しりなりしゃもじ
新潟県の昔話
話型名を「尻鳴り箆(べら)」といいます。
それでなでるとお尻が鳴りだすという珍しいへらをひろった男が出世する話。なんだかおかしな話です。
お尻が鳴る音は、「おっぽこ、こっぽこ、すってんねんじん」とか、歌うように調子よく語られたようです。
主人公は、ばくち打ち、なまけもの、ならず者、貧乏人がほとんどです。
しゃもじが福を招く呪物と考えられていたことが、この話の背景にあったのではないかということです。
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うぐいすのだいり
「みるなのくら」と同じ話型の話です。⇒こちら
福島県の「みるなのくら」の蔵は四つで、四季の景色が蔵に収まっています。が、この山形県の「うぐいすの内裏」は、十二の座敷で、一年の十二か月の年中行事が詳しく語られます。
それは村の大人の行事なのですが、よく聞くと、子どもが喜ぶ要素が子どもの視点で語られています。
昔の行事を知らない現代の私たちには冗長に思われる描写も、当時の子どもたちには期待に満ちた楽しい光景だったと思います。聞き手の子どもたちは、話のとちゅうからは「次は、次は?」と先を促しながら聞いたそうです。
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話型名は「見るなの座敷」といいます。
見てはいけないのは、蔵であったり、座敷であったり、たんすであったりします。
わたしは、幼いころに読んだ絵本で、たんすの引き出しの中で田植えをしている風景が、ふしぎでたまらず、今でもはっきりと思いだします。
見てはいけない(禁止)といわれると、見てしまう(違反)のは人の常ですね。昔話でも、禁止―違反は、構造の上で重要な機能です。特に家の中に見てはいけない部屋があるモティーフを「開かずの間」といいます。
日本の昔話では、「あぶらとり」とこの「見るなの座敷」がこの形を持っています。
そして、「あぶらとり」では、違反することで災難から脱出できますが、「見るなの座敷」では、違反することで幸せを逃してしまいます。
ヨーロッパの昔話にも、開かずの間はあります。グリム童話の「マリアの子」は、見てはいけない部屋を見たために難しい課題を乗り越えなければなりませんが、そのおかげで最後は幸せになります。「青ひげ」も違反したおかげで危機から脱出することができます。
それと比べると、「見るなの座敷」は寂しい終わりかたをしますね。わびや寂(さび)に通じる日本独特の美意識の表れなのでしょうか。
「見るなの蔵」にはもうひとつのバージョンがあって、見なかった男は宝物をもらって帰り、それを知って出かけて行き見てしまった男は何ももらえなかったという話もあります。
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まゆづな はいづな
話型名は「天道さん金の綱」
日本全国に類話はありますが、特に西日本に多いです。鬼婆など恐ろしいものからひたすら逃げる話で、逃竄譚(とうざんたん)といいます。⇒こちら
類話では、兄弟が天に上って終わるものが多いのですが、ここで紹介したお話は、天から地上にもどって来ます。そして、鬼に飲みこまれた両親も助かります。だから、ちょっとほっとします。
鬼は死にますが、自業自得です。
結末は、ススキの根が赤い由来譚になっていますね。
類話は、朝鮮半島や中国にもあります。⇒こちら
グリムの「おおかみと七匹の子やぎ」も類話です。
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