「恐い話」カテゴリーアーカイブ

千人力

せんにんりき

鹿児島県の昔話

全体を三つの部分に分けることができます。
初めの部分は、世間話的な雰囲気です。子どもが恐い物がないといい合う場面は日常よくありそうです。そして、「おれの足をさわってごらん」の発言から一気に恐怖がつのります。
中盤は、幽霊を背負って幽霊の意趣返しに付き合う場面。これは、大人でも恐い。黄色い糸。原色を好む昔話ではあまり出てこない色ですが、暗闇との対比で、非常に印象的です。
幽霊の意趣返しを手伝うモティーフは、1970年代奈良で記録されていて、『子どもと家庭の奈良の民話1』に「ゆうれいのおんがえし」として再話しています。
後半、幽霊がお礼に千人力をくれる所からは、一転、ユーモラスに展開します。歩くたびに足がめりこむというモティーフは、力持ちの描写によくあります。

恐怖を乗りこえて、主人公は幸せを勝ちとります。
ただ、金持ちになったというだけでなく、千人力を使って役立つことをしたのでみんなから慕われた、という結末は、やはり世間話的に感じます。

原話は昭和12年に記録されたものです。

恐い話のおはなし会にどうぞ。


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こんな顔

こんなかお

岩手県の昔話

恐い話ですね。でも、どこかで聞いたことありませんか?
わたしは中学校の英語の時間に、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の「むじな」を読んだのが、この種の話を知った最初です。「むじな」をもとにした落語「のっぺらぼう」もおもしろいです。

昔話的には、世間話に分類されます。
「二度の威嚇」というグループに入るそうです。
なるほど、「むじな」では、一度目は見投げ娘、二度目は蕎麦屋と、二度怖い思いをしますね。妖怪に会って、めっちゃ怖い思いをして逃げ帰り、やっとホッとしたところで、また出てくるという恐怖。心理的な盲点をついています。
落語は、三度目に家に帰っておかみさんがのっぺらぼう。それが延々と続きます。

さてこの妖怪は、ここでは「口が耳までさけた男」ですが、のっぺらぼうのほかに、ひとつ目小僧、幽霊などがいるそうです。

ストーリーが単純なので、どんな状況設定にもはまりやすく、体験談や伝聞談として、広く分布しているようです。現代の民話にもないものか、ちょっと気をつけてさがしてみます。

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蟹満寺(かにまんじ)

かにまんじ

島根の昔話

娘が蟹をかわいがっている、または蟹の命を助けてやる。娘は蛇の嫁になると約束するが、蟹に助けられる。というはなし。
話型名は、「蟹報恩」または「蟹の恩返し」。『日本霊異記』『今昔物語集』などの古い文献にあります。だからでしょうか、全国に分布しているそうです。

こに紹介したのは、島根県に伝わっている話ですが、資料の註に、《「蟹満寺」は山城の国にある》とあります。現京都府木津川市にある蟹満寺の由来として語り伝えられたものです。
実際に蟹満寺には、蟹の恩返しの伝説が残っています。比較すると、冒頭が少し異なっているのが分かります。娘は蟹を、いたずら小僧から助けてやります。いっぽう、父親がかえるをヘビから助けてやります。娘が蛇の嫁になるという約束は、父親がするのですが、このパターンは、「猿婿」「蛇婿」などの異類婚姻譚にはよくありますね。
この島根県の伝承は、父親は脇役で、娘の行動にスポットライトが当てられています。また、満月の晩にやって来る蛇の若者の登場も印象的です。それで、語ってみたいと思いました。
冒頭で娘が「生きているものが、お互いに、食うたり食われたりするのはいけない」といいます。娘の「やさしい」という性格があらわれているのでしょう。けれども、他の命を奪って生きるのが生き物の自然の姿でもあります。結末で、蛇は蟹に「食い殺され」てしまいます。そして、娘は「尼になって」、一生蟹を弔うことになります。宗教的、哲学的な課題を考えさせてくれる話になっています。

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きゅうり姫

きゅうりひめ

山形の昔話

話型名は「瓜子姫」。きゅうり、もも、うぐいす、といった季節感から、夏の話として再話しました。先に紹介した「うりひめの話」と比べてください。印象がずいぶん違いますね。「きゅうり姫」は、きゅうり姫が殺されて顔の皮をはがれるし、あまのじゃくもひどい殺されかたをします。瓜姫(きゅうり姫)が殺されるという結末は、東北地方での伝承に多いものです。
親の言いつけを守らないで、ちゃんと留守番しなかった子どもは、こんな目に遭うよと教えているのでしょう。グリム童話の「おおかみと七匹の子やぎ」も母親の留守中におおかみを家に入れてしまって食べられますね。でも、最後は救われます。「きゅうり姫」は再生しません。厳しいですね。現実そのままです。敵は退治されますが、主人公が死んでしまうので幼い子には向きません。
《昔話雑学》も参考にしてください。


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駅前の自転車預かりの話

えきまえのじてんしゃあずかりのはなし

京都の昔話

短いおまけのおはなしです。もうひとつ話をせがまれたときに語られる形式譚の一種です。話の最後を「はなし」で結びます。
鼻のあなに椎(しい)の実が入って「鼻椎(はなしい)」とか、大根やカブや柿や竹などに葉がなくて「葉なし」とか、この話のように、口を開けたら歯がなくて「歯なし」などがあります。「鼻をにぎられてはなしにならぬ」というのもあるそうです。子どもたちに手をつながせておいて、「放し!」といって手を放させるのもあります。この手のおはなしをひとつ知っておくと便利ですね。
「駅前の自転車預かりの話」は現代の民話です。気味が悪いですが、「歯なし」のタイプはだいたいがグロテスクなものが多いようです。
実際に陰惨な事件が起こるので、語りづらかったりするのですが、それを笑い飛ばすエネルギーも大事かなと思います。音声は、おとなに語っているものです。夏休みの恐いおはなし会で依頼されたけれど、どんな話があるのかなと相談を受けて、思い出しました。以前は子どもに語っていました。またやってみます。


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