第2週 語りの力

想像する力は生きる力

お話を聞くとき、聞き手は、耳からの情報だけでイメージを作ってストーリーを楽しみます。どんな幼い子でも、お話を聞いているときは、頭のなかはフル回転して情景を描いているはずです。想像力だけがお話を存在させているといっても過言ではありません。
想像の材料は、これまでの人生で見たものや体験したことがらです。実体験が豊かであればあるほど、描かれる像も豊かでしょう。

いっぽう、テレビなどのメディアには、画像があり、効果音やBGMまであります。情報が多いぶん、受け身で楽しむことができ、集中して想像力を働かせる必要はあまりありません。もちろん、ストーリーがどう展開していくんだろうと考えたり、登場人物に感情移入して感動することもあります。それでも作り手の決めた方向に流されていくだけで十分に楽しめるのです。

そう考えると、語りを楽しめるというのは、ひとつの能力であると思われます。そしてその能力は、特別のことをしなくても、楽しんで聞くというだけで十分に育つのです。

日常的に語りを聞くことによって、わたしたち人間にとって最も大切な能力のひとつである「 想像力 」 が育まれます。実生活において、想像力は「他人を思いやる力」となり、「 理性的に物事を考える力=思考力 」 となります。

子どもたちは、お話を聞いて場面を想像しているうちに、いつしか自分が主人公になっています。そして、物語の世界で主人公といっしょに行動しながら、心を深く動かしていきます。それは、子どもたちが大声で笑ったり、心配そうに息をつめたり、涙を浮かべたりするのを見ればわかります。物語を楽しみながら、自然に、自分が他の人間になって感じたり考えたりするという体験をしているのです。道徳の徳目として、思いやりを大切になどと言わなくても、これで十分です。

また、ストーリーは、ふつう、ある事件を受けて次の事件が起こるというふうに、因果関係に沿って展開します。ですから、子どもは、次はどうなるのか、その展開を予想しながら聞いています。じっと考えているのです。お話に聞き入っている子どもは、どの子もこれ以上にないほど聡明な瞳をしています。

「 自主性を持て 」 「 勇気を出せ 」 「 がんばれ 」 と抽象的な言葉で励ますより、「 かしこいモリー 」や「 まめ子と魔物 」 の話を語ってやるほうが、ずっと深いところで理解し、共感し、強く励まされるのではないかと思います。


「あなのはなし」を例に

想像力について、「 あなのはなし 」 ( 『 おはなしのろうそく1 』 東京子ども図書館刊 ) をもとに具体的に考えてみましょう。これは昔話ではありませんが、語りの力を端的に見せてくれるよい例です。 
まず、「 あるところに、赤い靴下がありました、靴下には穴があいていました。 」 と、話が始まります。聞き手の子どもの日常とつながった世界として、すっと入っていくことができます。ところが、「 穴はどんどん大きくなって靴下をのみこんでしまいました。」 と続きます。日常から非日常の世界へと入りこんでいきます。大人と違って子どもは、この次元を超えるのが得意です。

子どもは、頭に絵を描くことができないと理解できませんから、この「 穴 」 も、きっと頭の中で何かを具体的に思い描いていると思います。私は語りながら、子どもたちの頭の中をのぞきたいという衝動に駆られます。ありえないものを思い描く力、これは想像力にほかなりません。

しかも、この「 穴 」 はどんなものなのか正答はない。それが語りのよいところです。どんなふうに思い描こうともだれにも○×をつけられない。どれも正解なのです。だって、他の人には見えないのですから採点のしようがありません。たとえば 「 昔むかしあるところに、……おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に 」 と聞いたとき、どんなおじいさんでどんなおばあさんを思い描きますか。山はどのような山か、川はどのような川か、聞き手一人ひとり頭の中の光景は違います。それは、これまで自分が見たことのある光景と重なっているでしょう。実体験なのかテレビで見たのか写真なのか、絵なのか。その光景はその人の人生が反映されたものといえます。それが個性です。

穴は、外に出かけ、ドーナツ、かえる、つばめ、ひつじと、順々に出会っていっしょに歩いていきます。そのとき、穴は 「 ~人いっしょなら、オオカミだって恐くない!」 と繰り返します。このときたいていの子は、「ううん。恐い」と口に出します。進むにつれて 「 恐い 」 の合唱が大きくなる。そして、大きな森にやってくる。子どもたちは何か恐いことが起こるのを十分に予感して、きゅうにしーんとなります。先を予測する力です。思考力が働いているのです。案の定オオカミが現れます。

オオカミがひつじたちを次々見つけ、最後に穴を見つけると、聞き手の緊張は極に達します。

ある幼稚園で、5歳児に語ったとき、「 オオカミは穴をのみこんでしまいました 」 と語ったとたん、ひとりの子が、「 そんなことしたら、オオカミのおなかに穴があいてしまう!」 とさけびました。本当に集中して聞いていると、先を予想する力が導き出されるのです。1+1は2ですよと教えられなくても、おはなしのなかで1がきて、次に2がきたら、子どもは自分で、次は3だと発見するのです。これが本当の学びだと思うのです。

しかも、みんなで集中して聞いているのですから、その子がそうさけんだとき、ほとんど同時にぱっとみなが理解するのです。私が重要に思うのは、物語を仲間と共有することです。穴に感情移入して穴と一緒に危険な旅をするのですが、ひとりじゃない。クラスの仲間たちと一緒です。

私は、子どもが考える間(ま)を十分にとって 「 そう、オオカミのおなかに穴があいてしまいました 」 と語ります。子どもは推理が当たって本当に嬉しそうな顔をします。よい話は、そのように、子どもが正しい筋道で考えられるように書かれています。


言葉の獲得

子どもは、生活の中で、常に知らない言葉に出会っています。大人の話にしてもテレビにしても、知らない言葉はいくらでも出てきます。そしてそれを文脈の中で理解して、自分のものにしていきます。子どものこの能力はとても大きいです。赤ちゃんの言葉を覚える力を考えてください。そして子どもはお話の中でも知らない言葉に出会います。

やはり 「 あなのはなし 」 を例にとります。

穴はぶらりと外へでかけていき、ドーナツやかえるやつばめに会います。みな子どもたちが知っているものです。「 ひつじ 」 は、知らない子もいますが、もうストーリーもここまで来ると、知らなくてもついてきます。子どもは、「 ひつじ 」 の語で何を想像したか分かりませんが、じきに成長して本物の 「 ひつじ 」 を知るようになる。そのときに、びっくりしておもしろがればいいのです。何もかも教えてしまう必要はありません。ただ、「 それなに?」 と尋ねたときは、要領よく短い言葉で説明してあげましょう。

さて、話の中で、「 別にどこへも。ただ世の中を見たいと思ってね 」 ということばが4回繰り返されます。子どもは、耳がいいので、すぐに覚えて、3回目くらいからはみんなで声をそろえて一緒にいいます。4歳の子どもが、「 世の中を見たい 」 とえらそうな言葉でいいます。でもこの子たちは好奇心がいっぱいで、実はいつも世の中を見たいと思っているのです。アリの行列の後を追っていったり、職員室をのぞいたり。ふだんのその思いがことばになっているわけです。こうやって、お話の中で新しい言葉を獲得していく。子どもがことばを獲得する上での文学の力というものを感じます。

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