伝説

古くは「言い伝え」「いわれ」と呼ばれていたもので、英語ではlegend。
昔話が架空の物語であるのに対して、伝説は、具体的な事物と結びついて、真実と信じられてきた口伝えの話です。
ですから、昔話は「むかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがいました」のように、時代、場所、人物が不特定に語られますが、伝説では、特定の時代、特定の地域、具体的な人物のこととして語られます。

具体例をみてみましょう。

「松柿の木」(『大和の伝説(増補版)』高田十郎編/大和史蹟研究会)

「磐城村に、松に接がれた柿の木がある。文明19年に、蓮如上人が巡錫の際、この地の家主弥七郎という者に、他力信仰をすすめた。弥七郎は、そこで、松の木に柿を接ぎ、もし弥陀の本願虚妄ならば、この木も空しくなるであろう、と試したところ、りっぱにその木が育って、今のごとくなったのだという。この柿の実をツルして食べると、腹痛がなおるという。」 

これが伝説です。
昔話と比較すると、さらに理解しやすいです。
 
たとえば、川上から流れてきた桃を割ったら中から赤ん坊が出てきた話を、昔話として語れば、ファンタジーですから、聞き手はおどろくことなく受け入れます。昔話の一次元性ですね。こちら→
 ところが、伝説として語れば、これは奇跡です。本当にあるはずがないことが起こったわけですから、だれでもびっくりしますね。桃の中から出てきた子どもは将来有名な高僧か大将になるでしょう。つまり伝説的人物の誕生譚として伝えられるでしょう。 

またたとえば、わたしたちは、「きつね女房」という昔話を知っています。

「狐女房」

助けた狐が娘に化けてやって来る。その娘との間に男の子が生まれる。ところが、正体がばれて、狐は子どもを残して去っていく。

この昔話と同じストーリーの伝説が、大阪府和泉市に残っています。

「信田のきつね」

平安時代、村上天皇の御代、大阪の阿倍野(現)に住んでいた安倍保名(あべのやすな)が和泉の信太(しのだ)の森の狐を助けます。狐は恩返しに保名の家にやって来て妻になります。狐の名前は「葛の葉」。生まれた子どもは「童子丸」。童子丸は成長してりっぱな天文博士になります。この人物が、かの有名な陰陽師、安倍晴明です。実在の人物ですね。 

この「きつね女房」と「信太のきつね」の例でわかるように、昔話と伝説は、同じモティーフや構造を持っていることがよくあります。ひとは土地を行き来しますから、物語もあらゆる土地に伝わります。その過程で、昔話がある特定の土地に根付いて伝説になったり、ある特定の話が、伝わっていくうちに昔あるところのファンタジーになったりしたのでしょう。

伝説は、世界じゅうにあります。ヨーロッパでは、各地に妖精が棲んでいます。その地元の妖精がいて、そこの人たちはその存在を信じています。また、「ハーメルンの笛吹き男」のようにふしぎな男の話が特定の町と結びついて語られたり、湖や城や寺院にはふしぎな出来事が起こり、それが本当のこととして伝えられます。
 
また、伝説には、物事の由来を述べるという性質もあります。先ほどの安倍晴明の誕生譚も由来話の一種ですね。
たとえば、「なぜカバは水の中にすむか」「なぜ太陽と月があるのか」「なぜ男と女があるか」などなど。読んでいると、由来譚は、限りなく神話に近づいていることがわかります。

「これはほんとうにあったことだよ」と伝えられてきた話には、伝説だけでなく神話があります。神話は神さまの世界の話、伝説は人間と人間の時代の話です。
 
昔話、伝説、神話。くっきりと境界線を引けるものではなさそうです。それほど、口伝えの世界は多様で豊かだということなのでしょうね。
語りの森昔話集の第2巻には、土地と結びついた短い伝説「ねむりねっこ」を入れています。伝説というより世間話のような小さな話です。

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