昔話には昔話の定まった形があり、この定式が話の中につぎつぎにあらわれてくると、いかにも昔話だなあという印象を与えます。だれが見ても昔話だとすぐにわかります。このことを「昔話の固定性」といいます。
具体的に見ていきましょう。
1、昔話に出てくる「数」
リュティ先生いわく。
「昔話は、固定した公式でもって活動する。昔話は、数字一、二、三、七、十二をこのむ。それらはすなわちはっきりした刻印のある、そして発生的には魔術的意味と力をもった数字である。」
ここであげている数字は、もともとは魔術的な意味を持っていたのでしょうが、昔話に取り込まれた段階でそんな力はなくなっていますね。
「一」は孤立的だからここでは説明は省くとして、対になったふたり(にひき)は、いくらでも登場します。「三」は、・・・
ちょっと待って。
「三」は、「三匹のこぶた」「三枚のお札」、「三枚の鳥の羽」、三人兄弟・三姉妹、「七」は、「おおかみと七匹の子やぎ」「七羽のカラス」、七人の小人、「十二」は「十二人兄弟」。
みんなも探してみてね。
中国では九、イスラム圏では四という数字も好まれるそうです。民族によって好まれる数が異なるのは、発生的なことと関係しているのでしょうか。
数といえば、丸い数が好まれるということもあります。十、百、千といった数です。「仙人の教え」の大蛇は、海に千年、山に千年、川に千年修行します。873年などということはないのです。覚えやすい数、聴いてわかりやすい数です。多様性は排除されています。
2、同じ場面は同じ言葉で
昔話では、同じ場面は同じ言葉で語るということが重要です。同じことがおきたら、同じ言葉でくりかえすのです。このことで、きちっとした固定的な印象が生まれます。
「二度目も、一度目と同じことがおこりました」とは言わないで、きちっとくりかえすのです。聞き手が一度目を正確に覚えているとは限りませんから。
リュティ先生いわく。
「昔話の語り手はたいてい、変化をあたえるために言葉を入れかえることを避ける。それは無能力ゆえにではなく、様式上の要求からそうするのである。頑固な厳格なくりかえしがあらわれると、それはやはり抽象的様式の一要素である。」
写実的な小説なら、同じ場面をさまざまな表現でいいかえます。同じ表現を使えば語彙が貧困で描写力がないと批判されるでしょう。けれども、昔話では、あえて同じ言葉を使います。聞いてわかりやすいのです。語り手にとって覚えやすくもあります。
3、言葉による出来事のくりかえし
昔話では、前におきた出来事を、あとで言葉でくりかえすという語りかたを好みます。音声は、語られるあとからあとから消えていきます。だから、もういちどくりかえす必要があるのです。本のようにページを繰って後戻りできないからです。
4、出来事による言葉のくりかえし
昔話では、前に言葉でいわれたことが、のちに出来事としてくりかえされるという語りかたを好みます。いわれた言葉はかならず実現するということです。
5、最後部優先の法則
物語の中で最も重要な人物やことがらは最後に言及されることが多いです。三人兄弟で重要な役割を持つのは末っ子であることが多いですね。
6、話の冒頭
「むかし、あることろに」と語りはじめると、いかにも昔話だなあと感じられますね。
昔話は、「むかし、あるところに、おじいさんがいました」のように、時代・場所・人物が不特定に語られます。これは、さあこれから架空の話を始めるよという宣言なのです。反対に伝説は、時代も場所も人物もはっきり特定し、これは本当にあった話だよと話しはじめます。