きつねの田植え

きつねのたうえ

奈良の昔話

奈良県橿原市に伝わる伝説です。狐の伝承は、全国にたくさんあります。狐は神さまのお使いとも考えられて、田の神さまや稲荷と結びつけて語られます。狐がつくなどというのも、霊力があると考えられているからですね。いっぽう、狐に化かされる話は、世間話として広く伝わっています。
「きつねの田植え」は、どちらにも属さない、ちょっとほろっとする話です。
関西弁で語りたい人のために、関西弁のテキストと、共通語のテキストを両方載せておきました。


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こぶとりじいさん

大分の昔話

話型名は「瘤取り爺」。東北から九州にまで分布している、よく知られた昔話です。古くは『宇治拾遺物語』にも載せられています。『宇治拾遺物語』では、おじいさんが山の木の洞に入って雨宿りをしていると、鬼にでくわします。全国に伝わっている話もこのシチュエーションが多いようです。今回再話した大分県のこの話は、冒頭が、ねずみ浄土や地蔵浄土のような始まり方ですね。そして、出会うのは鬼ではなくて天狗です。天狗になっている類話は比較的多いようです。
ところで、この話は、世界的にも類話がたくさんあります。ATU503「小人の贈り物」です。《外国の昔話》にオーストリアの「こびとのおくりもの」を紹介しているので、くらべてみてくださいね。

共通語テキストは、『語りの森昔話集4おもちホイコラショ』に掲載しています。 ⇒書籍案内

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首の短い男の話

くびのみじかいおとこのはなし

北海道の昔話

アイヌの昔話です。アイヌの昔話は、本来は、アイヌ語で語られていて、独特の音楽性があります。ストーリーも壮大なものから、隣の爺型の話までさまざまです。
この「首の短い男の話」は、知里真志保さんが日本語で記述したものです。対句のようなくりかえしに音楽的な要素が見られますね。
アイヌの話の多くは、主人公の一人称で語られます。つまり、「わたしは、~」と、主人公が自分の体験として物語を語るのです。ですから、いつも視点は、主人公から見た視点です。子どもに語るときは、少し説明しておくといいでしょう。
この話、私たちの使い捨て文化を批判しているように感じませんか。アイヌの文化では、あらゆるものに神が宿りますが、首のもげたとっくりですら、神なのです。そういえば、本州でも、古い物を粗末にすると、化け物になって人間に悪さをする話があります。化け物寺の話です。また、つくも神も、ふるい道具などに宿る神ですね。
現代に通じるテーマだと思って再話しました。高学年に語ってみてください。


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お経を忘れた和尚さん

おきょうをわすれたおしょうさん

長野の昔話

日本じゅうに、和尚さんと小僧さんの笑い話があります。どうしてこんなにたくさんあるのかなと思うほど資料が残っています。でも、パターンは多くありません。きっと、きつねやたぬきにだまされた話と同じく、本格昔話がだんだん語られなくなっていっても、短い笑い話は気楽に語られていったんではないかと思います。とくに、幼い子に語ったり、子ども同士が語り合ったりしたのではないかと想像します。そうやって現代までたくさん残って来たのではないかなと思います。
ただし、鎌倉時代の『沙石集』(1283年成立)にも載っているので、もとはかなり古いものです。もともとは、お寺が人々の生活に深く関わっていた社会背景の中で伝わっていました。
この話型では、機転の利く小僧さんが和尚さんをやりこめます。子どもが大人を、社会的弱者が強い者をぎゃふんといわせるので、人気があったのでしょう。
いまは、単純に、おもしろい話として語ることができます。

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節分のお客

せつぶんのおきゃく

京都の昔話

節分に合わせて紹介します。節分の話といえば、豆をまいたり柊やイワシの頭を家の戸口にさしたりして鬼を追いはらう行事の起りを語るものがよく知られています。が、この京都に残っている話は、節分にやって来る「まれ人(びと)」の話です。
「まれ人」というのは、弘法大師であったり旅のお坊さんであったり、物乞いだったりしますが、いわゆる「来訪神」です。村の外からやって来た来訪神に親切にすると、よい報いがあるという話です。このページでは「大晦日のお客」がそうですね。
この「節分の客」は、旅のお坊さん(来訪神)が、その家の神さま(土地の神)たちの会話を聞くのですが、昔は、米も野菜も着物も、何もかもが神さまだったのですね。それがおもしろくて再話しました。
まっとうに生きていると、まわりの神さまたちが守ってくれるという安心感、現代の私たちは忘れているような気がします。

共通語テキストは『語りの森昔話集3しんぺいとうざ』に掲載しています。⇒書籍案内

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