あるひとつの昔話が、いつ誰の手によって生まれたのか、古今東西の研究者たちが考えてきました。けれども、結論は出ていないようです。
口づたえであるかぎり、語られたその場で消えてしまうわけですから、元をたどることが難しいのは当然です。ただ、その話が記録されて、目に見える形で保存されていれば、それを手掛かりに考察することは可能です。
以下、素人目であることをご承知の上、お読みください。
ふたつの方向からの研究があるようです。
時間軸をさかのぼって考える場合。
ある話が、たまたま書き記されていれば、その時点まではさかのぼれますね。けれども、書かれなかった話もあるだろうし、書かれた資料がないからといって無かったと断定することはできません。つまり、在ることは証明できても無いことは証明するのが難しいわけです。
日本の場合は柳田国男などが研究したし、グリムも、仮説を立てました。どちらも神話が昔話の起源ではないかと考えたのです。そののち、研究は進んでいるようですが、定説はありません。
たとえば、わたしたちがよく知っている「三枚のお札」。鬼ばばに追いかけられながら、小僧さんがお札をうしろに投げると、お札が山になったり川になったりして、鬼ばばの行く手をさえぎります。呪的逃走譚です。
いっぽう、8世紀に成立した『古事記』のイザナキとイザナミの話の中にとてもよく似たエピソードがあります。《日本の昔話》に「黄泉平坂」として紹介しているのでご覧ください。
なにか深い関係がありそうです。けれども、ただ似ているからといって、「三枚のお札」の起源が『古事記』の神話だと断定できません。
さらに、『古事記』は、稗田阿礼が口で語ったものを太安万侶が書きとめたものだから、それ以前から「黄泉平坂」の話はあったわけです。けれどもそれがどのよう話だったのか、またどの時代までさかのぼることができるか、ということになると、書かれたものが新証拠として発見されない限り分からないのです。
またたとえば、「浦島太郎」は、8世紀に成立した『丹後風土記(逸文)』『万葉集』にまでさかのぼることができます。それらの文献には、浦島の伝説だとして書かれています。
「三枚のお札」と「黄泉平坂」は似ているだけ、もしくはモティーフが同じなだけだけれど、「浦島太郎」はいわば直系です。
8世紀に記録されるより以前から、口伝えで語られていたのです。それ以前の浦島太郎がどのような話だったのかは、やはり、現時点では分かりません。
もうひとつは、世界の昔話を比較して、空間軸で考える場合です。
世界じゅうによく似た昔話が存在します。たとえば、《外国の昔話》の「こびとのおくりもの」は、「こぶとりじい」にそっくりですね。ほかにも、ホームページの《日本の昔話》《外国の昔話》の解説を読んでくだされば、同じような話があちこちにあることにお気づきかと思います。
この類似は、偶然の一致なのか、それとも、どこかに源があってそれが伝播したのか、という問題です。
人間の考えることや感じることは大同小異、似通っているから、同時多発的に生まれたのだろうという説があります。短い笑い話などはその可能性があるといわれています。が、しっかりした構成を持つ長い話は、伝播の可能性が強いといわれています。
けれども、まだ定説はなく、一つひとつの話型について比較研究が進められています。
小道具は民族によって異なっていても、あらすじがそっくりな場合は、きっと同時発生ではないと思われます。「天人女房」や「シンデレラ」など、どこからどのように世界中に広まったのか、多くの研究者によって論及がなされており、まるで推理小説のようで、おもしろいです。