サイデン、サイデン、小僧、小僧

さいでん、さいでん、こぞう、こぞう

岡山の昔話

話型名は「宝化け物」。荒れ屋敷に化け物が出るというので、旅の男が泊まって退治すると、お金が手に入るという話。化け物の正体はお金だったのです。お金が人間に使ってほしくて化けて出るっておもしろいですね。「金は天下のまわりもの」といいますが、貨幣経済の社会では、お金を使わなければ世の中が回っていかない。「タンス貯金はダメ」ってことですね。
ところで、昔話のなかでは、正体が暴かれると、その化け物は出なくなるというのが決まりのようです。「山寺の怪」や「化け物寺」の話でも、正体が蜘蛛だったり欠けた茶碗だったりするのですが、それを言い当てたり、または白状させると、化けて出なくなります。
子どもは怖い話が大好きです。でも陰惨な話は語りたくないですね。恐くても勇気を持って当たれば大金持ちになれる。なんとストレートで分かりやすいメッセージでしょう。
昔のお金の話をしてから、語りはじめるといいと思います。

共通語テキストは、『語りの森昔話集3しんぺいとうざ』に掲載しています。⇒書籍案内

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さるかに合戦

さるかにがっせん

鳥取の昔話

みなさんご存知の有名なさるかに合戦のおはなしです。
かにが畑で「生えねばはさもう」「大きいならねばはさもう」・・・と繰り返すと、かきは大きくなっていって実をつけます。リズミカルで、楽しい場面です。昔話の語法でいえば、言葉の出来事によるくりかえしであり、同じ場面は同じ言葉で語られています。
ただ、このモティーフには、「成木責(なりきぜ)め」という古来の風習が背景にあります。小正月(一月十五日)に、豊作を祈って行われた全国に分布する風習です。その家の主人が、果樹(とくに柿の木)に向かって、「なるかならぬか、ならねば切るぞ」といいながら斧で切るしぐさをし、家人が「なります、なります」と答えるそうです。
今では行われなくなってほとんどの人が知らない風習が、こんな形で昔話に残っているのです。リュティ理論でいう、社会的(または、呪術的)モティーフが純化されて、昔話モティーフとして取り込まれている例です。
ところで、この話ではかには殺されますが、再話によっては、かにはけがをするだけで、最後も、猿は殺されるのではなく、ごめんなさいと謝って改心するというように、変えてしまっているものがあります。残酷だからといって改ざんしてしまうと、昔の人が伝えようとした命のやり取り、命のかけがえのなさを子どもに教えることはできません。
この話は、幼児向けに再話しました。


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やまたのおろち

日本の神話

日本の神話、今回はスサノオノミコトの話です。
この話も、昔話の原型であるような気がしてなりません。というのも、力持ちの男の主人公が旅をしてある村にやって来る。その村はなぜか悲しみに包まれている。わけを聞くと、毎年化け物がやって来て娘をひとりずつさらっていくのだという。人身御供ですね。で、主人公は、その娘を隠しておいて、化け物をやっつける。という話があるでしょう。話型名「猿神退治」。とてもよく似ていますね。
「猿神退治」は全国に広く分布しています。犬を使って退治させる「しっぺいたろう」も類話です。
 しかも、ATU300「竜退治をする男」として、世界的にも分布しているのです。ATU300というのは、国際昔話話型カタログのなかでも、「魔法昔話」の最初に置かれている話型です。「超自然の敵」に分類されています。
やまたのおろちは、外見から見ても、確かに超自然の敵ですね。でも、スサノオは、やまたのおろちを退治するために、アシナヅチに神棚を造らせて、お酒を供えさせています。やまたのおろちはもともとは神さまだったのではないでしょうか。「猿神退治」の化け物も、村人たちは神さまだといっている話が多いです。興味は尽きません。
やまたのおろちの尾から出てきた草薙剣は、三種の神器のひとつで、名古屋市にある熱田神宮のご神体です。

共通語テキストは『語りの森昔話集6プレッツェモリーナ』に掲載しています。⇒こちら

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えびの腰が曲がったわけ

えびのこしがまがったわけ

秋田の昔話

なぜなに話です。由来譚ともいいます。動物が出てくるなぜなに話は幼い子が初めに聞く昔話だったそうです。幼稚園で語りたいと思って再話しました。お正月でエビを食べた子もいるかもしれません。
それにしても、エビは死んでしまいます。ちょっとかわいそうですが、タカの優しさに救われますね。教訓話でもあります。


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二十三夜

にじゅうさんや

鹿児島の昔話

「月待ち(つきまち)」という行事は今ではほとんどなされなくなったようです。月の出を待って拝む行事のことで、この日は、講の人たちが集まって、飲食をともにします。今では、十五夜がその名残ですね。満月の出を待って、だんごやいもを供えて皆でお祭りをしますが、ほとんど子どもための行事になっています。もともとはおとなが集まって物忌みをしたということです。
十七夜、十九夜などがあり、二十三夜待ちは全国でも特に多かったそうです。
この喜界が島の話では、二十三夜の月の神が物乞いの姿になって現れます。主人の「物乞いだって同じ人間だ」という心根に感じ、月の神は恵みをさずけます。ただそれには、妖怪を切り捨てるという勇気も試されなくてはなりませんでした。
天地をつなぐ柱とは、いったいなんの象徴なのでしょう。月の神、赤ん坊のようなニンジュ、妖怪シチ。太古の信仰を想像させるふしぎな話です。

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