「4 中学年から」カテゴリーアーカイブ

ひとりぼっちのオオカミ

ひとりぼっちのオオカミ

ケイティ・スリヴェンスキー文 ハンナ・サリヤー絵 大竹英洋訳 BL出版 2024年 

そのオオカミの子は、生まれたときから、自分はきょうだいたちとは違うという違和感を持っていました。きょうだいたちは、ほんとうにオオカミらしいのに、じぶんはちっともオオカミらしくない。
オオカミの子は、オオカミらしくなろうと、努力します。でも、きょうだいたちにはなかなか追いつけなくて、孤独を感じます。そして、あるとき、ほんとうに群れに取り残されてひとりぼっちになってしまいます。そもとき、見たこともない動物と出会います。その動物とオオカミの子は、少しずつ、少しずつ近づいて行きます。
巻末に、解説があって、地球上に犬があらわれる前はどんなだったか、犬の起源はどんなだったか、犬はなぜ人に飼われるようになったか。それらの探求をもとにこの絵本は書かれています。絵は内容にマッチして、オオカミの子への愛にあふれています。

たからもの

たからもの

ユリ・シュルヴィッツ作 安藤紀子訳 偕成社 2006年

ヨーロッパでよく知られている昔話の類話を絵本にしたものです。イギリスでは「スワファムの行商人」が有名です。
話型的には「宝は自分の家にあり」という話群。

主人公はアイザックという男。貧しくて、「おなかをすかせたままとこにつくことも、めずらしくはなかった。」
作者の伝記を読めば、この一文にも実感がこもっていることが分かります。

ただの夢だと思っていたけれども、3度も同じ夢を見ると、「ほんとうかもしれない」と、宮殿まで長い旅をします。
昔話らしく、同じ言葉をくりかえして、一直線に出かけ、一直線に帰ってきます。

宝物を手に入れたアイザックは、感謝の気持ちを表すために、〈いのりのいえ〉を建てます。その壁の片隅に書いた言葉、それがこの絵本のテーマです。
「ちかくにあるものをみつけるために、とおくまでたびをしなければならないこともある」

ぼくのブック・ウーマン

ヘザー・ヘンソン文 デイビッド・スモール絵 藤原宏之訳 2020年 さ・え・ら書房

今から90年ほど前のアメリカには、荷馬図書館員がいました。
馬に本を積んで、図書館から山間部などに届けるしごとをします。
多くが女性で、ブック・ウーマンとよばれていました。

カルは、ほとんど人が通わない山の上に住む少年です。
両親と、祖父母、妹と弟体と暮らしています。
遠すぎて学校など行くこともできません。
けれども、月に二回、ブックウーマンが馬に乗ってけわしい山道をやってきて本を置いて帰ります。本は無料で、どんなお礼も受け取りません。
妹のラークは本が好きで、宝物のように喜んで読みふけります。
カルは、にわとりがひっかいたような文字だといって、ラークを馬鹿にしているのですが、やがて、寒い雪の日も嵐の日も欠かさずやってくるブック・ウーマンの勇気に心動かされて、ラークに文字を教えてもらいます。

春が近づいたある日、カルは、やってきたブック・ウーマンに、贈り物をしたいといいます。ブック・ウーマンの答えは、
「わたしのために本を読んでほしいわ」でした。
カルは、新しい本を開いて声に出して読みました。
「プレゼントはそれでじゅうぶん!」と、ブック・ウーマンはほほえみました。

名前をつけるおばあさん

名前をつけるおばあさん

シンシア・ライラント文 キャスリン・ブラウン絵 まついたかえ訳 新樹社 2007年 

丘の上の一軒家にひとり暮らしのおばあさんが住んでいました。
おばあさんは、長生きしたので、友だちはみんな先に死んでしまって、ひとりぼっちになりました。もう名前を呼ぶ人もいません。寂しくてたまりませんでした。
そこで、自分より長生きするものにだけ名前を付けました。自家用車はベッツィ、いすはフレッド、ベッドはロクサーヌというように。
こうして、おばあさんは、周りのものより長生きする心配は無くなって、幸せでした。

ある日のこと、子犬がいっぴき迷い込んで来ました。おばあさんはハムをやって、「うちへお帰り」といいました。犬は行ってしまいましたが、また次の日もやって来ました。
犬は毎日やって来ましたが、おばあさんは飼うことはできませんでした。なぜなら名前を付けなくてはならないからです。自分が犬より長生きしたときのことを想像すると、寂しくて飼うことはできませんでした。

ところが、もう成犬になったその犬が、いきなりおばあさんのうちにやって来なくなりました。おばあさん心配でたまらなくて、犬を探しはじめました。でも、なんて呼んで探せばいいのでしょう?

オーガスタスのたび

キャサリン・レイナー作 すぎもとえみ訳 アールアイシー出版 2007年

オーガスタスは、アムールトラです。
オーガスタスは、悲しんでいました。笑顔を無くしてしまったからです。そこで、笑顔を探しに旅に出ました。
藪の中、木のこずえ、高い山脈、海の底、果てしない砂漠。ページをめくるたびに現れる自然の色彩の美しさに圧倒されます。

黒とオレンジの縞々の、力強くのびやかな四肢が、ページごとに躍動します。
エネルギッシュな体の輪郭にくらべて、顔の表情はやさしく、目はとってもかわいらしくて、思わず微笑んでしまいます。
オーガスタスは、笑顔を見つけたでしょうか?

アムールトラは、ネコ科最大の動物で、ロシアから中国に住んでいますが、今は絶滅の危機に瀕しています。
アムールトラの一番の敵は人間だということに心痛みます。

エリザベスは本の虫

サラ・スチュワート文 デイビッド・スモール絵 福本友美子訳 アスラン書房 2003年 

雨の降る日には傘をさして歩きながら本を読む。
ベッドの中で寝る間も惜しんで本を読む。
授業中も本のことばかり考えている。
エリザベスの本への執着に、思わずニヤッと笑ってしまいました。小学生の頃、私もそれに近い状態だったからです。

ふかふかのソファーで本を読みながら片手にティーカップを持っている姿に、あこがれてしまいます。

エリザベスは、汽車でひとり旅の途中、帰り道が分からなくなって、しかたなくその地で家を買って、家庭教師をして暮らします。
本を読み続けていますが、友だちもいるし、買い物に行くと店員とも会話します。
ねこたちもいっしょに暮らしています。
決して孤独ではなく、ひたすら幸せそうです。

どんどん本を買い続けて、家じゅうが本だらけ。
ある日、エリザベスは、ウキウキしながら役場に行って、すべての財産を町に寄付します。それで、家は図書館となって、大人も子どももおおぜいが本を借りに来ます。
エリザベスは、友だちの家に住み、毎日、友だちと図書館に行き、本を読み続けます。

ああ、うらやましい(笑)

うたがみえる きこえるよ

うたがみえるきこえるよ

エリック・カール作 もりひさし訳/偕成社 1981年 

モノトーンのページに、切り絵のバイオリンひきが登場します。

バイオリンひきは、歌や音楽を絵に描くことを宣言して、「あなたも、耳をすませ、空想のつばさをひろげて、絵本のなかのうたをみてごらんなさい」と呼びかけます。
バイオリンをひき始めると、黄色や青の音がぽろぽろとこぼれ出ます。
ページをめくると、色の粒は広がります。
次のページでは、まるでシンバルンのように色がふきだします。
ページをめくるだびに、月、太陽、人、魚、涙、花・・・と、カラフルな物語が展開されて行くのです。

本当に音楽や詩が聞こえて来ます。視覚と聴覚がひとつになる楽しさ、喜びを感じさせてくれます。

引き終わったバイオリンひきは、とってもカラフルなすがたに変身しています。

ことりをすきになった山

ことりをすきになった山

エリック・カール絵 アリス・マクレーラン文 ゆあさふみえ訳/偕成社 1987年

あれはてた野原に、岩だらけの山がそびえていました。
山には、草や木が一本もなくて、生き物のすまない不毛の地だったのです。
山は、永久ともいえる時間の中を、太陽や月や星々、空と雲を眺めつづけていました。そこへ、ある日一羽の鳥が飛んできて羽を休めました。山は鳥のつめや羽の柔らかさにおどろきました。
山はわくわくして、名前をたずね、ずっとここにいてくれないかと頼みます。
鳥の名前はジョイといいました。
ジョイは、生き物は水と食べ物がなければ生きられないから、ここで住むのは難しい、でも、また来ますといって飛び立ちました。
山は待ちつづけ、ジョイは毎年羽を休めにやって来ました。
山の命は長いけれど、ジョイの命は短い。そこで、ジョイは、自分の娘にジョイと名前を付けて、この山を訪れるようにいい残します。こうして、ジョイは、代替わりしながら、山を訪れました。
そのあいだも、山はジョイに、ここにいてくれるように懇願します。
百回目にジョイがやって来て飛び去ったとき、山は辛さに耐えかねて、心臓が爆発してしまいました。
すると、固い岩が砕けて涙がふきだし、流れができました。つぎの年の春、ジョイは種を一粒、涙の川のほとりの湿った所にまいて去りました。
こうして、山には草が生まれ、木が育ち、土ができて、虫がすむようになりました。涙の川は、喜びの涙になりました。
初めての種は山で一番高い木になりました。ある年の春、ジョイはその木に巣をつくりました。

物語を書いたのは、文化人類学者アリス・マクレーランです。
ひとつの命に託された何かが時間をこえてうけつがれていくすばらしさに魅せられて、一人類学者の夢を描いた」そうです。

きみの行く道

ドクター・スース作絵/いとうひろみ訳/河出書房新社 1999年

原作『Oh,the Places You’ll Go!』 は、1990年に発表され、世代を越えたミリオンセラーになったそうです。
たしかに、おとなが読んでも勇気が湧いてきます。

人生は旅です。広い未知の世界への旅です。頭の中には脳みそがぎっしりつまっているし、靴の中には足がぎっしり。行きたいところへ歩いていけばいい。
行きたい道が見つからなければ町を出ていきます。どんなところへ行っても、大丈夫。頭にはぎっしりの脳みそ、靴にはぎっしりの足。だから、大丈夫、トップに躍り出ます。
でも、人生にはスランプがあるわけで、どうにもならないところまで落っこちることもあります。その苦しみも、描かれます。

ドクター・スースが86歳のときの作品です。酸いも甘いもかみ分けた。

いのちのひろがり

中村桂子文/松岡達英絵/福音館書店 2017年 

たくさんのふしぎ傑作集(月刊たくさんのふしぎ2015年4月号)です。

わたしたちは様々な生き物に囲まれて暮らしています。
生きものたちはみな私たち人間の仲間です。どうしてそういえるのか、38億年前に生命が生まれてから今までの時空の旅が描かれます。
この旅は、「あなたはどこから来たのでしょう」ということばから始まります。
母親の卵と父親の精子が結びついて生まれた受精卵、これが最初の自分です。これは、たった一個の細胞です。それが、お母さんのお腹の中で成長して生まれてきます。
38億年前の生命も、一個の細胞でした。太古の海の中で生まれた細胞。それが長い年月かけて成長して、最初に生まれたのが、カイメン。砂粒くらいの大きさたったそうです。

5億年前、生きものたちは陸に上がる大冒険をしました。
まず、植物が。
森や野原が生まれると、動物も上陸しました。
昆虫の祖先であるカブトエビの仲間、ついでクモやサソリの祖先たち。やがて両生類、爬虫類、ほ乳類。
この5億年の間に、5回も大量の生きものが滅びたそうです。それでも、生き物は命をつないできました。

約600万年前に人類が誕生しました。
さまざまな人類がうまれたけれど、今生きているのはホモ・サピエンス一種類だけです。私たちですね。
ホモ・サピエンスは、20万年ほど前にアフリカで誕生しました。そこから旅に出て地球のあちこちで暮らすようになりました。私たちの故郷は、みなアフリカなのです。

自分も含めあらゆる生きものは、もとは同じ一個の細胞でした。みな38億年という気の遠くなるような時間を体の中に持っているというわけです。

バージニア・リー・バートン作『生命の歴史』とあわせて読むといいと思います。