贈り物については、「孤立性」の章段で考えましたこちらが、ここであらためて考えます。
昔話では、主人公が困難を乗り越えようとするときや、課題に立ち向かおうとするとき、援助者から贈り物をもらうことがよくあります。
例えば、グリム童話「灰かぶり」では、灰かぶりがハシバミの木の下に行くと白い鳥が飛んできて、舞踏会用の美しいドレスと靴を落としてくれます。「金の鳥」では、きつねが、みすぼらしいほうの宿屋に泊まるようにと助言してくれます。助言も一種の贈物です。
贈り物は、昔話を聞いている子どもたちにとって、奇跡のようなアイテムです。
そして、例えばドラえもんのポケットのように、奇跡のアイテムに子どもたちは絶大なる信頼を置いています。
「三枚のお札」のお札は、万事休すってときに、川や山に変身して助けてくれる。ハラハラドキドキするよね。でも、ぜったい助かるって、心の底で思ってる。
この贈り物の持つかがやくばかりの魅力は、どこから来るのでしょう。
まず、 昔話の主人公は内面を持たず、外からのきっかけによって、ただ行動するだけでしたね。昔話は、精神的な奥行きを表現しないのです。では、人と人、人と彼岸者の関係はどうでしょうか?
リュティ先生いわく。
「昔話は徹底してあらゆるものを統一的でまぶしいほど明るく照らされた同一平面に置こうと心がけるので、登場人物たちの関係をいつも可能な限りくっきりと視覚化するような贈り物を描き出す。」by『昔話と伝説』
人と人、人と彼岸者の関係も奥行きを持ちません。そのかわり、関係は、贈り物で表されます。鋭く引かれたストーリーの線上に、主人公や、彼岸者、敵、などと同じく平面的に並べられた点のひとつとして、贈り物が登場するわけです。その贈り物は、「関係を可能な限りくっきりと可視化する」物だというのです。あいまいなものではなく、くっきりはっきりイメージできるもの。
これが、贈り物が魅力的である一つの理由です。聞き手の心に鮮明に残るのです。
白い布切れについた三滴の赤い血、笛、指輪。わしの羽、魚のうろこ、きつねの毛、アリの足。ふしぎでファンタジックで、くっきりイメージできるね。印象的だから、おはなしが終わってからも思い出すよ。
そうですね。
そして、贈り物は、主人公がまさにそれを必要とするときに与えられるということも、大きな魅力のひとつです。
リュティ先生いわく。
「設定された期限はきわめて正確に満たされる。救助が最後の最後に実現する。主人公に課せられたどのような課題に対しても、まさしくそれに相応しい贈り物や援助が与えられる。この様式化の頂点は「奇跡」である。」by『昔話と伝説』
贈り物は、昔話の奇跡のひとつだというのです。ここには、状況の一致、時間の一致、場所の一致、条件の一致(→こちら)があります。まさに主人公が必要とするぎりぎりの瞬間に、課題を解決するのにぴったりのものを与えられるということは、驚きであり、喜びですね。この与えられかたに魅力があるのです。
リュティ先生いわく。
「それらは、ストーリーに介入してくるときにだけいつも光輝を放つのである。それらがストーリーにとってもはや必要なくなると、昔話はそれらについてもう触れなくなり、それらは主人公から跡形もなく滑り落ちてしまう。」by『昔話と伝説』
この潔さも魅力のひとつでしょう。一瞬の輝きを贈り物に与えているのです。徐々に変化するものや消えつつあるものは、人を不安にします。が、一瞬にして消えるけれども、必要なときには一瞬にして現れ助けてくれる、何という安心感でしょう。主人公はふり返らず前へ前へと進んでいくことができます。
伝説では、彼岸からの贈り物は家宝として代々受け継がれていきます。昔話はその時限りです。また、楽しみのために日常的に使うということもありません。陸でも海でも走る船に乗って、世界一周漫遊の旅に出る、などということはありません。
これは、昔話の無時間性といいましたね。平面性のひとつのあらわれです。時間的な奥行きがないのです。
では、贈り物を与えてくれる彼岸からの援助者について考えてみましょう。
リュティ先生いわく。
「彼(主人公)は何らかの課題を解決するため、あるいは冒険をやり抜くために出発する。そしてそのとき彼岸の存在は敵対者あるいは援助者として彼の行く手に現れる。彼は彼らと戦うか、それとも彼らから贈り物を受け取るが、彼らが現れたことや彼らの力にこれっぽっちも驚かない。まったく自明のことでもあるかのように、彼は魔法の力を持った人物が現われ、また消えていくのを眺めている。彼は彼らの存在に関心を抱かないし、彼らがどこから来てどこへ行くのかを問わない。」by『昔話と伝説』
これって、一次元性のところで考えたね。
そうですね。主人公は小人や魔女や山姥の存在に驚かないし、ただ出会うだけで、その後親密なおつき合いが始まることもありません。課題に必要な贈り物を受けとるだけです。そのためだけの援助者なのです。 ただし、この援助者は奇跡の援助者なのです。リュティ先生は、彼らについて、つぎのように言っています。
リュティ先生いわく。
「主人公に出会って、彼に忠告を与える老人や老婆がどこからその知識を手に入れたのかが示されることはめったにない。彼らは全知ではない(何もかも知っているのではない)。しかし、主人公を助けることのできるまさにそのものを彼らは知っているのである。主人公が一見偶然に出会う彼らがまさしくそれを知っているのだ。」by『昔話と伝説』
主人公に心をよせて物語を聞いている子どもたちにとって、この援助者の存在は決定的です。
語り手は、子どもたち、だから大丈夫だよ、人生やっていけるよと語りつつ、同時に援助者としての大人のありかたを学んでいたのではないかと思います。
さて、平面に投影された、主人公と、援助者と、彼らをつなぐ贈り物。これらは奥行きがなく、実体がなく、本来持っているべき環境を捨てています。これを?
平面性だ!
そうです。そうです。
そして、平面性は孤立性と深くかかわっています。
リュティ先生いわく。
「そして最も素晴らしいことは、昔話の主人公がその孤立性によって絶えず彼岸の力と触れ合う準備ができているということである。そのための努力をする必要もなく、彼には多くの贈り物が分かち与えられ、その贈り物が彼を前進させ向上させることになる。あれこれ思い迷うことなく、そして自信を持って、昔話の主人公は、まったく孤立しており援助者も援助手段もないままに、あらゆる課題を解決するため仕事に取りかかる。するとどうだろう、決定的な瞬間に、たいていはまったく何もないところから、見知らぬ援助者が現われ、その贈り物が解決されるべき課題に都合この上なく力を振るう。(中略)昔話の主人公は、孤立してはいるものの、どのような状況をも克服することができる。」by『昔話と伝説』
どうですか? 贈り物の意味と魅力、さらに理解が深まったでしょうか?
最後に、自分を主人公に重ねて聞いている子どもたちへのメッセージとして、リュティ先生のことばを引用します。これは、子どもだけでなく、大人も大いに勇気づけてくれます。
リュティ先生いわく。
「彼ら(主人公)は、孤立してはいるが、むしろそれ故にあらゆるものと関連する能力をもって、先入観なしに忠告、援助、贈り物―それらは由来も本質も知らない人物から彼に与えられる―を受け入れながら、それに導かれ支えられて、おのれの道を行く人間なのである。」by『メルヘンへの誘い』
あ、普遍的結合の可能性だね!復習しておこう!