katarinomori のすべての投稿

クリスマスのつぼ

ジャック・ケント作/清水真砂子訳 ポプラ社 1977年

わたしたちは、クリスマスといえば、サンタクロースや雪の中を走るトナカイ、クリスマスツリーを連想します。けれども、この絵本はメキシコのクリスマスのおはなしです。雪のない暖かい所でもイエスキリストの誕生は祝われます。

子どもたちがマリアとヨセフに扮して、家々をめぐるポサーダという行事。ポサーダの最後のパーティーで、子どもたちが飾り付けられたピニャータを割り、中から出てきたお菓子や果物をみんなで分けて食べます。

この絵本では、はじめにふたつのつぼが登場します。双子のようにそっくりのつぼです。が、つぼが焼きあがった時、ひとつにはヒビが入っていました。ヒビの入ったつぼは庭の隅に放っておかれ、悲しみにくれます。ところが、クリスマスが近づくと、つぼ作りの家の女の子が、ヒビの入ったつぼをピニャータにしようといいます。

ヒビの入ったつぼにとって、すばらしいクリスマスになりました。でも、ピニャータになったつぼはこなごなに割られしまい、ゴミ捨て場に捨てられます。悲しんでいると、あのもうひとつのつぼ、りっぱなつぼが、割れて捨てられてきました。りっぱなつぼは、「なんだって いつかは こわれるんだよ。」といいました。

「それで めいめい やくに たったんだね」
「そうだよ。だれだって みんな そうなんだ」

心温まるお話です。

あひるのピンのぼうけん

マージョリー・フラック文/クルト・ヴィーゼ絵/まさきるりこ訳 瑞雲社 1994年

ピンは「とても美しい子どものあひる」です。揚子江に浮かぶ船に、67羽の家族たちと暮らしています。船の名前は「かしこい目」といって、目があるので、まるで生き物のように描かれています。

船の主人は、毎朝、あひるたちを陸地に放し、夕方になると、あひるたちを集めて船にもどらせます。あひるたちは一列になって、船と陸の間に渡した板の橋をわたって行き来しますが、列の最後のアヒルは、主人からおしりに鞭を食らうのです。ある日ピンはもどるのが遅くなって、鞭を食らうのがいやで、草むらにもぐりこんでかくれました。
かしこい目は、ピンを岸に残したまま遠ざかっていきました。

そこから、ひとりぼっちになったピンのぼうけんが始まります。

川に暮らす人々の生活の様子が、素朴だけれど動きのある絵と、ピンの視線で描かれます。ピンは人間につかまってしまいますが、逃がしてくれたのも人間の男の子です。ピンは奇跡のようにかしこい目を発見します。

瀬田貞二のいう「行きて帰りし物語」です。ピンはおしりを鞭で打たれましたが、無事家に帰ることができて、めでたし、めでたしです。

ひとまねこざる

H・A・レイ作/光吉夏弥訳 岩波書店 1954年

古典中の古典です。今読み返しても、全く古びていません。きっと、時代がうつっても、幼い子どもの本質は変わらないからでしょう。おさるのジョージは、知りたがり屋であることも含め、前へ前へと行動する姿が、幼児の姿と重なります。子どもは自分がジョージになっていっしょに冒険することができる、そんなふうに描かれているのです。

ぞうの大きな耳の下で寝る!バスの屋根に乗って町を走る!部屋中にペンキで絵を描く!大人たちはそんな夢を忘れがちですが、ジョージはやります。子どもはどんなにか嬉しいことでしょう。いつもジョージを許す大人たちの表情も暖かです。よく見ると、ジョージも他の人物も、みな、いつも口もとが笑っています。

ジョージは失敗してけがもするし、入院もしますが(救急車に乗れるなんて、なんてすてきなんだろう!)、それもこれも含めて、人生は愉しいと感じさせてくれます。幼い子どもには、この肯定感は、とても大切です。

最近の幼児向きの絵本と比べると、ページ数が多く、読むのに時間がかかります。それだけに読後の充実感があります。そして明るいユーモアに彩られているので、読み手も子どもも疲れません。

つないでつないで

福地伸夫作 福音館書店 2018年

「こどものとも012」のシリーズですが、幼稚園の5歳児と学童保育(小学1年生から6年生まで)で、読みました。このシリーズには、たまに、大きな子どもも楽しめる作品があります。

初めの見開きのページで、左からくろねこ、右からしろねこが、「てをつなぎましょう」といって現れます。次の見開きページで、「はい、つなぎましょう」と、二匹は手をつなぎます。あとは、ねこが右から現れては手をつないで増えていくだけの展開です。

同じ言葉のくりかえしのリズムが楽しく、子どもたちは自然に口にします。いつも「はい、」と肯定して、決してほかのことはいいません。だから、読み手も聞き手も、とても穏やかな気持ちになります。もしも物理的に可能ならば、最後にみんなで手をつないで、大きな輪を作りたいです。

ねこたちの顔の表情はよく似ているのですが、からだの表現がさまざまで、リズム感があります。

まなぶ

長倉洋海 アリス館 2018年

写真家長倉洋海さんの写真絵本です。
 
題の通り、世界じゅうの子どもの学ぶ姿が映し出されます。キューバ、アフガニスタン、ミクロネシア、カンボジア、スリランカ、日本・・・。子どもたちの瞳の深さ、笑顔の明るさは、背景の景色が違ってもみな同じです。そして、その背景が子どもたちを見守り育てているのだということを、これらの写真は感じさせてくれます。子どもと、子どもの生きる場所への、作者の愛を感じるのです。

「自分の道を見つけるために、人はまなぶ。まわりのみんなとはちがう「自分だけの道」。ほかの人とぶつかったり、競争しなくてもいい、きみだけの道が、そのまなびの先にある」
作者のこの言葉は、子どもたちへ贈られたものですが、子どもたちの姿に浄化された大人にとっても、たいせつなものとして受けとめることができます。

つくえはつくえ

五味太郎 偕成社 2018年

主人公は男の子。
机の上が山のようになっていて、「せまいきがする」といったら、お父さんが、「きがするんじゃない。せまいのだ。ひろいつくえをつくってやろう!」といって、大工道具を出してきて、ひろーい机を作ってくれました。見開き2ページ分の広さです。男の子が左のページの上の方にちょこんといて「ちょっとひろすぎ」といっています。
そこへ、友だちが、ひとり、ふたりとやって来て、机の上で遊びだします。野球、なわとび、スケートボード・・・ページをめくるたびにどんどん子どもが増えていきます。ラジコン、カラオケ、トランプ、そのうち、絵でいっぱいになって、「もうもじもはいらなくなってきました」という文字を探さなくてはなりません。とうとう、「あ、あ、あ」「おちたようなきがする」「きがするんじゃない おちたのだ」

そこでお父さんは、広すぎない狭すぎない机を作ってくれました。

ちょうどいい机、わたしも欲しいなあと思いながら読みました。

じかんだよー!

さいとうしのぶ 白泉社 2018年

『あっちゃんあがつく』『おべんとうばこのうた』の作者の最新刊です。

どこにでもある台所。瓶やオーブンやなべやら、ぎっしりとあるべき所におさまっています。白いまるいお皿の上で、プチトマトが「もうすぐじかんだよー!しゅうごう!」と叫びます。すると、オーブンの中からハンバーグが「やけたよー!」と、元気いっぱい飛び出してきます。フライパンからオムライスが出てきます。ボールからちぎったレタスと輪切りのきゅうり。みんなお皿に乗ります。もう一人足りない。

プチトマトがさがしに行くと・・・ピーマン、アジ、ちくわ、れんこん、マッシュルーム、ウインナー、アスパラ・・・つぎつぎと小麦粉のバットに飛びこんで、つぎは卵のボールにつかって、パン粉の中で転がって、フライヤーの中にじゅん。フライヤーから「おまたせー」とエビフライが飛びだしました。冷蔵庫からプリンとケチャップとオレンジジュースが飛びだしました。プリンは旗を持っています。
 
はい、お子様ランチの時間だったのです。
 
ひたすら、明るく楽しい食べ物の絵本です。

どしゃぶり

おーなり由子文/はたこうしろう絵 講談社 2018年「あっついなあ! じめんが あつあつ! あっつ あつ!」のページから始まります。
 
ふつうの家のふつうの男の子の夏の日の日常を切りとっています。

黒い雲の近づいてきて、いきなり雨が降りだします。
「そらのにおいがするぞ じめんのにおいもするぞ」
 
にわか雨が、幼い男の子の視線で驚きを持って表現されます。

茶色の地面に黄色い傘、グレーの空。真っ白の雨としぶき。
男の子は、雨の中を走って、跳んで、ずぶぬれになって雨と遊びます。

「あめさん ばいばい。 また きてね。」

ああ気持ちよかった。大人になってできなくなったささやかな日常の遊びを、本の中で体験できます。子どもには、ほんとうに体験させてあげたいです。

雨、あめ

ピーター・スピア 評論社 1984年

雨が降りだしたので、姉弟はレインコートを着て大きな傘をさして、散歩に出かけます。雨の日は見慣れたものがいつもと違った顔を見せます。それはとても美しい顔です。

ハチの巣箱をのぞき、洗濯物の下を通り、土の道を歩き、電線にとまっている鳥たちを見上げます。雨樋から落ちてくる雨を手で受け、傘で受け、傘を逆さにして受けます。くもの巣にかかった雨粒。自動車の下で雨宿りする猫。

ずぶ濡れになって家に飛びこみ、お風呂に入って美味しいおやつ。室内での遊びや夕食や食後のテレビ。そのあいだにも外では雨が降っています。寝室の窓から見る夜の雨。

翌日はすっかり晴れて、さわやかな一日が始まりました。

この本には字がありません。だから、絵の隅々まで心ゆくまで楽しめます。

ちょうちょのためにドアをあけよう

ルース・クラウス文/モーリス・センダック絵/木坂涼訳 岩波書店 2018年

『かいじゅうたちのいるところ』『まどのそとのそのまたむこう』などでおなじみのモーリス・センダックは、ルース・クラウスとのあいだに『あなはほるものおっこちるとこ』などの共著があります。この『ちょうちょのためにドアをあけよう』も、それらと同じナンセンス絵本、詩のような絵本です。小さな本なので、グループへの読み聞かせは難しいですが、こっそり楽しむのにちょうどよいてのひらサイズです。

「おおごえでうたううたを ひとつくらい おぼえておくといいよ ぎゃーって さけびたくなる ひの ために」とか「ワニとすれちがうときは まずそうな かおを するといいよ」とか「どうしても ねむりたくないときは ふねに のりこめー!っていってから ベッドにはいると ねむれるよ」とか、笑える深~い人生のアドヴァイスが続きます。

「おかあさんとおとうさんをつくるのは あかちゃん もしあかちゃんがうまれなければ ふたりはどっちも ただのひと」なんてすてきな視点でしょ。
最後のページにはこうあります。

「ものがたりの いちばんいいおわりかたは 「おうじさまとおひめさまは ずっとしあわせにくらしましたとさ。ねずみたちも いっしょにね」