人物に感情移入してその人物らしくリアルに演じます。リアルでなければ観ていておもしろくない。
  お話の「演じる」はこの演劇の「演じる」ではありません。
  ところで落語は、ひとりの人間が何人もを演じ分けます。でも歌舞伎の早変わりのようにいちいち衣装やメイクを変えません。ひとりの人間が話している。登場人物がおかみさんなら、おかみさんらしくしゃべりますが、だれがどう見てもそれは落語家さんです。それを前提に観客は観ています。
  わたしたちのおはなし(語り)に話をもどずと、演じないと面白くないという場合、この落語的な「演じる」に近いものがあると思います。決して「同じ」ではありませんが。語り手は外から見ながら人物を描写する。演劇が人物の中に入って表現するのとの違いです。
 
 「ルンペルシュティルツヒェン」小学4年生・・・こちら→
 「三本の金髪を持った悪魔」小学5年生・・・こちら→
  この2話は、結末部分で疑問を抱く大人が多いので、あげてみました。
  「『ルンペルシュティツルヒェン』で、小人が自分の体をひき裂く場面って、残酷ではないでしょうか?」
  「『三本の金髪を持った悪魔』で、主人公の若者がうそをついて王さまに復讐するのは、道徳的とは言えませんよね?」
  これらは、どちらも昔話の語法で説明ができます。が、いまは、子どもの聞きかたから、答えを探してもらいたいと思います。
  「ルンペルシュティルツヒェン」では、子どもたちはびっくりしながらも、いやがってはいないでしょう。ほんとうに残酷に感じるならしーんとするはずです。子どもはおとなよりもそういうことには敏感に反応しますから。ただ、語りかたにも気をつけて聞いてください。私の気持ちは語りに出ていますか? 出ているとしたら、「な、おもしろいやろ」という程度の軽い気持ちであって、からだを真っ二つにするという事柄の深刻さ残酷さとはかけはなれた感じがありませんか?
  「三本の金髪を持った悪魔」の主人公。昔話は主人公中心にストーリーが進みます。主人公が幸せになるためには何でもありです。子どもたち、最後の場面をよろこんでいるでしょう。若者がうそをついた場面では、子どもたちの顔がぱっと明るくなりました。破顔一笑。
  悪知恵も使いながら、人は人生を歩いていくものです。そうやって生き抜け、幸せをつかめ、という昔話のメッセージです。
  このメッセージに語り手が共感しないとき、または疑問を持っているときは、この話は語ってはいけないと思います。その気持ちが聞き手に伝わるからです。先人が伝えてくれた昔話の知恵が台無しになってしまいます。わたしの語りを聞いてくださったら、共感していることが分かると思います。「ほ~ら、うまいことやったでしょ」という顔で語っていたと思います。
 
  7月7日の昔話の語法勉強会では、「三本の金髪を持った悪魔」の結末部分も語法的に説明する予定です。みなさま、ぜひご参加くださいね。
 

 お話の中の歌

 私たちが語るおはなしには、ストーリーの合間に歌がはいっていることがよくあります。「こぶとりじい」やグリム童話「ねずの木」など、洋の東西を問いません。その歌をどう扱うかについて、悩むことはありませんか。メロディをつけて歌えばいいのか、歌うように語るだけでいいのか、歌であることを無視して語ってもいいのか、というようなことです。そこで、ごく一般的な説明をしたいと思います。
 
 伝承の語り手たちの語りを聞いてみると、昔話の語りの中で、歌がメロディをつけて歌われていたかどうかは、話にもよるし、語り手にもよります。一概にルールはなさそうです。
  たとえば、山形の語り手、佐藤孝一さんの「とりのみじい」を聞くと、「あやちゅうちゅう~」は、まったく地(語り)の文と同じで、メロディはありません。それでも鳥がじいさんのお腹の中で歌っていることが、おもしろくイメージできます。
  いっぽう『魔法のオレンジの木』(清水真砂子訳/岩波書店)には、話中歌の楽譜が参考として載っています。これは、もともとこのように歌われていたものです。わたしたちも、楽譜をもとに歌うことで、そのメロディがハイチの風土や民族を感じさせてくれる効果があります。ただし、おはなしのテキストには、楽譜がない場合のほうが多いですね。
  このように語りの歌は、本来、メロディがあったりなかったりですから、悩まないで、原則として語り手の自由にすればいいと思います。「原則として」というのは、お話はイメージがすべてだということを肝に銘じたうえで、自由にすればいいということです。イメージをこわさないこと、また、よりイメージを豊かにすることを考えて、「歌」の部分を使えばいいということです。
  もう少し具体的に説明しましょう。わたしのレパートリーからの説明です。
 
  まず、歌の部分というのは、もともとリズムがあることが多いので、ふつうに読むだけでリズミカルです。そして、わたしたちの日本語は高低アクセントだから、ふつうに話すだけでメロディがあります。わたしは日常語で語るので、関西アクセントです。「こぶとりじい」「灰かぶり」など多くの話は、わざわざメロディをつけずに語ります。ただ、歌であることは、筋の上で意識はしています。それでじゅうぶんに歌に聞こえると思います。
  たまに、覚える段階で自然にメロディがついてしまうときがあります。「とりのみじい」「ヤギとライオン」などです。それはそれでいいと思います。他の人の語るのを聞いて自然に覚えたとか、影響を受けたとかいうことも、あるかもしれないし、あってもいいと思います。
  それから、あえて、メロディを考えてつけた話も少しあります。「こびとのおくりもの」は、曜日の歌というヨーロッパの昔話のなかの重要なモティーフが使われています。それについての興味から、オーストリアや東ヨーロッパの民謡を何曲も聞いてみました。そうして、伝統的なフォークダンスの曲に想を得て、メロディを作りました。「ねずの木」は、バッハです。話に独特の雰囲気があるので、それに歌をなじませたいと思いました。
 
  どうやるにしても、大事なことは、先に述べたように、聞いていて場面がしっかりイメージできることです。「歌がおもしろい」のではなく、ストーリーの中で果たす「歌の役割がおもしろい」ことに重点を置きましょう。そうすれば、歌の部分でダレたり、また逆に、歌がストーリーから飛びだしたり違和感があったりすることはないでしょう。
  歌があるからといって躊躇しないで、勇気を出して語ってみてください。

 ライブ録音から 2

 子どもたちの声を聞いていただくライブ録音、なかなかうまく採れないのですが耳をすませて聞いてみてください。
 
「おはなしかめさん」 5歳児  こちら→
 出典は『朝鮮の民話』 瀬川拓男・松谷みよ子著/偕成社
 これを初めて語ったのは20年以上前になります。幼稚園向きのいわゆる幼い子のおはなしを探していて見つけました。そのころはほとんどテキスト通りで語っていました。音声を聴いていただいたら分かるように、今は「ならの木の実」は「どんぐり」に変え、「長者」は「大金持ち」に変えています。20年前の幼稚園児は、この単語を言いかえなくても抵抗なく聞いていました。それは、「ならの木の実」「長者」を知っていたからではなく、知らないけれどもそれなりに理解して聞く想像力があったからだと思います。もちろん、子どもたちも百人百様なので、全員がそうだとは言いませんが、「それなりに理解する子ども」が、最近、減ってきたように思います。
 このように分かる言葉に変えるときは、たいへん頭を使います。できるだけ元の言葉で分からせたいけれども、ストーリーの流れを止めることになるならば、しかたがないので、すんなり聞けるように変えるのです。バランス感覚が必要で、いつも、難しいなあと思います。
 小判が降ってくる描写は、語法に則って分かりやすくテキストを変えています。これは子どもの読解力の問題ではなく再話の問題です。
 
「おはなしかめさん」 小学3年生 こちら→
 上記と同じ話を3年生で語っている音声です。ほぼテキスト通りで、幼児には変えたふたつの言葉は、そのまま「ならの木の実」「長者」と語っています。「ならの木の実」は割注を入れるような語りかたをしています。このやり方を私は時々使いますが、どんな話にも応用できるわけではありません。おはなしにはお話の姿があり、語り手が見えることを嫌う話のほうが多いと思います。そのような話の場合は前もって語の説明しておくとか、分かりやすい語に変えるとか、説明の一文を入れてテキストを整えるとかします。「おはなしかめさん」は軽い話で、しかもこの時は、話の内容に比して聞き手の年齢が高く、余裕をもって笑い話として聞けるため、割注を入れています。また、割注を入れるのは、おはなしの冒頭に限ります。軽い話でも、聞き手は、ストーリーが進むにつれて、おはなしの世界にどんどん入りこむことに変わりはないので、語り手は見えないに越したことはありません。
  語るスピードも、5歳児とは違っているのに気づかれましたか。子どもがぐいぐい引っ張ってくれて、こんなふうにスピードアップしたのです。じつは、この話は3年生では子どもっぽ過ぎると思っていたのです。語ってみると、おまけの話としてぴったりだと分かりました。
 
「はらぺこピエトリン」 小学2年生 こちら→
  出典は、『子どもに語るイタリアの昔話』剣持弘子訳/こぐま社
 レパートリーのうち、私自身がいちばん楽しめるおはなしのひとつです。わたしもきき手も一瞬たりとも気を抜くことがありません。子どもたちは、お母さんの「ニョッキひとつでも食べちゃだめだよ」の一言でストーリーの先を読みます。だから、この言葉は心して語らなければなりません。さらっと当たり前にやってしまうと、危機感が薄くなってしまい、最後まで盛り上がりに欠けてしまいます。また、いかにも期待させようとしてそれらしく語ると、じきに盛り上がりますが、最後のお腹が破裂するところまで持ちません。全体として、途中で少々の上がり下がりはありますが、最初から最後に向けてずうっとクレッシェンドしていくのがいいと思います。あまりに集中するので、10分の話が、5分くらいに感じられます。
 そして、「ニョッキ」と「フォカッチャ」は先に説明をしています。なぜだかわかりますね。割注を入れるとおはなしの世界がクレッシェンドしないからです。たまに、説明をし忘れて話し始めることがあるのですが、このふたつはキーワードなので、そんなときは割注を入れなくてはなりません。残念ですが、そのときのピエトリンはどんなに間(ま)を工夫しても失敗に終わります。
 
「あんころもちとあみださん」 小学6年生 こちら→
 出典は『子どもと家庭のための奈良の民話3』村上郁再話/京阪奈情報教育出版
 つぎに挙げる「美しいワシリーサとババ・ヤガー」のおまけとして語りました。
  ここの市には一休禅師が晩年をすごしたお寺とお墓があり、子どもたちは幼稚園時代に一休音頭を踊ったりしています。一休さんは地元のマスコットなのです。長い話で疲れた体と心をほぐすのにちょうどいいかなと思って語りました。笑い話で、話型は「和尚と小僧」。一休に特定されずに全国で語られている有名な話です。意外にも、ほとんどの子どもが知りませんでした。
 
「美しいワシリーサとババ・ヤガー」 小学6年生 こちら→
 出典は『おはなしのろうそく4』東京子ども図書館
 これはシーンと聞くお話です。子どもの声がほとんど入っていないので聴いていただくこともないかと思いましたが、UPしてみました。出典には所要時間が30分とありますが、この音声は23分です。テキストに手を入れて短くなった分を差し引いても、かなり短くなりました。これは子どもが求める間(ま)に応えているからです。語り手としては、おはなしの強烈な画像をバチリバチリと作り続けていくのですが、子どもの「それから?」に引っぱられてスピードが増します。でもそれは決して雑になるのではなく、画像がより濃厚になっていくのです。活舌に注意しながら、体力勝負です。
 
「いのちのろうそく」 小学1年生  こちら→
  出典は、『おにとやまんば』民話の研究会編/ポプラ社
  ずいぶん以前から語っているおはなしです。初めの頃は5歳児にも語っていましたが、今は小学生に語っています。「人のろうそくを消したら人を殺すことになる」という部分は、創作的だと思います。昔話の再話としては合格点ではないかもしれません。でも、ときにはこのように明確な言葉でメッセージを口にしたくなります。そしてこの言葉を語りたくて、すっと共感してくれる小学生に語っています。
  鬼のそばをすり抜けるハラハラ感、明暗、赤青黄の色彩感、人の命を示すろうそくのふしぎ。構成がしっかりしているので、それらがきちっと子どもに伝わっります。

 アクセント

  言語にはアクセントがあります。
  たとえば英語は強弱アクセント、中国語は高低アクセントです。
  日本語は高低アクセントで、一語の中でどの音が高いか、または低いかによって、その語の意味が変わります。例を共通語で挙げてみましょう。高く発音する音を太字で示します。
 
   橋 は (2音目が高い)
   箸 し (1音目が高い)
   端 は (2音目が高い)
   机 つくえ (1音目が低く、2音目と3音目が高い)
   さつま芋 さつまいも (1音目が低く、2音目と3音目が高く、4音目と5音目が低い)
 
  そして、この高低アクセントは、土地によって異なります。いわゆる方言といわれるものです。
  前の例を大阪ことばで示してみます。
 
   橋 し (1音目が高い)
   箸 は (2音目が高い)
   端 はし (1音目と2音目は同じ高さ)
   机 つくえ (1音目と2音目と3音目は同じ高さ)
   さつま芋 さつまいも (1音目と2音目と3音目が高く、4音目と5音目が低い)
 
  以上、国語学的に説明しました。この「土地言葉によるアクセントの違い」はその人の生まれた土地と育った土地、今生活している土地、そして親や育ててくれた人の言葉によって決まります。共通語を基準にすると、これは「なまり」として認識されます。
 
  さて、おはなしを語るとき、このなまりをどう処理すればいいでしょうか。
  わたしは、まったく気にしなくていいと思います。というのは、わたしたちは、自分の暮らす土地の子どもたちに、生身でおはなしを語っているからです。おはなしの部屋に入って来る子どもたちに声をかけるときや廊下ですれ違う時のおしゃべりのアクセントで、おはなしを語っても、なんの違和感もないはずです。
  もし違和感を持つとすれば、それはおとなの語り手仲間です。大人、特にお話を語っている人の多くは、その話に対する先入観を持っています。その人たちには、グリム童話を大阪弁のアクセントや秋田弁のアクセントで語るのはおかしい、やはり共通語でスマートに、という固定観念があるのだと思います。
  でも、子どもたちは、そのような表面的なことには頓着しません。子どもが聞きたいのは、主人公がどうなるのかということだけです。
 
  大切なのは、いかに物語の世界をクリアにイメージさせることができるかということです。それが語り手の仕事です。自分自身が、もし共通語で語るほうがうまくいくと思うならそうすればよいし、逆に、「なまり」があってもそのほうがよく表現できるならそう語ればいいのです。
  日本じゅうに残っている膨大な昔話資料の生のものは、すべて土地言葉です。もしも共通語で語らなければならかったとしたら、昔話は生き残らなかったでしょう。私たち現代の語り手は、共通語のテキストをそのまま覚えて語ります。そのとき、アクセントにお国なまりがでるのは、自然であり、それをその人の個性だと尊重し合いたいものです。

 子どもの質問

 おはなしのなかに難解な言葉や子どもが知らない事物が出てきたとき、みなさんはどうしていますか。
 テキストによっては、ストーリーやテーマは聞き手の年齢にちょうどいいのに、言葉が難解で分かりにくい場合があります。
 その場合は、より分かりやすい言葉に前もって置き換えましょう。ただし、自分ひとりで判断するのではなく、語り手仲間と相談して、どうしても聞き手にストレスをかけると判断した場合のみ置き換えましょう。日本語は、同音異義語が多く、耳で聞いてわかりにくいことが多いです。できるだけ和語に置き換えると分かりやすくなります。
 それでもなお語りの最中に、こどもが、「それはなに?」と尋ねたときは、簡潔に二、三語で答えましょう。
 語り手のなかには、話の途中で言葉をはさむと物語の世界が崩れるから答えずにうなずくだけにしなさいとか、話が終わってから説明しなさいとか指導する人もあります。けれども、わたしは、その対処のしかたはよくないと思います。なぜなら、子どもが質問したときすでに子どもはその世界から外へ出ているのです。もし質問に答えてもらえなかったら、その語句のイメージはぼやけたままだろうし、場合によってはストーリーまであいまいになるでしょう。物語の世界に戻ることもできず、悪くすれば語り手への信頼も失ってしまいます。
 それから、話し始める前に、前もって難しい言葉を説明しておくという方法もあります。この場合は、その言葉が話のはじまりのころに出てくるときは有効です。が、ずっと後に出てくる言葉を先に説明しておくと、ストーリーを聞いているあいだじゅう、子どもは気になっているか、もしくは、その言葉が出てきた時には、先の説明を忘れているということになりかねません。
 題名にキーワードが出てくる場合は、うまくいきます。たとえば、「馬方山姥」なら、題名を言ってすぐに「馬方」の説明をします。馬方が単に荷物を馬に乗せて運ぶだけでなく、馬の世話をし、馬と生活を共にしていたことを話してやると、子どもは、山姥が殺される最後の場面を「めでたし、めでたし」と感じることができます。

 ライブ録音から3

  昔話は、創作の話とちがって、幅広い年齢によろこばれます。それは、時代・場所・人物だけでなく、細部にわたって限定されないことが理由だと思います。もちろん、「菅笠」や「六部」など、昔話に登場する物で理解できないもの(言葉)もありますが、それは説明したり言い換えたりすることが可能です。けれども、一文学者が創作した作品に手を加えることは原則としてできません。

  さて、たとえば、語り手に人気のある「アナンシと五」は、ジャマイカ島に伝わる昔話です。単純なストーリーで、おとなのわたしは、語りを聞いても本で読んでも、特に面白いとは思いませんでした。では、子どもにはどうなのか。試してみようと思いました。それで、4歳児から小学3年生の各クラスで語ってみました。
  出典は『子どもに聞かせる世界の民話』矢崎源九郎編/実業之日本社刊ですが、テキストの言葉遣いには少し手を入れています。年齢によって、また、そのときの聞き手との間(ま)によっても少し変わっています。

  まず、3年生のライブ録音です。 こちら→
  この年齢でも3回のくりかえしは好きなようです。内容が子どもっぽいかなと思って語りはじめましたが、繰り返しの3回目は、楽しそうに声を合わせています。語り手の声が聞こえないくらいですね。子どもたちは自分たちが鳩の奥さんになって、アナンシを怒らせているのが嬉しいようです。女の子の声が大きいでしょう? ところが、アナンシが「こうやって数えるんだ」といったときに「あっ」とさけんだのは男の子たちです。そして、みんなで「あ~~~っ」とさけんで、「死んでしまいましたとさ」というと、ゲラゲラ笑っています。子どもたち、まるで寸劇に参加して楽しんでいるかのようでした。

  つぎに、2年生。 こちら→
  まずはアヒルの奥さんが食べられるところで「恐っ」と声が上がりました。3年生ほどは客観的に聞けないようです。登場人物に心理的に近づきすぎているんですね。だから、できるだけカラッと語らねばなりません。ここで救ってくれたのが、ひとりの男の子。うさぎの奥さん、鳩の奥さんに、必死で「だめ、だめ」と忠告しているのが聞こえますか? 彼は立ちあがって身振り手振りで忠告していました。わたしが「まあ落ち着いて座って聞きな」といっているのが録音されていますね。おかげでクラス全体に余裕が生まれています。最後の場面は3年生と同じです。ただ、忠告していた彼は、「死んでしまいましたとさ」といったとたん、ばったりたおれて大の字になって動かなくなりました。もうひとりの子が、心臓マッサージを始めました。「死んだあ~」とみんなで大笑いです。もちろんお遊びです。2年生らしい寸劇になりました。

  4歳児の反応はずいぶん違っています。 こちら→
  この子たちはやっと数が数えられるようになって、数えることが嬉しいし、誇らしいのです。だから、鳩の奥さんが4までしか数えられないでいると、「5っていいなさい!」と教えています。5といったら死んでしまうことは分かっているんだけれど、彼らにとっては、「死ぬこと」より「5がわかること」のほうが大問題なのです。それは、彼らの生活体験から来るものです。
  つまり、「アナンシと五」をほんとうに楽しむには4歳児はまだ早いということですね。といっても、子どもによって個人差はありますが。

  5歳児には語る機会がまだありません。1年生は機会も少なく録音もうまくできませんでした。

  さてつぎは、「三枚の鳥の羽根」。出典は『語るためのグリム童話4』(小澤俊夫監訳/小峰書店)。音声は小学2年生です。 こちら→
  とちゅうで「揚げ戸」の説明をしています。「油を入れておくとこ!」といっている声が聞こえます。物語の世界から現実にもどってしまうのですが、これはストーリーにとってイメージする必要のある言葉です。そして、説明をしても、すぐに物語の世界にもどっています。
 子どもたちが「でぶでぶの」という言葉にいちいち反応しているのは、あまり良いとは言えませんね。できるだけ無視して語りました。けれども、ふたりの兄さんたちの行動に、子どもたちがいちいち反応するのは、主人公中心の聞きかたをしているからだと思います。テーマをしっかりとらえているわけです。

 「いばらひめ」。4年生です。 こちら→
 出典は『語るためのグリム童話3』(小澤俊夫監訳/小峰書店)。これは、語る前に「つむ」の説明をしなければなりませんでした。ところが、ちょっとしたハプニングで忘れてしまい、気づいたときにはもうお姫さまが誕生していました。そこで、途中で説明を入れています。失敗です。けれども子どもたちはじょうずに聞いてくれました。
 静まり返っているお城と次々に目覚めていく場面もイメージしていました。王子がとうに登っていく場面も息をつめて聞いていました。

 「心臓がからだの中にない巨人」『おはなしのろうそく』東京子ども図書館。
 これは3年生です。 こちら→
 初めて20分ちかくの長い話を聞きました。
「かささぎが、人間の骨をくわえて」のところ、エコーがかかっているように聞こえているでしょう。子どもが一緒にくりかえしているのです。そして、ハラハラしながらも巨人の間抜けさ加減をわらっています。
 動物たちの恩返しのモティーフも生き生きと楽しんでいますね。長い話なのに、最後の結末句まで楽しんでいるのがわかります。子どもの聞く力と昔話の力を実感できる話で、いつも3年生の2学期か3学期に語ります。

 ライブ録音から4

 おはなし会は生きもので、どんなにきっちり練習していても、テキスト通りの言葉にならないことがよくあります。聞き手が返してくる気持ちや言葉に、思わず反応してしまうからです。また、まったく何も返ってこないときも、それはそれでうろたえます。それがライブの恐さであり、おもしろさでもあるのでしょう。私たちは機械ではないので、いつも同じように語ることはできません。いつも同じがよいのなら、テープレコーダーで十分です。
 とはいえ、テキストをさんざん検討したうえで語るわけですから、ミスはしたくないですね。
 今回はその辺りに焦点を当てて聞いてください。テキストを手元に置いてどのように違っているか、聞いてください。ミスもありますし、あえて変えている部分もあります。
 
「かも取り権兵衛」 こちら→
 『日本の昔話2』おざわとしお再話/福音館書店
  日常語で語っています。だから、テキストをどのように変えているかがよくわかります。語彙だけでなく、語順も変わっているでしょう。語順はとても大切です。土地言葉のリズムを決定するといってもいいと思います。また、共通語であっても、聞き手に見えるものから順番に言葉を出していくこと。そうするだけで、聞き手はとてもリアルに受け止めてくれます。
  この音声は5年生です。このときはグリム童話「三本の金髪を持った悪魔」のあとに語りました。グリム童話「金の鳥」と組み合わせることもあります。
 
「かえるの王さま」 こちら→
 『子どもに語るグリムの昔話2』佐々梨代子・野村ひろし訳/こぐま社
 一応上記を出典としてあげましたが、ずいぶんテキストに手を入れています。聞き手に見えるものから順番に語っています。それだけでなく、聞き手が納得できるように順番を変えています。
  この話を語りはじめて10年以上になります。まずは出典通りに覚えたのですが、練習段階で納得できない部分やまどろっこしい部分がでてきたので書き直しました。
  ストーリーは変えていませんよ。ストーリーがよくわかるように、言葉を変えているのです。
  グリム童話の第1番ということで、ステージや教室でたくさんの観客や学生の前で語る経験をしてきた話です。聞き手が子どもやおはなし仲間でないとき、とても気を使います。つまり昔話というものを知らない相手が聞き手のときです。例えばお姫さまがかえるを投げつけたら王子になって、その王子と結婚して幸せになった、それを理不尽と感じない語りかたをしなくてはなりません。いきなり出てきた忠臣ハインリヒの胸のタガがはじけるときには、やはり感動してもらわなければなりません。
  そんなわけで、語りの経験を積むにつれてずいぶん言葉が変わりました。
  音声は4年生です。
 
「ントジィの蛇退治」 こちら→
 『語りの森昔話集2ねむりねっこ』村上郁再話/語りの森
 いわゆる竜退治の物語です。ントジィの勇気と強さにあこがれて、本格的な昔話として再話したのですが、アフリカらしいファンタジーと累積譚的な部分が子どもには面白かったようです。楽し気な子どもの反応に面食らいました。それで、石がントジィのお供になるところで、急きょ、それまでと同じ言葉でくりかえしました。完全な累積譚にしたのです。テキストと比べてみてください。
  子どもに語ってみて初めておはなしの姿がわかるといういい例です。この録音が、初めての語りだったので、次に語るときは、語りかたがかなり変わると思います。
 それから、「巨人の心臓は卵の中」というモティーフに、子どもが気づいているのが音声からも分かると思います。だから、ここは、きっちりイメージできるように語らないといけません。
 音声は4年生です。
 
「三つの五月のもも」 こちら→(4年生) こちら→(3年生)
 『語りの森昔話集2ねむりねっこ』村上郁再話/語りの森
 この話は3年生向きの話として再話しました。
  4年生にはお試しで語ってみたのですが、楽しんでくれているのが音声から分かると思います。落ち着いて聞いているので、わたしもほぼテキスト通りに語っています。ただ、「とんぼ返り」と「真実」がイメージしにくかったようで、質問されました。どう答えているか聞いてください。
  3年生は、うまく録音できていませんが、ほぼ一言一言に突っ込みが入りました。しかも体調不良もあって十分に練習できていませんでした。それで、ミスを犯しています。表現の間違いもありますが、お姫さまが若者からもらったうさぎをエプロンに入れ忘れています。これはダメです。といういい例です。反応があることをある程度想定して再話したのだから、それにきちんと返せるように正しく語らなくてはなりません。
  それでも子どもたちはじょうずに聞いています。最後のエピソードのところで、主人公が「それはほんとうですか?」と質問したのに対して、ひとりの子が「はい!」と答えています。「真実は真実だ」といってほしかったからのか、主人公を勝たせたかったからなのか、わかりませんが、ストーリーとテーマをがっちりつかまえての反応です。こういう反応があると、語ってよかったと思います。
 
「カンチルとワニ」  こちら→
 語りの森ホームページ《外国の昔話》村上郁再話
  音声は3年生です。
  幼稚園から低学年向きに再話しましたが、カンチルの賢さがわかるのは幼稚園では難しいようです。2年生の国語で「いなばのしろうさぎ」を習うので、時期的にはその後のほうが興味を持ってくれます。
  「枯れ木はひとりじゃ動けない~」の二度目のくりかえしは、子どももいっしょに言っています。語り手と一緒になって楽しむおはなしです。
  ホームページ《外国の昔話》の音声は4年生です。おまけの笑い話として、やはり語り手と一緒になって楽しんでいます。そちらも聞いてくださいね。
 
「アリョーヌシカとイワーヌシカ」 こちら→
 『魔法の馬』A・トルストイ/高杉一郎・田中泰子訳/岩波書店
  音声は、学童保育の1~6年の子どもたちです。語りにかなり力が入っているのは、夏休みで語り手も聞き手も集中力に欠ける状態だったからです。
 この話は、もう20年以上語っています。いつも、子どもたちはこの不思議な世界に入りこみます。三回のくりかえし部分を中心にテキストに手を入れています。

 おはなしと年齢

  おはなしを選ぶときに、それが何年生向きの話なのか知りたいと思うことはありませんか。また、〇年生に語るのに向くお話はないかと探したことはありませんか。子どもの成長に合った話を選ぶことはとても大切です。
 けれども、Aは1年生向き、Bは5年生向き、というようにはっきり分けられるものではありません。
 所要時間で決めることもできません。短くても、「かめの遠足」や「ありとこおろぎ」のように、ユーモアやメッセージが高学年のおまけにぴったりの話もあれば、「三枚のお札」や「かしこいモリー」のように、幼児や低学年によろこばれる10分以上の話もあります。
 同じ話でも、聞き慣れている子と、そうでない子とでは、集中できる時間に一歳ぐらいの差が生じます。
 4歳児ばかりのグループでは選べない話でも、小学生の中に混じって聞けば3歳児でも聞くことができます。
 家庭内で、親や祖父母が語れば、低学年でも30分以上かかるグリム童話が聞けることがあります。
 同じ話でも類話や再話によって、対象年齢が変わります。《日本の昔話》で紹介している「うりひめの話」と「きゅうり姫」がいい例です。「三匹のこぶた」は、英語で語れば5分ほどで、内容も幼児向けですが、翻訳では10分以上かかり、言葉も幼児では理解しづらくなっています。
 かくて、おはなしに関する本や、サークルの先輩の経験談を参考にしながら、試行錯誤することになるのです。ネットで調べてみようか、と他力本願に陥ることもあるでしょう。そうやって語りの森を訪れて下さったあなたに、なんとかお応えしたいと思います(笑)
 
 まず、5歳から10歳までが昔話年齢だということを覚えておいてください。幅が広いのでちょっと安心しますね。この年齢の子は、子ども向けの昔話であれば何の話をしても聞きます。語り手は選び放題です。
 ただし、条件があります。
1、できるだけ幼いときから童歌や簡単なおはなしで耳を養うこと。
 聞く耳は訓練で養われます。
 もし、不運にも小学校に入って初めて聞く場合は、まず何回かは、だれでも知っている有名な幼い子向けの話を選び、その後は急激に聞く耳が成長するので、その成長を見ながらよりしっかりした話を選びます。
2、集中できる時間は、5歳なら1話15分以内、10歳なら1話25分以内。
 聞き慣れていない子はもっと短めです。
3、その子たちが今何を求めているのかを感じ取れる関係を築くこと。
 聞き手をよく観察していれば、何をおもしろがるか、何をおもしろがらないか が、すぐに分かるはずです。もし分からないのならば、語り手も聞き手も猫を かぶっているからです。猫の皮を脱ぎすててください。または緊張しすぎているかです。
4、できるだけたくさんの話を読んで、自分が楽しむこと。
 楽しんで読めばその話のテーマや姿が見えてきます。それを引き出しに入れておいて、子どもの要求に合わせてとり出せばいいのです。引き出しの中身は多彩であればあるほど、子どもとよい関係が作れます。
 
 以上から分かるように、同じ話でも、語り手と聞き手によって、ぴったりの年齢が違ってきます。だからつまり、「私とこの子たちにとって、この話は〇歳向きだ」という基準を作ればいいのです。この基準値は、語りの経験を積むにしたがって微妙に変化します。だから、他人の基準値をうのみにすると危険です。
 先輩は、自分の基準を絶対のものとせずに後輩にアドヴァイスしましょう。なぜその話が〇年生向きだと考えるようになったか、その経験を話してあげれば、後輩は、どうやって自分の基準を見つければいいかが、だんだんにわかってくると思います。
 
 語りの森では井戸端会議(話題:おはなし会のプログラム)を見ると、私自身の基準がわかると思いますので、参考にしてください。あくまでも参考にしかなりませんが、他人の成功と失敗を知ると、それなりの発見があると思います。
 また、再話するときには私自身の基準でざっくりと何年生向きと考えているので、尋ねてくださったらお答えします。その際は、上記1~4について説明していただくことになりますが。私がなぜ再話テキストに対象年齢を書かないかというと、前述したように、人によって異なるからです。
 
 昔話年齢を超えた高学年から中学生以上の場合は何を語ればいいのでしょう。
  ひとつは、せっかく長く集中できるようになったんだから、長いドラマティックな昔話を聞かせたいですね。大人の語り手が大人として面白いと思う話もしっかり理解できます。その年齢になってやっと理解できるテーマがあります。
 もうひとつは、創作です。その年齢の子が読む文学作品をたくさん読んで、語り手として、これは聞いてもおもしろいなと思うものに挑戦してみましょう。ただし、創作は語り手を選ぶし、聞き手も選びます。語り手の熱意だけでは、聞き手への押し付けになってしまい、失敗します。条件3と4に照らし合わせましょう。