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昔話の森

日本の昔話

カチカチ山

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 おはなしの本文は共通語の文章です。このまま覚えてもいいですし、自分の日常の言葉に直して語ってくださるとなおうれしいです。  日常語の語りについてはこちら→
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   善良なおじいさんが、地蔵に笠をかぶせて、お礼をもらう話。全国に分布します。伝説にもあるそうです。
  多くが、大晦日の話になっていて、お地蔵さまは雪をかぶっています。「笠地蔵」というと大晦日の雪。それはそれで季節感があっていいのですが、この山形の話は、雪ではなくて雨に濡れています。だから季節を問わずに語れます。
  かさがひとつ足りないから、ふんどしをかぶせた、でも失礼だったかもしれない、と心配するおじいさんの心根の良さが好きです。

  現代の民話です。かつては、このような怪談話はどこにでも転がっていました。夜道に大入道が出るという世間話を、大人も子どもも信じていました。
 ところで、みなさんは、ほたる狩りをしたことがありますか。ちょうど6月の終わりから7月にかけては、日がくれるのがおそく、以前は、子どもたちだけで遅い時間でも外で遊んだものです。田んぼのなかをたくさんのほたるが舞う様子は幻想的ですが、子どもにとっては、何匹とれるかを競う思いがはやります。わたしは、ネギの中にとったほたるを入れて持ってかえりました。虫かごなんか不要な時代でした。

  話型名は「瓜子姫」。全国に分布しています。子どもに語ると、冒頭で「ももたろうと同じだ」と声が上がります。どちらも異常誕生に分類されています。
 瓜子姫は大きくふたつの型に分けられます。うりひめが殺されてしまうものと、この話のように結婚するものとです。前者はちょっと残酷な描写があります。柳田国男は、後者が古い形で、もともとは外国から入ってきたのではないかといっています。ATU番号は408「3つのオレンジ」。そういえば、あまんじゃくは、偽の花嫁ですよね。
 あまんじゃくが殺されて、その血でソバとカヤの根元が赤くなったという結末もあります。
  この話は、瓜子姫が幸せになることと、あまんじゃくが罰せられないことがいいなと思って再話しました。 

  私のすむ地方は竹の子の産地で、竹やぶはとても身近にあります。竹やぶに入っていくと、ほんとうにこんなことがあってもおかしくないという気持ちになります。
 竹の中から天人が出てくる、というと、日本最古の物語『竹取物語』を思い出しますね。竹の子童子は天人ではありますが、「桃太郎」や「瓜姫」と同じく、昔話の話型では「異常誕生」に分類されています。
 ところで、三ちゃんは、願いをまだひとつしかかなえてもらっていません。続きが知りたいですね。日本の昔話は、ヨーロッパなどの魔法物語と違って、こんなふうに短いものが多いような気がします。なぜでしょうね。

  怖い話です。この虫は何を意味しているのかと、思わず考え込んでしまいす。
  子どもが訳もなくむずかるのは、大人にとって本当に難儀なものです。それを収めてくれる虫は、ありがたい。でも、鉄を食べるこの虫の正体は分かりません。どんどん成長して牛ほどになります。その不気味さ。手に負えなくなって、とうとう蹈鞴で溶かそうとする。その人間の行為も不気味です。そしてその行為によってカンニュウ卿は自滅します。
  なんとなく原子力を予言しているような感じがします。『佐渡島昔話集』は1942年刊です。

   話型名は「無言くらべ」。日本じゅうで語られていたようです。
 それどころか、世界じゅうに残っているようです。ATU1351「沈黙の賭け」、夫婦に関する笑い話のひとつです。
 日本では、たいていもらったおもちでだんまりくらべをしますが、外国では、先にしゃべったほうがお皿洗いをするとか、賭けるものにお国がらが出るようです。
 音声は3年生のライブ。自分たちもだんまりくらべをしようって、盛りあがっていました。何を賭けるんでしょうね(笑)

  話型名は「絵姿女房」。日本各地に残っている昔話です。前半はどれもよく似ているのですが、後半が2種類に分かれます。
 ひとつは、物売り型。若者が物売りに変装して、妻をさらった殿さまのところへ行き、妻をとり返します。物売りの売り声に妻が笑うので、殿さまは物売りと着物を取り替えます。殿さまは屋敷を追いだされ、若者が殿さまになって、めでたしめでたし。風刺的ですね。柿売り、桃売り、ほうろく売りなどのパターンがあります。
 もうひとつが、この難題型です。妻が才色兼備。妻の機知で若者は救われます。ここにのせた新潟の話は、最後、殿さまが「まいった!」という感じであきらめるのが好きで再話しました。
 世界的にはATU465「美しい妻のために、迫害された男」という話型です。世界じゅうに分布していますが、妻の絵姿で王さまが横恋慕するというモティーフのないものもたくさんあるようです。

  「なぜ話」のひとつです。なぜ話は、物やことがらの由来を語る話。たとえば、「そばのくきはなぜ赤いのか」「くらげにはなぜ骨がないのか」「なぜ猫はねずみを追いかけるのか」などなど、いくらでも思い出せますね。なぜ話は幼い子どもが喜ぶようです。
 外国のなぜ話をさがすと、「かめの甲羅にはなぜひびが入っているのか」「くまのしっぽはなぜ短いか」「なぜ海は塩辛いか」など、日本と共通する話が見つかります。でも、「なぜ天国にはこれほど聖職者が少ないか」とか、「なぜ髪の毛はひげよりも先に灰色になるのか」などは日本ではきいたことがない(笑)、興味津々ですね。
 著者の岡白駒(はっく)は江戸時代元禄生まれの儒学者で、兵庫県西宮でお医者さんをしていましたが、のちの京都に移ります。西田維則(いそく)は白駒のお弟子さん。滋賀県の出身です。
 『奇談一生』は、書かれてから百年以上後に正式に出版され、それは今も読むことができます。出版したのは浪速の本屋、赤志忠雅堂です。それで、出所を大阪にしました。

  優しいおばあさんと欲ばりでいじわるなおばあさんの話。いわゆる隣の爺譚 →こちら です。この形式の話は、「はなさかじい」「こぶとりじい」「へこきじい」などなど、子どもたちにはとってもなじみがあります。
 音声は一年生のライブですが、「さて、おばあさんの家のとなりに」といっただけで、子どもたちが顔を見合わせたり、笑ったりしているのが分かると思います。「やっぱりね」とうなずきながら、欲ばりばあさんにどんな罰が当たるのか予想して楽しんでいます。前半はちょっとドキドキしながらストーリー展開を楽しみ、後半は余裕をもって予想しながら楽しむ。この型の話のいいところだと思います。
 昔話は同じ場面は同じ言葉で語ります。繰り返しのリズムは、語る者にとっても楽しいのですが、子どもたちも嬉しいようです。からだを揺らしたり、いっしょに口に出したりして楽しみます。
 欲ばりはダメだよという道徳的なメッセージを、子どもたちは楽しんで受けとります。押し付けではなく。もともと子どもには強い正義感があります。昔話には、それを引き出す力があるんだなあと思います。
 おはなしが終わって、ろうそくを消すとき、みなお願い事をひとつします。この日、わたしが、「ひとつだけよ」っていったら、「欲張ったらあかん」と笑っていました。そして、「つぎは欲ばりじいさんの話をして」ってリクエストされました(笑)

  檀家の人たちにとって、和尚さんというのは、なんでも知っている偉い人だったのでしょうね。
 昔話「だんだん飲み」でも、病気になったので和尚さんのところに相談に行きます。
 「だんだん飲み」の和尚さんもとぼけた人ですが、ちゃんと病気を治してくれます。でも、「こんぶ」の和尚さんは、じぶんがお金をせしめています。

 「田螺長者(たにしちょうじゃ)」という話型名で知られる話です。
 おじいさんとおばあさんが子どもがほしいと願っていたら、ある日、田螺がさずかります。田螺でなくて、なめくじやさざえのこともあります。ここは、かたつむりですね。
 一寸法師などと同じ「小さ子話」のひとつです。ふしぎな誕生の子どもが、知恵と勇気を出して長者の娘の婿になります。昔話の幸せ、結婚と富の獲得で、話は終わります。
 ふたりで祭りに行って、嫁がお参りしているあいだに田螺が人間になる結末の話もありますね。この「かたつむり」のように、嫁につぶしてもらって人間になる話もあるのです。場合によっては、嫁が田螺を嫌がってたたき殺す、というシチュエーションもあります。と、そこで、思い出すのがグリム童話の「蛙の王さま」です。
 「蛙の王さま」では、蛙は、呪いをかけられた王子の仮の姿で、王女に投げつけられることで呪いがとけることに決まっていましたね。「かたつむり」では、かたつむりは、生まれた時からかたつむりで、そこに魔女の呪いはありません。そして、自分の力で獲得した嫁につぶされることで人間になる、そのことをかたつむりは知っていました。「蛙の王さま」で、ともすれば理不尽に思えるこの場面が、「かたつむり」では、そういう運命なんだと納得できてしまうのは、わたしだけでしょうか。

 きもだめしは、若者たちの納涼のイベントとして、昔からよくあったようです。きもだめしを題材にした昔話は、『子どもと家庭のための奈良の民話3』にも載せています。笑い話のひとつです。
 今は、小学生の子ども会、中高生の学校祭などでも行われることがありますね。
 どこの遊園地でもお化け屋敷は大人気ですが、お化け屋敷がきもだめしと異なるのは、人工的にお化けを作って人を驚かせること。きもだめしには、人の作ったお化けは出てきません。出てくるのは、本物の・・・。いえ、墓地や山中に浮遊している(とみなが信じている)霊。こわいですね。
 さて、この話の落ち、わかりましたか? 歯がないから歯無し、はなし。全国にみられる落ちです。鼻に椎の実が入って、はなし。葉がなくて、はなし。などもあります。

 話型名「旅人馬」。災厄から逃げる話で、これも「三枚のお札」などと同じ逃竄譚に属します。
 「旅人馬」は日本全国に伝わっています。ここに再話したのは鹿児島県喜界が島の話ですが、『子どもに贈る昔ばなし15 馬にされた大吉』所収の話は岩手県の話。馬にされた大吉が逃げるとちゅう、子どもたちの歌を聞いて、人間にもどる薬草をさがし求めて助かる話です。「旅人馬」の「七十歳のおじいさんの助言」の役割をするのが「わらべうた」、「なす」が「薬草」。小道具の違いが、話のテーマや空気感に深く影響すると感じます。大吉のほうもぜひ読んでくださいね。
 この話型は、古くは平安時代末期八百年以上前の『宝物集』という説話集に見られます。全国に広がるのもうなづけます。
 ところが、国際カタログで探してもこの話型名はありません。STU314「黄金の若者」が最も似ていますが、魔法の馬の正体が王子だったというあのパターンの話です。魔法使いから逃げ出す逃走のモティーフもありますが、ほんと、かすかに似ているなあという程度です。
 馬にされるあの不思議な魔法や人間にもどるための苦難の旅は、描かれていません。
 では、「旅人馬」は日本に固有の昔話なのでしょうか?
 じつは、中国の唐の時代に書かれた『河東記』という伝奇小説集にこの話があるのです。九世紀前半。古いですねえ。そのなかの「板橋三娘子(はんきょうさんじょうし)」の話がこの「旅人馬」。中国でも好まれて後に単独で書物になったりしています。
 書物が日本に入ってきて口伝えされたのでしょうか? それとも、中国や朝鮮半島で口伝えされて日本に入ってきたのでしょうか? 極東地域の人々の交流を想像するとたのしいです。
 『河東記』の三娘子の話は、絵本『ふしぎなやどや』(はせがわせつこ文/いのうえようすけ絵/福音館書店)で読めます.

 奈良県東吉野村に伝わる伝説です。語ったおじいさんは、「 いまどき、天狗が出るやなんて、そんなことはあらへんけどな 」 といいながらも、実際にその石があることを証拠として、「 まんざら嘘でもないと思う 」 とおっしゃっています。
 マックス・リュティは、昔話と伝説の違いを説明して、「 伝説は信じられんことを求める 」といっていますが、その一例だと思います。
 ひょんなことから彼岸に行ってきた昔話はたくさんあります。語りの森でも《日本のおはなし》のページに「 豆まきの由来 」→こちら「 豆さんころがれ 」→こちら「 さかべっとうの浄 土」→こちら「 地獄へ行った吉兵衛さん 」→こちら「 豆の大木 」→こちら「 たなばた 」→こちらを紹介しています。
 ただ、伝説「 天狗のまな板石 」では、彼岸は、はるか遠くにあるのではなくて、ふだんから人が行ききする山、地域の生活の場がいきなり彼岸となるのです。天狗はすぐ裏の山に棲んでいます。これも伝説の特徴です。昔話なら、彼岸ははるか遠くにあります( 昔話の語法参照→ 一次元性 )。
 裏の山に天狗がすんでいるということを信じられなくなった現代の大人。寂しさを感じてしまいます。

 話型名 「 しっぽのつり 」 の類話は日本だけでなく世界じゅうに分布しています。氷の穴から尻尾を下ろして魚釣りをする、尻尾が凍りついて取れなくなる、という話です。身動きできなくなって、村人にこっぴどくやられることが多いです。たいていは、動物のどちらかが悪がしこかったり、またはいつも乱暴な相手を知恵を使って懲らしめる話になっています。
 大阪の和泉地方に残っていたこの話は、凍りついた尻尾が切れて短くなったという由来話になっています。そして、熊も狐も何の駆け引きもしていません。のほほんとした熊になんとなく親切な狐。どこにでもいる私たちのような二匹に心なごみます。音声は学童保育でのおはなし会。この日は人数が少なく1、2年生のみ。わたしものほほんと語っています。ー笑

 「うばすてやま」とも。『子どもと家庭のための奈良の民話1』に載せたものを共通語で再話しなおしました。
 この話型の話は全国に伝わっています。年寄りを山に捨てたという昔の風習がもとになっているそうです。いくつかのヴァリエーションがあって、ここに載せた「おばすて山」は、枝折り型とよばれます。
 『子どもと家庭のための奈良の民話1』には、この話型の「蟻通し明神」も載せています。「蟻通し明神」は、東吉野村の蟻通神社の由来として語り伝えられている伝説です。お殿様が年寄りを山に捨てろという命令を出します。ところが、隣の国から難題がふっかけられ、答えられなければ攻め入ると脅されます。そのとき正解を出したのが、捨てられずにかくまわれていたおじいさんでした。それからは、年寄りを山に捨てなくなったというお話。難題型と呼ばれます。
 他にこんなのがあります。父親が幼いわが子といっしょに、老父をもっこで担いで山に捨てに行きます。老父を置いて帰ろうとすると、子どもが、もっこを持って帰ろうとします。こんど父親を捨てにくるときに要るからと。ドキッとしますね。もっこ型です。まったく同じ話が朝鮮半島にあります。「外国の昔話」に載せました。
 それから、老婆致富型。妻にそそのかされた夫が老母を山に捨て、小屋に火をかけます。老母は逃げ、鬼の子から小槌をもらいます。小槌を振って、老母は女殿様になります。それを知った嫁が夫にあんなふうになりたいといい、小屋で焼け死ぬというお話。これも、ものすごいですね。
 柳田国男によると、ここに載せた枝折り型が最も古いそうです。

 端午の節句にちなんで載せました。飯を食わない嫁がほしいなんて、なんてことでしょうと、子どものころ、わたし、気を悪くしていました。追いかけられて当然、ばちがあたったんだって思っていましたよ。
 この類話は全国に分布しています。結末が、よもぎと菖蒲のおかげで難を逃れるものと、夜の蜘蛛は殺さないといけないという俗信の根拠になっているものとがあります。後者は、女の正体が蜘蛛で、夜に女が蜘蛛になって侵入してきたのをやっつける話です。
 女の正体は、山姥や鬼であることも多いです。ここで思い出していただきたいのは、山姥は走る、ということです。この話でもブーンブーンと追いかけてきますね。
 追いかける・逃げるというモティーフを持った話を逃竄譚(とうざんたん)と呼びます。うーん、つづきは昔話雑学でどうぞ!

 生まれた子どもが蛇だったというお話はあちこちにあります。蛇は神としてまつられることもよくあります。ここの母親は蛇は龍のお使いだといっていますね。だから大切にしなくてはならない。蛇にいたずらをして大変な目にあった話もあります。蛇は海に千年、山に千年、川に千年修行すると龍になって昇天するという言い伝えもあります。龍神は雨をつかさどる水神です。
 ヨーロッパの昔話では竜退治の話がたくさんありますが、日本の龍は神さまですから退治されないのでしょうか。余談ですが、ヨーロッパの竜退治の話は、日本では「猿神退治」という話型で全国にたくさんあります。

 話型名 「 ねずみ経 」。日本じゅうあちこちに残っています。短いし、お経の唱え言葉がおもしろいので幼い子どもでも楽しめます。「 お経 」 といっても小さい子は知りませんが、「 おおんちょろちょろ~ 」 がおもしろくて聞きます。でも、偶然が重なってよい結果になるおもしろさは、小学生のほうがよくわかるでしょう。

GO!

   やまんばと桶屋     こわい話

 山の奥には魑魅魍魎が棲んでいます。ときどき、里山に下りてきて、そこで働く人間と遭遇します。このやまんばもそうです。「 さとり 」 の化け物として語られている地方もあります。これも 「 おんちょろちょろあなのぞき 」 と同じく、偶然によって助けられる話です。でも、雰囲気はまるで異なりますね。

 怠け者の息子が親に追い出されて旅に出て成長して幸せになる話。って書いてしまうと身もふたもない ( 笑 ) 。世界じゅうにある冒険譚、竜退治の話ですが、主人公が綿屋の綿弓を打つ弓うちだったり、焙烙 ( ほうろく ) や大名行列や吉野川、竜ではなくてカワウソの化け物だったりと、いかにも日本の話、奈良の話になっています。軽快で笑える話です。

 紀伊山地は森林資源の宝庫です。昔から、森林で伐採された木がいかだに組まれ、川を流されて和歌山の海岸に運ばれました。このいかだ流しの仕事は命がけの大変な労働でした。水を見る力と技にはすごいものがあったそうで、当時のことを書いた本を読むと、人間が自然の中で生きる厳しさを知ることができます。
 そんな厳しい労働のなかでのきつねとのやりとり。ほんわかします。奈良の話のなかでも、大好きな話です。

 話型名 「 大歳の客 」 。これもまた日本全国に分布しています。旅人はお坊さんだったり、巡礼だったり、物乞いだったりします。宿を乞う日が大晦日、つまり年神さまが身をやつしてやってきたのです。死体がお金になるというのが衝撃的ですね。死体とお金という極端な対比、昔話の語法を思い出してください。

 十二支の由来話。だれもが知っている話です。この奈良の話がちょっと違うのは、イノシシの口が長くなった由来も語っているところ。類話によってちょっとした違いがある、このヴァリエーションが楽しいです。

 とんでもないファンタジーですね。原話を初めて読んだときはひっくり返って笑いました。語りで聞いたら面白いだろうなと再話しましたが、語るのはけっこう難しいです。まだ子どもには語っていませんが、対象年齢はどのくらいでしょうね。

 いわゆる猿地蔵の話。日本全国に類話があるようです。「 お香の袋 」 「 お香の匂い 」 ってみやびですね。極端にきたないものと極端に美しいもの。昔話の語法を思い出してくださいよ~。でも、子どもたち、お香ってわかるかなあ。

 私はこのかわいいおばあさんが大好きです。『 子どもと家庭のための奈良の民話 』 は再話者の日常語で書いていますが、ここでは共通語で書いています。、だから、関西弁わかんないってかたはこのとおり共通語で語ってください。また、この共通語をご自分の日常語に直して語ってくださればなおうれしいです。もちろん、本の通りに語ってくださってもうれしいです。

 古典から。虎の威を借る狐の故事を、一休さんが檀家の人に話しているという趣向です。この故事を高学年の子どもたちに知ってもらいたいと思って再話しました。原話の出典 『 一休諸国物語 』 は、『 一休噺 』 『 一休関東噺 』 とともに、江戸時代初期寛文年間に刊行された噺本で、明治まで読み継がれた大ベストセ ラー。一休さんのエピ ソード満載の三部作です。

 「 夢の蜂 」 という話型の昔話かなと思うのですが、「 宝化け物 」かもしれないとも思っています。「 夢の蜂 」 では、人の魂が寝ている間に昆虫になって体から抜け出し、宝を見つけてもどってくるのですが、この 「 くもと夢 」 は、蜘蛛が人の体に入って宝のありかを教えます ね。「 ふたりの男ー昆虫―夢―宝 」 という点で 「 夢の蜂 」 と同じ、ストーリーもそっくり。でも、テーマは違うような気がします。

 戦争が終わって70年。現代の民話と言っていいのでしょうか。弘法伝説のひとつということですが、原話の語り手の思いが切実です。語り伝えたいと思います。

 節分のための話をご紹介。このストーリー、初めは 「 猿婿 」 か 「 蛇婿 」 みたいでしょ。とちゅうで 「 鬼の子小綱 」 になって、そのあと 「 難題婿 」 みたいになって、……最後は氏神さんだったってオチ。短い話なのにモティーフがいくつも組み合わさっていて、おもしろいですね。

 話型名 「 鼠浄土 」。みなさんよくご存知ですね。音声は、4歳児に語っているライブです。ね、わたしの語りの後、子どもが自分の知っている鼠浄土を話してくれているでしょ。

 あまり聞いたことのない話かもしれません。狂言好きのかたには、「 首ひき 」 と同じストーリーだと気づかれたと思います。原話の語り手は大阪の坂田静子さん。明治生まれのかたで、子どもの頃、芝居好きのお父さまから聞かれたと、出典本の注に書かれてあります。この話、大好きで、あちこちで語っています。音声は小学3年生に語ってるライブです。

 恐い話ですが、笑いや悲しみの要素も併せ持っています。この原話を見つけたとき、またひとつ宝石を見つけたと思いました。ぜひ語ってくださいね。原話は國學院大學説話研究会編 『 奈良県吉野郡昔話集 』 に入っています。

 この原話 ( 『 出雲の昔話 』 所収)を見つけたのはおはなしを始めて間もないころです。出雲の土地言葉で語られていますが、きちんと注がついているので意味はよくわかります。でも、この土地言葉では、このまま覚えて語ることはできませんでした。それで、自分の言葉に直しました。どうしても子どもたちに語り伝えたかったのです。まだ、再話の 「 さ 」 の字も知らなかった頃のことです。
 低学年から高学年まで、数えきれないほどの回数を語りました。 音声は、4年生。
 ふだんの生活の中で、幼い子どもは、深い気持ちもなくアリや虫を殺します。そして、殺した命が二度と生き返らないことを、身をもって理解します。衝撃とともに。そんな経験はみなが持っています。だから、子どもは、さるのしたことを残酷だと一方的に非難はしません。むしろ、さるの立場で聞いている子どもは、自分の経験に照らし合わせてはっとします。そして、かにをだんごに丸めて返事させようとするさるの行為を、子どもは 「 我がままだ 」 とは考えません。さるの祈るような思いが分かるからです。共感です。だから、返事が返ってきたとき、子どもは救われたようなうれしそうな顔をします。そして、「 ものいうても返事するもんがおらなんだらあかんなあ 」 というテーマをすっと受けとめてくれます。
 以前、6年生に語ったとき、あとでひとりの男の子が目を赤くして、こっそりいいに来てくれました。
「 昔話はいいなあ。死んでも生き返るから 」
 この子は幼稚園のときから昔話を聞いてくれていた子でした。
ちなみに、ずっとあとになって、松谷みよ子さんの再話による絵本 『 さるのひとりごと 』 が出版されました。

 こんなおばあさんいてますよね。あ、私自身かも ( 笑 )。 お寺の和尚さんが素敵です。かつてお坊さんが檀家の人たちとどのように関わっていたのかが、ほのぼのと感じられる話です。大人どうしで楽しむおはなし会のおまけにどうぞ。

 赤ん坊を抱いてくれといわれて、抱いてやると、女は立ち去り、赤ん坊は石になるという話。こわいですね。私が知っていたのは、雪女の話。でも、ここでは雪女ではなくて人魚なんですね。夏の怪談話に、子どもたちにどうぞ~
 奈良県曽爾村の御亀ヶ池に伝わる伝説だと原話にあります。今はそこに、美人になる温泉 「 お亀の湯 」 があります。

 江戸時代の噺本からの再話。世の中には大きなものがいくらでもあるというこの話は、昔話としてあちこちに伝わっています。それを一休さんの話として噺本に取り入れてあるんですね。 かつてアニメの一休さんが人気だったので、一般的には小僧さんのイメージが強いです。が、噺本に残っている一休さんは、りっぱなお坊さんです。さきにアップした 「 一休さんのきつね話 」 も登場するのはりっぱな一休禅師です。

 現代の民話です。まあ笑って聞いてください。で、おまけの話として子どもたちと楽しんでください。音声は、学童保育の3~5年生です。

 JR関西線の月ヶ瀬口で降りて山に向かうと梅林があります。 関西ではちょっと名の知れた梅林で、梅の季節にはたくさんの人が見物にやって来ます。ふだんは静かな村です。この月ヶ瀬村に残っている伝説を紹介しました。山間の谷川ならどこにでも見られる大きな石を、天狗が作ったと空想し、いかにもそれらしく語り伝えています。人間味あふれるユーモアがあります。

 さかべっとうとは、白い蝶ともカゲロウともトビゲラとも言われている、羽のある昆虫。命の短いはかない羽虫で、それが群れをなして川をさかのぼるそうです。昔話では、龍宮城とか山の中とかの異界に出かけて行って、三日たって帰ってきたと思ったら、三十年、三百年たっていた、という話はよくありますね。その逆のバージョンです。
中国唐の時代の故事に 「 邯鄲 (かんたん) の夢 」 というのがあります。立身出世したいと、故郷を離れた若者が、仙人から望みのかなう枕をもらう。その枕で寝るとたちまち出世して、結婚して、それからは落ちぶれたり救われたりしながら紆余曲折の人生をへて、最後は幸せな余生を送り、天寿を全 うする。と思いきや、ふと目を覚ますと、今までのことはみんな夢だった。人生とはそんなもの、諸行無常、という話です。この中国の故事と同じテーマです。はかない羽虫の浄土に行くというイメージにひかれ、語ってみたいと思いました。

 地獄に行って、閻魔さんを手玉に取って帰ってくる話。 昔話として、各地に様々な類話があります。落語で有名なのは 「 地獄八景亡者の戯れ 」。落語をもとに書かれた絵本 『 じごくのそうべえ 』 も人気がありますね。吉兵衛さんの気楽な生き方、うらやましいです (笑) 。鬼たちも、あんまり恐くないし。閻魔さんが鬼と引きつれて地獄を回るところなんか、まるでお医者さまの回診!ファンタジーの面目躍如といったところです。

 入れ子細工の話です。いろいろなバージョンがあるようですが、わたしは、かつて所属していたおはなしサークルの今は亡き仲間から聞き伝えたものを語っています。「 くら~い くら~い 」 と語り始めるので、子どもたちは恐い話だとすぐに分かって乗ってきます。
 音声は5歳児に語ったときのもの。入れ子の面積がせまくなるにつれて、笑いがクレッシェンドします。こわいことを期待して、はずされるので、笑うのです。緊張と緩和。からだを寄せ合って、いっしょに怖がって、いっしょに笑う。まさに、愛と信頼の語りの場です。この話を伝えてくださった仲間に心から感謝しています。
 この話、一回やると、次回も、またその次の回も、リクエストされます。何回やっても同じように恐がって、同じようにびっくりして、同じように喜びます。ときには、道で出あっても、「 くら~い、くら~い、やって ! 」って言われます ( 笑 )。でもまあ、おまけの話です。
 ジャンピング・ストーリーなので、急に大きな音や声が聞こえると心身に変調をきたす子が、いないかどうか、確かめてから語ってくださいね。

 これもどこにでもあるこわくて面白い話。「 こんな顔 」 という話型です。ちょっとオーバーにやると楽しいですよ。いまは、炭焼きという仕事もほとんどなくなってしまいましたが、かつては、山の仕事で生計をたてる人たちがいました。自然が日常的にそばにあった時代、自然の中で暮らしていた時代には、人間の知では理解できない現象が起こったようです。魑魅魍魎ーちみもうりょ う。奈良は山国ですから、山での怪談が結構残っています。

新潟の昔話。おじいさんとおばあさんが豆を植えるとか食べるとか言ってけんかをするところから話は始まります。いかにも日本の昔話ですね。このパターンってよくあります。「 豆さんころがれ 」 も同じです。ここでは、天上の世界で出会うのは、雷さま。で、雨を降らせる手伝いをするのです。話型でいうと、「 傘屋の天のぼり 」。「 鴨とり権兵衛 」 「 源五郎 」 なんかとおなじです。

奈良県吉野に伝わる話。「 天人女房 」 の話です。ここは、豆のつるではなくて、「 ユゴの木 」 を伝って登っていきます。このユゴって、何の木のことなんでしょう。ご存知のかた教えてください。植物の名前は、その土地によっていろいろに変化しますね。木に登って天にいく話は、外国の昔話のコーナーで、ドイツの 「 天まで届いた木 」 を紹介しています。

 全国に分布する笑い話です。おまけのおはなしとして、重宝しています。音声は4歳児。「 ホットケーキ 」 のおはなしのあと、もっとしてほしがったのでおまけです。オチはぜんっぜんわかってませんね (笑) 。2年生ではわかりますよ。,
 
 

          おはなし会で語る以外にテキストを使用される場合はご連絡ください。