抽象的様式

私たち現代人は、文学 ( 文芸といってもいいかな ) は本のかたちで読むものと思っていますね。昔話もそうです。たくさんの昔話本が出版されています。けれども、本ができるずっと以前、文字ができるずっと以前から、人々は物語を楽しんできました。読むのではなく、耳で聞くという方法で楽しんできたのです。いわゆる 「 口承文芸 」 です。

昔話はもともと口承文芸のひとつです。文字で読むために書かれた文学ではありません。耳で聞き、口で伝えられてきました。

昔話って、絵本もあるし、紙芝居もあるし、ビデオだってある。人形劇にもなってるし。でも、もともとは耳で聞くだけだったんだ。おばあちゃんに、ふとんの中で話してもらったりしたんだね。それは今でもあるよね。

昔話は、それが語られているあいだだけ存在します。語り手が 「 はい、おしまい 」 といったら終わります。そして、言葉は、本の中に文字として固定されているのではなく、語り手の口から次々と発せられて、時間の流れにそって消えていきます。つまり本と語りとでは言葉の伝達方法がまるっきり違うのです。当然言葉の使い方が変わってきます。昔話は、耳で聞いてわかりやすく、心地よく、語られなければなりません。
耳で聞いてわかりやすく、心地よく。語り手たちのその努力の過程で形作られてきたのが、昔話の抽象的な様式です。文字による文学が写実的具象的な様式をもつのに対して、昔話は抽象的様式で語られます。

具象 ⇔ 抽象って考えたらわかりやすいんだね。抽象的ってのは、写実的ではない、リアルでないってこと。読む文学が写実的なのに対して、聞く文学は抽象的なんだな…。美術だったら、モナリザとピカソの泣く女。高村光雲と太陽の塔。のようなものかな。どちらも美しいし、人間を描いているよね。

では、文学においての抽象と写実を実感してみましょう。昔話と創作文学を比較します。
まずは人物の描写。グリム童話と安房直子とドストエフスキーを比べます。

つぎは雪の描写です。日本の昔話と新美南吉と川端康成。

 リュティ先生いわく。

「 抽象性は、メルヒェンの様式の本質的特性をもっとも総括的に示す概念なのである。すなわち、たんに名をあげるだけという語りかた、小道具の鋭い輪郭線、せまい、決然たるすじの線、極端な対照を好むこと、極端性全般を好むこと、定式性、実態を抜くこと、孤立化、鉱石化等。 」
( 以下のリュティの引用すべて小澤俊夫訳 )

う~ん。じゃあ、昔話のどのあたりが 「 抽象的 」 なのか、もっと詳しく知りたいな !

抽象的様式は、一次元性や平面性、孤立性などの性質として表れています。

では、具体的に見ていきましょう。耳で聞いてわかりやすいための表現様式だってことだけはいつもわすれずに。

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