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やまやまのへっぴりじい

秋田県の昔話

発端句「ざっとむかしがあるけぢょんなあー」と結末句「トンピンパラリノプー」がきちんと額縁になっています。

屁の力によって富や幸せを得る「屁ひり爺」の話はたくさんありますが、この「やまやまのへっぴりじい」は、そのなかでも最も単純なストーリーです。お殿さまも出てこないし屁の音も単純です。そして、単純だからこその面白さがあります。

ほうびをくれるのは、お殿さまではなくて、どこからか聞こえてくる声の主です。おそらく、奥山に住む魑魅魍魎(ちみもうりょう)か、もしくは山の神かもしれません。どちらにしろ人智をはなれた自然の声です。

欲ばりじいさんは、化け物に脅かされて、腰をぬかすだけで、食われたり殺されたりするわけでもありません。そして、人まねはするなという教訓が付いています。

これらを総合して考えれば、これは幼い子が喜ぶ笑い話として語られたのでしょう。


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てえてえ小法師

てえてえこぼし

岡山県の昔話

原題は「化け物問答」
前回紹介した長野県の「化け物問答」(こちら⇒)の類話です。
この話型の話は全国に見られますが、この岡山県真庭市に伝わる「てえてえ小法師」は、完成形に近いのではないかと思います。

同じ言葉で問答を繰り返しますが、口に乗せるととっても気持ちがいいです。
化け物の正体暴露の部分が難しいので、高学年向きです。

夜中ごろ化け物が登場する場面は、聞き手をじゅうぶんに恐がらせたいですし、最後の血が出ている場面も考えあわせると、やっぱり高学年向きかと思います。
が、家族に語る場合は、もっと小さい子でも楽しむでしょう。


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みそ買い橋

みそかいばし

岐阜県の昔話

夢の知らせによって宝を発見する致富譚の一話型です。「みそ買い橋」とか「夢の橋」とかいわれます。
とっても日本的なストーリーのように思われますが、実はヨーロッパを中心にたくさんの話が伝わっています。

ATU1645「宝は自分の家にあり」。
古くは13世紀のペルシャ語の文献にあるそうです。
グリム兄弟の伝説集にもこの話はありますが、よく知られているのは、イギリスのジェイコブスの昔話集に入っている「スウォハムの行商人」です。

じつは、この「スウォハムの行商人」が、大正時代、日本語に翻訳されて『世界童話大系』に収録されました。それを読んだ岐阜県高山市の小学校の先生が、換骨奪胎して、高山のふるさとの話として子どもたちに語りました。それが日本じゅうに「みそ買い橋」として広がったのだそうです。
『世界童話大系』は第1巻が1925年ごろの出版ですから、「みそ買い橋」は日本の昔話としては新しいのですね。


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五分次郎

ごぶじろう

山形県の昔話

話型名は「一寸法師」。
私たちがよく知っている「一寸法師」はお伽草子に書かれているストーリーがもとになっています。でも、口づたえの世界では、もっと多彩です。小さく生まれた子どもが冒険ののち、宝を手に入れたり結婚したりしてしあわせになるというストーリーですが、その名前は、「五分次郎」だったり、「豆助」「豆たろう」「豆一」「ちびたろう」などなど様々です。

山形県のこの「五分次郎」は、化け物退治をしてお屋敷のあととりになるという結末。ラストで体が大きくなるということはありません。小さいままで幸せになるのがいいなあと思います。
それから、子どもらしい好奇心で木の葉の船に乗ってみるところや、船が波に揺られてゆく情景が好きです。

類話は日本じゅうにたくさんありますが、実は世界じゅうにあるのです。
ATU700「親指小僧」。
身近に読めるものとしては、グリム童話にKHM37「親指小僧」があるし、ロシアの「小指たろう」は、『語りの森昔話集4おもちホイコラショ』に載せています。これはおはなしひろばで語りを聞けるので、ぜひどうぞ(こちら⇒)。


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わらしべ長者

わらしべちょうじゃ

広島県の昔話

わらしべ一本を、たまたま出会った人と次々に交換して、最後は幸せになる話。
この話の面白さは、「たまたま」にあります。そんなうまくいくはずがないと笑ってしまうような出会い。それも、奇跡というような大きな出会いではなく、小さな出会いです。昔話によくある状況の一致が次々と連鎖しています。
そして、その交換には、主人公の親切、というより無欲があります。
もともと、観音さまに出世を願ったはずですが、主人公は手に入れたものをあっさり手放します。もし途中で欲を出して、例えば布を売るとか馬を使って仕事をするとかしたとしたら、この連鎖は切れてしまいます。

どうにも生きていかれなくなったときに、主人公は観音さまに願をかけました。そして、お告げを信じ、自分の運命を信じて歩いて行った。
最後の屋敷の主人は、ひょっとしたら観音さまの化身ではなかったかと思ったりもします。若者の出発点だった西に向かって行ってしまったのですから。

類話はいろいろあります。
親に追い出されて、ハスの葉や三年みそ、刀と交換する話は「三年味噌型」と呼ばれています。
観音さまのお告げを受けて、アブ、みかん、反物、馬と交換するのは「観音祈願型」。これは、『今昔物語集』巻16に、第28「長谷に参りし男、観音の助けに依りて富を得たる話」として入っています。古いですね。平安時代です。わたしが幼いころ絵本で読んだのも「観音祈願型」だったので、嬉しくて、この広島県の話を再話しました。

話型名「藁しべ長者」。世界的には、全く同じ話型のものは少ないそうですが、ATU1655「有利な交易」が近いということです。韓国の「藁縄一本で長者になる」話が似ているそうです。残念ながら未見。

テキストは、『語りの森昔話集5ももたろう』に掲載しています。こちら⇒書籍案内

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