えびのこしがまがったわけ
秋田の昔話
なぜなに話です。由来譚ともいいます。動物が出てくるなぜなに話は幼い子が初めに聞く昔話だったそうです。幼稚園で語りたいと思って再話しました。お正月でエビを食べた子もいるかもしれません。
それにしても、エビは死んでしまいます。ちょっとかわいそうですが、タカの優しさに救われますね。教訓話でもあります。
下のボタンからテキストをダウンロードできます。
なぜなに話です。由来譚ともいいます。動物が出てくるなぜなに話は幼い子が初めに聞く昔話だったそうです。幼稚園で語りたいと思って再話しました。お正月でエビを食べた子もいるかもしれません。
それにしても、エビは死んでしまいます。ちょっとかわいそうですが、タカの優しさに救われますね。教訓話でもあります。
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「月待ち(つきまち)」という行事は今ではほとんどなされなくなったようです。月の出を待って拝む行事のことで、この日は、講の人たちが集まって、飲食をともにします。今では、十五夜がその名残ですね。満月の出を待って、だんごやいもを供えて皆でお祭りをしますが、ほとんど子どもための行事になっています。もともとはおとなが集まって物忌みをしたということです。
十七夜、十九夜などがあり、二十三夜待ちは全国でも特に多かったそうです。
この喜界が島の話では、二十三夜の月の神が物乞いの姿になって現れます。主人の「物乞いだって同じ人間だ」という心根に感じ、月の神は恵みをさずけます。ただそれには、妖怪を切り捨てるという勇気も試されなくてはなりませんでした。
天地をつなぐ柱とは、いったいなんの象徴なのでしょう。月の神、赤ん坊のようなニンジュ、妖怪シチ。太古の信仰を想像させるふしぎな話です。
共通語テキストは、『語りの森昔話集3しんぺいとうざ』に掲載しています。⇒書籍案内
戦後、国粋主義への反省から、小中学校で日本の神話を学ぶことはほとんどなくなりました。けれども、みなさんどこかでストーリーを聞いたことがあるのではないでしょうか。
世界じゅうの民族が神話を持っています。自分たちの神さまが活躍する話です。日本では、『古事記』(712年)や『日本書紀』(720年)などの歴史書のなかに書かれています。ただし、読めばわかるように、神話は歴史ではありません。
神話については、「昔話雑学」のページ「伝説」の項でほんの少しふれています。昔話や伝説とよく似た内容のものがあることが興味深いので、何話か再話しようと考えています。まずは、『古事記』の始めのほうにある「黄泉平坂」から始めました。ほら、気づきませんか?物を後ろに投げて逃げていくモティーフ「逃竄譚(とうざんたん)」です。
共通語テキストは『語りの森昔話集6プレッツェモリーナ』に掲載しています。こちら⇒書籍案内
話型名「隣の寝太郎」。寝てばかりいる怠け者が、あるとき一念発起して知恵を使って長者の婿になる話群を広く「隣の寝太郎」といいます。
ここに紹介した寝太郎は、知恵といっても、天帝の使いだと偽っているわけで、罰が当たらないのかなと思ってしまいます。が、なんのなんの、大成功。そして、ほんとうに働き者に変身するのですね。若者の可能性を信じよというメッセージかな。それとも、貧しい庶民の夢。または庶民の生き抜こうというエネルギー。いろいろ考えさせられます。でも、あんまりまじめに語る話ではなくって、笑い話として語るといいかなと思います。笑いの中に真実ありって感じで。
「隣の寝太郎」は日本全国に分布しています。『遺老説伝』は、十八世紀に編纂された沖縄の歴史書です。もとは漢文の写本(手書き)ですが、それを書き下し文にしたもの(1935年刊)から再話しました。
全国的には、しらさぎではなくて鳩にちょうちんをつけてとばす話が多いです。寝太郎が登る木がガジュマルというのも沖縄らしいですね。
共通語テキストは、『語りの森昔話集3しんぺいとうざ』に掲載しています。⇒書籍案内