かつての語りの場
口伝えで語られた昔話を、そのままの形で文字に起こした本がたくさんあります。1970年代のものが多くて、ほとんどが絶版です。でも、図書館に行けばあります。おもしろいので、私はむさぼるように読んでしまいます。
載せてある昔話もおもしろいのですが、「 はじめに 」 とか 「 あとがき 」 とか、「 解説 」 とかが、またおもしろい。伝承の語り手が子どもの頃、だれからどのようにして昔話を語ってもらったかが書いてあるのです。
たいていはいろり端で、夜なべ仕事をする親や祖父母から聞いたようです。
村には話の好きな語りじさや語りばさが、ひとりやふたりはいたそうで、自分のうちの子だけでなく、村の子どもたちにも語ったそうです。( 『 おばばの夜語り 』水沢 謙一編 / 平凡社刊 )
昔話は昼は語らないとか、夏は語らないということもあったそうで、年末からお正月にかけて、大人も子どもも楽しみにしていた地域もあったそうです。( 『 佐渡国仲の昔話 』 丸山 久子編 / 三弥井書店刊 )
お寺に裁縫を習いに行って、裁縫しながら和尚さんから聞いたり、村々を回る行商人に、村人が場を設けて語ってもらったり、若者ばかりが集まる場や女ばかりが集まる場でも昔話が語られました。大人も語りを楽しんだのです。
人々が、昔話を生(なま)で聞く場を 「 語りの場 」 としておきましょう。
かつては、どこにでも昔話の語りの場があったのですね。語りの場は生活の場であり、語り手と聞き手には強い絆がありました。
現代の語りの場
伝承の語りの場がすたれていく代わりに、図書館や幼稚園、保育所、小中学校、児童館、といった公教育の場でお話が語られるようになりました。話し手は現代の語り手で、多くがボランティアです。また、家庭文庫という私的な場でもお話は語られます。
これらは、多くが、本と子どもをつなぐことを目的としています。だから、「 おはなし会 」 のプログラムは、語りと絵本を組み合わせられることも多いです。また、お話の後に出典本が紹介されたりもします。
もちろん、そういった人が集まる場所だけでなく、肉親が子どもにお話を語るといったことも、表には現れないけれども水脈のようにあるのではないかと思います。
さて、語りの環境は変化しましたが、「 語る 」 という行為は同じです。私は、公教育の場でも、かつての囲炉裏端のような語りの場を作りたいと考えます。子どもどうしが肩を寄せ合い、信頼する人から生の声でお話を聞く。そのことが子どもの情操を育て、大人の心を寛容にすると思うのです。
かつて囲炉裏端でお話を聞いていた子どもたちは、語ってくれる親や祖父母を信頼しきっていたでしょう。大人たちは、深い愛情をこめて語ったでしょう。そのような場が、子どもを人間らしく育てたのではないでしょうか。今の子どもたちにも、それが必要ではないかと思います。そして、大人も、そのような場で心を通わせることで、人間観を育てていったのだと思います。現代の語りの場も、愛と信頼に満ちたのもであってほしいと思います。
そのために、大人は知恵を出しあわなくてはなりません。できるだけ同じ子どもたちのところへ語りに行くとか、自分の住む地域 ( 聞き手と同じ生活圏 ) の学校に出向くとか。また、事前に先生がたとお話についてや子どもについて、情報や考えを交わしあうとか。できることはたくさんあると思います。
語りの場は、趣味の発表の場ではありません。とくに、聞き手が子どもの場合は。またたとえ聞き手が大人であっても、たがいに人間についての本当を感じ合う場としたいものです。