一致

主人公は、一本のまっすぐなすじの上を歩いていきます。すじは、主人公の幸せな結末に向かって、速いテンポで進みます。ですが、緊迫感や驚きに満ちていて、聞き手の心の中では、けっして平板な道ではありません。単純明快なのに、同時にドラマティック。どうすればそんなことが可能なのでしょうか。それは、さまざまな部分で、状況や時間、場所、条件を一致させるという語りかたをしているからです。

一致させるって? 時間と時間が一致するの? 場所と場所が一致する?
う~ん。たとえばどんなこと?

まず状況の一致を見ましょう。
イギリスの昔話「かしこいモリー」で、モリーたち三人が森で迷い、大男の家で泊まることになりますね。その大男には娘が三人います。人数が一致。だからモリーは、大男の娘たちを自分たちの身代わりにすることができたのです。また、王さまの王子たちも三人です。三姉妹は三兄弟と数がぴったり一致。結婚します。完璧な幸せです。
 まるで奇跡のようですが、当たり前のように状況を一致させて語っています。

なるほど~。状況の一致。ほかに例をさがしてみよう。

つぎに、時間の一致。 
グリム童話の「十二人兄弟」の最後の場面。妹が柱にしばられて、火が着物のすそにめらめらと燃え移ろうとしたとき、呪いの七年の最後の瞬間が過ぎ去ります。そのとき、十二羽のカラスがとんできて、人間のすがたにもどり、妹を助けました。危機一髪、ぎりぎりセーフです。「妹の火刑」の瞬間と、「七年の終わり」の瞬間が一致しています。 火刑の場に兄さんたちが飛んできたのは、場所の一致といえます。
 現実ではありえない奇跡ですが、これが昔話のドラマの作り方といえます。

なるほど~。時間の一致。手に汗にぎる緊迫感は、時間の一致から来るんだ。ほかの例をさがすぞ。

つぎは、場所の一致です。グリム童話で、ヘンゼルとグレーテルは、森を三日三晩さまよいます。そして、他のどこでもなく、お菓子の家にぴたりと行き着きます。白雪姫は七人の小人のすみかに、ぴたりと行き着きます。お菓子の家も小人の家も、主人公の人生を決定的に変える場所ですね。王子は、白雪姫の棺にぴたりと行き着きます。この場所の一致が感動を生んでいます。

そうだなあ。実際の人生でせっぱつまったとき、場所の一致、時間の一致があれば劇的に救われるだろうなあ。まあ逆も然りだけどね。

条件の一致ということもあります。
たとえば、日本の昔話「話十両」では、主人公の男が、稼いだ十両をもって故郷に帰ろうとすると、旅の途中で「話を売る」という看板を見つけます。買おうとすると、話は三つで十両だというのです。持っていた十両で話三つ買います。話の値段と稼いだ金の金額が一致しています。

このように、あらゆるところで一致があらわれるのは、決して現実ではありえません。昔話は写実的ではない、抽象的な文学といえます。

 リュティ先生いわく。

「抽象的様式構成、すなわち各状況がたがいに正確に一致することは、なにかの外的な魔術と同様に魔法的である。いやじつのところそうした魔術よりもはるかに現実ばなれしている」

一致は、魔法で起こっているのではありません。魔女や山姥が魔術を使って一致させているのではない。ごく当たり前のこととして、一致するのです。つまり、語り方自体が魔法的または奇跡的なのです。 
 

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