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昔話の森

外国の昔話

白雪姫


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この話の主人公は猫。この猫は、心優しいように見えて、自己中心的ですね。子どもの特性を備えています。だから、人に物をやっては惜しくなってとり返しに行ったり、もっといいものを盗んだりする猫に、子どもは、心の奥でこっそり共感します。道徳的にはよくないと分かっているから、こっそりとです。
でも、猫の表情は明るく、話全体が日の光を浴びているように思えます。結末では、猫自身が努力をして才能を磨き幸せになります。
このような、子ども自身の欠点をそのまま認めてくれる話を、信頼する大人から聞くことは、とても大切だと思います。幼児から低学年向きに再話しましたが、大きい子のサブの話としても使えると思います。
話型は、いま調べ中。該当するのは3話型。
ATU1415「運のいいハンス」・・グリムの「幸せハンス」
ATU1655「有利な交換」・・日本の「わらしべ長者」
ATU2034C「貸すことと返してもらうこと:損をしていく(よくなる)交換・・連鎖譚です。
どちらにしても、どこかで聞いたことがあるような話ですね。

 導師というのは、仏教やヒンドゥー教で、人びとを教え導く人のこと。
  この話は、南インドでは、導師パラマルタと彼の弟子たちについての陽気な連作のひとつだということです。この本を編集したラーマーヌジャンさんが、子どもの頃聞いた話だそうですが、7世紀にはすでに語られていたという文献があるとのことです。
  ATU1287。話型名は「愚か者たちが自分たちの人数を数えることができない」です。自分を数に入れずに人数を数える笑い話ですね。このサイトで紹介している「ろばの数」もそうです。こちらはカビールの昔話です。
 この話型は、ヨーロッパ、アジアに広がっていますが、今回再話した導師パラマルタの話は、さかのぼれる限りで一番古いものだということです。
 高学年以上のおまけの話におすすめです。
  愚か村話については、こちら→

 愚か村話です。昔話雑学では、日本の愚か村話について書きました。こちら→ が、じつは、愚か村の人たちの話は、日本だけでなく世界じゅうにあるのです。ヨーロッパでの有名な例として、イギリスのゴタム村の話をご紹介しました。  ここに出てくるチーズは、私たちがスーパーで見かけるようなものとは違います。一かかえもあるような大きくて丸いチーズです。  愚か村は、実在の村や町です。そこの人たちが本当に笑い話のネタになるようなことばかりをしているはずはないのですが、どうしてこんな話が語られているのでしょうか。

 マーシャ・ブラウンの絵本『三びきのやぎのがらがらどん』でおなじみのノルウェーの昔話です。瀬田貞二の名訳もあって、絵本で楽しめばいいのかもしれませんが、もともとは、語り伝えられてきた昔話です。耳で聞いて楽しみたいと思って、再話しました。
 ATU122E「太ったヤギを待つ」という話型です。ATU122というのは、「嘘の言い訳で獲物が逃げることができ、動物は獲物を失う」という話が集められていて、A~Zまでさまざまなバリエーションがあります。動物昔話で、弱肉強食の世界で、弱いものが知恵を使って強い者から逃れる話です。
  前回紹介したイタリアの「おんどりときつね」も見てください。
 この「三匹のやぎ」は、北欧を中心に語られていたようで、世界的にはあまり残っていません。そして、いかにも北欧らしいトロルは、他の国、例えばドイツでは、オオカミになっています。
 単純な話ですが、三回のくりかえしのリズム、やぎの大きさのクレッシェンド、最後に恐ろしいトロルをやっつけるという爽快さ、魅力的な話です。

 つぎからつぎへと食べていく連鎖譚です。原題は「大食いひょうたん」。
  『おはなしのろうそく』には、次つぎと食べていく大食らいのねこのはなし「ついでにぺろり」が載っています。あのねこは、恐くないのですが、このひょうたんは、なんだか恐いですね。
  軽く、ほら話、笑い話として語りたいです。幼児から低学年向きに再話しましたが、中学年のおまけの話にも使えると思います。
  「ねずみの頭を捨てちゃいな」は、結末句です。これも恐いような、楽しいような(笑)

 ATU124。「家を吹き飛ばす」という話型名です。わたしたちはこの話型の話としては「三匹のコブタ」がなじみ深いですね。世界じゅうに伝わっていますが、口承としてはアジアには少ないようです。
 子どもたちは、「三匹のコブタ」の面白バージョンと感じるようです。低学年までの幼い子向けの話だと思うし、またそのようにも再話しました。けれども、まずは「三匹のコブタ」を聞かせたいと思います。
 音声は、2、3年生です。学童保育の子どもたちで、元気いっぱいに聞いています。わたしの語りもどんどんスピードが出ています。聞き手が乗ってくると、語りも早くなります。でも、間違えてはいけませんね(笑)

 冒頭、主人公の若者は、兵役を終えて国に帰るところです。このシチュエーションは、ヨーロッパの昔話でよく見かけます。グリム童話の「くま皮」は、クビになった兵隊ですね。
 「美しいユーラリ」は、イギリスの昔話「鳥たちの戦争」の類話です。このホームページでは、「オーバーンメアリー」として紹介してあるので読んでみてください。とてもよく似ているでしょう。「鳥たちの戦争」にある古い宗教的な要素は、「美しいユーラリには見当たりません.それに、短いので、こちらのほうが語りやすいかもしれませんね。
 ATU313、話型名は、「呪的逃走」。この話型では、さまざまな導入のエピソードが、「呪的逃走」と「忘れられた婚約者」というふたつの主部に結びついています。

 ATU122「嘘の言い訳で獲物が逃げることができ、動物は獲物を失う」という話型です。この話型は、多くのヴァリエーションがあります。
  たとえば、きつねががちょうをねらっていると、がちょうたちが、死ぬ前にお祈りをさせてくれといって、つぎからつぎへとお祈りをしていつまでも終わらないという「きつねとがちょうたち」。これはグリム童話です。
  トロルに出くわしたヤギが、後からもっと大きなやぎが来るといって逃げる「三匹のやぎのがらがらどん」も同じ話型です。
  「私が太るまで待って」とか、「食べる前に私を洗って」とか、「口を洗ってから食べて」とか、「自分で飛びこむから、口を大きく開けて待っていて」など、弱い動物が生き延びるために、知恵を使って言い訳します。短い話ばかりですが、含蓄がありますね。
  「カッタンネオー」というのは、どこの地名かは分からないそうです。語り手が自分の知っている地名を入れて語ってもいいそうです。

 ATU408「3つのオレンジ」。ヨーロッパに広く分布していますが、日本の「瓜子姫」も関係があるのではないかといわれています。
 冒頭、王子が指をナイフで傷つけてしまい、血のように赤くてミルクのように白い娘を求めるところ、まるで白雪姫の母親のようですね。同じモティーフなんだけれど、人物やテーマが異なると、雰囲気がまるで変わります。おもしろいですね。
 同じ話が絵本(偕成社)や読み物(こぐま社)にあります。どちらも剣持弘子先生の訳です。わたしなりのことばで語りたいと思って、同じ原話から再話してみました。ストーリーも複雑でないので、3年生くらいから語れると思います。
 ただ、この話型は、冒頭部分が異なっていたり、魔女ではなくて下女や黒人(ムーア人)であったり、また別のモティーフが結びついていたりと、とても興味深いので、もう少し調べて、そのうち《昔話雑学》にまとめられたらなあと思っています。
 音声のはじめのほうでガタガタ音が入って聞きづらくてごめんなさい。外が嵐だったのです。ほんまです。

これは昔話ではありません。イソップ寓話と呼ばれるものです。寓話とは、平たく言えば、たとえ話の事です。人の行いを正したりさとしたりするために作られたものです。昔話は、作者がいるわけではありませんが、この話はイソップが作ったものです。イソップは、紀元前6世紀の人だといわれています。だからとっても古い話です。でも、少しも古臭く感じないのは、人間ってあんまり進歩していないからなのでしょうか?
「かにの親子」は日本の昔話にもあるので、昔話通観でさがしたのですが、見つかったのは数話にすぎませんでした。しかも再話する程のしっかりした伝承ではなかったので、もともとのイソップ寓話を再話して紹介することにしました。同じ話がなぜ日本の昔話にあるのか、という疑問があります。きっと、イソップの話がもとになっていると思います。というのも、イソップ寓話は、江戸時代の始めに、『伊曽保物語』として日本語に翻訳されて広まっているからです。
これからの季節、おまけの話にどうぞ。

ハワイ島に伝わるおはなしです。
ハワイ島が、アメリカ合衆国の州になったのは、いまから120年余り前のことだそうです。18世紀にキャプテン・クックがハワイにやって来て以来、イギリス、フランス、中国、日本などと関りがあって、もとの独特の文化も変化していったと思われます。
この「プニアとさめの王さまカイアレアレ」が、ハワイのもとの文化をどれほど反映しているのかはわかりませんが、勇気ある少年プニアも、おそろしいさめのカイアレアレも、南洋の明るさを感じさせます。島と海の風景も、南の島を想像させてくれます。

ちょっと珍しい話を紹介します。話型も分かりません。
オーストラリアやニューギニアの昔話資料を読んでいると、「人間はどのようにして地上に散らばったのか」とか、「最初の火」とか「大地はどうやって作られたか」など、神話的な話がとてもたくさん残っていることが分かります。現代科学に至る前の、人間の自然への探求心がうかがえておもしろいです。
この「太陽が昇るとにわとりが鳴くわけ」の原題は、「太陽の誕生」です。エミューのたまごの中身がどれほど黄色いのか知りませんが、それが燃えるような明るさをもたらしたというのが、いいなあと思って再話しました。天に「よい神さま」がいたというのも、心があたたかくなります。
子どもたちに、にわとりの鳴きまねをしてはいけないと教えていますが、きっと生活の知恵なのでしょう。どんな理由があるのか知りたいです。 アジアやヨーロッパの話だけでなく、世界にはこんな話も伝えられているんだよと、高学年のおまけの話として語りたいです。

 この話は、ATU922に分類され、話型名は「羊飼いが聖職者の代わりに王の質問に答える」。ヨーロッパを中心に世界じゅうで語られているということです。
 ところで、マヨルカ島は、地中海に浮かぶ大きな美しい島です。スペインに属します。
  この話の、のんびりした、陽光を感じさせる明るさが好きでみなさんに紹介したいと思いました。
  おそろしいほど太っている修道院長と、サトウキビよりもほっそりした王さまという極端な対比がおもしろいです。王さまは、修道院長に解けない謎を出しますが、その理由が、修道院長に頭痛を経験させてやろうというもの。これものんきな話です。主人公の料理人も、修道院長の四分の一の細さです。みごとに難問に答えますが、王さまは笑って約束のほうびをあたえます。
  登場人物に悪者はいないし、料理人に対して、王さまも修道院長も高圧的でなく、対等の人間として扱っています。また、昔話によくある、問いに答えられなければ死刑にするとかいうような、命にかかわる事件でもありません。
  さて、この話型の中で出される難問には、ほかに、こんなものがあります。
「この木には何枚の葉があるか?」こたえ「~~~枚あります。信じないのなら自分で数えてください」
「空に星はいくつあるか」こたえ「砂浜の砂の数と同じです。あなたが砂の数を数えられれば、星の数も分かります」
  古今東西、老若男女、なぞなぞが好きなようですね。難問については、《昔話雑学》にほんの少し説明をしているので、参考にしてください。→こちら

 ロマが伝えているおはなしです。
 貧しい家に母親(または父親)と三人の兄弟が暮らしているというシチュエーションは、ヨーロッパではよくあります。そして、兄弟は順番に出かけて行き、出会った人からちょっとした課題をあたえられます。上のふたりは課題に応えられず、末っ子は親切にして課題に合格します。主人公だけが正しいキーを押すのです。
 類話では、兄弟たちは旅に出ることが多いのですが、「森の王」は雪の森にたきぎを拾いに行きます。身近な感じがします。課題は、「パンや飲み物をくれ」というのがよくあるパターンですが、「森の王」では冬の泉から水をくんでくることでした。
 出会うのは、小人やおじいさんが多いです。ここでも、出会うのはおじいさん。魔法で森の管理人の塔に閉じこめられていますが、末っ子が親切にしたので、魔法がとけて小人になります。この小人は、森を支配する森の王だったのです。
 このように、よく似た話の中でも、ちょっと不思議な、冬の季節感のある話として再話しました。結末句もおもしろいですね。三年生くらいから聞けると思います。

 ATU782「ミダスとロバの耳」という話型です。何らかの理由で主人公の耳がロバの耳になり、床屋が、その秘密を隠しておくことができないで、穴を掘って、穴に向かって秘密を打ち明ける、そこから葦が生えて、葦で作った楽器が秘密をばらす、という話です。
  穴に向かって秘密をささやくというモティーフもおもしろいし、楽器が秘密をばらすというモティーフも興味深いです。
  この話は、もともとは、話型名にもあるように、ギリシア神話のミダス王の話からきています。ミダス王は、半獣神のパンとアポロンが音楽の技を競い合ったときに、パンの笛のほうが美しいといったために、アポロンに、ロバの耳に変えられてしまいます。床屋が穴を掘って「王さまの耳はロバの耳」とささやくと、そこから生えてきた葦が、風にそよぐたびに「王さまの耳はロバの耳」とささやき、秘密がばれてしまったという話です。
  ここに再話した「ロバの耳をした王子さま」は、冒頭がいかにも昔話らしく、子どものいない王さまとお妃さまの間に王子さまが生まれます。王子さまが主人公です。妖精のおくりものもよくある話ですね。
  王子さまがなぜロバの耳になったかというと、たまたま妖精が「思い上がって偉ぶることがないように」といったからです。そして、王子さまは、結末で帽子を脱ぎ、その通りに成長したことが分かります。昔話では予言は必ず的中します。昔話の語法にのっとることで、お説教臭がないようにしたいと思って、気を付けて再話しました。  

 ATU560「魔法の指輪」に分類されます。冒頭で、若者が犬とねことへびを助け、お礼に何でも願いの叶う魔法の指輪をもらうというのが典型的な形のようです。主人公は「おじいさん」ではなくて「若者」です。授かる宝物は、「玉」ではなくて、「指輪」です。ヨーロッパを中心に世界じゅうで語られてきた古い話型だそうです。「おじいさん」「玉」「竜宮」となると、いっきに東洋的になるのがおもしろいです。
 日本にも全国にたくさんの類話が伝わっていて、へびが宝をくれるもの、さるがくれるもの、竜宮でもらうものがあるようです。
 ここで再話したこの話の載っている『朝鮮民譚集』は、朝鮮半島に伝わっていた口伝えの話を集めたもので、1930年に日本で出版されました。
 音声は3年生です。

 ATU610「病気を治す果物」とATU570「穴ウサギ番」と、ふたつの話型がくっついたものです。
 「病気を治す果物」の後半の難題婿の部分が、「穴ウサギ番」に置き換わっています。どちらの話型もヨーロッパに多く、アメリカ大陸やアフリカにもわずかに分布しています。
 昔話のパーツが、くっついたり離れたりしながら、語られてきたんだなと興味深いです。
 原話は『フランスの昔話』A・ミリアン/P・ドラリュ著/新倉朗子訳/大修館書店刊、です。
  訳者の新倉先生は、この話について、「フランスのゴーロワーズリーといわれる陽気な笑いのお話」だと教えてくださいました。たしかに、子どもたちは大笑いして聞いてくれます。《ステップアップ》でも取り上げていますので、読んでみてくださいね。こちら→
 音声は4年生です。

 ATU333「赤ずきん」の類話です。幼児から低学年向きの話として再話しました。
  とげの道といばらの道がファンタジックだなと思います。また、「トロットリーナ、トロットリーナ、三時におまえをつかまえる」「おおかみ、おおかみ、そうはいかない」の掛け合いは、まるで鬼ごっこの囃子言葉か童歌のようです。内容は恐い話ですが、子どもがよろこぶ恐さだと思います。
  グリム童話の赤ずきんは、おおかみに食べられますが、トロットリーナは、「おしっこをしたい」といって、うまくおおかみから逃げだします。「便所に行きたい」で思い出すのは、「三枚のお札」「天道さん金の鎖」ですね。訳者の剣持弘子先生は、『イタリアの昔話』のあとがきで「本来この話は逃走譚ではなかったかとさえ思えてくる」と書いておられます。
  トロットリーナという女の子は「赤ずきん」の主人公とはずいぶん違います。まず、お母さんが病気になったので生活は彼女にかかっています。そのきびしさからか、トロットリーナは花を摘んで道草をするようなことはありません。お母さんに化けたおおかみを見ても、すぐに正体を見破ります。そして、知恵を使ってひとりでおおかみから逃げだします。おばさんのスカートの中に隠してもらいますが、それも彼女の知恵です。
 強いトロットリーナ、かっこいいですね。

 ATU591「泥棒鍋」の類話です。「壺」は「鍋」であることが多いようです。北欧中心に伝わっていて、あまり世界的な広がりはありません。
  主人公は、少年の場合もありますが、貧しいです。貧しい主人公が、魔法の鍋によって金持ちになるストーリーは、庶民の願望でもあるのでしょうね。
 原話の出典の解説に、「無邪気でユーモラスなたいへん子どもによろこばれる話」とあります。ただ、「牧師」という存在が現代日本の子どもたちになじみがないのが難点です。大人は、牧師がお金を貯めることの罪、その罰として地獄へ連れ去られる、それがおもしろいのですが、子どもには多分分からないでしょう。では、どう語ればいいのでしょうか。
 まず主人公が、牛を、羊、がちょうと、つぎつぎと価値のないものと取りかえてしまいます。最後に一番値打ちのないように見える壺を手に入れます。「あ~あ、ばかだなあ」と思わせるように語らないといけませんね。
  そのあと、主人公は、どん底からはい上がっていきます。初めはおかゆ。それがバターになりお金になります。聞き手は嬉しいですね。そして期待します。すると、牧師さんもお金を数えています。聞き手が先取りして喜ぶように語ります。壺がまた出かけていくので、こんどは何を手に入れるかと聞き手は期待します。小麦粉はお金と比べれば大きな値打ちはないのですが、壺が桝に化けます。ここまで同じくりかえしに慣れていた聞き手にとって、これは驚きです。想像の可能性がぐっと広がります。それがオチへとつながるのです。
  くりかえしを軽快にリズムよく語ることで、幼い子どもも楽しめるのではないかと思います。ストーリー自体が印象に残るので、大きくなって人生経験を積んでから思い出して、牧師と地獄のユーモアに気付いてくれるのではないでしょうか。

 日本では「姥捨て山」という話型名で、全国に残っています。このホームページでも《日本の昔話》に奈良県吉野郡の伝承として「おばすて山」を再話しています。解説にこの話型についてコメントしていますので読んでくださいね。
 ナイジェリアの「父親を助けた息子」は日本の姥捨て山の難題型に当たります。「姥捨て山」は純日本風の話だと思っていたので、アフリカに見つけたときは驚きました。調べてみると、世界的にはATUの981番「隠されたお爺さんの知恵が王国を救う」という話型名で、ヨーロッパ、アジア、アフリカ、南アメリカに類話が発見されています。紀元一世紀に記録されていると注があって、またもや驚きました。キリスト教者ユスティノスの『ピリッポス史』という書物にあるそうです。確認できなくて残念です。
  ところで、以前にこの《外国の昔話》のページで、朝鮮半島の類話「親すて山」を紹介しています。これは、日本では姥捨て山のもっこ型にあたり、ATU980「恩知らずな息子」に当たります。おそらくユダヤ起源だと書かれています。これも驚きです。
  世代間の相克はいつの時代もどこの民族でも頭を悩ませるものなのですね。
  難題のモティーフは、民族性が出ていておもしろいです。
  あちこちにことわざがちりばめられているのも、アフリカの昔話らしくていいなあと思います。

 ATU480「親切な少女と不親切な少女」に分類される話です。この話型の昔話は、世界じゅうに分布しています。グリム童話「ホレおばさん」、ロシアの「ババ・ヤガー」、「馬の首」、イギリスの「地の果ての井戸」、ハイチの「川の母」など、私たちにおなじみのパターンです。
 「親切にはよい報いがあり、不親切には悪い報いがある」というメッセージには、道徳的な効用があるのでしょう。
 ただ、この話の中のお母さんは、ずいぶん自分勝手な人に見えますね。ローズとブランシへの対応が、手のひらを返したみたいに変わります。幼い子は、親から認められたいという強い思いがあります。ところが、自分は何も悪いことをしていないはずなのに、ブランシのように理不尽に叱られることがあります。だから、ブランシがきれいなものを持ってかえって来たとき「お母さんは大喜びしました」というのは、子ども側から見ればご褒美なのです。
  ところで、親切(または不親切)にする相手が人間ではなくて彼岸の存在であることに注目すると、もっと深い意味があるような気がします。森の奥や、井戸などの水の底といった彼岸は、自然界をあらわすと考えることができます。たまたま自然界に入りこんだ人間がどのように行動するかということに焦点を当てると、とても興味深いです。人と自然のモラルを教える話が、世界じゅうで愛されてきたことに、意味があるのではないでしょうか。
 同じ話が偕成社文庫の『アメリカのむかし話』(渡辺茂男編訳)に入っていますが、残念ながら絶版です。そこで、皆河宗一氏がA・フォーチャー編『ルイジアナ民話』から翻訳されたものを原話にして、ここに再話しました。ぜひ語ってみてください。。聞きなれていれば5歳児から聞けると思います。
  音声は図書館のお話会、3歳から7歳まで12人です。テキストと少し違っていますが、テキスト通りに語るのが理想形。

 夏の怪談話にいかがですか。
 教会の中に幽霊や化け物が出るという話はたくさんあります。日本の場合は、お寺、それも住職がいなくなった古寺ですね。洋の東西を問わず、恐い話は好まれるようです。そして、必ず恐いもの知らずの者が肝試しに行って、成功してお金持ちになります。
 スウェーデンのこの話は、主人公が、豪胆な男性ではなく、娘なのが嬉しいです。しかも、まっくらな谷川まで行って、幽霊の頼みごとをきくというように、二重の肝試しです。きっと川の中から聞こえて来た声のぬしも幽霊ですね。
 なんとなくロマンスを感じるので、あまりおどろおどろしく語らないほうがいいと思います。

 ジェイコブスの昔話は日本でもたくさん紹介されているし、ストーリーテリングのテキストになっています。この話は「Henny-Penny」という題で、めんどりのペニーという意味だけれど、ペニーというのが最小のお金の単位。それで、めんどりちゃんと訳してみました。
  累積譚→こちらで、原話はもっとくりかえしが多いのですが、英語では歌うようなリズムがあるのに比べて、日本語にするとくどくなってしまうので、ちょっと省略しています。
  しちめんちょうとがちょうとあひるが食べられてしまうので、ショックでないようにカラッと語ります。主人公は助かったのでめでたしめでたし。
 幼い子ども向けです。

 中央アジアのウズベキスタンのおはなしです。タシュケントやサマルカンドといえばイメージがしやすいかと思います。
  シルクロードを行き来する人たちが伝えたおはなしには、ヨーロッパの本格的な魔法昔話にそっくりの話もあれば、この「てんとう虫のおじょうさん」のようなかわいい話もあります。原題は「てんとう虫娘」なのですが、黄色いくつにお花のような服を着て、ねずみのだんなに愛される彼女だから、すてきなオシャレなおじょうさんと呼びたくて、こんな題をつけました。
  主人公は、主体的で行動的な女性です。そして愛する夫を悲しませたくない強い心を持っています。彼女が幸せになって、ほんとによかったです。幼稚園の年長から低学年に語ってみたいと再話しましたが、もっと上の学年でも楽しんでくれるかもしれません。これからの季節にどうぞ。

 この話は、前回紹介した「カンチルとワニ」の後半です。幼い子に語りたかったので、長い話をふたつに分けました。
 小さくて弱い存在は、自然界では淘汰されます。人間社会でも同じようなことが言えるでしょう。だから、カンチルが、決定的な強者ワニやとらを手玉にとるこれらの話は、子どもたちには痛快なのだと思います。ただ、ほんとうのワニやとらの恐さを知らない子どもたちは、とらに同情してしまうかもしれません。

    カンチルというのは、和名をマメジカといって、東南アジアの熱帯雨林に棲む小さな鹿です。うさぎくらいの大きさのとっても弱い動物で、森の中でいつも大型動物に命をねらわれているそうです。その弱い存在のカンチルが、知恵を使って強い動物をやっつける物語が、インドネシアやマレーシアに伝わっています。「マメジカ説話」といって、ほんとうにたくさん残っているそうです。
 ATUでは58番「ワニがジャッカルを運ぶ」に分類されています。ワニを数えるのは、カンチルだけではなく、ジャッカルであったり、うさぎであったり、猿であったりします。が、だまされるのはいつもワニです。この類話は世界じゅうに広がっているわけではなくて、アジア、アフリカに限られているようです。
 後半、ワニが丸太のふりをしたり枯れ木のふりをしたりするモティーフも面白いですね。昔話ではよく死んだふりをするのですが、このワニはとってもユーモラスです。
は4年生に語っています。

  水の精は、水にまつわる妖精、精霊のことです。北欧に伝わる水の精はネックと呼ばれています。ただし、ネックは男性の姿をしていて、女性の水の精はニクシ―と呼ばれるそうです。
 かつては、日本でも、川の神、海の神、山の神、田の神とか神木など、人間の周りの自然環境のなかに神がいました。そこへ仏教などの宗教が入ってきたりして、古来の神が妖怪として扱われるようになっていったそうです。カッパは、水の神の零落した姿ですね。
 ネックは精霊だから、一種の妖怪ですが、古来の神に近いのかなと感じます。でも、この話のなかでは、ちょっとまぬけで親しみ深く、憎めない存在ですね。
 幼児から低学年向きに再話しました。

  この話のはじまりは、「ヘンゼルとグレーテル」にそっくりですね。ATU327「子どもたちと鬼」という話型に属します。ただ、子どもたちが行き着くのはお菓子の家ではなくて、人食いの悪魔の家です。このあたりは「かしこいモリー」などと同じです。
 木に登ると灯りがひとつ見えたというのもよくあるシチュエーションですが、孤立的で、いかにも昔らしい展開です。
 指輪と寝場所を取りかえるというのは、ナイトキャップの取りかえのモティーフですね。子どもたちは知恵を出して悪魔の家から逃げだします。
 援助者としてマリアさまが出てきますが、日本ではあまりなじみがないですね。敵が「悪魔」だからでしょうか。
  最後の所も子どもたちは知恵を出します。子どもにいわれた通りに刈り入れの用意をしてやってくる百姓も何だかまぬけですが、すっかりだまされる悪魔もまぬけですね。

  ノルウェーの伝説。
  レストは、ノルウェーのロフォーテン諸島の一番南のはずれにある孤島で、町の名前でもあります。ロストとも呼びます。ウトレストはレストの向こうという意味。つまり海のかなたの異郷、仙境をいいます。ノルウェーは海洋民族の国なので、海のかなたや海の底にユートピアがあると想像したのでしょう。日本も同じです。竜宮ですね。日本ならタイやヒラメの舞い踊りですが、このノルウェーのはなしでは、カニやタラです。
  妖精は気まぐれです。だから、なぜイサクを助けてくれたのか根拠がはっきりしません。偶然なのでしょうか。昔話的にいえば「主人公だから」ということでしょうが、これは伝説です。貧しい漁師がたまたま妖精に富をさずけられた奇跡を語っています。だから、読後、ふしぎな気持ちになります。
  大きい人たちに、クリスマスのプレゼントとして再話しました。

  話型はATU511「ひとつ目、ふたつ目、三つ目」。シンデレラ話のひとつで、古くは16世紀にドイツ語圏での記録があるそうです。
  グリム童話130番「ひとつ目、ふたつ目、三つ目」も類話です。同じ類話でも、「ハヴローシェチカ」に比べ、グリム童話は長く、重く感じられます。グリム童話では、主人公は「ふたつ目」で、「ひとつ目」と「三つ目」のふたりの姉妹が主人公をいじめます。ひとつ目であること、三つ目であることは、宗教的・心理的に意味があるようですが、いっぽう、主人公がふたつ目であるために、ふたりが異常であるという印象があたえられ、身体的な差別を感じてしまいます。が、「ハヴローシェチカ」の相手は三姉妹で、「ふたつ目」も主人公をいじめるのです。単に目の数が、1、2、3であるというだけなので、記号的で軽く感じます。差別感もありません。グリム童話ではなくこの話を語ろうと思った理由のひとつがそれです。それでも印象は強烈ですね。
  音声は小学2年生です。3年生にも語りましたが、2年生のほうが面白がってくれました。グリムの「ひとつ目、ふたつ目、三つ目」は長く、こうはいきませんね。
  主人公の持つ、骨から再生させる力は、シャーマンを思い起こさせます。

  小さな男の子が、大事な雌牛を連れもどすために長い旅に出ます。前半の三回のくりかえしが楽しく、子どもたちはくすくす笑います。ブーコラの鳴き声がだんだん大きくなってきて、目的地に近づいていることがわかります。やっとブーコラを見つけましたが、このまま無事に帰れるとは聞き手も思っていません。やっぱり、トロルが追いかけてきます。「トロル」は、北欧の妖怪ですが、『三匹のやぎのがらがらどん』(マーシャ・ブラウン作/瀬田貞二訳/福音館書店刊)で知っている子どもたちがたくさんいます。
 後半は、呪的逃走のモティーフです。こちら→
 子どもたちがハラハラしながら聞いているせいで、語るスピードまで上がります。
 行きて帰りし物語。幼い子どもにピッタリのおはなしです。
 音声は1年生。  

  怖い話です。話型名は「盗賊婿」。ATU955。
 グリム童話にも同じ話型の話があります。KHM40「盗賊のお婿さん」。グリムのほうは粉ひきの娘で、娘に「帰りなさい。ここは人殺しの家です」と繰り返し忠告するのは、かごの鳥です。たるの後ろにかくれるとか、指輪のはまった手が飛んでくるのは同じ。
 ジェイコブス再話のこのイギリスの昔話のほうが簡潔で、だからこそ語りかたによっては怖さがひとしおです。親しい子どもたちに、語り手との信頼関係がある場で語ってください。決して本気で怖がらさないで、聞いた後、怖くて面白かった!との感想が出るように語ってくださいね。

  1958年に翻訳刊行された民話集の中に見つけた話です。
  主人公はたいそう貧しい、たどり着いた家は一軒、そこにばあさんがひとり。孤立的ですね。若者が鬼婆の家にたどり着き、お金をとってにげきるまでのエピソードが三回、三回とも完全に同じ言葉でくりかえされています。教会堂や畑、井戸と言葉が通じるのは、一次元性のあらわれです。あまりに昔話の語法にぴったりなのがおもしろくて紹介しました。
 1、2年生向きかなと思います。
  昔話では、主人公が彼岸者から宝を盗んで幸せになる話、よくありますね。「ジャックと豆の木」「かしこいモリー」など。「主人公は泥棒している」と感じない年齢の子どもに語りたいです。とくに、ここに紹介した「三人兄弟と鬼ばば」は、原題に「鬼婆」とあるのですが、ストーリーの中ではただの「ばあさん(原話では老婆)」としか表現されていません。兄弟の首をちょん切るところに鬼婆らしさが見えるだけです。疑問を感じさせないようにスピーディに軽快に語りたいです。

    金剛山は北朝鮮にある有名な山です。クムガンサンと読みます。原題は「大彪退治」。
 「焦げ飯」は、ご飯をたいたときにおかまに焦げ付いているおこげのご飯のこと。朝鮮半島の説話のなかでは、猟師が狩りに出かける際には、いつもおこげを持っていくそうです。
 男の子の修業もオーバーな表現ですが、とらのお腹の中がひとつの村がすっぽり入るほど大きいというファンタジーがおもしろいですね。
 音声は4年生のライブです。

   ジプシーというのは、ヨーロッパを中心に世界のあちこちで暮らしている少数民族です。かつては、馬車などで移動して旅暮らしをしながら、芸能や芸術を伝えているというイメージが強いですが、いまは定住の傾向にあるそうです。自らはロマ、ロムとか呼んでいるそうです。この民話集は、イギリスのウェールズ地方のジプシーが伝えた話を集めたもの。妖精の出てくる不思議な伝説もたくさん収録されています。この話の赤い外套のおばあさんも、魔女的な存在なのですが、話の最後までくると、妖精のように感じます。

   不思議な話です。娘と結婚する若者は、たぶんカイレが仕留めた死者の首が再生した者でしょう。そして、彼が月にいちど帰っていくところは死者の国。その一族の国では、若者は鹿のすがたをしているように思えてなりません。
 人と動物、この世とあの世、永遠の魂がその二つの次元をいったり来たりする世界観は、アイヌの昔話を思い起こさせます。
 中学生に語りたいと思って再話しました。
 子どもに語ってみると→井戸端会議その1  →その2

  この話は昔話ではなくて伝説です。
 昔話の魔女には、人間に恩恵を与えてくれる場合と、害を与える場合の二面性があります。日本の山姥と同じですね。彼岸から訪れて、主人公を援助してくれる、または敵対して困難を与える。
  でもこの話の魔女ミルクグレーテは、そう単純にはいきません。魔女のまねをした主人公を罰したのです。ただそれだけの話です。欲が深いのを戒めるだけの話にも思えません。何が言いたいのでしょう。
  そうです、魔女の領域に入ってくるなということです。
 伝説では彼岸とこちら側の世間とのあいだには、くっきりとした境界があります。昔話がふたつの次元の世界をたやすく行き来できる一次元性を持つのと対照的ですね

  森の中で道に迷ってこまっていると灯りがひとつ見えます。洋の東西を問わず昔話によくあるシチュエーション。状況の一致。
 主人公は、池に水浴びにきた七羽のはとが美しい乙女になるのを目撃します。そして、いちばん美しい娘の肌着を盗んで、その娘を妻にします。羽衣をうばわれて天に帰れなくなった天女の話を思い出しませんか?そうです、日本では「天人女房」とよばれる話型の話で、たなばた伝説や羽衣伝説で有名ですね。
 よく似た話が世界中にあるのがふしぎです。この「七羽のはと」は、ATU(国際昔話話型カタログ)では、400番「いなくなった妻を捜す夫」に分類されています。313番「呪的逃走」と結びつくことが多いそうです。「七羽のはと」も、伯爵と妻は、ばらの花と茂み、礼拝堂と神父に変身して、追っ手を出しぬきますね。呪的闘争のモティーフを持っています。
 この話の最後に、魔女が、別れていく娘に贈り物をします。娘を自立させる母親の心境になって、ほろっとします。  

  朝鮮半島では有名な話です。日本ではパク・ジェヒョンの絵本(光村教育図書)がよく読まれています。
 『国際昔話話型カタログ』によると、ATU177「泥棒とトラ」という話型です。インドの説話集『パンチャ・タントラ』(西暦二百年ごろ成立)に記録があるので、古い話ですね。でも、ヨーロッパにはなく、アジア特有の話のようです。
 とらが、その言葉を知らないために恐がるのは、ここでは「ほしがき」ですが、ほかに、「飴」「たそがれ」などがあるそうです。日本では「雨もり」です。
 日本の昔話「古屋のもり」は全国に伝わっているし、みなさんもご存知だと思います。古くは江戸時代の『奇談一生』(1768年刊)に「猿面赤無尾(猿のつら赤く尾なし)」として、類話が出ています。漢文なので、現代語にして語れるように再話しました。→こちら

  先住民族の残している昔話は、広大な自然の中で展開する話が多いように思います。この北米インディアンの話も、遥かな大草原と、そこを移動するバッファローの群れが目に見えるようです。
 そしてそこには、神話的な空気が漂います。骨を積み上げて再生させるのは、シャーマンの業です。
 極端に貧しい、村社会の底辺にいた少年が、勇気とまっすぐな心を持ち、彼岸の力によって首長の地位にのぼります。いかにも昔話らしいハッピーエンドの物語です。

  アフリカ、カビールの笑い話です。
 エチオピアの「アディ・ニハァスの英雄」(『山の上の火』岩波書店刊、所集)は、村人みんなが数の数えちがいに気づきません。
 自分の近くのものは見えないものです。このような人間のまぬけさかげんを描く「愚か話」はどこにでもあります。日本にも、愚か村の話や愚か聟、愚か嫁のたぐいの話は、数限りなく残っています。
 これは、他人を笑うというより、自分にも同じようなことがある、それを笑うための話ではないかと感じますが、どうでしょう。

 算数の問題ですね。ずいぶん前に六年生に語ったとき、先生も交えてにぎやかな議論になりました。
   そろそろ夏休みも終わります。宿題の最後の一問として、頭をひねってください(笑)

  話型名「恩知らずなヘビが捕らわれの身に戻される」。ATU155。
 ほかの話では、とら以外に、へび、おおかみ、くまなどが、男をだます悪い動物として登場するようです。「善い行いに対して悪い行いで報いてよいのか」ということがテーマですね。さるの裁き、すかっとします。
 北欧からアジア、アフリカまで、世界じゅうに伝わっている話です。ところが、なぜか日本にはありません。「恩を仇で返す」ということわざはありますけれど。
 ところで、イソップにはこんな話があります。
 ・・ひとりの農夫が、寒さにこごえたへびをみつけました。あわれに思った農夫は、へびをひろいあげてふところに入れてやりました。あたたまって本性をとりもどしたへびは、自分の恩人にかみついて殺してしまいました。死に際に農夫はいいました。「こうなってもしかたがない。たちの悪いやつをあわれんだのだから」・・・
 哀しいですが、たしかに人間の一面を表していますね。
 でも、さすがに昔話は、悪いやつがやっつけられて終わります。

 わたしの再話のなかでも大ヒット作!絶対に外さないー笑。 音声は3年生のライブです。
 兄妹がかきねの戸を外して出かけるところで、聞き手の子どもたちはこの話が笑い話だとわかります。4歳児でもわかる。ところが、森で迷子になるあたりから緊張しはじめます。恐いのです。それが私には意外でした。あくまでもちょっとした笑い話として語っているからです。木の下に泥棒がやってくるあたりから緊張は高まって、息をつめて聞きます。だからこそ、「 おしっこ 」 「 うんこ 」 で緊張が緩和して、ドカッと笑うんですね。桂枝雀さんの落語の理論とおなじです。
 それから、兄妹がどろぼうたちの置いていったお金をみんな持って帰るところ、「 悪~っ 」 て言った子どもたちがいたのです。これも意外でした。な んて正義感が強いんだろうと思いました。そう、たとえどろぼうがおいていったものでも持って帰ったらどろぼうになるのです。ところが、それを知ったお母さんが大喜びしたっていうところで、子どもたち、笑ったんです。このユーモア感覚、すごいと思いません?
 そのお金で一生楽に暮らしましたっていうと、「 ああよかった~ 」 と大満足します。昔話の主人公の幸せ = 富の獲得と身の安全で、めでたしめでたし。ほんのおまけの話として再話したのに、子どもたちのおかげで実のあるしっかりした、上質な笑いを引き出す話になりました。

 原話の出典には、「トリングギット族」とありますが、一般的には「トリンギット族」。北アメリカ大陸の太平洋岸に暮らしている先住民族です。彼ら自身は「リンギット」と呼び、「人間」を意味します。おなじみのトーテムポールを作る人たちです。日本のアイヌと似た文化を持っていて、交流が続いているそうです。
 狩猟民族だから、たいせつな「矢」には特別の価値があるのでしょう。シンボルとしての矢には、「保護。自分を守る」という意味があります。クロスした二本の矢は「友情」。折れた矢は「平和」を意味します。
 やはりアメリカインディアンの昔話を絵本にした『太陽へとぶ矢』こちら→も見てくださいね。
 さて、村長の息子が月への畏敬の念を忘れたために、月が罰をくだします。その罰は、村長の息子自身を痛めつけるというものではありません。むしろそれをたしなめた友達をさらって痛めつけるというものでした。このことが「罰」であるためには、少年たちの友情の深さが根底になければなりませんね。
 主人公村長の息子は、友人をすくうために危険な旅に出ます。月、星、矢、葬式の太鼓・・描かれる情景は澄みきった冷たい空気を感じさせます。テーマの扱いとともに、異文化の新鮮な発見があります。
 にもかかわらず、おばあさんがくれたいくつかのものを後ろに投げながら逃走するモティーフは「三枚のお札」とおなじ。帰ってきたら自分の葬式をしていたというモティーフは「天狗のまな板石」)こちら→とおなじ。
 高学年の子どもたちに聞かせたいお話です。

 音声は小学2年生。
 ロートリンゲンは、フランスのドイツ国境近くの地域です。フランス語ではロレーヌ地方。
 にわとりが半分になっても生きているのが不思議なのですが、昔話には半分の人間の話もあるし、子どもたちは、え~っ!と驚きながらも、おもしろそうにストーリーについてきます。
 にわとりのからだは、きちんと二つに分かれて血も流れない、横から見たら図形的には丸ごと一羽と変わりはない。昔話の語法のページ「図形的に語る」→を見てください。平面性があらわれているところです。
 にわとりが出かけるのは、貸したお金を返してもらうためです。「外的刺激」→によって旅立つのです。とちゅうで、鳥、オオカミ、池と道づれになり、からだの中にいれて、自分の力にします。
 鳥、オオカミ、池の特性にぴったり合った難題がふっかけられ、みごとクリアします。状況の一致ですね。
 用がなくなったら、鳥もオオカミも池も元に戻ります。援助者は必要なときに必要な場面でのみあらわれるのです。友達になっておつき合いを続けることはないのです。
 主人公は本質的なものと出会うために旅に出なければならない、のです。
 
 類話はたくさんあるのでしょうか。私が見つけたのは、3話。
 「半分のひよこ」『スペイン民話集』岩波文庫 ひよこが出会うのは、きつね、オオカミ、ねこ、小石だらけの野原、川。やはりお尻に入れていきます。ただ、最後は必ずしもハッピーエンドではない。興味のあるかたは読んでみてください。
 「かたあしのひよこ」同名絵本、ほるぷ出版 スペインの話です。からだが半分なのではなくて、金の足を一本王さまに切りとられてしまいます。その足を取り返しに行く話。出会うのは、オオカミ、ライオン、川です。お尻ではなくて、口から飲み込みます。
 「ランパンパン」同名絵本、評論社 インドの話。王さまに奥さんをとられたクロウタドリが取りかえしに行く話。からだが半分になるわけではありませんね。出会うのは、ねこ、あり、木の枝、川です。お尻ではなくて耳の中に入れていきます。
 

 現代日本にもつうじる老人問題。親孝行が道徳的にとても大切にされている朝鮮半島でも、このような話が残っているのですね。語りの森の日本の昔話に、同じ話型の話を載せています。「おばすて山」
 グリム童話にも、夫婦が老父を邪魔にするのを見た幼い息子が、いつか両親が年老いたら同じようにしようと粗末な食器を用意をする話があります。やはりそれを見て夫婦は改心します。「おじいさんと孫」という話です。洋の東西を問わないということかな。

 ケルトの昔話。長い話です。ヨーロッパの昔話によく出てくるエピソードが次々とつながって、聞き手を飽きさせません。原題は「THE BATTLE OF THE BIRDS(鳥たちの戦争)」ですが、話型名「主人公の逃走を助ける少女」AT313にちなんで、「オーバーン・メアリー」と題しました。
 開けてはいけないといわれたのに袋を開けてしまう。だれにもキスさせてはいけないといわれたのに、飼い犬がキスをする。など、禁令と禁令破りではらはらします。
 主人公がオーバーン・メアリーといっしょに巨人から逃げるとき、リンゴの切れ端が彼女に変わって返事をします。巨人が追いかけてくると、馬の耳から木や小石を出して後ろに投げ、それは森や山になります。まるで「三枚のお札」です。
 骨の再生は、古い宗教とかかわりのあるモティーフ。最後の古いかぎと新しいかぎもいかにも昔話らしいモティーフです。
 最後の2文は結末句です。昔話雑学を参考にしてください。
 こういう長いストーリーは、わかりやすい言葉でテンポよく語るのがコツ。音声はライブではないのでちょっとゆっくり語っていますが、実際に子どもに語ると、子どもの「それで?それで?」に応えてもっと速くなります。

 恐ろしい魔女。魔法の力で城は岩山に変わり、王と城の人たちはカラスに変身させられ、岩山の周りを飛びつづけなければならない。城の周りの湖は凍りつき、だれも寄せつけない。そのつめた~い雰囲気が気に入って再話しました。主人公は女の子。可愛がっている四匹の白い子ねこの力を借りて魔法を解きます。

 ヨーロッパ版の 「 こぶとりじいさん 」 です。日本の話では山の中で鬼がコブを取りますね。ここでは、森の中で小人がコブを取ってくれます。日本の話と同じく、ちゃんと踊りの歌もあるんですよ。「 月曜日、火曜日、… 」 という曜日の歌なんですけど、子どもたちはそれが気にいったらしく、すっかり覚えて道で会っても歌ってくれます ( 笑 )。音声は2年生のライブです。

 音声は、2年生に語っているところ。だいたい3年生くらいが一番ノッテきますが、ハラハラドキドキ、笑いありなので、もっと小さい子でも楽しめます。私は、幼稚園の5歳児さんの卒園まぎわ二月に語ります。15分はかかる話ですが、子どもたちはまじろぎもせずに聞いた後、「 短~い! 」 といいますね。初めは映画や紙芝居とは違うので 「 あれ? 」 っという感じですが、すぐにストーリーに入り込みます。。

 音声は1年生のライブ。よく知られているのは、女の子が主人公のロシアの昔話ですね。イギリスのこの話はおばあさんがくまの家にやってきます。だから子どもたちは主人公と一体になることはなくちょっと離れて見ています。むしろくまたち、とくに一番小さいくまに心を寄せているようです。それで、勝手に他人の家に入り込んで食べたり寝たりするおばあさんを、ちゃんと批判することができます。二階の窓からとび出したおばあさんがどうなったか、想像して楽しそうに話してくれますよ。
 三回の繰り返しのリズムが心地いいので、四歳の一学期から聞けます。

 長い話です。三人兄弟の末っ子、まぬけなヘルムが主人公。よくあるモティーフです。このヘルムが旅をするのですが、まず木を登る途中で七人のお婆さんに次々に会います。天に上ると、そこはひとつの世界で、課題をクリアしてお姫さまと結ばれる。けれど、タブー違反を犯して、さらにはるかかなた暗闇の世界に向けて旅に出ます。そこでさらなる課題が待ちかまえています。男の子が、まるで階段を上るように成長していく、幼さから脱皮していくことが語られています。

 韓国のお話です。この話は1923年に現在の全州市で語られています。原話の出典の 『 朝鮮民潭集 』 は朝鮮半島が南北に分かれる前に編纂されていま す。それで、テキストには 「 朝鮮半島 」 の話としました。
 動物の恩返しの話は、日本にもたくさんありますね。鶴の恩返しとか、きつねの恩返しとか、 変わったところではナマズの恩返しとか。「 とらの恩返し 」 はいかにもとららしい威勢のいい恩返しの仕方で、ユーモラスでさえあります。子どもたちはと らに親しみを感じて笑いながら聞いてくれます。それだけに、さいごの場面は胸を打たれます。

 話の中に話が3つも入っていて複雑です。語るのはちょっと難しいと思いますが、ぜひ紹介したいと思って再話しました。とても不思 議な雰囲気のお話です。大人向けのおはなし会なら語れるかな。

 船を作って動物たちを救ってやるのは、まるでノアの方舟ですね。後半はこの動物たちが主人公の少年に恩返しをします。そう、これ も動物の恩返しの話です。「 黒い髪の人間は助けてはいけない 」 というタブーを犯して、少年はろうやにぶち込まれてしまいます。動物たちと対照的な人間の不誠実。考えさせら れますね。

 美しいおひめさまをめぐって、若者と大臣たちが争います。謎解きに引き込まれているうちに、お、かしこいなあ!もちろんハッピー エンド、若者の勝ち。結婚式で、めでたし、めでたし。なんと知恵のある若者なんでしょう!4年生以上で語ろうかなあと再話しました。聞きなれた子どもたちなら3年生くらいでも楽しめるかもしれません。

 とにかく音声を聞いてください!こんなに子どもたちが喜ぶとは思いませんでした。それで、わたし、かなり動揺しながら語っています ( 笑 )  聞き手は1年生。
 臆病なうさぎの話はよく知られていて、わたしも幼児期に絵本で読んでもらっていました。でも、あまり面白いとは思わなかったのです。今回、子どもに語って、分かりました!このはなしは、語ってこそ面白い、語ってなんぼの昔話だったんですね ( 笑 ) 昔話の語法にのっとって、繰り返しは同じ言葉を使って再話しました。それが楽しいリズムになりました。

 「 だんだんのみ 」 とか 「 かえるをのんだととさん 」 で知られている話の類話です。「 だんだんのみ 」 は鬼が豆をまかれて退散しますね。節分の話のよう に思い込んでいました。だから、「 犬を書いて飲む 」 の原話を見つけたときは、おお、びっくり!

 類話は世界じゅうにあります。次々にものを頼みに行くだけの話なんだけれど、その動機は話によっていろいろです。例えばイギリスのジェイコブズの 「 おばあさんと豚 」 とはずいぶん違います。「 ありとこおろぎ 」 では、友だちを助けるためです。しかもハッピーエンド。原話を読んだとき、思わず笑みがこぼれました。こんな話が語りたかったんだって思いました。でも語ってみると大変でした。早口ことばの練習みたいなもんでした。音声は5年生のライブですが、とちゅうから、一区切りずつに 「 ん 」 「 ん 」 「 ん 」 ってかけ声が入っているの、聞こえますか ( 笑 ) ? 2年生では、こおろぎが雌牛に 「 ……川に落っこちたありを助けるんだ! 」 と言い切ったとき、拍手が起きました ( 笑 ) 。 本当はこちらの音声を聞い ていただきたかったのですが、残念ながらICレコーダーのスイッチを入れ忘れていました。聞き手といっしょに弾けて楽しむおはなしだと思います。

 イギリスのジェイコブズのおはなし。ストーリーはグリムの 「 ブレーメンの音楽隊 」 と同じですね。でも、ジェイコブズのほうは、ストーリー展開を楽しむだけでなく、むしろくり返しの面白さに重点があるように思います。だから、繰り返しのリズムを楽しみつつ、場面が分かるように語るのが、ちょっと難しい。「 脱穀 」 って、耳で聞いてわかるかな? 「 麦を打つ 」 にしようかな、と迷いました。でもそれでは正確じゃないしね。「 殻竿 」 。大人でもたいていはわかりませんね……。「 さお 」 からイメージできるかな、と思い切りました。リズミカルに語ることで、少々知らない言葉があっても楽しめると思います。子どもが尋ねたら、あとで説明するといいですね。

 昔話にはよくタブーが出てきますね。七年間口をきいてはいけないとか、13番目の部屋だけはあけてはならないとか。そして、タブーは必ず破られます。昔話では、タブーは破られるためにある。この話でも、王さまが決して言ってはいけないといった言葉を、お姫さまが口にしたために、花婿が去ります。そこからストーリーが動きだす。聞き手もそのことが分かっているので、どうやってタブーが破られるのか、タブー違反の後、どうやって幸せな結末にたどり着くのかに興味を集中させます。

 地中海、スペインのバレアス諸島に伝わる昔話。とても不思議で、深く心を打つ話です。「 聖なる書物 」 って何なのか、知りたくて、ぽんやジミーと国立民族学博物館まで行きました。結果は…「 いどばた会議 ( ブログ ) ー 2015.7.21 聖なる書物って、聖書? 」 を読んでみてください。

 おたまじゃくしはかえるの子~
   なまずの孫ではないわいな~
   それがなにより証拠には~
   やがて手が出る足が出る~
 俗謡そのまんまのお話です。なぜそのまんまなのでしょう?どこかから伝わったのでしょうか?それとも、人みな発想は同じだからでしょうか?ベトナムと日本、地理的にも歴史的にも近いですよね……
 なまずとひきがえるのけんかに、ごたいそうにも裁判官がでてきます。裁判官って、日本の昔話ではあまり聞きませんが、外国の話にはけっこう出てきます。日本では、お殿様でしょうか。ストーリーは幼い子でもわかるのに、語るとき、裁判官をどう説明しようかと考えているところです。

 『 グリム兄弟の知らなかったおはなし 』 が原話です。弘法伝説のように、聖者が旅人として訪れる話は、ヨーロッパにもあります。グリム童話の 「 貧乏人と金持ち 」 もそうですね。「 みじめおばさん 」 もそのひとつです。
 死神が木にくっついて離れなくなるモティーフも、ヨーロッパではよく出てきます。わたし 「 それから、世の中はどうなったと思いますか? 」 子ども 「 わからない 」 「 老人が増える 」 。音声は、図書館でのおはなし会のようすを録音したものです。「 老人が増える 」 ……いまどきですねえ ( 笑 ) 少し前は、子どもたち、「 死ななくなる 」 といいましたね。
 ところで、ずうっとしゃべり続けている2歳さんの声、聞こえますか? ( 笑 ) それでも、ほかの子たちの集中は途切れていないでしょう。かつての囲炉裏端での語りのひと時も、こんな感じだったのかなあと思います。

 怖い話です。は、4年生に語っています。本気で恐がっているでしょ。しっぽが九つあるきつねは、もともと中国の神話に登場するそうです。日本では、歌舞伎の玉藻の前が九尾のきつねですね。絶世の美女に化けて出てきます。
 しっぽが九つなくても、きつねは化けます。そして、人を化かします。『 子どもと家庭の奈良の民話 2 』 には、きつねが化かす話をいくつか入れています。そういえば、いぜん、夫と笠置温泉に行ったとき、帰り道で狐に化かされて、どんどん山の中に入っていったことがあります。

 はい、私たちのサークル名です ( 笑 ) ババ・ヤガーはふしぎな魔力を持っていて、その力で人を助けることもあるし、人を害することもあります。二面性を持っています。日本のやまんばも 同じですね。この話では、ひたすら恐ろしい魔女です。
 小屋の中で機織りをしていますね。糸紡ぎをしていることもあります。機織りも糸紡ぎも、本来女神の仕事です。こういうところに、キリスト教以前の神のなごりが見えるのかなあと思ったりします。
 それから、日本のやまんばは、追いかけるのが好き。「 三枚のお札 」 も 「 馬方やまんば 」 も、めちゃ走りますね。ここのババ・ヤガーも走ります。

 動物報恩+婿選びの話です。動物たちが、うろこ一枚、羽一枚、毛を一本くれる。とても孤立的で、イメージがクリアですね。頭の中に像がくっきりと浮かぶ。だから後半、聞き手の子どもたちはすぐに、動物たちからの贈り物を燃やせばいいと気がつくのです。
 また、魚は深い海の底へ、ワシは天の果てへ、狩人を隠してくれます。極端性は昔話の大事な性質です。イメージがクリアであるだけでなく、想像の世 界が空間的にぐうんと広がっていくのを感じます。子どもたちは、どこに隠すのかなという謎解きの面白さだけでなく、このイメージの広がりに驚嘆します。しかも、最後はおひめさまのいすの下に隠れる。極端に近いところです。そして、この極端な近さのおかげで、狩人はおひめさまから隠れおおせたので す。
 三回の繰り返しもあり、昔話の語法の面白さをとっても感じさせてくれるお話ですね。後半、くり返しの一回目は、魚が狩人を隠してくれる。2回目は、ワシが隠してくれる。3回目、きつねを呼び出した狩人は、みずから指示して、きつねにほら穴を掘らせていますね。はじめの2回は受け身だけれど、3回目は自分の知恵でかくれます。そして、その3回目に成功しておひめさまを手に入れる。ここに、若者の成長が語られているなと感じます。この話は、グリム童話の 「 あめふらし 」 と同じ話型ですが、この点で、わたしは 「 まほうの鏡 」 のほうが好きです。音声は、4年生のおはなし会。

 こぼれた豆が芽を出して天まで届く。天上の世界にいたのは神さま! 笑い話です。音声は小学3年生。子どもたちの声、聴いてください。「 ハッピーエンドと違うやん 」 っていってるでしょ。その向こうでおじさんの声が聞こえませんか?これは担任の先生の声。「 世界にはいろんな話があるいうことやなあ 」 っておっしゃってる ( 笑 ) なぜお父さんが一人になってよかったのか、自論を展開してる子もいましたよ。

 「 天道さん金のくさり 」 の類話です。これは、上からカボチャのつるが下りてくるのです。怖い話ですねぇ。子どもに語るのが、めっちゃ楽しみ~

             おはなし会で語る以外にテキストを使用される場合はご連絡ください。