昔話のモティーフに、「小さ子の誕生」というのがあります。主人公が小さな姿で生まれてくる話を、私たちはいくつも知っています。「一寸法師」「親指小僧」などなど、洋の東西を問いませんね。
日本の場合、古くは『日本書紀』や『古事記』にも、現れます。その場合は、人間であったり神であったりします。
日本の昔話のなかで、彼らは、どんなふうに生まれてくるか、ちょっと思い出してみましょう。
まず、多くは、子どものない夫婦が神さまに祈ってさずけられます。神の申し子です。「神に祈って」とまでいかなくても、欲しい欲しいと願っているとやっと生まれる。
どこから生まれてくるのでしょう。もちろんふつうにおばあさんのお腹から生まれてくる者もいますけれど、多数派ではありません。多くは、川を流れてきた桃や瓜の中から、竹の中から、おばあさんの脛(すね)や親指から。ときには死んだ母親のなかから。人というより、やはり神的なものを感じます。
どのような姿で生まれてくるでしょう。人間のすがたで。また、動物にすがたを借りる者もいます。たにし、へび、かえるなど、多くは水の世界とかかわりが深く、水神の性格を帯びていたと考えられているそうです。
小さく生まれたものが思いがけない成長を遂げるということが、このモティーフを持つ話型の約束事のようです。
『日本昔話事典』では、「その小さな形にかかわらず、人並み以上の働きをするということ、そして、美しい妻を持って豊かな幸福な生活をかち得たということが、小さ子の物語の眼目であった」と説明されています。