お話の中の歌

私たちが語るおはなしには、ストーリーの合間に歌がはいっていることがよくあります。「こぶとりじい」やグリム童話「ねずの木」など、洋の東西を問いません。その歌をどう扱うかについて、悩むことはありませんか。メロディをつけて歌えばいいのか、歌うように語るだけでいいのか、歌であることを無視して語ってもいいのか、というようなことです。そこで、ごく一般的な説明をしたいと思います。
 
伝承の語り手たちの語りを聞いてみると、昔話の語りの中で、歌がメロディをつけて歌われていたかどうかは、話にもよるし、語り手にもよります。一概にルールはなさそうです。
 
たとえば、山形の語り手、佐藤孝一さんの「とりのみじい」を聞くと、「あやちゅうちゅう~」は、まったく地(語り)の文と同じで、メロディはありません。それでも鳥がじいさんのお腹の中で歌っていることが、おもしろくイメージできます。
 
いっぽう『魔法のオレンジの木』(清水真砂子訳/岩波書店)には、話中歌の楽譜が参考として載っています。これは、もともとこのように歌われていたものです。わたしたちも、楽譜をもとに歌うことで、そのメロディがハイチの風土や民族を感じさせてくれる効果があります。ただし、おはなしのテキストには、楽譜がない場合のほうが多いですね。
 
このように語りの歌は、本来、メロディがあったりなかったりですから、悩まないで、原則として語り手の自由にすればいいと思います。「原則として」というのは、お話はイメージがすべてだということを肝に銘じたうえで、自由にすればいいということです。イメージをこわさないこと、また、よりイメージを豊かにすることを考えて、「歌」の部分を使えばいいということです。
 
もう少し具体的に説明しましょう。わたしのレパートリーからの説明です。
 
まず、歌の部分というのは、もともとリズムがあることが多いので、ふつうに読むだけでリズミカルです。そして、わたしたちの日本語は高低アクセントだから、ふつうに話すだけでメロディがあります。わたしは日常語で語るので、関西アクセントです。「こぶとりじい」「灰かぶり」など多くの話は、わざわざメロディをつけずに語ります。ただ、歌であることは、筋の上で意識はしています。それでじゅうぶんに歌に聞こえると思います。
 
たまに、覚える段階で自然にメロディがついてしまうときがあります。「とりのみじい」「ヤギとライオン」などです。それはそれでいいと思います。他の人の語るのを聞いて自然に覚えたとか、影響を受けたとかいうことも、あるかもしれないし、あってもいいと思います。
 
それから、あえて、メロディを考えてつけた話も少しあります。「こびとのおくりもの」は、曜日の歌というヨーロッパの昔話のなかの重要なモティーフが使われています。それについての興味から、オーストリアや東ヨーロッパの民謡を何曲も聞いてみました。そうして、伝統的なフォークダンスの曲に想を得て、メロディを作りました。「ねずの木」は、バッハです。話に独特の雰囲気があるので、それに歌をなじませたいと思いました。
 
どうやるにしても、大事なことは、先に述べたように、聞いていて場面がしっかりイメージできることです。「歌がおもしろい」のではなく、ストーリーの中で果たす「歌の役割がおもしろい」ことに重点を置きましょう。そうすれば、歌の部分でダレたり、また逆に、歌がストーリーから飛びだしたり違和感があったりすることはないでしょう。
 
歌があるからといって躊躇しないで、勇気を出して語ってみてください。

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