語り方が孤立的なだけでなく、昔話に出てくる人物や物も孤立的なものが好まれます。
金や銀といった高貴でまれなものが好まれるということは、抽象性のところでも学びましたね。
リュティ先生いわく。
「昔話の抽象的様式の個々の要素を注意してみると、昔話には孤立性が支配していることがあきらかになる。
昔話はまれにしかないもの、高価なもの、極端なものをこのむ。それらはすなわち孤立したものである。
金と銀、ダイヤモンドと真珠、ビロードと絹、さらにひとり子、末の息子、まま娘や親なし子などは、孤立性の発現である。王様、貧乏人、ばか者、年とった魔女と美しい王女、白癬頭(しらくもあたま)の男と金髪の男。灰かぶり、うば皮娘、裸で追放された娘、輝くばかりの着物をきた踊り子なども同じく孤立性の発現である」 (改行:村上)
「孤立性の発現」、つまり、これらは「孤立性の具体的な現れ」だということです。これまでのお勉強で、抽象性、極端性として見てきた昔話の性質は、孤立性という原理で説明できるのです。
王さまは王国にひとりしかいません。お殿さまも国にひとりしかいませんし、庄屋さんも村にひとりです。昔話に、王さまやお殿さま、庄屋さんがよく登場するのは、まれな存在で、孤立しているからです。決してセレブな世界を描いているからではありません。
三人兄弟の末っ子やまずしい若者が主人公の話を、わたしたちは両手で数えられないほど知っていますね。みな孤立した存在です。
お日さまも驚くほどの美しいおひめさまは、極端性のあらわれですが、こんな美しい人はおそらくこの世にひとりしかいないでしょう。孤立しているのです。
グリム童話「黄金の鳥」(KHM57)を例に考えてみましょう。「 」の語に注目してください。
「夜中の12時」になると「黄金のりんご」を盗みにやって来る「黄金の鳥」。1枚だけ落ちてくる「黄金の羽」。並んで建っている「にぎやかで楽しげな宿屋」と「ひどくみすぼらしい宿屋」。「黄金の鳥かご」と「木でできた粗末な鳥かご」。「黄金の鞍」と「木と皮でできた粗末な鞍」。「黄金の城に住む美しい王女」。「貧しい男」と「王子」。どれもこれも、まれであったり、極端であったり、孤立した存在です。
そして、主人公は「末の王子」だ。一番下だね。これも孤立的だ。ああ、王子を助けるきつねはいっぴきだし、このきつねは「美しい王女の兄さん」だった。やはり唯一の存在。孤立的なんだ。