「昔話雑学」カテゴリーアーカイブ

山姥(やまうば・やまんば)

山の中に棲んでいる女の妖怪。たいていはおばあさんで、山母、山姫などともいうそうです。実在すると伝えられていて、昔話にも登場します。
背がとても高かったり口が耳まで裂けていたりと、おそろしい風貌です。ときには頭のてっぺんにも口があります。

山姥は、人間を害する恐ろしい存在であるだけでなく、人間に恩恵を与える神さまであることもあり、善悪二面性を持っています。
昔話で例を挙げると、前者は「三枚のお札」「食わず女房」「馬方山姥」など、後者は「糠福米福」「姥皮」などがあります。詳しく見ていきましょう。

「三枚のお札」

小僧(子ども)が山の中に入っていくと山姥に遭遇します。山姥の家に泊まって、便所の神さまの助けなどで逃げだします。逃げながら和尚さまからもらったお札(や鏡やくしなど)を後ろに投げると、山や川や火になって山婆の行く手をさえぎり、小僧は無事寺に帰りつきます。山姥は追跡中に命を落とすか、または和尚さんの知恵でやっつけられます。
この山姥は、ものすごいスピードと迫力で追いかけてきます。足が速いのです。
逃竄譚(とうざんたん)の代表的なものですね。
そして、これは子どもを食べる山姥です。

「食わず女房」

男が、飯を食わない女房が欲しいと言っていると、ある日そんな女がやって来て妻になります。ところが米がどんどんなくなっていくので、男が天井からこっそり見ていると、女は頭の口から握り飯を放りこんでは食べます。男が知らぬふりをして別れてくれと言うと、女は男を桶に入れて山へ連れ去ろうとします。男は逃げて難を逃れます。
菖蒲やヨモギの原にかくれる五月の節句の由来譚と、女が蜘蛛になって夜に男の家にやって来て退治されるという「夜蜘蛛は親に似ても殺せ」ということわざの由来になっている型とがあります。
どちらにしてもこの山姥はものすごい大食漢です。
また節句の由来型は「三枚のお札」と同じく足が速い。俊足です。
後者の山姥は、正体が蜘蛛です。

「馬方山姥」

ここでは馬方(または牛方)の積み荷の魚をつぎつぎと強奪する山姥です。ものすごい大食漢で、しかもすごいスピードで追いかけてきます。これも逃竄譚です。馬方が木の上に逃げ、池に映った馬方を見た山姥が池に飛びこんで死んで終わるというものもありますが、たいていは、馬方は山姥の家に逃げ込んでしまいます。そして、機転を利かせて山姥の餅や酒を飲んだあげく、山姥を殺してしまいます。山姥の正体が蜘蛛であったりします。

柳田国男の『山の人生』によると、足が速くて大食いという性質は、実在すると信じられていた伝承上の山姥の性質でもあったようです。

では、善い山姥を見てみましょう。

「糠福米福」

「米福粟福」ともいいます。継子譚です。ATU510、いわゆるシンデレラ話で世界中に分布します。話の冒頭で姉妹がクリ拾いにいきますが、姉(継子)のふくろにはあなが開いていてなかなかクリがたまりません。新しい袋をくれるのが亡くなった生母なのですが、これが山姥だったりします。芝居見物の時に姉に美しい着物をくれるのも生母(または山姥)です。つまりこの山姥は主人公を助ける神のような存在です。

「姥皮」

これもATU510、シンデレラ話のもうひとつの型です。前半は「蛇婿」の話で、困っている父親を助けて末娘が蛇の嫁になります。娘はうまく蛇をやっつけて逃げだしますが、かくまってくれるのが山姥です。じつは父親が助けてやった蛙の化身だったりします。山姥は娘に姥皮をくれて、娘はそれを着て火焚きばあさんになって雇われます。たまたま娘が姥皮を脱いでいるところを長者の息子に見染められ、結婚して幸せになります。

ほかにも「ちょうふく山の山姥」「山姥の仲人」など、幸せを運んできてくれる山姥がいます。

ところで、民俗学では、山の神の民間信仰が説かれます。
農業者にとって山の神は、春になると山から下りてきて田の神となり、秋には山へ帰って山の神となると信じられてきました。
猟師やきこりなど山で働く人にとっては、山の神は怒らせると恐ろしい、山を支配する神であったようです。神ですから、どちらもお祭りをします。
その山の神の零落したのが山姥だという説が有力だそうです。
そういえば、河童は川の神の零落した姿ですね。
どちらも自然の脅威と自然の与える恵みの両方の側面があり、それが山姥の二面性として表れているのでしょうか。

語りの森では、『語りの森昔話集1おんちょろちょろ』に「めしを食わないよめさん」と「へびの婿さん」を掲載しています。ぜひ読んでみてください。
「三枚のお札」は『語りの森昔話集2ねむりねっこ』に掲載しています。

囲炉裏(いろり)

日本の昔話にはいろりがよく登場します。
 
いろりというのは、おもに農家の、日常的に使われる部屋に作られていました。家の奥の座敷ではなく、土間に近い、家族やお客の集まる部屋にいろりがあったのです。だから、いろり端というのは、一家だんらんの場でもあるし、情報交換の場でもあるし、昔話が語られる場でもありました。

いろりの機能は、まずは暖房。部屋全体を温めますが、とくに「背あぶり」をしてみるとその温かさがよくわかります。背あぶりしている鬼ばばや猿を、みなさん知っていますね。
 
それから、煮炊きに使います。天井から自在鉤(じざいかぎ)をつるして、鍋などをひっかけて煮ます。五徳に乗せた網で餅を焼いたり、串に刺した魚を灰に立てて焼いたりもします。馬方は梁の上から餅をつりあげて食べてしまいますね。
 
それから、灯りとしての機能があります。山で道に迷った薬売りが、遠くにぽつんとひとつ灯りを見つけます。この灯りはいろりの火です。いろり端で家の者が夜なべ仕事をしているのでしょうか。
 
もうひとつ、いろりの火には防虫の役もあります。木造の家で、屋根はかやぶき。今のように化学的な防虫剤がない時代は、たきぎを燃やして出る煤(すす)が害虫を追いはらいます。シックハウスの心配はありませんが、たきぎがうまく燃えてくれないと非常に煙いです。
 
昼間、人がいるときはたきぎを燃やすのですが、夜になると上から灰をかけて火を埋めます。火は消すのではなく、翌朝、灰をかいて火を起こすのです。火を消してしまって、となりの家に火種をもらいに行く性悪ばあさんのはなし、心当たりがあるでしょう。いろりの世話もできないダメ主婦という意味です。ただ、大晦日の晩だけは、大きな木を一本入れて燃やし続けることで、家の繁栄を願ったそうです。その火を消してしまったお嫁さんの話がありますね。
 
いろりの上には、竹などを編んで作った棚があることが多く、「火棚(ひだな)」と呼びます。火棚には、ぬれたわらぐつや衣服、食べ物などを置いて乾燥させます。朝、じいさんが火を起こしていると、火棚から貧乏神がぶらさがってくる話もありますね。
 
いろりは四角ですが、土間から見て正面の席を「横座」と呼んで、その家の主人がすわります。向かって右が「嬶座(かかざ)」で主婦がすわります。向かって左が「客座」で、お客がすわります。子どもや手伝いの者たちは、土間に近い「下座(げざ)」または「木尻」と呼ばれる席に座ります。
 
いろりには火の神が宿っています。この信仰は日本全国にあってアイヌのはなしにも出てきます。家の中の神については、おもしろいことがたくさんあるので、別の機会に譲ります。

『日本大百科全書』(小学館)にいろりの構造がわかりやすく図式化されていたので貼り付けました。

つぎの写真の横木をよく見てください。「一富士二鷹三茄子」を彫ってあります。

長い名の子供

夫婦に子どもができたけれど、名前が短かったので早死にした。それで長い名前を付けた。ところが、その子が井戸(や川)に落ちて、みんなで名前を呼んでいるうちにおぼれて死んでしまった。というストーリーの話は、全国に伝わっていて、「長い名の子供」と呼ばれる話型です。
 
この話型は、笑い話の中の大話(おおばなし)に分類されています。大話というのは、ほら話のことで、頭に柿の木が生えたとか、ふんどしにはさんだ鴨に運ばれて大仏殿まで飛んでいったとか、あり得ないようなうそ話のことです。
 
本格的な昔話では、主人公がこんなにあっけなく死んで終わるということはありませんね。この話は、聞き手が主人公と同化する前に、つまり長い名前をおもしろがっているうちに、死んじゃった、でおしまいです。
 
この話の面白さは、長い名前を唱えるところにあります。例えばこんな言葉が使われます。

「イッチョウギリカチョウギリカ」
「トクトクリンボウソウリンボウ」
「ジュゲムジュゲム」
「ゴコウノスリキレ」
「ヘエトコヘエトコヘエガーノコ」などなど

これらの言葉がつながって長い名前になります。もともと早(はや)物語という、早口言葉で唱える口伝えの文芸があって、それと関りがあるそうですが、早物語については詳しいことはよくわからないそうです。また、井戸に落ちた子どもの名を呼ぶのに大あわてでしょうから、語りかたとしては、早口言葉のように唱えるのが、この話の面白さを活かすことになります。
 
笑い話なので、おまけの話として、子どもの死を気にかけないでからっと語ればいいでしょう。笑い話だと分かっているから、子どもも本気にとることはないし、ちょっとブラックなユーモア感覚をはぐくむことも大切かと思います。
 
≪日本の昔話≫のページに「へーとこへーとこ」を載せていますので、ぜひ語ってみてください。

瓜子姫(うりこひめ)

よく知られている瓜子姫の話は、東北から九州まで広く分布しています。典型的な「瓜子姫」は、当ホームページ《日本の昔話》で紹介している「うりひめの話」に代表されるものです。
 
おばあさんが川で洗たくをしていると瓜が流れてきて、女の子が誕生する。瓜子姫と名づける。瓜子姫が機織りをしているとあまのじゃくがやってきて、家の中に入りこむ。あまのじゃくは瓜姫を外へ連れ出し、木にしばりつける。それから瓜子姫に化けて機織りをしている。おじいさんとおばあさんは気づかず、翌日あまのじゃくはかごに乗って嫁入りする。が、途中で声がして正体露見し、瓜子姫は無事お殿さまのところに嫁入りする。
 
これは、西南日本に伝わっている型です。
 
それに対して、東北地方や北陸では、瓜子姫があまのじゃくに殺される型が多く残っています。《日本の昔話》「きゅうり姫」に代表されるものです。顔の皮をはがれたり、瓜姫汁にされておじいさんとおばあさんに食べられたりと、ショッキングなモティーフが多くとられています。
 
お伽草子『瓜姫物語』や江戸時代の『嬉遊笑覧』など古い書物で読むことができる「瓜子姫」は西南日本型なので、西南日本型のほうが口伝えとして古いのではないかといわれています。
 
柳田国男は、瓜子姫を神に仕える織姫となぞらえて、古代信仰と結びつけています。
 
關敬吾は、AT408「三つのオレンジ」の類話ととらえ、外国から来た話型だと考えています。
 
どちらも興味深いですね。
 
ところで、あまのじゃくは、山姥、きつね、たぬきであることもあります。
あまのじゃくの正体がばれる場面は、東日本では鳥の声が知らせることが多く、西南日本では、瓜子姫自身が泣いて知らせることが多いです。
 
あなたの地方ではどんな「瓜子姫」が伝えられているでしょう。

鼠浄土(ねずみじょうど)

地下にある鼠の楽園を訪ねて財宝をもらってくる昔話を、総称して「鼠浄土」といいます。ひとつの話型で、全国に伝わっています。

主人公はたいていおじいさんです。おじいさんが穴の中に転がすのは、団子や餅、握り飯、豆などで、「~ころりん」といいながら落ちていきます。それをきっかけに、おじいさんも穴に入っていきます。
穴の底では、ねずみたちが「猫さえいなけりゃ、ねずみの極楽」「猫の声など聞きたくない」などど歌って踊り、もちつきや黄金(こがね)つきをしています。
おじいさんは、転がした団子のお礼に餅、黄金、宝物などをもらって帰ります。ときには、猫の鳴きまねをして、ねずみが逃げていったすきに餅や黄金を持って帰る話もあります。
 
隣の爺型のことが多く、隣のよくばりじいさんが、まねをして団子等を転がし、猫の鳴きまねをしたがために、ねずみにかじられたり、殺されたりします。また、ねずみがいなくなってまっくらになり、土の中から出られなくなってもぐらになったという話もあります。
 
ねずみは、人間にとって身近な存在でした。しかも大黒天の足元に描かれるように、神性を持っています。人間に見えない地下に浄土があって、ねずみたちが何不自由なく豊かに楽しく暮らしているという想像は、人びとの憧れの表れだったのかもしれません。

地下の浄土にいるのは、お地蔵さまであることがあります。これは、「地蔵浄土」といって、ひとつの話型をなしていて、これも全国に分布しています。

十二支のはじまり

民間信仰の干支(えと)のうち、動物に当てはめられた、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の十二支(じゅうにし)の起源を説明する昔話のひとつの話型です。

そもそも、十二支は、動物とは無関係です。中国の殷の時代の甲骨文字に書かれていて、日付を記録するためのものだったそうです。殷だから、紀元前十七世紀~紀元前十一世紀。つまり今から3000年以上前にはあったということになります。
 
それが、日付だけでなく、年月や時刻や方位もあらわすようになりました。つまり、天体や地理などの科学の基本的な記録方法だったのです。文明のアジアの中心だった中国で、古代から近代まで、長い間、使われてきたのですから、日本や周辺の文化圏に影響を及ぼさないはずはありません。タイやベトナム、モンゴルといったアジアはもちろんのこと、東ヨーロッパやロシアにも十二支はあるそうです。

さて、その十二支に動物が当てられるようになりました。なぜなのか、理由ははっきりしていません。覚えやすいからだとか、バビロニアの天文学と関係があるとか、諸説あるようです。とにかく紀元前200年にはすでに動物と組み合わせられていたということです。
 
どの国も十二の動物に大きな違いはありません。が、ちょっとだけ違うところもあります。「丑」はベトナムでは水牛、「寅」はモンゴルではヒョウ、「午」はタイではヤギです。「亥」は本来はブタの意味の漢字ですが、日本ではイノシシが当てられていますね。
 
そうして、なぜ、ねずみ、牛、虎、うさぎ、・・・の順番なのかという、お話が生まれ、語り伝えられていったのです。

さて、日本の昔話に話題をもどします。
「十二支のはじまり」は青森から鹿児島まで広く分布しています。
 
まず動物たちを招集するのは、神さま、お釈迦さまなど。
期日は、一月一日になってる話が案外少なくて、ふつうの日であることの方が多いです。
 
牛は足が遅いので早く出掛け、ねずみは牛の背中に乗って行き、牛より先に門に入る。ねこは、日にちを忘れ、ねずみに嘘を教えられたため一日遅れ、神さまに「顔を洗って出直して来い」といわれた。だから、ねこはいつも前足で顔を洗っているし、ねずみを見ると怒って追いかける。というのが、よくある話です。
動物競争譚であり、動物由来譚です。
幼い子ども向けのお話で、子どもに十二支を覚えさせるために語られたのでしょうか?
 
伝承によってバリエーションがあって、奈良には、イノシシが寝坊して、朝ごはんを食べながら一生懸命走っていったので、口が長くなったという話があります。こちら→

あなたの地域にはどんな伝承が残っているでしょうか。

昔話の難題(なんだい)

昔話では、主人公に与えられる課題のひとつとして、「難題を解く」ということがあります。
「課題」は、なしとげるのが困難であればあるほど(極端であるほど)、物語としての面白さがあります。さまざまな課題が昔話には出てきますが、その中でも、なぞなぞや判じ物のような、知恵を必要とする「難題」について、どんなものがあるか調べてみました。

まずは日本の昔話から。

「天人女房」

天に上った夫が、妻の父から難題を出され、それを解いたら婿として認められる、という筋書きです。妻が援助してくれるおかげで、解決することが多いです。

「絵姿女房」

殿さまが、難題を出し、解かなければ妻をよこせというパターンのお話です。これも、たいていは、妻が答えを教えてくれます。

「難題婿」

難題を解決して、長者の娘の婿になるお話。助けた動物たちが恩返しをしてくれるパターンが多いです。

「姥捨山」

となりの国から難題がもたらされ、殿さまが、それを解いたらのぞみの物をやるという。年寄りをこっそり隠していた息子が、年寄りの知恵で解決し、年寄りを捨てる風習はなくなったというお話。
 
難題は、例えばこんなものがあります。

@灰で縄をなえ。
@打たぬ太鼓に鳴る太鼓を持って来い。
@裏山に木が何本あるか。
@そっくりの二頭の馬のどちらが親でどちらが子か。
@七曲の穴に糸を通せ。
@角材のどちらが根っこでどちらが先か。

難題は、たいてい3題出されます。3は昔話の好む数ですね。
 
主人公が、自分で答えを考えるより、だれかに助けてもらうことのほうが多いようです。妻(となる娘)や、助けた動物、助けた親、などです。 

次に、外国の昔話。

難題は世界じゅうにあるモティーフで、S・トンプソンのモティーフ索引では、H「難題」としてたくさん集められています。この索引では具体的な難題の内容はリストアップされていないので、ATUで検索しました。「難題」はなくて、「課題」でさがしてみました。その中から難題にあたるものをさがすと、こんなものがありました。

@木でもなく石でもなく鉄でもなく土でもない橋を作る。
@ふるいで水を運ぶ。
@馬に乗らず歩かず、裸でもなく服も着ずに来る。
@最良の友と一番の敵とともにやって来る。
@好きなだけ食べて、しかも丸ごと残す。
@砂でロープをなう。
@これまで聞いたことのないことを言う。
@白い大理石のスーツを縫う。
 
おもしろいですね。答えが分かりますか?
たくさんの昔話を読んで、答えを見つけたいものです。
今後の課題です。

とりあえずグリム童話から。

KHM94「かしこい百姓娘」
KHM152「羊飼いの男の子」

この2話は、主人公が、だれにも助けてもらわずに、自分の知恵で難題を解きます。

みなさんも、難題モティーフのある外国の昔話を見つけたら教えてください。題名と出典名書いてくださいね。

昔話の起源

あるひとつの昔話が、いつ誰の手によって生まれたのか、古今東西の研究者たちが考えてきました。けれども、結論は出ていないようです。

口づたえであるかぎり、語られたその場で消えてしまうわけですから、元をたどることが難しいのは当然です。ただ、その話が記録されて、目に見える形で保存されていれば、それを手掛かりに考察することは可能です。
以下、素人目であることをご承知の上、お読みください。
ふたつの方向からの研究があるようです。 

時間軸をさかのぼって考える場合。

ある話が、たまたま書き記されていれば、その時点まではさかのぼれますね。けれども、書かれなかった話もあるだろうし、書かれた資料がないからといって無かったと断定することはできません。つまり、在ることは証明できても無いことは証明するのが難しいわけです。

日本の場合は柳田国男などが研究したし、グリムも、仮説を立てました。どちらも神話が昔話の起源ではないかと考えたのです。そののち、研究は進んでいるようですが、定説はありません。 

たとえば、わたしたちがよく知っている「三枚のお札」。鬼ばばに追いかけられながら、小僧さんがお札をうしろに投げると、お札が山になったり川になったりして、鬼ばばの行く手をさえぎります。呪的逃走譚です。
いっぽう、8世紀に成立した『古事記』のイザナキとイザナミの話の中にとてもよく似たエピソードがあります。《日本の昔話》に「黄泉平坂」として紹介しているのでご覧ください。
なにか深い関係がありそうです。けれども、ただ似ているからといって、「三枚のお札」の起源が『古事記』の神話だと断定できません。
さらに、『古事記』は、稗田阿礼が口で語ったものを太安万侶が書きとめたものだから、それ以前から「黄泉平坂」の話はあったわけです。けれどもそれがどのよう話だったのか、またどの時代までさかのぼることができるか、ということになると、書かれたものが新証拠として発見されない限り分からないのです。 

またたとえば、「浦島太郎」は、8世紀に成立した『丹後風土記(逸文)』『万葉集』にまでさかのぼることができます。それらの文献には、浦島の伝説だとして書かれています。
「三枚のお札」と「黄泉平坂」は似ているだけ、もしくはモティーフが同じなだけだけれど、「浦島太郎」はいわば直系です。
8世紀に記録されるより以前から、口伝えで語られていたのです。それ以前の浦島太郎がどのような話だったのかは、やはり、現時点では分かりません。 

もうひとつは、世界の昔話を比較して、空間軸で考える場合です。

世界じゅうによく似た昔話が存在します。たとえば、《外国の昔話》の「こびとのおくりもの」は、「こぶとりじい」にそっくりですね。ほかにも、ホームページの《日本の昔話》《外国の昔話》の解説を読んでくだされば、同じような話があちこちにあることにお気づきかと思います。

この類似は、偶然の一致なのか、それとも、どこかに源があってそれが伝播したのか、という問題です。
人間の考えることや感じることは大同小異、似通っているから、同時多発的に生まれたのだろうという説があります。短い笑い話などはその可能性があるといわれています。が、しっかりした構成を持つ長い話は、伝播の可能性が強いといわれています。
けれども、まだ定説はなく、一つひとつの話型について比較研究が進められています。
小道具は民族によって異なっていても、あらすじがそっくりな場合は、きっと同時発生ではないと思われます。「天人女房」や「シンデレラ」など、どこからどのように世界中に広まったのか、多くの研究者によって論及がなされており、まるで推理小説のようで、おもしろいです。

和尚と小僧譚(おしょうとこぞうたん)

貪欲な、あるいは愚かな和尚を、頓智のある、あるいはわんぱくな小僧がやりこめるという形の笑い話群。さまざまな話型があります。くつか紹介しましょう。

「あゆはかみそり」 

和尚がこっそり鮎を食べて、小僧に見つかり、「これは、かみそりというものだ」と言い訳をします。あるとき、川をわたっていて、小僧が鮎を見て、和尚に「かみそりがいるので、足を切らないように」と注意します。

「和尚おかわり」 

和尚が、便所にかくれてこっそりぼたもちを食べます。同じく小僧が、ぼたもちをこっそり食べようと、便所に行くと、和尚が先に食べています。小僧は、とっさに、「和尚さん、おかわり」といって、持って行ったぼたもちをさし出すという話。

「飴は毒」 

和尚が水飴を、毒だといって、小僧に食べさせないでいます。ある日、和尚が出かけているあいだに、小僧は、水飴を全部なめてしまいます。そして、和尚の秘蔵の品物(すずりなど)をこわして、泣いて待っています。和尚が帰って来ると、小僧は、「大事なものをこわしたので、死んでおわびをしようと毒を食べましたが、いっこうに死ねません」といいます。

これらの話の眼目は、優位の者が下の者にやりこめられるという構造、やりこめる者の抜け目なさとやりこめられるものの愚かさ、やりこめ方のおかしさに、あります。なんとも人間臭いテーマですね。聞き手は下の者(小僧)の立場ですから、大人も子どもも共感できるでしょう。ただ、この世界観を認識できるのは、ある程度の人生経験が必要なので、幼い子には向かないと思います。また、とんちが分かる年令でなければなりません。

和尚と小僧譚は、13世紀の『沙石集』や、14世紀の『雑談集』といった文献にも残っています。いわゆる中世ですね。中世は、各村々に小規模のお寺が、急激に林立した時代です。それは今でも続いていますね。今以上に各人はお寺と密接につながっていましたから、急激な変化の時代は、混乱の時代だったともいえるでしょう。たとえば、急に和尚の数が増えると質の低下を招くとか。その中で生まれてきた、生活に密着した笑い話だったといえます。

さて、私たちはこの話を聞いて、とんち以外にどんな面白さを感じることができるでしょう。

語りの森HP《日本の昔話》では、「お経を忘れた和尚さん」「あちちぷうぷう」「ぼたもちと阿弥陀さま」を載せていますので、見てくださいね。

愚か村話(おろかむらばなし)@日本

ある村の住民が、もの知らずだったり言葉知らずだったりして、愚かなことをするという笑い話群です。

「飛びこみ蚊帳」

村人がお伊勢参りに行って、途中の宿屋で、かやの使い方が分からなくて、さかさまにつるします。どうやって入ろうかと考えて、上から飛びこむという話。

「長頭(ちょうず)を回す」

村に役人が来て泊まります。朝、役人が、顔を洗うために「手水を回せ」といいます。たらいに水を入れてもって来いという意味です。ところが、村人たちは「手水」の意味が分かりません。さんざん考えたあげく、村一番の長い頭の男をさし出します。男は、役人の前で、一生懸命長い頭を回します。

などなど、30種類くらいあるそうです。
多くはひとつのモティーフからなる短い話です。

これらは、人気があって、全国に残っています。
村の名前をとって、「○○話」と呼ばれます。この村々は、実際に存在する村です。『日本昔話事典』からすべて書き抜いておきますので、みなさんのお住まいの地域や出身地の近くの村を探してみてください。

南山(みなみやま)話(福島県)
栃尾話(新潟県)
二十村郷話(新潟県)
秋山話(新潟県)
安寺持方(あでらもちかた)話(茨城県)
栗山話(栃木県)
美麻村話(長野県)
小倉話(長野県)
川上話(長野県)
奥道志話(山梨県)
川津場話(千葉県)
子安話(神奈川県)
須賀話(神奈川県)
黒谷話(京都府)
野間話(京都府)
横行(よこゆき)話(兵庫県)
佐治谷(さじだに)話(鳥取県)
俣野話(鳥取県)
湯船話(岡山県)
星山話(岡山県)
越原話(広島県)
山代話(山口県)
杢路子(もくろうじ)話(山口県)
木頭(きとう)話(徳島県)
韮生(にらう)話(高知県)
山分(やまぶん)話(高知県)
寒田(さわた)話(福岡県)
野間話(福岡県)
津江山話(大分県)
倉谷話(佐賀県)
高千穂話(宮崎県)
世知原(せちばる)話(長崎県)
五箇庄話(熊本県)
日当山(ひなたやま)話(鹿児島県)

実在の村なので、実際にその村を知っている人たちの間では、事実談・経験談として語られているとのことです。知らない人にとっては、一般的な昔話として語られています。

愚か村話が成立したのは、中世から近世にかけて、町の商人が農村に商売のために回るようになったころだと考えられています。貨幣経済が農村に入りこむことで、新旧の対立が生まれます。商人は農民の古い価値観を笑い、農民は商人のずるさをののしります。そして、商人たちがこの笑い話を伝えて歩いたのです。聞いた農民たちは、自分たちより愚かな村を笑うことで、自尊心を取りもどしたのではないかといわれています。なんだか、閉鎖的で差別的ですね。でも、それも人間の性(さが)なのでしょう。

愚か村が、平家の落人村だといわれることが多いのは、その村の人たちの自尊心から来る反発かも知れません。また、愚かを装うことで、圧政から逃げるという知恵を持っていたとも考えられます。

愚か村話は、外国にもたくさんあります。次回は外国の愚か村についてお話します。