昔話の中の子ども

リュティ先生いわく。

「昔話の中の子どもは、危険に脅かされ、少なからぬ損害を被り、虐待にさらされている。」by『民間伝承と創作文学』

実の親子関係の中では、たとえば、子どもがほしいと熱心に願う親の元に、動物の子どもが誕生する話があります。熱心であるがゆえに危険が潜んでいると、リュティはいいます。
「たとえハリネズミでもいいから子どもがほしい」と望むと、生まれた子はほんとうにハリネズミです。(『グリム童話』108話「ハンスはりねずみぼうや」)
「たとえ親指くらいの大きさでもいいから子どもがほしい」と望むと、親指の大きさの子どもが生まれます。(『グリム童話』37話「親指太郎」)
 
また、たとえば、父親は、妻の「チシャが食べたい」という思いにこたえるために、これから生まれる子どもを魔女に差し出すと契約します。そして生まれた娘は思春期になると魔女のために塔に閉じこめられてしまいます。(『グリム童話』「ラプンツェル」)
母親は、糸を金に変えるために、「子どもが生まれたら、さし出す」と、小人に約束します。(『グリム童話』「ルンペルシュティルツヒェン」)
  父親は、生まれたばかりの娘のために、息子たちに洗礼の水をくみに行かせますが、帰りのおそい息子たちに呪いの言葉をはきます。息子たちはカラスになって飛んで行きます。(『グリム童話』「七羽のからす」)

  実の親ではなくて、継母にいじめられる話があると思うんだけれど。「白雪姫」とか、「ヘンゼルとグレーテル」とか。

そうですね。
リュティは、実の親ではなくて、継母や義理の兄弟姉妹によって害を被るとも書いています。
ただし、実際の伝承では実母だったのが、再話の段階で、それはひどいからと、継母にすり替えられていることもよくあるのです。それはそれで、問題だと思います。義理の関係に対して偏見を与えるかもしれないし、実の関係でも、心理的に子や弟妹を疎ましく思うことがあります。むしろ実の関係として語るほうが、話に深みが出ると思います。
どちらにしても、グリム童話だけでも、子どもが親から受ける災いの例は、枚挙にいとまがありませんね。

リュティ先生いわく。

「このような事実を前にすると、われわれは、「楽天的な昔話」や「単純な昔話」という、よく用いられる決まり文句の使用に慎重になる。悲しみや威嚇がいたるところに織り込まれ、ことがらは、再三、二重の相貌をわれわれに示すのである。」by『民間伝承と創作文学』

「二重の相貌」というのは、たとえば、「七羽のからす」の娘が災いのきっかけであると同時に、救済者でもあるというようなことです。また、最も弱い存在こそが成長するように定められているということ、親が子どもに敵対するということなどをさします。
 このようなことは、心理的にもまた現実にも起こりうることです。 そして、リュティはつぎのようにいいます。

 リュティ先生いわく。

「いずれの場合も、災いは幸せをもたらす。」by『民間伝承と創作文学』

 親指小僧は、親指ほどの子どもだったからこそ、幸せを手に入れるし、白雪姫は、捨てられて小人たちの家で暮らすことになったからこそ、そして、継母に殺されかけたからこそ、王子と結婚することができました。ヘンゼルとグレーテルも、捨てられたからこそ、お菓子の家にたどり着き、魔女の宝を手に入れることができたのです。ラプンツェルは、魔女に塔に閉じこめられたからこそ、王子にめぐり会うことができたのです。

主人公は、主人公であるという、ただそれだけで幸せになるんだね。

 

そうですね。そして、このような救いは、単なる願望ではなく、心理的にも、また現実にも起こりうることだと、リュティは言っているのです。
 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です