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ホレばあさん(おばさん)

ホレばあさんは、グリム童話「ホレばあさん」で知られる女性の妖怪です。
もともとは、ドイツのホーエ・マイスナーという山にすむ妖怪で、日本でいえば山姥のような存在です。とってもマイナーな地元の妖怪でした。それが、グリム童話のおかげで世界的に有名になりました。

グリムが集めたドイツの伝説集には、ホレばあさんの伝説が5話載っています。

「ホッレ小母が池」「ホッラ小母の巡回」「ホッレ小母の水浴び場」「ホッラ小母と忠実なエッカルト」「ホッラ小母と農夫」・・・『グリム ドイツ伝説集上』桜沢正勝・鍛治哲郎訳/人文書院刊

ホレとかホッレとかホッラとか呼び方は微妙に異なりますが、同一人物(?)です。
内容は、日本の伝説と同じように、山や池などにまつわるちょっとした怪異を語っている素朴な話です。

以下に『ドイツ伝説集』から「ホッレ小母が池」の概略を紹介しますので、イメージをふくらませてください。

ヘッセンのマイスナー山にその池はある。
池の底に下りてもうでる女たちに、ホレばあさんは健康を約束する。
ホレばあさんは、池の底に庭園を持っていて、気に入った人間に会うと花や果物を与える。
ホレばあさんは几帳面な性格で、家の中がきちんと整っていないと気がすまない。
人の世に雪が降るのは、ホレばあさんが布団をたたいていて、その綿くずが空中を舞っているからだ。
糸つむぎを怠けていると、ホレばあさんは糸巻棒を汚したり亜麻に火をつけたりして、娘を懲らしめる。一生懸命糸をつむぐ娘には、つむをプレゼントしたり、娘に代わって夜通し糸をつむいだりしてくれる。
朝寝坊の怠け者の女がいると、ホレばあさんは布団をはいで寝床から引きずりだして、裸のまま石畳の上に寝かせる。
朝早くから水くみをする働き者の女がいると、ホレばあさんは、その桶にそっと銀貨をすべりこませる。
ホレばあさんは、子どもを池に引きずりこむ。その子どもがいい子だったら幸運を授け、悪い子だったら取替っ子にしてしまう。
年に一度、国じゅうを歩き回って田畑に実りの力を授ける。
ホレばあさんは、ときには色の白い美女になって水の面に姿を現す。

では、そんなホレばあさんとは、いったい何者なのでしょうか?

ヤーコプ・グリム(グリム兄弟のお兄さんのほう)はその大著『ドイツ神話学』のなかで、ホレばあさんは、実際にはホルダと呼ばれる古い女神だったと書いています。
そして、さらにさかのぼれば古代ゲルマンの女神たちに行きつくというのです。
時代と地域によってさまざまな名前で呼ばれますが、キリスト教伝播以前のいにしえの女神だと。
彼女たちは、あたりを巡り歩いては、その姿を現す、神々なる母たちで、人間たちに家事や農耕の技術を伝授するそうです。

このグリムの研究をもとにさまざまに研究が重ねられました。そして、現在では、ホレばあさんは、古代ゲルマンよりさらにさかのぼる新石器時代のヨーロッパの古層文化の女神と重ね合わせられています。その女神は、豊穣と死と再生をつかさどる地母神(じぼしん)です。日本ではイザナミや縄文時代の土偶とつながる、原初的な信仰です。

グリム童話「ホレばあさん」は、井戸の底にすんでいるのに、布団をはたくと天から雪が降ります。地下と地上の関係が分かりにくいようですが、井戸の底(=地中)は彼岸の世界だと考えると納得がいくかと思います。地の底の彼岸=異界は、天上の彼岸とつながっています。

イソップ物語

古代ギリシャのイソップ(アイソポス)が作ったとされる寓話集です。

寓話というのは、たとえ話を用いて人の世の教訓や風刺を表したものです。
イソップ物語では、動物を擬人化したものが多いです。
現在では、イソップ物語は、子どものためのお話のように取り扱われることが多いですが、もともとは子どものためのものではありませんでした。

イソップは、紀元前620年頃~560年頃の人物で、もとは奴隷だったと伝えられています。けれども正確なことは分かっていません。実在しなかったという説もあります。
イソップは、それまでに民間に伝えられていた話を集めて、民衆に語ったようで、それを本にまとめたわけでもなく、また自ら創作したわけでもないようです。

イソップが生きていた時代以降、イソップの話として伝えられてきた説話群があって、それが紀元前4~3世紀にデメトリオスによって10巻本にまとめられました。それが書物化された最初だったようです。
それ以降、ほかの話も追加されて、大きくなっていきました。
また、他の国の言語に翻訳されたとき、その国の説話も取り入れられて、さらに大きくなっていきました。

イソップ物語が昔話に取り入れられた例もたくさんあります。ATU110「猫の首に鈴をつける」や、ATU112「町のねずみと田舎のねずみ」ATU275「うさぎとかめの競走」などです。

日本では、1600年前後に、『伊曾保物語(いそほものがたり)』として翻訳出版されています。

竜宮童子

りゅうぐうどうじ

竜宮は、海のはるか向こうや海底にあるとされる異郷。不老不死の幸福な国です。

竜宮訪問のモティーフでは、竜宮に行けるのは、特別な人だけです。神に愛された者だけが行くことができ、帰りにはすばらしいお土産をもらいます。

竜宮を訪問して、ふしぎな童子をもらう話を、話型名「竜宮童子」といいます。
この話型は、さらに3つに分類されます。

1, 竜宮小僧
貧しい男が、花、薪、松などを水に投げ入れていると、ある日、水の中から、女、男、かめなどが現れて、貧しい男を竜宮に連れて行きます。男は、おみやげに、きたない男の子をもらって帰ります。男の子は、男の望む物を何でも出してくれて、男は大金持ちになります。けれども、男の子がいつもいたないかっこうで付いて歩くので、男はいやになって、子どもに帰ってくれといいます。男の子が出て行ったとたん、男はもとの貧乏になるという話。
男の子の名前は、とほう、よげない、ひょうとく、うんとく、うん、などと呼ばれています。
《日本の昔話》では、「とほう」を紹介しています。読んでくださいね。こちら⇒

2, 竜宮小槌(りゅうぐうこづち)
貧しい男が、松を水に投げ入れる、または魚を助けてやる。男は竜宮に迎えられて、呪宝をもらいます。家に帰って、男は一生幸せに暮らします。

3, 竜宮子犬
男が竜宮でもらってくるのは、動物です。動物は、たえず富を生み、男は幸せになります。けれども、隣人または兄が、男をうらやんで、動物を借りて富を生み出そうとしますが、失敗します。男が死んだ動物をつれてかえってにわにうめると、そこから木が生えて天まで届き、天から宝がふって来ます。
《日本の昔話》では、「竜神さまと花売り」を紹介しています。こちら⇒

昔話自己訂正の法則

じこていせいのほうそく

昔話には自己訂正の法則があります。自己修正、自己矯正(きょうせい)ともいいます。

昔話は、もともと人間が口伝えによって残して来たものです。語り手は機械ではなく人間ですから、レコーダーのように聞いた通り一字一句そのまま覚えているとは限りません。人によって記憶の能力は異なります。

また、聞いた話を語る(アウトプットする)までの時間によって話の解釈や感じ方が変化します。たとえば、子どもの時聞いたストーリーを30年後に語るとしましょう。その人の30年間での経験や社会状況の変化や精神的成長は、きっと話に影響を与えています。

そのようなさまざまな要因によって、ひとつの話に類話(るいわ)がおびただしく生まれます。けれども、その類話がばらばらになって雲散霧消するのではなくて、これは類話だ、同じグループだといえるのは、不変のものがあるからです。
この不変のもの、核のようなものは、何千年も残り続けるのですが、それはなぜなのか、ということを考えた研究者たちがあります。

ヴァルター・アンダーゾーン(1885―1962)は、現ベラルーシ生まれの民俗学者です。彼は、「語り手は同じ話を何度も、また複数の語り手から聞く。その場合、話はそれぞれ異なる部分はあっても、ある程度ひとつの中心点をめぐってゆれうごいている。そうした相違点はお互いにこすれ合って落ちてしまって、全体としては、長い時代を貫いて不変なものとして残る」と想定しました。これは他の研究者たちも認めています。

フリードリヒ・ライエン(1873―?)は、それを認めたうえで、さらに、「家族やより広い共同体の中で、少数の有能な語り手が伝承を受け継いでいった、そのとき、聞き手である共同体のメンバーは、語り手に誤伝(間違って語ること)を許さなかったことが不変の大きな要因だろう」といっています。聴衆は、同じ話は同じように語ることを語り手に要求するのですね。これは、わたしたちが幼い子に絵本を読むとき、間違って読むと子どもにしかられるというのと同じです。
すると、いいかげんにしか語れない語り手は聞いてもらえないしそのテキストも残らず、淘汰されます。まだ読書が一般的でなかった時代だから、一度聞いただけでも記憶して数年たっても同じように語り返すことができるよい語り手が多くいただろうというのです。たとえばグリム兄弟に話を提供したフィーマンおばさんのように。
とはいえ、多くの語り手は受けとった話を自己流に改作して、その結果物語をそこなうこともあると述べています。耳の痛い話ですね。

マックス・リュティは、以上のことを、次のようにまとめています。
昔話は才能のある語り手の個性によって伝承され、耳を傾ける聞き手(=受け身の昔話の担い手)によって制御されて、数世紀を経てオリジナルの形をめぐって揺れ動く
そして、さらに、昔話のもつ様式自体が、自己修正するのだと主張しています。様式というのは語りの森でも学んでいる「昔話の語法」のことです。

現代、昔話は耳で聞かれることはまれです。
文字で読むか映像を見るという形になっても自己訂正はなされるのでしょうか?
長い年月かけて人間の心をつないできたオリジナルの形を知ること、現代の聞き手を満足させること、それが、揺れ動きながらも未来へつないでいくために必要なのでしょう。

ペロー童話集

ペローどうわしゅう

『韻文による物語』と『過ぎし昔の物語ならびに教訓』をあわせて、ペロー童話集と呼びます。

『韻文による物語』1695年
それまでに発表されていた3篇に序文を付けて出版されました。
韻文なので、詩の形になっていています。
「グリゼリディス」「ろばの皮」「愚かな願いごと」
作者は、シャルル・ペロー。

『過ぎし昔の物語ならびに教訓』1697年
散文による8篇です。
「眠れる森の美女」「赤ずきんちゃん」「青ひげ」「ねこ先生または長靴をはいた猫」「仙女たち」「サンドリヨンまたは小さなガラスの靴」「まき毛のリケ」「親指小僧」
作者は、謎です。この本にはシャルル・ペローの息子の名前が署名されているからです。父ペローの作なのか、息子との合作なのか、息子が書いたのか、分りません。

あわせて11話ですが、これらは、もともとは口承文芸であったものを、ペローが再話したものです。たとえば「ろばの皮」はすでにいったん書承になっていたものからの再話、「赤ずきんちゃん」はペローが初めて書きとめた類話です。

「赤ずきんちゃん」のストーリーは、主人公が狼に食べられるところで終わっています。グリム童話の「赤ずきん」との違いをどう説明したらいいのでしょう。
このように、ペローのものは古い形(中世。日本でいえば江戸時代の初め)なので、昔話を研究する材料にもなります。

シャルル・ペローは、1628年生まれのフランス文学者。1703年没。
父親は法廷弁護士でしたが、ペローは建築総監だった兄のもとで気楽に働きながら、余暇に文章を書いていたそうです。
ルイ14世の大蔵大臣コルベールに気に入られて、宮廷で働くことになります。
当時、ベルサイユの宮廷では、廷臣たちがおたがいに故郷の昔話を語って楽しむ習慣があったそうで、それが出版のきっかけになったようです。
物語のあとに付け加えられている「教訓」は、時代を表していておもしろいです。

完訳は、岩波文庫で読むことができます。

アイヌの語り

アイヌ民族は、かつて日本列島の北海道から東北にかけて暮らしていました。
文字を持たず、かわりに、豊かな口伝えの文芸(口承文芸)を花開かせていました。
その語りは、自然の中で暮らす人々の心が反映したものです。

アイヌの語りは大きく分けてつぎのようになります。

  • カムイ・ユーカラまたはオイナ(神謡)

物語の主人公は神。神自身が自らの物語を一人称で語ります。
アイヌの神は、自然神で、自然のあらゆるものが神であるという信仰のもとに、太陽や鳥や獣、病気までが神として自分の物語を持っています。
人間が自然とどう関わっていくかを教える役目もあったそうです。
韻律を持って歌うように語られ、主に女性が語ります。

  • ユーカラ(英雄叙事詩)

英雄の冒険物語。英雄が自分の物語を一人称で語ります。 
祭りや葬式など、村人が集まるときに夜を徹して語られたそうです。長い話が多く、中には、語るのに何日もかかるものもあるとのことです。
長大で特別な言葉や表現を持っているので、ユーカラの知識や語りの技量に秀でた人は、人びとの尊敬を集めました。
韻律を持って独特の発声で歌うように語られます。

  • ウェペケレまたはツイタク

昔話に近いジャンル。
韻律を持たない散文で語られます。

ウェペケレは内容によってさらに分類されます。
A、カムイ(神々)の物語
B、人間の物語
C、和人の物語
D、パナンペ・ペナンペ話(隣人葛藤話)

このうち、AとBは一人称で語られます。
CとDは三人称で語られ、和人社会の伝承の影響を受けているそうです。

《日本の昔話》で紹介している「くま神の娘」はウェペケレのA、「首の短い男の話」(こちら⇒)は、ウェペケレのBです。

アイヌの語りの特徴として、一人称で語るということがあります。これについて、『日本の民話事典』(日本民話の会編)に、次のようにあります。
『正確にいえば、他人の身の上話をその人になりかわって語っているのであり、物語の中での〈私〉は、語り手本人が自分をさす場合の〈私〉とはちがったものとして意識されます。そして、アイヌ語ではそのふたつの〈私〉を区別して、語り手自身を指す〈私〉は「ク」、物語のなかの〈私〉は「ア(ン)」というように、べつべつの語形であらわしますので、厳密な意味では「一人称」で語られているとはいえません。』

同じ日本列島でも、こんなに異なった文化・言語を持つ民族があることを喜び、それが滅びないことを切に祈ります。

おおかみは悪者?

「おおかみと七匹の子やぎ」や「三匹のこぶた」など、昔話に登場する狼には悪者のイメージがあるようです。
けれども、ノルウェーの昔話「心臓がからだの中にない巨人」に登場する狼は、主人公の少年に飢えから助けてもらい、その恩返しに、少年が恐ろしい巨人を退治して兄たちを救いお姫さまと結婚するのを援助します。この狼は、彼岸からの援助者です。
いったい、昔話では狼は実際にどのように描かれているのでしょうか。

動物としての狼は、北半球に生息し、肉食の野生動物で、人間にとって恐ろしい猛獣でした。狼に食べられる危険もあったし、牧畜生活をしている人々にとっては、家畜を襲う困り者でした。

民俗学的には、自然の中に存在する脅威は、たいてい神さまとしてまつられます。
たしかに、日本では、その名も「おおかみ」と、神の呼び名が付いています。狼信仰があり、神社に祭られてもいます。
また、北欧神話では、主神オーディンが二頭の狼を連れていました。ヨーロッパの民間信仰では、穀物の霊として知られています。

そして、自然崇拝における神や霊は、人間に恩恵を与える存在でありつつ、脅威でもでもあるという両面を持っていました。

さて、口承のファンタジーである昔話では、狼はどのようなキャラクターとして登場するでしょうか?
グリム童話、イギリスの昔話、ロシアの昔話、日本の昔話から調べてみました。

1、グリム童話

狼が登場するのは、グリム童話200話ちゅう6話です。

KHM5「おおかみと七匹の子やぎ」
KHM26「赤ずきん」
KHM48「老犬ズルタン」
KHM72「おおかみと人間」
KHM73「おおかみと狐」
KHM60「二人兄弟」

このうち、主人公の敵役として登場する悪者の狼は「おおかみと七匹のこやぎ」「赤ずきん」の2話のみ。
主人公を助ける援助者としての狼が1話。「二人兄弟」です。
だまされる愚か者として登場する話が3話。「老犬ズルタン」では、友情厚いがゆえにだまされ、「おおかみと人間」では、ほらを吹いたがために人間に切り付けられ、「おおかみと狐」では、知恵が足りなくて人間に殺されます。

狼の登場する話は案外少なく、必ずしも悪者扱いされていないということが分かります。
グリム童話の悪者の代表は、魔女、悪魔、巨人、竜。ただし、魔女と巨人は両面性を持ちます。

2、イギリスの昔話

イギリスでは、グリム兄弟より少し遅れて19世紀の後半、民俗学者のジェイコブズが昔話や伝説を集めました。その昔話87話のなかに、狼が登場する話は2話。やはり多くありません。

14番「三匹の子豚の物語」
18番「とうもろこしパン」

「三匹のこぶた」の狼は、主人公に危害を加える敵役。
「とうもろこしパン」は、かまどから逃げ出したとうもろこしパンが、転がりながら、井戸掘り職人、溝堀職人、クマ、狼に出会い、つかまらずに逃げていく話です。最後に狐がとうもろこしパンを食べてしまいます。この狼は悪者でもなんでもなく個性がありません。

ジェイコブズの集めたイギリスの昔話の中で悪者といえば、巨人、竜、小人。

3、ロシアの昔話

ロシアでは、アファナーシエフがたくさんの昔話を集めました。岩波文庫に『ロシア民話集上・下』あり、ここには48話が翻訳されています。そのうち狼が出てくるのは7話。

ア、「女狐と狼」狐は、悪賢い女狐にさんざんな目にあわされる。
イ、「雪娘と狐」雪娘が森で迷子になって木の上に上っていると、くま、狼、狐が順に通りかかって、助けてやろうという。雪娘は、くまと狼には「食べられるから恐い」と断る。狐に助けてもらって帰るが、家人が、狐にお礼だといって犬をけしかける。
ウ、「猫と狐」雌狐が猫と結婚する。悪賢い雌狐は、くまと狼をだます。
エ、「動物たちの冬ごもり」牛が冬ごもり用の小屋を建てる。羊と豚とがちょうとにわとりを小屋に入れてやる。狐が小屋に気付き、くまと狼を誘って動物たちを襲う。牛と羊が反撃して狐と狼をやっつけ、くまはほうほうのていで逃げて行く。
オ、「にわか成金コジマー」森の中にひとりで暮らしているコジマーという男は、1羽のおんどりと5羽のめんどりを飼っていた。トリックスターの狐が知恵を使ってコジマーを王さまに引き合わせ幸せにしてやる話。狼とくまが狐のトリックに利用される。
カ、「イワン王子と火の鳥と灰色狼の話」火の鳥が、毎晩、王の庭の金のりんごを盗む。王は三人の息子に火の鳥をつかまえるように頼む。王子たちは順に出かけて行くが兄たちは失敗。末のイワン王子は灰色狼の援助を得て、火の鳥と金のたてがみの馬とうるわしのエレーナ姫を手に入れる。
キ、「小指太郎」牛のはらわたにもぐりこんだ小指太郎を狼が誤って食べてしまう。小指太郎は狼のお腹の中で大声を出し、狼は飢え死にしそうになって小指たろうを家まで送って行き、殺される。

6話(ア~オ・キ)が、間抜けなわき役としての狼です。
1話(カ)は、援助者として活躍する狼で、先述した「心臓が体の中にない巨人」と同じような役割を果たしています。

ロシアの昔話の悪役は、ヘビ。頭が三つも六つもあるヘビです。ほかにはババ・ヤガーもよく出て来ますが善悪両面性を持っています。狼は悪役ではありません。

4、日本の昔話

話型名をあげます。全部で7話型。

A「千匹狼」
男が山の中で日が暮れて、大木の上で一夜を明かそうとする。そこへ千匹の狼の群れが現れ、肩はしごをして襲いかかろうとする。あと一息で届かないので、狼たちは「鍛冶屋の婆」という猫を呼んでくる。男は猫に切り付けて、狼たちは総崩れになる。翌日、男が鍛冶屋に行ってみると、そこのばあさんがけがをして寝ている。古猫がばあさんを食べてばあさんに化けていたのだった。猫を退治する。
B「狼の眉毛」
世をはかなんだ貧乏な爺が、狼に食われて死のうと山へ行くが、狼は、おまえは正直で働き者だからといって、眉毛を一本くれる。この眉毛は、かざして人間を見ると、その人の本性が見えるという呪物である。それを使って爺は幸せになる。
C「狼報恩」
男が山道で狼と出会う。危害を加えられるのではと警戒しながら狼に近付くと、狼ののどに骨がささっている。男は口に手をつっこんで骨を取ってやる。それ以来、狼は、男の家の前にいのししなどの獲物を置いて行ったり、他の狼の群れから守ったりしてくれるようになった。
D「送り狼」
魚売りが山道をとおるとき、いつもさかなをいっぴき「狼様に」といって供える。あるとき、魚売りが山道を歩いていると、狼が現れて魚売りの着物のすそを引っぱって、穴の中に連れ込む。魚売りがすきまからのぞいていると、近くを狼の群れがどどっと通って行く。魚売りは助かる。
E「狼と爺」
爺が山の畑で「一粒まいたら千粒になあれ」と唱えながら豆をまいていると、狼が傍の石の上で「一粒まいたら一粒だ」とはやす。次の日、爺は、石の上に餅をぬり付けて昼寝をする。そのあいだに狼は石の上にすわって動けなくなる。爺は狼を打ち殺す。この話型は、狼ではなく、たぬきやむじななど他の野生動物に変わることがしばしばある。
F「狼と犬と猫」
HKM48「老犬ズルタン」が日本に入って来たもの。
G「狼と狐」
KHM73「おおかみと狐」が日本に入って来たもの。

Aは、狼は恐ろしい存在だが、本当の悪者は猫です。
B、C、Dは、恐ろしい存在だが、人に恩恵を施すこともあるという内容で、神さまとしての性格を残しています。
E、悪者ですが、この話型は狼に限定されず他の動物と交換可能です。
F、Gは、外来のまぬけな狼です。

まとめ

すべての国の全ての昔話を検討したわけではないので、正確なことはいえませんが、あえてまとめるなら、ヨーロッパの昔話には悪者もいるし主人公を助ける援助者もいるが、多くは狐などにだまされる愚か者として描かれる、といえるでしょう。
日本の場合は、野生の肉食動物としての性格が残っているため恐ろしい存在ですが、悪者としてではなく、神に近い存在として描かれています。

ではなぜ、私たちは、子ども向けの物語の中で、狼は悪者というイメージを抱いているのでしょう。
よく見ると、上記の昔話のうち悪者の狼が登場するのは「おおかみと七匹の子やぎ」「赤ずきん」「三匹のこぶた」の3話にすぎません。しかもこの3話は超有名です。少なくとも現代の日本では、これらの絵本が改ざんされたものも含め限りなく出版されています。アニメにもなっています。とくに「三匹のこぶた」は、ディズニーによって元のすがたが分からないほど変えられ、商業ペースに乗って爆発的に広がっています。
これがステレオタイプを生み出した原因のひとつではないかと思います。もちろん仮説ではあり、もっとたくさんの話を集めて検討してみたいものです。

呪宝譚(じゅほうたん)

呪宝というのは、魔法のアイテムのことです。
主人公がなんらかの理由で呪宝を得、それによって幸せになる話。また、さらに、欲深な人物がそれをまねようとして、逆に困った結果になる話。

国際的には、ATU560~649に「魔法の品(Magic Objects)」としてまとめられています。
どんな呪宝があるかあげてみましょう。
入手しやすい類話も上げておきます。ストーリーは話型ごとに違うので、どんな話か読んでみてください。呪宝をどんなふうに手に入れるのか、どんなふうに使うのか、結末はどうなるのか。おもしろいですよ。

560 魔法の指輪
願いがなんでも叶う指輪です。
朝鮮半島に「犬とねこと玉(こちら⇒)」がありますが、じつは世界じゅうにあって、呪宝譚の代表的なものです。
日本の話では、話型名「犬と猫と指輪」。「猿の一文銭(こちら⇒)」などがあります。

561 アラジン
魔法のランプをこすると魔神が現れて願いを叶えてくれる。
『アラビアンナイト』の「アラジンと魔法のランプ」は有名です。

562 青い火の中の精霊
地下の宝物蔵の中にある火打石は、こすると精霊が現れて願いを叶えてくれる。
グリム童話KHM116「青いあかり」

563 テーブルとロバとこん棒
ひとりでにごちそうが出てくるテーブル、黄金を出すロバ、持ち主が止めろとさけぶまで人をたたき続けるこん棒。
グリム童話KHM36「テーブルよ食卓の準備・金貨を出すろば・こん棒よ袋から出ろ」」
「北風に会いに行った男の子」(おはなしのろうそく13:東京子ども図書館)

564 魔法で物を出す巾着
いくらでも食べ物の出てくる袋。こん棒を持った男たちがぞろぞろ出てくる袋。
読める話は見つけられませんでした。

565 魔法のひき臼
欲しいものを何でも出すひき臼。
「海の水はなぜからい」(太陽の東月の西:アスビョルンセンとモー/岩波書店)
「塩吹き臼」(日本昔話百選:稲田浩二・稲田和子編/三省堂)
グリム童話KHM103「おいしいおかゆ」もこの話型です。

566 3つの魔法の品と不思議な果物
お金のなくならないさいふ、どこへでも行けるコート(または帽子)、兵隊を出す(または力をさずけてくれる)笛。
不思議な果物:食べると頭に角が生える、または鼻が伸びる、またはロバに変身する、など。
この話型は古く、ヨーロッパ中世の文献に記録されているそうです。
「さいふと笛とぼうし(こちら⇒)」
グリム童話KHM122「キャベツろば」

567 魔法の鳥の心臓
魔法の鳥の心臓を食べると黄金をはきだす力を得る。
人間をロバに変身させるハーブ。
グリム童話KHM60「二人兄弟」・KHM122「キャベツろば」

569 背嚢と帽子と角笛
食べ物を出すテーブルクロス(または、ナプキン、テーブル、ひき臼)、軍隊を出す背嚢(武器、ステッキ、サーベル、こん棒)、武器を出す帽子、壁を壊す角笛、非常に離れた距離を移動できる7里靴(まほうのじゅうたん)、死人を生き返らせるバイオリン(フルート)
魔法の品物のオンパレードですね。
グリム童話KHM54「背嚢と帽子と角笛」

570 穴ウサギ番
うさぎを集めることのできる笛。
「三つの五月のもも」(こちら⇒
「ハーメルンの笛吹き男」

571 みんなくっつけ
魔法の品(黄金の動物、乗り物など)を触った人や、その人にさわった人が次々とくっつく。
「おひめさまとはらぺここびと」(こちら⇒
グリム童話KHM64「金のがちょう」

572 吠える犬の頭、打つ斧、等
吠える(歌う、さけぶ)頭、自動で打つ斧、歌う植物。
読める話は見つかりませんでした。

575 王子の翼
空を飛ぶ道具(折りたたみの翼、翼のある機械仕掛けの馬など)
『パンチャタントラ』『デカメロン』にあるようです。

576 魔法のナイフ
未詳

577 王の課題
自動で打つ斧、自動で掘るシャベル、自動で演奏するバイオリン。
読める話は見つかりませんでした。

580 女にもてる
女にもてる力を得て、それを使って魔法の品物を手に入れる。
食べ物が現れるテーブルクロス、飲み物を出すオンドリ、何もない所から服を作るはさみ。
読める話は見つかりませんでした。

585 錘と杼と縫い針
錘は娘の所へ導き、杼は魔法の道を作り、縫い針はみすぼらしい部屋を美しい部屋に変える。
グリム童話KHM188「紡錘と杼と針」

590 不実な母
超自然の強さを与えてくれる品(腕輪、ベルト、剣、シャツ、など)
グリム童話KHM121「怖いものなしの王子」

591 泥棒鍋
隣人たちの家に行って食べ物やお金を盗んでくる鍋。
「ちょっとでかけるよ(こちら⇒)」

592 茨の中のダンス
けっして的を外さない鉄砲、人を踊らせるバイオリン(または、フルート)、力、など。
グリム童話KHM110「いばらの中のユダヤ人」

593 フィデヴァヴ
魔法の石。石を炉の灰の中に入れると、炉の火かき棒をつかんだものはみなくっつき、意味不明のことを言い続ける。
「ビデバオ」(子どもと昔話22:小澤昔ばなし研究所)

594 魔法の馬勒
どんな馬でも手なずける馬勒、なんでもこなごなにする針、ねらったものは必ず当たる鉄砲。
読める話は見つかりませんでした。

610 病気を治す果物
病気を治す果物。水上よりも速く陸を走る船、魔法の鳥の羽、など。
グリム童話KHM165「怪鳥グライフ」

611 デーモンたちの贈り物
魔法の塗り薬(または、病気を治す水)、魔法の剣(または、めがね、双眼鏡、フルート、笛、骨、武器、など)
読める話は見つかりませんでした。

612 三枚の蛇の葉
人を生き返らせるハーブ(草、木の葉)。
グリム童話KHM16「三枚の蛇の葉」

613 ふたりの旅人
立ち聞きした彼岸者の話から、自分の視力を回復し、王(王女)の病気を治し、干ばつを終わらせる。
特に魔法の品物が出てくるわけではありません。
グリム童話KHM107「ふたりの旅職人」

昔話では、彼岸者との関係を贈り物で表します。呪宝は贈り物のひとつです。
国際話型カタログ(ATU)のどれに属するか分からないのですが、日本の昔話には「聴き耳」「宝下駄」「おおかみの眉毛」「隠れ蓑笠」「鼻高扇」「尻鳴りべら」などの呪宝があります。どれも、竜王や神さまや天狗などからの贈り物です。
主人公は贈り物を上手く使って幸せになります。これは、願望でしょうか、希望でしょうか。
贈り物については昔話の語法も見てください(こちら⇒)。

昔話の発端句(ほったんく)

昔話は一般的に、冒頭で時代・場所・人物が不特定に語られます。 「 むかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがいました 」 のように。伝説が本当にあったことを語ろうとして時代・場所・人物を特定するのに比べると、とても抽象的ですね。いかにも昔話って感じさせます。昔話の語法的に言えば固定性があらわれているのですね。

そのなかでも 「 むかし 」 の部分、つまり時代を表す部分は、独立した文や句としてとくに印象的に語られることが多いです。

○ なんとむかしがあったげな ( 中国地方 )
○ とんとむかしがあったげな ( 中部地方など )
○ ざっとむかし ( 東北 ・ 中部 ・ 四国地方 )
○ むかしむかしさる昔、猿が三匹尾が四つ ( 丹波地方 )
○ あったことか、なかったことか ( コーカサス )
○ むかしむかし、まだ人の願い事がかなったころ ( ドイツ )
などなど。

これらを昔話の発端の句、発端句とよびます。これから昔話が始まるよという合図です。 「 ファンタジーの始まり始まり 」 というわけです。
本を読む場合は表紙をめくることで物語は始まりますが、耳で聞くおはなしは、この発端句がおはなしの始まりになるのです。

発端句はほかにもこんなのがあります。

○ ありしかなかりしか知らねども、あったこととして聞かねばならぬぞよ( 鹿児島 )

この話は伝承の話であって、創作でもないし直接体験でもないよ、ということを示しています。真偽のほどは責任をもたないということですね。

発端句は、伝承されたものであり、語り手によって一定していたり、土地によって決まっていたりします。

昔話の結末句(けつまつく)

昔話の結末は、ある一定の文や句で結ばれることが多いです。大きく分けると、つぎのようになります。

1、 形式句
2、 教訓的な文
3、 いわれや起源を説明する文
 
一般的に結末句といわれるのは 1 の形式句に属するものです。たとえば、こんなものがあります。

○ とっちぱれ ( 青森県 )
○ どっとはらい ( 東北地方北部 )
○ いちご栄えた ( 東北 ・ 関東 ・ 中部地方、近畿 ・ 中国地方の一部 )
○ とうぴんぱらり ( 東北地方 )
○ たねくさり ( 京都府 )
○ むかしこっぷり ( 中国地方 )
○ 昔まっこう ( 中国・四国地方 )
○ 米ん団子 ( 大分県 )
○ いまでもたっしゃで、裕福に暮らしています( シベリア )
○ 長い縄はいい縄なんだ、けれどおしゃべりは短ければみじかいほどいいもんだ ( コーカサス )
○ もし死んでいなければ、今でも生きているでしょう ( ロシア )
○ わたしもそこにいたんだよ。そして、はちみつ酒とワインを飲んだのさ。だけど、ひげをつたって流れてしまい、口にははいらなかったよ。わたしは、ドイツとうひの森へ行った。そして、お金を革靴に入れて運んで行ったんだ。お金は、落ちてしまったよ。おまえは、そのお金を拾い集めて、この上着を買ったんだな。さあ、その上着を返しておくれ! ( リトアニア )   
などなど。
 
とっても印象的ですね。これでファンタジーはおしまい、という合図です。書物ならばここで裏表紙を閉じる、ということです。
これも発端句と同じく伝承性がつよく、日本の昔話ならばたとえば、とっちぱれ伝承圏、むかしこっぷり伝承圏などと把握できるそうです。これらの語のもともとの意味は分からないものが多いそうです。

昔話は発端句と結末句にはさまれた枠のなかでのファンタジーだ、と考えればいいですね。