おはなしの間(ま)

間(ま)とは、ポーズのことです。楽譜でいえば休符の部分、楽曲の音のない箇所です。

どんな芸術芸能にも間(ま)はあり、それがその作品を生かしも殺しもします。
たとえば、能、狂言、歌舞伎や文楽といった伝統芸能には、秘伝の間のとり方があります。落語や漫才といった比較的新しい、テキストが現代進行形で変化しているハナシも、間をひとつ外すと、聞いていられない代物になります。

では、私たちの「おはなし」、「語り」といってもいいのですが、この場合の間はどう考えればいいのでしょうか。結論からいえば、「おはなし」も間(ま)がいのちです。
もちろん芸能ではありませんから、先にあげたそれぞれのジャンルとは異なることは確かでしょう。
 
言葉でうまく伝わるかどうか、難しいのですが、以下、おはなしの間について、考えを述べます。

「おはなし(語り)」には、ふたつの間があると思います。ひとつは、テキストが求める間、もうひとつは、語り手が仕掛ける間です。 

テキストが求める間

入門講座では、これから覚えようという話を読むとき、まずは段落分けをしましょうといいます。これが、テキストが求める間の一番大きな間です。場面が変わる、時間の経過が感じられる、そこで段落分けをしますね。大きく間をとる箇所です。
 
さらに、1文ずつの間というものがあります。「文」とは、句読点の「。」から「。」までの言葉の連なりです。前の文と次の文のあいだに間があります。「。」がそのしるしです。が、これは、前の文の意味と次の文の意味との関係によって、その長さが変わってきます。関係が間髪入れずなのか、フツーの説明なのか、想像を促しているのか。行間を読むことが大切です。
 
また、さらに細かく、言葉と言葉の関係によっても間が生まれます。その言葉の重さも重要です。重要な言葉は、「言葉を立てるように」と、わたしはいつも言います。それは、その言葉の前後に一瞬の間をとるとか、わずかに速度を落とすとかいうことです。決して大きな声で強調するというのではありません。間です。では、重要な言葉以外は重要でないのかというと、そうではなく、ひとつひとつが組み合わさって意味のある文章を作っているのだから、それぞれの役割があるはずです。よく読むと、さらっと流してほしがっている単語や、肩を組んで歩きたがっている単語たち、などが見えてきます。重要な語を引き立たせる役割の単語もあります。それを見極めるのです。 

わたしたちは、覚えるとき、テキストを何度も口にします。そのとき、多かれ少なかれ、上記の「読解」をやっているはずです。
 
テキストの読解ということです。テキスト自体は小中学生でもわかる文章だから、小中学校の国語の練習問題をしているようなものと思ってください。ただ、練習問題には決まった答えがありますが、私たちには、模範解答がありません。自分でどこまで詳細に読み取るかが課題です。これが語りの力を左右すると思っています。
 
このとき、現代演劇や朗読をする人たちの本の「読み」を見習うべきだと思います。彼らは、本を覚える前に徹底的に「読み」ます。 

語り手が仕掛ける間

これはいいかえると、聞き手が求めている間、でもあります。
 
芸能の間に近いかと思います。パフォーマンス的な意味合いがありますね。
 
おはなしは、聞き手が、つぎはどうなるかを予想しながら聞きます。語り手は、うまく予想させてやる、または、うまく期待を裏切ってやる、そうやって聞き手をストーリーの先へ先へと導いていきます。これは、テキストの文章を完全に覚えて、子どもに語って、語りながらでしか作れない間です。ひとりで練習しているだけではどうしようもないし、大人を前にした勉強会でも難しいです。現場でしか作れない間です。しかも、今日うまくいったからといって明日同じ間で語れるかというと、そうは問屋が卸さないところが、くせものです。
 
テキストの求める間は語り手が決めることができます。聞き手が求める間は、まえもって決めることができません。
 
具体的に。
 
テキストでは「。」だけれども子どもの引っぱる力によっては「、」ですらないこともあります。また逆に「、」なんだけども、まるで四部休符ほどの「。」を求められることもあります。これは子どもを見ながら、子ども+テキスト+自分、三位一体にならないと作れない間です。
 
これは、どうすればいいのでしょう。
 
入門講座で、子どもを知ることが大事だといつも言っていますが、ここにもその例があるのです。語ってあげるという上から目線ではなく、子どもの中に入っていかないと、子どもを知ることはできませんし、子どもははだかになってくれません。つまり、聞き手は受け身でしかなく、求めてくれないのです。
 
また、場数を踏むことがたいせつなのは当然です。
 
そして、意外に思われるかもしれませんが、リュティ理論、昔話の語法を知ることが、大いに役に立ちます。耳で聞いて伝えられてきたことから生まれた言葉の法則だからです。子どもに語ることでこの理論の正しさを実感することはしょっちゅうです。 

間。難しいですが、これが語りのだいご味、愉しさなのです。

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