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うんちく池

昔話雑学

 昔話のちょっとした知識が、お話を選ぶときにも語るときにも役に立ちます。
 深い研究の成果は学者の先生に学ぶことにして、ここでは、初歩の私たちでも知っておきたいことや、
調べるためのとっかかりになることなどを書いてみます。
 ババ・ヤガーの講演のまとめもここでします。
 

 昔話の発端句

 昔話は一般的に、冒頭で時代・場所・人物が不特定に語られます。 「 むかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがいました 」 のように。伝説が本当にあったことを語ろうとして時代・場所・人物を特定するのに比べると、とても抽象的ですね。いかにも昔話って感じさせます。昔話の語法的に言えば固定性があらわれているのですね。
 そのなかでも 「 むかし 」 の部分、つまり時代を表す部分は、独立した文や句としてとくに印象的に語られることが多いです。
   ○ なんとむかしがあったげな ( 中国地方 )
   ○ とんとむかしがあったげな ( 中部地方など )
   ○ ざっとむかし ( 東北 ・ 中部 ・ 四国地方 )
   ○ むかしむかしさる昔、猿が三匹尾が四つ ( 丹波地方 )
   ○ あったことか、なかったことか ( コーカサス )
   ○ むかしむかし、まだ人の願い事がかなったころ ( ドイツ )    などなど。
 これらを昔話の発端の句、発端句とよびます。これから昔話が始まるよという合図です。 「 ファンタジーの始まり始まり 」 というわけです。本を読む場合は表紙をめくることでおはなしは始まりますが、耳で聞くお話は、この発端句がおはなしの始まりになるのです。
 発端句はほかにもこんなのがあります。
   ○ ありしかなかりしか知らねども、あったこととして聞かねばならぬぞよ ( 鹿児島 )
 この話は伝承の話であって、創作でもないし直接体験でもないよ、ということを示しています。真偽のほどは責任をもたないということですね。
 発端句は、伝承されたものであり、語り手によって一定していたり土地によって決まっていたりします。
     参考 : 『 日本昔話事典 』 弘文堂刊 など

 昔話の結末句

 昔話の結末は、ある一定の文や句で結ばれることが多いです。大きく分けると、つぎのようになります。
  1、 形式句
  2、 教訓的な文
  3、 いわれや起源を説明する文
 一般的に結末句といわれるのは 1 の形式句に属するものです。たとえば、
   ○ とっちぱれ ( 青森県 )
   ○ どっとはらい ( 東北地方北部 )
   ○ いちご栄えた ( 東北 ・ 関東 ・ 中部地方、近畿 ・ 中国地方の一部 )
   ○ とうぴんぱらり ( 東北地方 )
   ○ たねくさり ( 京都府 )
   ○ むかしこっぷり ( 中国地方 )
   ○ 昔まっこう ( 中国・四国地方 )
   ○ 米ん団子 ( 大分県 )
   ○ いまでもたっしゃで、裕福に暮らしています( シベリア )
   ○ 長い縄はいい縄なんだ、けれどおしゃべりは短ければみじかいほどいいもんだ ( コーカサス )
   ○ もし死んでいなければ、今でも生きているでしょう ( ロシア )
   ○ わたしもそこにいたんだよ。そして、はちみつ酒とワインを飲んだのさ。だけど、ひげをつたって流れて
    しまい、口にははいらなかったよ。わたしは、ドイツとうひの森へ行った。そして、お金を革靴に入れて運
    んで行ったんだ。お金は、落ちてしまったよ。おまえは、そのお金を拾い集めて、この上着を買ったんだ
    な。さあ、その上着を返しておくれ! ( リトアニア )
   などなど。
 とっても印象的ですね。これでファンタジーはおしまい、という合図です。書物ならばここで裏表紙を閉じる、ということです。これも発端句と同じく伝承性がつよく、日本の昔話ならばたとえば、とっちぱれ伝承圏、むかしこっぷり伝承圏などと把握できるそうです。これらの語のもともとの意味は分からないものが多いそうです。
 昔話は発端句と結末句にはさまれた枠のなかでのファンタジーだ、と考えればいいですね。
     参考 : 『 日本昔話事典 』 弘文堂刊 など

 昔話の再話

 昔話絵本や昔話本に「だれそれ再話」と書いてあることがよくありますね。この「再話」って何でしょう。
 昔話はだれか個人が創作したものではなくて、もともと口で伝えられてきたものです。ですから、語られるそばから消えていきます。けれども、そのような口伝えが、研究者の手によって文字や音声のかたちで保存されています。録音データであったり、それをテープ起こしした翻字(ほんじ)であったり、または聞き書きであったりします。膨大な資料です。
 それらの資料を多くの人が読んだり語ったりして楽しめる文章にすることを「再話」といいます。
 
 「語りの森」では、「日本の昔話」と「外国の昔話」のページで昔話をPDF形式で掲載しています。これらはすべて村上再話です。その元の資料は、各テキストの末尾に「原話」として明記しています。興味のあるかたは、私の再話と原話を比較してください。
  
 さて、私たち現代の語り手が語るためのテキストの面から「再話」を考えてみましょう。
 保存されたなまの資料をテキストにはできません。なぜなら、口伝えされた資料の多くは、語り手が日常使っている土地言葉そのままだからです。その語り手と同じ土地で同じ時代に生きた人でなければ、正確に理解することも、またその言葉を使うことも難しいでしょう。
 資料によっては、思い出しながらの語りで、不完全なテキストだったりすることもあります。
 また、聞き書きのばあいは、土地言葉ではないにしても、調査者の覚書的なものが多く研究には有用でも、そのまま覚えたり語ったりして楽しむには不向きです。
 そこで、わたしたちは、これらの資料をより普遍的に多くの人が分かるような文章に整理したものをテキストに選ぶわけです。
 再話に使われる言葉としては、最も普遍的なものが「共通語(標準語)」ですね。語りの森では共通語で再話しています。ただ、私は、語るときにはこれを日常語に解凍して語っています。「日常語で語ろう」参照。逆に日常語で再話してから共通語に再話し直すこともあります。
 外国の昔話のばあいは、翻訳された資料ですから、日本語のはなし言葉としてこなれた文章に整理しなくてはなりません。
 
 私たちは語り手です。だから、聞き手が確実にイメージできる言葉で語らなくてはなりません。そうでなければ聞き手を物語の世界にいざなうことができないのです。ところが聞き手は(語り手も)、それぞれ異なった固有の言語生活をもっています。そこから語り手の苦労とよろこびが始まる(笑)
 もろもろの苦労と工夫については他の項に譲るとして、最も基本的なことは、口伝えされたものには耳で聞いてわかりやすい独特の言葉の法則(昔話の語法)があるということです。まずはそれにのっとった再話テキストを選びましょう。昔話の語法参照
 
 昔話は先祖からの贈り物です。原話の語り手の思いや表現を大切に受けとってつぎへと伝えていくのが、わたしたちの仕事です。再話は、神経を使うとても重要な作業なのです。
 

 逃竄譚(とうざんたん)

 「何らかの理由で知らずして鬼あるいは山姥の家に行き、それと知って何かの援助を得て逃亡し、おわれるとなんらかの方法でそれを振り切って無事逃げおおす、という構造の話を逃竄譚と呼びならわしている」 
                                       ―『日本昔話事典』(弘文堂刊)
 
 みなさん、このような話に心当たりはありませんか。
 たとえば。栗拾いにいった小僧が山の奥深く入ってしまって一軒家に泊めてもらう。そのばあさんが実は鬼婆で、逃げだした小僧をとって食おうと追いかけてくる。小僧が、和尚さまからもらったお札を投げると、お札は大きな砂山になって鬼婆の行く手をさえぎる。また追いついて来るので二枚目のお札を投げると大川になって鬼婆をさえぎる……
 そうですね、子どもたちに大人気の「三枚のお札」。ほかにも「馬方山姥」も山姥から逃げますね。「食わず女房」、「油取り」も同じです。
 追いかけられる話って、子どもたち大好きです。古今東西を問わず、子どもって鬼ごっこが好きですものね。
 
 日本のばあい、多くはこのように、追いかけられるというひとつのモティーフを中心にしてひとつの話が成り立っています。ヨーロッパではどうでしょう。やはり追いかけられるモティーフがあちこちに見つかります。
 グリム童話の「みつけ鳥」は変身しながら逃げます。ケルトの昔話「鳥たちの戦争(オーバーン・メアリー)」はリンゴの切れ端に代返してもらって逃げます。馬の耳の中から櫛を取り出して投げると森になる、などなど。ヨーロッパの場合は追いかけられるモティーフひとつではなく、ほかのたくさんのモティーフが組み合わさって、長いストーリーになることが多いです。
 この追いかけられるモティーフを「呪的逃走」といい、全世界に広がっているそうです。
 
 呪的逃走。う~ん、ババ・ヤガーでも追いかけてみたいテーマです。
 

 AT・ATU

 

 昔話の資料を読んでいると、AT番号という言葉が出てきます。これは、昔話の話型番号です。
 昔話にはよく似たものがたくさんあります。この類似した話(類話)をそれぞれ集めて、ひとつの話型とみなします。その話型を配列したカタログがあって、その話型番号がAT番号です。カタログを見れば、たとえばこんなことが分かります。
 
 AT2番は「尻尾の釣り」という話型。話の内容は、「熊(狐)がだまされてしっぽを氷の穴に入れて釣りをする。尻尾はすぐに凍る。のちに熊が襲われて逃げようとすると、尻尾が切れる」。
 「語りの森」の「くまのしっぽはなぜみじかい」は、AT2番ですね→こちら。大阪だけではなくて世界じゅうに分布しているのですね。
 AT327番は「子どもと鬼」という話型。内容はモティーフ構成で説明されています。それを読むと、「ヘンゼルとグレーテル」「かしこいモリー」「ミアッカどん」「はらぺこピエトリン」などがこの類話だと分かります。
 
 ATというのは、カタログを作ったふたりの人物の名前です。
 1910年に、フィンランドの民俗学者アンティ・アールネがヨーロッパの昔話をもとに、カタログ『昔話の型』を作りました。それをアメリカのスティス・トンプソンが1928年と1962年に、広く世界の昔話をもとに増補・改訂しました。ふたりの名前の頭文字をとって、ATカタログと呼ばれているのです。
 
 ATカタログは、『世界の民話25』(小澤俊夫著/ぎょうせい)に部分的に翻訳されています。すべてを日本語で読めないのは残念ですが、これを使えば、たくさんの類話を集めることができます。本書には、『世界の民話1~23』所収の話のAT番号の一覧がのっています。昔話を語る者にとって、類話比較はたいせつです(ステップアップ「おはなしの姿」参照)。また、これをただ読むだけでも、昔話の世界に深く広くわけいることができます。
 
 さて、研究が進むにつれ、カタログはさらに増補改訂され充実したものになりました。2005年ドイツのハンス=ウェルク・ウター氏が発表し、ATUと呼ばれます。これは、話の内容はモティーフ構成ではなく、あらすじが文章で書かれています。その翻訳が『国際昔話話型カタログ』(加藤耕義訳/小澤昔ばなし研究所刊)として、2016年年8月に出版されました。
 
 

 隣の爺譚(となりのじいたん)

 

 日本の昔話には、善良なおじいさんと、対照的に人まねする隣のおじいさんを登場させる構成を持ったものがあって、隣の爺譚とよばれていますー『日本昔話事典』(弘文堂刊)。
 關敬吾『昔話の型』 十一「葛藤」のC 「 隣人」 からどんな話型があるか引いてみましょう。
 「地蔵浄土」 「鼠浄土」 「雁取り爺(花咲爺)」 「鳥のみ爺」 「竹伐爺(屁ひり爺)」 「舌切雀(舌切り雀・腰折り雀)」 「蟹の甲」 「瘤取爺」 「猿地蔵」 「見るなの座敷」 「猿長者」 「宝手拭」 「親を棄てる」 「大年の客」 「厄病神」 「貧乏神」 「大年の火」 「笠地蔵」 「大年の亀」 「物いふ動物」 20個ありました。
 これ以外にも、たとえば「取っつく引っ付く」 「天福地福」なども、隣の爺譚の構成を持っています。
 
   これには、ヴァリエーションがあって、爺―隣の爺、婆―隣の婆、爺―婆の対照になっているものがあります。どれも構成が同じなので「隣の爺譚」と呼びます。人が入れ替わっているだけです。
 
 また、前半の善いじいさんが成功する話だけで終わるもの、隣のじいさんの失敗だけで終わるものがあります。
 
 完全な形では、後半、隣のじいさんが善いじいさんの成功をうらやんでまねをして、失敗します。「だから、人のまねをしてはいけない」という教訓が、話の終わりに付くこともあります。
 前半と後半は同じ言葉でくりかえされますが、結末はまったく対照的です。昔話は極端な対照を好む、その好例といえます。→ ≪昔話の語法≫「極端性」
 
 隣の爺譚は、日本には、先にあげたようにたくさんあるのですが、世界的には朝鮮半島と中国に少しあるだけで、世界的な分布はないようです。日本の昔話の特色といえるでしょう。
 隣人関係を強く意識する日本人の生活意識のなかで、この形式が育ったのではないかといわれています。興味深いですね。
 
 語りの森の≪日本の昔話≫に「こしおれすずめ」を載せていますので、どうぞ。
 

 累積譚(るいせきたん)

 

 『国際話型カタログ』によると、ATU2000~2100までの話型が累積譚としてあげられています。
  累積譚は形式譚のひとつです。
 
  形式譚というのは、話の内容にはほとんど意味がなくて、言葉や話し方の面白さが興味の中心である話群を総称していうそうです。よくあるのは、長い話をしてと聞き手にせがまれたとき「天からふんどし」などと話す「長い話」とか、梅の実が次から次と落ちつづける「果て無し話」、落語の「寿限無」のような「長い名の息子」などです。ときには、聞き手に手をつながせて「はなし!」といって放させる「はなし」などもあります。
 
  累積譚は、登場人物(動物)やエピソードがつぎつぎと鎖のようにつながって続いていく形式の話です。
  「おばあさんとブタ」「ホットケーキ」などといえばおわかりでしょう。日本の現代の語り手がテキストにする「おはなしのろうそく」(東京子ども図書館)にもいくつか掲載されていて、子どもにも人気です。
 これらの話の面白さは、繰り返しの言葉が正確に順序正しく続けられていくところにあります。子どもたちはすぐに覚えて自分たちでも唱えて楽しみます。また、早口言葉のように語って競争することもできます。
  メインの話にはなりませんが、言葉遊びとして欠かすことのできないものです。
 
  語りの森ホームページでは、《外国の昔話》のコーナーに「犬を書いて飲む」「ありとこおろぎ」を載せているので見てください。音声も聞いてみてくださいね。
 
  また、『世界の民話』全36巻(小澤俊夫編/ぎょうせい刊)等から、AT番号をてがかりに累積譚のリストを作りました。興味のある方はどうぞごらんください。こちら→
 

 枠物語 ( わくものがたり )

 
 この言葉、聞きなれないかたもおられるかと思います。
 Frame Story の訳語。説話集の構成方法のひとつです。全編を統一した物語の中に、たくさんの物語を入れ込んでいます。
 たとえば、『千一夜物語』、アラビアンナイトですね。ペルシャのシャフリヤール王が、妻の不実をきっかけに女性不信に陥り、毎日ひとりの娘を宮殿に呼んでは翌朝殺すようになります。街に若い娘がいなくなる。これを憂えた大臣の娘シェヘラザードが、これを止めるために自ら王の妻になります。そして、毎晩ひとつ物語を語り、一番面白いところでやめて、続きは翌日に語る。すると王は、続きを聞きたいがために、翌晩までシェヘラザードを生かしておきます。次の日もまた同じこと、というように、毎日物語を語り、とうとう王の悪習をなおしてしまいます。
 そうやってシェヘラザードが語った話が、「まほうのランプ」であり、「シンドバッドの冒険」であり「アリババと四十人の盗賊」・・・なのです。
 この、「シェヘラザードがシャフリヤール王に語るという」という枠があって、その中で独立した物語が語られるという構成の物語が、「枠物語」です。
 枠物語という構成方法は、インドに起源があるようで、オリエント、ヨーロッパと伝わっていきました。『デカメロン』『ペンタメローネ』『カンタベリー物語』などなど。
  さて、ホームページの《外国の昔話》掲載の「りこうなまほうの鳥」を思い出してください(『語りの森昔話集1おんちょろちょろ』にも入れています)。鳥がインテゲル王に物語を語り、王が悲しんだら鳥は逃げ去る、という枠の中で、三つの話が物語られていますね。規模は小さいですが、枠物語と考えていいでしょう。
  日本の場合では、「百物語」を思い出します。
 夜に人々が寄り集い、順番に怪談を語り合います。一話終わるごとに灯をひとつ消していき、最後の話が終わると、真っ暗になる。そのとき、今までの話に登場した妖怪たちが現れる。という遊びです。これはあくまで遊びであって、説話集ではありません。
  江戸時代に『百物語』(万治2年)という書名の説話集がありますが、中身は必ずしも怪談が集められているわけではありません。遊びに名を借りているといえばいいでしょうか。これは枠物語ではありません。