平面性

昔話では、日常の世界 ( 此岸 ) とあちらの世界 ( 彼岸 ) との間に断絶が感じられません。そして、地理的に遠くにあると表現することで、精神的に離れていることを表します。これは昔話の一次元性として説明しましたが、また、此岸と彼岸が同じひとつの平面に存在するという意味で、「 平面性 」 ということができます。

昔話では、人も物もストーリーも、時間さえも、あらゆるものが徹底的に平面性という原理のもとで描かれます。あらゆるものに奥行きがないのです。

奥行きがない、つまり立体的でないってこと? それって、どういうこと???

まず、昔話に登場する 「 物 」 を見てみましょう。
杖、指輪、鍵、刀、針、動物の毛、鳥の羽、しゃもじ、うちわ、などなど。平べったい線状のものが好んで使われます。そして、それらのものは、日常的に人に使われることはありません。使い古された履歴を持っていません。だれかの手あかがついているわけではないし、だれも愛着を持っていません。そういう意味で立体的でないのです。
物はふだんは使われず、ストーリーに必要な時だけ、一回限り使われて退場します。

なるほど。日本の昔話「尻鳴りしゃもじ」の話に出てくるしゃもじがそうだね。あのしゃもじ、ふだんご飯をよそうときに使わないで、お尻を鳴らしたり止めたりするときにしか使わないもんな。特殊な場面でだけ使われている。

そうですね。「鼻高扇」の鼻を伸びちぢみさせる扇、「天狗の隠れ蓑」の姿を消せる蓑、「宝下駄」の、はいてころべば小判の出る下駄。などなど、いくらでも見つけられます。

では次に人物の描かれかたを見てみましょう。こちらのほうがわかりやすいかもしれませんね。

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