「笑い話」カテゴリーアーカイブ

彼岸花のふとん

ひがんばなのふとん

福島の昔話

きつねにだまされた話です。山で道に迷うと、狐に化かされたんだといい、馬のふんを食わされたとか、野つぼを風呂だと思って、気持ちよく入ったとかいって、笑い合います。そんな時代がついこの間まであったのですね。
 科学の発達した現代では、本気にする人はいないでしょう。けれども、現代でも、きつねは、神の使いとして信仰されています。お正月には、稲荷大社にお参りする人が、全国から集まって来ます。妖怪としてのきつねは、神さまのなれの果てと考えられています。
福島県のこの話は、娘きつねにだまされて泊まった所が、彼岸花の草原でした。視覚的に美しいですね。
余談ですが、彼岸花には、「まんじゅしゃげ」などの別名があって、地方によって呼び名が変わります。あなたの地方では、何と呼びますか?「きつね」が含まれる呼び名もありますよ。「きつねのちょうちん」「きつねのかんざし」「きつねのはなび」「きつねのたいまつ」「きつねのろうそく」「きつねのたばこ」など。
彼岸花について知りたい人には、絵本『ヒガンバナのひみつ』(かこさとし作/小峰書店)、『ひがんばな』(甲斐信枝作/福音館書店)がおすすめです。読み聞かせにも使えます。


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地獄めぐり

じごくめぐり

徳島の昔話

話型名は「閻魔(えんま)の失敗」といって、日本全国に伝えられています。笑い話で、『日本昔話通観』では、その「誇張」に分類されています。笑い話は短いものが多いのですが、「閻魔の失敗」譚は、長いですね。旅の職業人によって、改作されながら伝えられたのではないかといわれています。
徳島県のこの話では、お医者と、山伏と鍛冶屋が地獄送りになりますが、ほかに、歯医者、軽業師が出てくる話もあります。
地獄に送られた三人は、それぞれ自分の特技を生かして、切りぬけます。剣の山では、鍛冶屋が金(かね)のわらじを作って剣をこわします。熱湯の釜では山伏が水の印を結んで水に変えます。鬼の口の中では、医者が薬をまきます。条件の一致がそのまま笑いになっています。
落語の世界でも江戸時代から話されていたとのことです。いまは、関西では、『地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)』という演目で、一時間以上かかる大ネタです。この落語をもとに作られた絵本『じごくのそうべえ』(田島征彦作/童心社刊)は、子どもたちに人気です。


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お経を忘れた和尚さん

おきょうをわすれたおしょうさん

長野の昔話

日本じゅうに、和尚さんと小僧さんの笑い話があります。どうしてこんなにたくさんあるのかなと思うほど資料が残っています。でも、パターンは多くありません。きっと、きつねやたぬきにだまされた話と同じく、本格昔話がだんだん語られなくなっていっても、短い笑い話は気楽に語られていったんではないかと思います。とくに、幼い子に語ったり、子ども同士が語り合ったりしたのではないかと想像します。そうやって現代までたくさん残って来たのではないかなと思います。
ただし、鎌倉時代の『沙石集』(1283年成立)にも載っているので、もとはかなり古いものです。もともとは、お寺が人々の生活に深く関わっていた社会背景の中で伝わっていました。
この話型では、機転の利く小僧さんが和尚さんをやりこめます。子どもが大人を、社会的弱者が強い者をぎゃふんといわせるので、人気があったのでしょう。
いまは、単純に、おもしろい話として語ることができます。

共通語テキストは、『語りの森昔話集4おもちホイコラショ』に掲載しています。 ⇒書籍案内

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いのししとかめ

長野の昔話

来年の干支「いのしし」の話です。お正月に間に合うように再話しました。短いのですぐに覚えられると思います。これは長野県の伝承ですが、どうぞご自分のお国言葉になおして語ってください。
幼い子ども向きの由来話です。
いのししは、東北から沖縄まで広く生息していて、古来から人々の生活に深くかかわっていたそうです。狩りをして食料にもしますが、田畑に害を及ぼす困った存在でもありました。となると、やはり、神としてあがめられたのです。鹿や熊など人間のそばにいる他の野生動物たちと同じです。山の神が白いいのししとなって現れるという伝承もあったそうです。

共通語テキストは、『語りの森昔話集4おもちホイコラショ』に掲載しています。⇒書籍案内

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駅前の自転車預かりの話

えきまえのじてんしゃあずかりのはなし

京都の昔話

短いおまけのおはなしです。もうひとつ話をせがまれたときに語られる形式譚の一種です。話の最後を「はなし」で結びます。
鼻のあなに椎(しい)の実が入って「鼻椎(はなしい)」とか、大根やカブや柿や竹などに葉がなくて「葉なし」とか、この話のように、口を開けたら歯がなくて「歯なし」などがあります。「鼻をにぎられてはなしにならぬ」というのもあるそうです。子どもたちに手をつながせておいて、「放し!」といって手を放させるのもあります。この手のおはなしをひとつ知っておくと便利ですね。
「駅前の自転車預かりの話」は現代の民話です。気味が悪いですが、「歯なし」のタイプはだいたいがグロテスクなものが多いようです。
実際に陰惨な事件が起こるので、語りづらかったりするのですが、それを笑い飛ばすエネルギーも大事かなと思います。音声は、おとなに語っているものです。夏休みの恐いおはなし会で依頼されたけれど、どんな話があるのかなと相談を受けて、思い出しました。以前は子どもに語っていました。またやってみます。


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