「ふしぎな話」カテゴリーアーカイブ

わらしべ長者

わらしべちょうじゃ

広島県の昔話

わらしべ一本を、たまたま出会った人と次々に交換して、最後は幸せになる話。
この話の面白さは、「たまたま」にあります。そんなうまくいくはずがないと笑ってしまうような出会い。それも、奇跡というような大きな出会いではなく、小さな出会いです。昔話によくある状況の一致が次々と連鎖しています。
そして、その交換には、主人公の親切、というより無欲があります。
もともと、観音さまに出世を願ったはずですが、主人公は手に入れたものをあっさり手放します。もし途中で欲を出して、例えば布を売るとか馬を使って仕事をするとかしたとしたら、この連鎖は切れてしまいます。

どうにも生きていかれなくなったときに、主人公は観音さまに願をかけました。そして、お告げを信じ、自分の運命を信じて歩いて行った。
最後の屋敷の主人は、ひょっとしたら観音さまの化身ではなかったかと思ったりもします。若者の出発点だった西に向かって行ってしまったのですから。

類話はいろいろあります。
親に追い出されて、ハスの葉や三年みそ、刀と交換する話は「三年味噌型」と呼ばれています。
観音さまのお告げを受けて、アブ、みかん、反物、馬と交換するのは「観音祈願型」。これは、『今昔物語集』巻16に、第28「長谷に参りし男、観音の助けに依りて富を得たる話」として入っています。古いですね。平安時代です。わたしが幼いころ絵本で読んだのも「観音祈願型」だったので、嬉しくて、この広島県の話を再話しました。

話型名「藁しべ長者」。世界的には、全く同じ話型のものは少ないそうですが、ATU1655「有利な交易」が近いということです。韓国の「藁縄一本で長者になる」話が似ているそうです。残念ながら未見。

テキストは、『語りの森昔話集5ももたろう』に掲載しています。こちら⇒書籍案内

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化け物問答

ばけものもんどう

長野県の昔話

問答というのは、問うことと答えること。
ここでは、おまえは何者かと名前を問い、化け物が答えます。
話型名「化物問答」
言葉の力によって化け物を退治するという話型です。

岡山県に伝わる類話もおもしろいのですが、まずは、比較的短くて、小さな子でも聞いて分かり易いあまり恐くない長野県の伝承を紹介します。

言葉のリズムを楽しみながら語るといいと思います。


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とほう

新潟県の昔話

原題は「鼻たれ小僧」。話型名「竜宮童子」です。

竜宮からもらってくる小僧の名前は、ここでは「とほう」ですが、ほかに、「はぎわら」「よげない」「ひょうとく」「うんとく」「うん」などの名前があるそうです。その土地の言葉で何か意味がありそうですが、調べようがありません。

海や川に、花や薪を投げ込んで、亀や魚に竜宮に連れて行ってもらい、お土産をもらってくるという話は、だいたい三つの種類があるそうです。

ひとつは、この「竜宮童子」。子どもをもらってくる。これがいちばん分布が少なくて、現在、新潟,岩手、熊本に限られているようです。

ふたつ目は、「竜宮小槌」。呪宝をもらって帰り、幸せになって終わる。

三つ目は、「竜宮子犬」。富を生み出す子犬をもらって帰る。隣人または兄弟がうらやんで子犬を借りるが失敗して殺してしまう。主人公が子犬の亡骸を庭にうめると、木が生えて、富を落としてくれる。

三つとも設定がよく似た話ですが、結末が異なります。ラストが違うと、ずいぶん雰囲気も違いますし、テーマも変わってきますね。おもしろいです。

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蟹満寺(かにまんじ)

かにまんじ

島根の昔話

娘が蟹をかわいがっている、または蟹の命を助けてやる。娘は蛇の嫁になると約束するが、蟹に助けられる。というはなし。
話型名は、「蟹報恩」または「蟹の恩返し」。『日本霊異記』『今昔物語集』などの古い文献にあります。だからでしょうか、全国に分布しているそうです。

こに紹介したのは、島根県に伝わっている話ですが、資料の註に、《「蟹満寺」は山城の国にある》とあります。現京都府木津川市にある蟹満寺の由来として語り伝えられたものです。
実際に蟹満寺には、蟹の恩返しの伝説が残っています。比較すると、冒頭が少し異なっているのが分かります。娘は蟹を、いたずら小僧から助けてやります。いっぽう、父親がかえるをヘビから助けてやります。娘が蛇の嫁になるという約束は、父親がするのですが、このパターンは、「猿婿」「蛇婿」などの異類婚姻譚にはよくありますね。
この島根県の伝承は、父親は脇役で、娘の行動にスポットライトが当てられています。また、満月の晩にやって来る蛇の若者の登場も印象的です。それで、語ってみたいと思いました。
冒頭で娘が「生きているものが、お互いに、食うたり食われたりするのはいけない」といいます。娘の「やさしい」という性格があらわれているのでしょう。けれども、他の命を奪って生きるのが生き物の自然の姿でもあります。結末で、蛇は蟹に「食い殺され」てしまいます。そして、娘は「尼になって」、一生蟹を弔うことになります。宗教的、哲学的な課題を考えさせてくれる話になっています。

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節分のお客

せつぶんのおきゃく

京都の昔話

節分に合わせて紹介します。節分の話といえば、豆をまいたり柊やイワシの頭を家の戸口にさしたりして鬼を追いはらう行事の起りを語るものがよく知られています。が、この京都に残っている話は、節分にやって来る「まれ人(びと)」の話です。
「まれ人」というのは、弘法大師であったり旅のお坊さんであったり、物乞いだったりしますが、いわゆる「来訪神」です。村の外からやって来た来訪神に親切にすると、よい報いがあるという話です。このページでは「大晦日のお客」がそうですね。
この「節分の客」は、旅のお坊さん(来訪神)が、その家の神さま(土地の神)たちの会話を聞くのですが、昔は、米も野菜も着物も、何もかもが神さまだったのですね。それがおもしろくて再話しました。
まっとうに生きていると、まわりの神さまたちが守ってくれるという安心感、現代の私たちは忘れているような気がします。

共通語テキストは『語りの森昔話集3しんぺいとうざ』に掲載しています。⇒書籍案内

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