アクセント

言語にはアクセントがあります。
たとえば英語は強弱アクセント、中国語は高低アクセントです。
 
日本語は高低アクセントで、一語の中でどの音が高いか、または低いかによって、その語の意味が変わります。例を共通語で挙げてみましょう。高く発音する音を太字で示します。

橋 は (2音目が高い)
  
箸 し (1音目が高い)
  
端 は (2音目が高い)
  
机 つくえ (1音目が低く、2音目と3音目が高い)
  
さつま芋 さつまいも (1音目が低く、2音目と3音目が高く、4音目と5音目が低い)

そして、この高低アクセントは、土地によって異なります。
前の例を大阪ことばで示してみます。

橋 し (1音目が高い)
  
箸 は (2音目が高い)
  
端 はし (1音目と2音目は同じ高さ)
  
机 つくえ (1音目と2音目と3音目は同じ高さ)
  
さつま芋 さつまいも (1音目と2音目と3音目が高く、4音目と5音目が低い) 

以上、国語学的に説明しました。この「土地言葉によるアクセントの違い」はその人の生まれた土地と育った土地、今生活している土地、そして親や育ててくれた人の言葉によって決まります。共通語を基準にすると、これは「なまり」として認識されます。 

さて、おはなしを語るとき、このなまりをどう処理すればいいでしょうか。
 
わたしは、まったく気にしなくていいと思います。というのは、わたしたちは、自分の暮らす土地の子どもたちに、生身でおはなしを語っているからです。おはなしの部屋に入って来る子どもたちに声をかけるときや廊下ですれ違う時のおしゃべりのアクセントで、おはなしを語っても、なんの違和感もないはずです。
 
もし違和感を持つとすれば、それはおとなの語り手仲間です。大人、特にお話を語っている人の多くは、その話に対する先入観を持っています。その人たちには、グリム童話を大阪弁のアクセントや秋田弁のアクセントで語るのはおかしい、やはり共通語でスマートに、という固定観念があるのだと思います。
 
でも、子どもたちは、そのような表面的なことには頓着しません。子どもが聞きたいのは、主人公がどうなるのかということだけです。
 
大切なのは、いかに物語の世界をクリアにイメージさせることができるかということです。それが語り手の仕事です。自分自身が、もし共通語で語るほうがうまくいくと思うならそうすればよいし、逆に、「なまり」があってもそのほうがよく表現できるならそう語ればいいのです。
 
日本じゅうに残っている膨大な昔話資料の生のものは、すべて土地言葉です。もしも共通語で語らなければならかったとしたら、昔話は生き残らなかったでしょう。私たち現代の語り手は、共通語のテキストをそのまま覚えて語ります。そのとき、アクセントにお国なまりがでるのは、自然であり、それをその人の個性だと尊重し合いたいものです。

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