「何らかの理由で知らずして鬼あるいは山姥の家に行き、それと知って何かの援助を得て逃亡し、おわれるとなんらかの方法でそれを振り切って無事逃げおおす、という構造の話を逃竄譚と呼びならわしている」 『日本昔話事典』(弘文堂刊)
みなさん、このような話に心当たりはありませんか。
たとえば。栗拾いにいった小僧が山の奥深く入ってしまって一軒家に泊めてもらう。そのばあさんが実は鬼婆で、逃げだした小僧をとって食おうと追いかけてくる。小僧が、和尚さまからもらったお札を投げると、お札は大きな砂山になって鬼婆の行く手をさえぎる。また追いついて来るので二枚目のお札を投げると大川になって鬼婆をさえぎる……
そうですね、子どもたちに大人気の「三枚のお札」。ほかにも「馬方山姥」も山姥から逃げますね。「食わず女房」、「油取り」も同じです。
追いかけられる話って、子どもたち大好きです。古今東西を問わず、子どもって鬼ごっこが好きですものね。
日本のばあい、多くはこのように、追いかけられるというひとつのモティーフを中心にしてひとつの話が成り立っています。ヨーロッパではどうでしょう。やはり追いかけられるモティーフがあちこちに見つかります。
グリム童話の「みつけ鳥」は変身しながら逃げます。
ケルトの昔話「鳥たちの戦争(オーバーン・メアリー)」はリンゴの切れ端に代返してもらって逃げます。馬の耳の中から櫛を取り出して投げると森になる、などなど。
ヨーロッパの場合は追いかけられるモティーフひとつではなく、ほかのたくさんのモティーフが組み合わさって、長いストーリーになることが多いです。
この追いかけられるモティーフを「呪的逃走」といい、全世界に広がっているそうです。
ババ・ヤガーの勉強会では、研究クラスでこのモティーフを追いかけています。