周囲の世界

昔話では、登場人物について、どんな町で育ったかとか、どんな家柄なのかとか、周囲の環境は説明されません。人物が立体的に描かれることがないのです。周囲の世界は、ストーリーに必要な場合のみ最低限描写されるだけです。
 

「むかしあるところに、男とおかみさんがおりましたが、子どもがあんまりたくさんいてみんなに食べさせることができなかったので、下の三人の女の子を森に捨てました。三人はどんどんどんどん歩いていきましたが…」

これは、イギリスの昔話「かしこいモリー」の冒頭です。男とおかみさんがどこで暮らしていたのか、何歳なのか、ふたりのなれそめもわかりません。それどころか名前もありません。わかっているのは子どもがたくさんいることと、極端に貧しいことだけです。そして、昔話にとってはそれで十分なのです。そこからストーリーが始まるからです。

経歴不明の両親に捨てられた女の子たちの年齢も性格も描かれません。名前もわからないし、捨てられたからどんどん歩いていくだけです。泣きわめいたりもしないし、親に捨てられた子どもの内面はいっさい語られません。ほんとうなら、三人の性格によって違った反応があるはずですが、それもなし。
 

また、グリム童話「白雪姫」の女王は、女王としての仕事やおつき合いがあったろうに、それらは語られません。彼女がやったことは、鏡を見ることと白雪姫を殺すことだけです。ストーリーに必要なことしか描かれていないのです。

小説ならば、女王はどのような家柄の娘だったのか、どのような経緯で王と結婚したのか、王は彼女を愛したのか、夫婦の間はうまくいっていたのか、魔法の鏡をどこから手に入れたのか、彼女の家に代々伝わっていたのか、他国との関係はどのようで、女王は外交にどのような力を発揮していたのか等々を描写して、なぜ白雪姫を殺そうと考えるに至ったかを心理的に追及するでしょう。
昔話はそれらの描写をいっさい放棄しています。
 

このことを、「白雪姫」の女王は「女王として本来持っているべき環境を捨てている」といいます。

「かしこいモリー」の王さまは、モリーに大男から盗ませることしかしていません。王としての環境を捨てているのです。日本の昔話「絵姿女房」のお殿様しかり。
 

 リュティ先生いわく

「昔話の人物は内的世界をもっていないばかりでなく、周囲の世界も持っていない」

そして、主人公は、出会った人物とその時その時に関係を持つのみで、ストーリーが進めば別れていきます。ストーリーとは別に末永くおつき合いすることはないのです。主人公は両親からも離れていきます。
ドイツの昔話「天までとどいた木」では、主人公ヘルムが木を登っていく途中で、月曜日のおばあさんから土曜日のおばあさんまでつぎつぎに出会って、泊めてもらいます。でも、その後もおつき合いをするなんてことはありません。それぞれ一回こっきりの関係です。
グリム童話「三本の金髪のある悪魔」のわき役たちを考えてみてください。一軒家に住むおばあさん、盗賊たち、門番、渡し守。みなストーリー上での自分の役割を終えたら舞台裏に消えてしまいます。
 

 リュティ先生いわく

「昔話の登場人物相互のあいだは、固定した永続的関係は存在しない」

昔話のストーリーにとって重要な役割を果たす「彼岸からの援助者」との関係も同じです。まず、内面的なかかわりは持ちません。援助者は、主人公の精神的な支えになるのではなく、実質的な役に立つ贈り物をあたえます。主人公と援助者との関係は、贈り物によって具体化されるのです。精神的な関係ではなく、目に見える関係として示されるのです。

グリム童話「七羽のカラス」の明けの明星は、ひな鳥の骨を贈り物としてくれます。兄たちをすくうための鍵です。
日本の昔話「仙人の教え」の仙人は、課題の解決方法を教えてくれます。言葉による贈り物です。
グリム童話「金のがちょう」のこびとは、なんでもくっつくがちょうをくれます。おかげで主人公はお姫さまを笑わせることができます。さらに、主人公に代わって、王さまの難題を解決してくれます。

他人との関係は、目に見える関係として語られるんだね。そうすればイメージできるし、わかりやすいんだ。
どんなにありがたくってうれしいかってことを、いくら懇切丁寧に説明されたって、「ふ~ん」って思うだけで実感わかないもの。 でも、「ガラスの山を開ける鍵をもらった」って聞いたら、「やった~」って思うし、「鍵を失くした」って聞いたら、「ええ~っ」って思うものね。

彼岸者は、ちょうど必要なときに、ちょうど必要な贈り物をくれます。そして、役割が終わったら即退場します。
主人公は贈り物を決定的に重要なときに使うだけです。
日本の昔話「尻鳴りべら」のしゃもじは、お尻を鳴らすか止めるかするときだけ使います。ふだんご飯をよそうときに使いません。ストーリーに必要なときにピタッと役割を果たしで退場するのです。

とことんストーリー中心だね。そして、そのストーリーの一本道を最初から最後まで歩くのは主人公だけ。つまり、昔話は、どこまでも主人公中心の物語なんだ。

2 thoughts on “ 周囲の世界

  1. 話によっては、主人公のことを「勝手すぎないか?」とか思っていましたが、主人公が幸せになるために主人公中心に話が進んでいくんですね。
    語法を勉強して、こんなふうに不思議に思っていることが解けていってよかったです!

    1. 音声として聞いているから、ストーリーが先へ先へと進むとき、聞き手は主人公がどうなるかを絶対聞き逃せないのですね。
      だから、主人公中心の叙述、しかもスリムなのです。
      リアルなら勝手すぎるでしょうね~

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です