せんをたどって せかいいっしゅう

ローラ・ユンクヴィスト作 ふしみみさを訳 講談社 2008年 

一筆書きの旅の本です。
ペンの線をたどって行くと、ケニア、グリーンランド、サハラ砂漠、アマゾンのジャングル・・・と、世界じゅうを回って、そこの自然の中で暮らしている生き物たちに出会えます。
たとえば、ケニアでは、キリン、チーター、ゾウ。ゾウは、陸上動物の中で一番大きいこととか、キリンは世界でいちばん背の高い動物だとか、ふーんな知識がいっぱい。
スリランカへ行くと、世界で最初のやしの木は約8000年前に生まれたんだって!
南極大陸は、雨も雪もほとんど降らないから、氷の砂漠なんだって!そんな土地でも、ペンギンなどわずかな種類の動物が暮らしています。 
一筆書きで描かれる地球は、植物も動物もみなが一緒に暮らすかけがえのない美しい星だということがよくわかります。
ほかに、『せんをたどって』『せんをたどって いえのなかへ』『せんをたどってがっこうへいこう』があります。

オーガスタスのたび

キャサリン・レイナー作 すぎもとえみ訳 アールアイシー出版 2007年

オーガスタスは、アムールトラです。
オーガスタスは、悲しんでいました。笑顔を無くしてしまったからです。そこで、笑顔を探しに旅に出ました。
藪の中、木のこずえ、高い山脈、海の底、果てしない砂漠。ページをめくるたびに現れる自然の色彩の美しさに圧倒されます。

黒とオレンジの縞々の、力強くのびやかな四肢が、ページごとに躍動します。
エネルギッシュな体の輪郭にくらべて、顔の表情はやさしく、目はとってもかわいらしくて、思わず微笑んでしまいます。
オーガスタスは、笑顔を見つけたでしょうか?

アムールトラは、ネコ科最大の動物で、ロシアから中国に住んでいますが、今は絶滅の危機に瀕しています。
アムールトラの一番の敵は人間だということに心痛みます。

パセリともみの木

ルドウィッヒ・ベーメルマンス作 ふしみみさを訳 あすなろ書房 2007年

もみの木というと、空に向かって真っすぐに伸びているイメージがあります。クリスマスツリーがそうですね。それだけでなく、木材として家や橋や、家具や、おもちゃとして使われます。
人はもみの木を何十年も何十年も育て、切り出します。
けれども、崖のふちに生えたそのもみの木は、何かの拍子で、ねじ曲がって育って行きました。人びとは役に立たないそのもみの木を、そのまま放っておきました。
曲がったもみの木はどんどん大きくなって、枝は、まるで緑のテントのようになりました。
そのテントの下に一匹のシカが住みつきました。
シカはもみの木に守られながら子どもを育て、年老いていきました。もみの木のまわりに生えているパセリが好きだったので、シカは、パセリと呼ばれました。
あるとき、下の村の猟師が、新しい双眼鏡を手に入れて、あたりを見ているうちに、崖の上のパセリたちを見つけました。猟師は鉄砲を手に、崖を登っていきました。・・・

ストーリーも素朴であたたかくて素敵なのですが、各ページごとに添えられた花のイラストが、いい。一枚一枚切り抜いて壁に貼っておきたくなりました。花の名前を最後のページに書いてあるのも心憎いです。生成りの紙の色もストーリーにぴったりです。

作者ルドウィッヒ・ベーメルマンスは、『げんきなマドレーヌ』の作者です。

エリザベスは本の虫

サラ・スチュワート文 デイビッド・スモール絵 福本友美子訳 アスラン書房 2003年 

雨の降る日には傘をさして歩きながら本を読む。
ベッドの中で寝る間も惜しんで本を読む。
授業中も本のことばかり考えている。
エリザベスの本への執着に、思わずニヤッと笑ってしまいました。小学生の頃、私もそれに近い状態だったからです。

ふかふかのソファーで本を読みながら片手にティーカップを持っている姿に、あこがれてしまいます。

エリザベスは、汽車でひとり旅の途中、帰り道が分からなくなって、しかたなくその地で家を買って、家庭教師をして暮らします。
本を読み続けていますが、友だちもいるし、買い物に行くと店員とも会話します。
ねこたちもいっしょに暮らしています。
決して孤独ではなく、ひたすら幸せそうです。

どんどん本を買い続けて、家じゅうが本だらけ。
ある日、エリザベスは、ウキウキしながら役場に行って、すべての財産を町に寄付します。それで、家は図書館となって、大人も子どももおおぜいが本を借りに来ます。
エリザベスは、友だちの家に住み、毎日、友だちと図書館に行き、本を読み続けます。

ああ、うらやましい(笑)

ぞうくんのおおゆきさんぽ

なかのひろたか作 福音館書店 2022年

こどものとも(年中向き)430号。
ぞうくんのさんぽシリーズは、子どもたちに定評があります。
1冊目の『ぞうくんのさんぽ』は1977年発行です。
2冊目の『ぞうくんのあめふりさんぽ』は2006年だから、30年近く開いていますね。きっとシリーズ化は考えておられなかったのでしょう。でも子どもたちは喜んだと思います。
つづいて2010年『ぞうくんのおおかぜさんぽ』。
2019年の『かめくんのさんぽ』。
そして、昨年2021年末にこの『ぞうくんのおおゆきさんぽ』が出ました。まだ雑誌ですが、きっと絵本になるでしょう。

ぞうくんが散歩に出かけます。
やっぱり、かばくんに会います。
つぎにやっぱりわにくんに会って、最後にかめくんに会います。
4匹はやっぱり「うわー!」な目にあいます。

そして・・・

 みんな ごきげん
 きょうは おおゆき

この予定調和がなんともいえず心地よい安心感を与えてくれます。

うみがめのおじいさん

いとうひろし/講談社 2021年

対象を幼児からとしましたが、大人も楽しめます。

同じ作者の『おさるのまいにち』に出てくるあのうみがめのおじいさんの話です。
おさるたちのおだやかな毎日のなかで、うみがめのおじいさんが遥か彼方からやって来るのは、大事件です。
おじいさんは、旅のとちゅうでであったことをおさるたちに話してくれます。
そのストーリーを、おじいさんの視点で書いてあります。

おじいさんは、大きな船にぶつかるときもあるし、ぶつからないときもあります。
うつらうつら波間を漂っていると、そんなことはどうでもよくなってきます。

「ここがどこなのか。
 いまがいつなのか。
 じぶんがなんなのか。」

おじいさんにはどうでもいいことに思えるのです。
そうやって海とひとつになっていくおじいさん。
そんなふうに生きて老いて行きたいと思ってしまいます。

パパ、お月さまとって!

エリック・カール作 もりひさし訳/偕成社 1986年

モニカがベッドに行こうとすると、お月さまがとっても近くに見えました。
お月さまと遊びたくなったモニカは、パパに、お月さまをとってとたのみます。
パパは、長い長いはしごを持って来ますが届きません。
そこで、はしごを高い高い山にかつぎあげて登って行きます。
パパはお月さまに届きましたが、お月さまがあんまり大きすぎて、持って降りることができません。
さて、そこで、パパはどうやってモニカにお月さまを取ってあげたでしょうか?

はしごの長さや山の高さ、月の大きさを描くために、エリックカールは、本の形をはみ出します。紙を継ぎ足して広げ、ページの使い方が自由自在です。幼児が絵を描くときと同じ自由さがあります。

月を持って来るというファンタジーですが、月の満ち欠けをちゃんと教えてくれます。
父親が、当たり前のように子どもの願いをかなえてやるすがたに、温かな愛情を感じます。

おくりものはナンニモナイ

おくりものはナンニモナイ

パトリック・マクドネル作 谷川俊太郎訳/あすなろ書房 2005年 

大切な人へ、贈り物には何がいいかな?贈り物を考えるのは楽しいけれど、何を贈れば喜んでもらえるだろうとけっこう悩むこともありますね。

ある冬の日。
ねこのムーチは、大好きな犬のアールに贈り物をしたくなります。けれども、アールは、何でも持っていて、たぶんほしいものは何にもないでしょう。考えたあげく、ムーチは、ナンニモナイを贈ろうと思い付きました。
でも、ナンニモナイってどこにあるのでしょう。ムーチはいろんな人にリサーチします。大きなお店にも行きますが、ナンニモナイは売っていません。
ムーチは考えに考えて、大きな箱を用意しました。
さて、何を持って行ったのでしょう。

 そこで ふたりは ただ じっとして
 たのしんだ、ナンニモナイを。
 そしてなにもかもを。

うたがみえる きこえるよ

うたがみえるきこえるよ

エリック・カール作 もりひさし訳/偕成社 1981年 

モノトーンのページに、切り絵のバイオリンひきが登場します。

バイオリンひきは、歌や音楽を絵に描くことを宣言して、「あなたも、耳をすませ、空想のつばさをひろげて、絵本のなかのうたをみてごらんなさい」と呼びかけます。
バイオリンをひき始めると、黄色や青の音がぽろぽろとこぼれ出ます。
ページをめくると、色の粒は広がります。
次のページでは、まるでシンバルンのように色がふきだします。
ページをめくるだびに、月、太陽、人、魚、涙、花・・・と、カラフルな物語が展開されて行くのです。

本当に音楽や詩が聞こえて来ます。視覚と聴覚がひとつになる楽しさ、喜びを感じさせてくれます。

引き終わったバイオリンひきは、とってもカラフルなすがたに変身しています。

ことりをすきになった山

ことりをすきになった山

エリック・カール絵 アリス・マクレーラン文 ゆあさふみえ訳/偕成社 1987年

あれはてた野原に、岩だらけの山がそびえていました。
山には、草や木が一本もなくて、生き物のすまない不毛の地だったのです。
山は、永久ともいえる時間の中を、太陽や月や星々、空と雲を眺めつづけていました。そこへ、ある日一羽の鳥が飛んできて羽を休めました。山は鳥のつめや羽の柔らかさにおどろきました。
山はわくわくして、名前をたずね、ずっとここにいてくれないかと頼みます。
鳥の名前はジョイといいました。
ジョイは、生き物は水と食べ物がなければ生きられないから、ここで住むのは難しい、でも、また来ますといって飛び立ちました。
山は待ちつづけ、ジョイは毎年羽を休めにやって来ました。
山の命は長いけれど、ジョイの命は短い。そこで、ジョイは、自分の娘にジョイと名前を付けて、この山を訪れるようにいい残します。こうして、ジョイは、代替わりしながら、山を訪れました。
そのあいだも、山はジョイに、ここにいてくれるように懇願します。
百回目にジョイがやって来て飛び去ったとき、山は辛さに耐えかねて、心臓が爆発してしまいました。
すると、固い岩が砕けて涙がふきだし、流れができました。つぎの年の春、ジョイは種を一粒、涙の川のほとりの湿った所にまいて去りました。
こうして、山には草が生まれ、木が育ち、土ができて、虫がすむようになりました。涙の川は、喜びの涙になりました。
初めての種は山で一番高い木になりました。ある年の春、ジョイはその木に巣をつくりました。

物語を書いたのは、文化人類学者アリス・マクレーランです。
ひとつの命に託された何かが時間をこえてうけつがれていくすばらしさに魅せられて、一人類学者の夢を描いた」そうです。