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おはなしと年齢

おはなしを選ぶときに、それが何年生向きの話なのか知りたいと思うことはありませんか。また、〇年生に語るのに向くお話はないかと探したことはありませんか。子どもの成長に合った話を選ぶことはとても大切です。

けれども、Aは1年生向き、Bは5年生向き、というようにはっきり分けられるものではありません。

所要時間で決めることもできません。短くても、「かめの遠足」や「ありとこおろぎ」のように、ユーモアやメッセージが高学年のおまけにぴったりの話もあれば、「三枚のお札」や「かしこいモリー」のように、幼児や低学年によろこばれる10分以上の話もあります。
また、同じ話でも、聞き慣れている子と、そうでない子とでは、集中できる時間に一歳ぐらいの差が生じます。

4歳児ばかりのグループでは選べない話でも、小学生の中に混じって聞けば3歳児でも聞くことができます。

家庭内で、親や祖父母が語れば、低学年でも30分以上かかるグリム童話が聞けることがあります。

同じ話でも類話や再話によって、対象年齢が変わります。《日本の昔話》で紹介している「うりひめの話」と「きゅうり姫」がいい例です。「三匹のこぶた」は、英語で語れば5分ほどで、内容も幼児向けですが、翻訳では10分以上かかり、言葉も幼児では理解しづらくなっています。

かくて、おはなしに関する本や、サークルの先輩の経験談を参考にしながら、試行錯誤することになるのです。ネットで調べてみようか、と他力本願に陥ることもあるでしょう。そうやって語りの森を訪れて下さったあなたに、なんとかお応えしたいと思います(笑) 

まず、5歳から10歳までが昔話年齢だということを覚えておいてください。幅が広いのでちょっと安心しますね。この年齢の子は、子ども向けの昔話であれば何の話をしても聞きます。語り手は選び放題です。

ただし、条件があります。

1、できるだけ幼いときから童歌や簡単なおはなしで耳を養うこと。

聞く耳は訓練で養われます。
もし、不運にも小学校に入って初めておはなしを聞く場合は、まず何回かは、だれでも知っている有名な幼い子向けの話を選び、その後は急激に聞く耳が成長するので、その成長を見ながら、よりしっかりした話を選びます。

2、集中できる時間は、5歳なら1話15分以内、10歳なら1話25分以内。

聞き慣れていない子はもっと短めです。

3、その子たちが今何を求めているのかを感じ取れる関係を築くこと。

聞き手をよく観察していれば、何をおもしろがるか、何をおもしろがらないか
が、すぐに分かるはずです。もし分からないのならば、語り手も聞き手も猫を
かぶっているからです。猫の皮を脱ぎすててください。または緊張しすぎているかです。

4、できるだけたくさんの話を読んで、自分が楽しむこと。

楽しんで読めばその話のテーマや姿が見えてきます。それを引き出しに入れておいて、子どもの要求に合わせてとり出せばいいのです。引き出しの中身は多彩であればあるほど、子どもとよい関係が作れます。 

以上から分かるように、同じ話でも、語り手と聞き手によって、ぴったりの年齢が違ってきます。だからつまり、「私とこの子たちにとって、この話は〇歳向きだ」という基準を作ればいいのです。この基準値は、語りの経験を積むにしたがって微妙に変化します。だから、他人の基準値をうのみにすると危険です。

先輩は、自分の基準を絶対のものとせずに後輩にアドヴァイスしましょう。なぜその話が〇年生向きだと考えるようになったか、その経験を話してあげれば、後輩は、どうやって自分の基準を見つければいいかが、だんだんにわかってくると思います。 

語りの森では井戸端会議(話題:おはなし会のプログラム)を見ると、私自身の基準がわかると思いますので、参考にしてください。あくまでも参考にしかなりませんが、他人の成功と失敗を知ると、それなりの発見があると思います。

また、再話するときには私自身の基準でざっくりと何年生向きと考えているので、尋ねてくださったらお答えします。その際は、上記1~4について説明していただくことになりますが。私がなぜ再話テキストに対象年齢を書かないかというと、前述したように、人によって異なるからです。 

昔話年齢を超えた高学年から中学生以上の場合は何を語ればいいのでしょう。
 
ひとつは、せっかく長く集中できるようになったんだから、長いドラマティックな昔話を聞かせたいですね。大人の語り手が大人として面白いと思う話もしっかり理解できます。その年齢になってやっと理解できるテーマがあります。

もうひとつは、創作です。その年齢の子が読む文学作品をたくさん読んで、語り手として、これは聞いてもおもしろいなと思うものに挑戦してみましょう。ただし、創作は語り手を選ぶし、聞き手も選びます。語り手の熱意だけでは、聞き手への押し付けになってしまい、失敗します。条件3と4に照らし合わせましょう。

ライブ録音から5

同じところに繰り返し行っていると、聞き手と親しくなります。私は先生ではないので、子どもがタメぐちをきいてもあまり気になりません。むしろ、ひとつの物語の中でともに遊ぶ仲間としての関係になることが、大切だと思います。
 
今回ご紹介するのは、幼いときからずっと関わりを持ってきた子どもたちが、語り手とともに、どのように物語の世界を楽しむかという視点からの具体例です。 

「だんごころりん」
語りの森HP《日本の昔話》 村上再話
音声は、小学2年生です。

だんごころりん

この話はもともとは幼児向きに再話したものです。だから、おまけの話として、授業のおはなし会のプログラムの最後に持ってきました。話しはじめると、じきに子どもたちが、「おむすびころりんや~」といっています。地下に鼠の浄土があること、隣の爺型の話であることなど、構成が分かってくると、子どもたちは「おむすびころりん」と同じであることを確信して喜んでいます。

わたしは、「いや、おむすびではなくて、だんごや」と返します。このやりとりが楽しいのです。
 
さらに、最後の場面では、わたしは、「ねずみは、どうしたと思う?」と、あえて尋ねています。なぜ尋ねたかというと、子どもたちに、「おむすびころりん」とは結末が異なることを発見してほしかったからです。
 
昔話には類話があること、真実はひとつではないことを、笑いながら教えるのです。これは、昔話だから意味があるのであって、創作ではやってはいけないことです。 

「ハヴローシェチカ」
『語りの森昔話集2ねむりねっこ』村上再話
これも小学2年生です。

ハヴローシェチカ

娘の目がひとつだったり三つだったりすること、主人公が雌牛の耳から出入りすること、など、冒頭からおどろくようなモティーフが続きます。それをまじめにシャキッと語ります。すると、子どもたちは自然にその世界に入りこみます。「糸をつむいで布に織り、白くさらしてつや出しする」という、たぶん想像できないことがらが出てきても、それはそれとして、質問もしないで聞いています。子どもたちにとってそんなことは二義的なことで、大事なのはいじめられている主人公がどうなるのかということであり、援助者としての雌牛との関係なのです。

この話には、歌が重要な役割をしています。ハヴローシェチカが歌うと娘が眠るというのは、ハヴローシェチカに潜在的な力があるということです。そして、三つ目のときに失敗します。三つ目の目のことを忘れていたのです。「ねんねんころり ふたつの目」のフレーズのあと、少し間(ま)を取って語ります。子どもたちは思わずはっと口に手を当てます。
 
歌は、子どもたちがいっしょに口ずさむこともあります。いっしょに歌えるような単純なメロディにしています。主人公と同化してほしいからです。 

「かめの笛」『ブラジルの昔話』かめの笛の会/東京子ども図書館
音声は5年生。

かめの笛

この話はいつも高学年に語ります。だから、高学年が楽しめるように、テキストを少し整理しています。会話と間(ま)でテンポよく進めます。音声は5年生ですが、ああだこうだと声をあげているのが分かりますね。オチを楽しげに主張している子もいます。

ここにも歌が出てきます。担任の先生によると、子どもたちは、後々まで「フィンフィンフィン」と歌っているそうです。弱いと思われているものが強いものを出しぬくことは、子どもたちを勇気づけます。 

「金の鳥」『語るためのグリム童話』小澤俊夫監訳/小峰書店
5年生です。

この話の持つ重要なテーマは、これまでにも何度もお話し、書いてもきました。失敗を恐れず自分で考えて行動せよ、だいじょうぶ、必ず助けてくれるものが側にいる。そういう思いを込めて語ります。語り手はかなり真剣です。でも暗く深刻には語りません。

そして、子どもの受けとめの明るいこと!思いを口に出せるということは、きっと仲の良いクラスなんでしょうね。その雰囲気に語り手も巻き込んでくれています。このような聞きかたをしてくれると、語り手は素直にストーリーをつむぐだけでよく、聞き手といっしょに楽しめるし、感動できます。 

「まほうの鏡」『語りの森昔話集1おんちょろちょろ』村上再話
4年生です。

まほうの鏡

子どもは前のめりで聞いてくれています。
ところが、残念なことに最後の最後で語りまちがえました。恩返しのところ、1回目は魚に、2回目は鷲に、主人公は「ぼくをかくしてくれ。だれにも見つけられない所へ」と頼みます。ところが、三回目、きつねには、お姫さまのいすの下まで穴を掘ってくれと頼みます。ここに主人公の成長が見られます。お任せではなくって、自分で考えて何をするべきかをきつねに指示するのです。ここは大切な場面です。
 
間違えたのはほんの数語ですが、わたしは、この話の肝を伝えられなかったので、かなりおろおろしていますね(笑)
 
ふだんなら、狩人が「ここからお城の中まで~」といいはじめると、「ぼくをかくしてくれ~」を予想していた子どもたちは、ハッとして緊張するのです。そして、狩人が自分で考えたことに、「なるほど」とちょっと感動するのです。でも、この音声で分かるように、言い直しをすると、内容は理解できても感動はありません。

「はんてんをなくしたヒョウ」『おおきいゾウと小さいゾウ』アニタ・ヒューエット作/大日本図書
図書館のおはなし会です。

はんてんをなくしたヒョウ

図書館の場合、日によって顔ぶれが変わります。けれども、30年近く毎週決まった時間にやっていると、来る子どもたちも定着します。大人と子どもを合わせると、少ない日で10人くらい、多いと30人を越えます。そして、「きょうが初めて」という子どもは、毎回2、3人です。つまり、ほとんどがリピーター。毎週やって来る子もいます。聞きたくて来てくれるのだから、こちらもやりやすいです。
 
この日も幼児から小学校中学年までが聞いていました。
この話はヒョウに斑点があることを知らなければお話になりません(笑)。
 
わたしは、題名を利用して、斑点のこと、ヒョウのことを説明しています。けれども、この子たちはおはなしのおばちゃんとしゃべるのが好きなのです。そして、知っていることを話したくてしようがないのです。だから、どこで収拾を付けるかをよく見極めておはなしを始めなくてはなりません。
 
音声に、わたし以外の大人の笑い声が入っています。大人もまきこんだ暖かい非日常を楽しむ時間にしたいと思っています。そして、たいていの大人は、協力的です。 

ブックトーク

子どもと本をつなぐ方法として、もっとも直接的なのは、ストーリーテリングと読み聞かせです。さらに、本に興味を持たせ、子どもたち自らが本を手に取るための方法として、ブックトークがあります。ブックトークは、本のすべてを読んで聞かせるのではなく、その本に何がかかれているのかを紹介する手法です。

@物語であれば、あらすじを説明する。または、あらすじを説明しながら、ところどころをピックアップして読む。

@科学や歴史などの説明文や図鑑のようなものであれば、だいたいの内容と、ビジュアルなページを何枚か見せる。

@文学作品の場合は、作者の説明もする。

だいたいこんなところでしょうか。 

紹介する冊数は、目的によって異なります。

@ストーリーテリングがメインのおはなし会ならば、最後に、語った本の出典本を紹介します。短時間ですが、これもブックトークです。もし時間に余裕があれば、出典本に関係のある本も2、3冊紹介するといいでしょう。たとえば、「いばらひめ」のあとに、グリム童話を何冊か紹介して本の目次を読むだけでも、子どもの興味をひくことができます。

@10冊程度の本を30分ほどかけて紹介する場合は、テーマを設けます。「水」「宇宙」「平和」など大きなものから、「えんぴつ」「カレーライス」「即席めん」「屋根」など身近なものまで取り上げることができます。

科学読み物や、社会・歴史を扱った本、物語の本、絵本、図鑑、いろいろなところから集めてきて組み合わせます。すべてを本の説明だけで終わらせないで、短いストーリーテリングを入れたり、絵本なら1冊ぜんぶ読んだりして、飽きないようにくふうします。

たとえば、「即席めん」なら、人類の食べ物の歴史、現代の食糧事情、食品添加物について、小麦の植生や世界のどの地域でどれほど生産されるのか、宇宙食について、宇宙開発について、宇宙飛行士について、初めて即席めんを作った人の伝記、その時代の社会背景等、絵本・物語本・事典・図鑑など年齢に合わせて様々な児童書が出版されています。また、「おいしいおかゆ」などの食べ物の出てくるはなしを語ったり、探せば楽しい詩もあるはずです。

物語本は、ふつう、結末を伏せておいて、子どもに続きを読みたい気持ちにさせます。ただし、低学年では欲求不満になるかもしれないので、気をつけなければなりません。

ストーリーテリングは、途中でやめないで最後まで語ります。

@テーマに沿った本をできるだけたくさん紹介する場合もあります。これは、まずテーマの説明をしっかりしたうえで、30冊ほどを、ワンコメントしながら次々にテーブルに並べて行きます。 

どの形のブックトークでも、気をつけなければならないことがあります。

ひとつは、本の表紙をきちんと見せて、本の題名と作者を正確に読むことです。ブックトークは、「本の紹介」なのですから、これは基本です。

もうひとつは、ブックトークのあと、子どもたちがそれらの本を読める環境を作ることです。つまり、紹介した本を教室にしばらく置いておけるようにしましょう。図書室の本を利用するか、公共図書館から団体貸し出しで1か月間借りるといいでしょう。

絵本テキスト

語るためのテキストを選ぶとき、語るために書かれたものではなく、絵本から選ぶことがあります。その場合の注意点を書いてみます。

絵本と語りとでは、ジャンルが違います。物語を伝える方法が異なっているのです。まずそのことを念頭に置くことが、基本です。

どのように異なっているか、確認します。
語りの場合は、聞き手が語り手の声(と表情)のみから想像して、物語の世界に遊びます。絵本の場合は、聞き手は、絵を見て声を聞いてその世界を楽しみます。そして、絵本の絵は、お飾りではなく、文章では表しえないことや物を描いているといいうことです。

だから、当然、それぞれの文章(テキスト)作りの方法にちがいがあります。

語りのテキストの場合は、聞いて分かり易いことが、何より優先されます。それに対して、絵本は(特に良い絵本)は、絵と文章は切り離すことが難しいほどに一体化しています。 

では、絵本を語りのテキストにしたいときは、どうすればいいのでしょう。

まず、文章のみを取りだして書いてみてください。

そして、
1、聞いて分かり易い文章になっているかどうかを確認します。

さらに、
2、文章にはなくて絵で表現しているものはないか確認してください。つまり文章でぬけ落ちている部分です。

また、
3、ページをめくることで時間の経過をあらわしたり、期待させたり、予想させたり、等、しているところはないかを確認します。

そのうえで、
1と2と3の問題点を解決すべく、文章に手を入れてください。聞いて分かりにくい部分を書きかえる、欠落していることばを補う、という作業をするのです。

その際、注意しなければならないのは、元の文章の持っている語調やふんいきを損なわないことです。作家が練りに練った文章に手を入れるわけですから、これは、とても高度な作業になるでしょう。けれども、できないわけではありません。

語り用のテキストができあがったら、複数の人に聞いてもらって、感想や批評を受けましょう。 

もしうまくテキストを整理できたとしましょう。次は、そのテキストを覚える段階で問題点があります。覚えるとき、絵本の絵を思い浮かべるのではなく、あなた自身の想像力を使わなければなりません。 
絵本の絵は、画家の想像力が作り出したものです。けれども、語りでは、語り手の想像力と聞き手の想像が出会って始めて物語が動きだすのです。
絵本の絵から離れなければなりません。

絵本を読んで、おもしろいと思い、語りたいと思うことはあります。そんなとき、これは、「絵本だからおもしろいのではないか」と、立ち止まって考えることが大切だと思います。

なぜ子どもに昔話を?

みなさんのレパートリーには、創作文学と昔話のふたつのジャンルがありますね。

ここでは、昔話を語ることについて取り上げます。というのは、世間でよく、昔話を子どもに与えてよいのかといわれることがあるからです。残酷だとか、あまりにも勧善懲悪が過ぎるとか、単純すぎるとか。けれども、私たちは、子どもが昔話が好きで、とてもよく聞くということを知っています。

子どもはなぜ昔話が好きなのか、与えてはいけないという意見にどう反論すればいいのかと考えていたとき、マックス・リュティの論文に出会いました。『昔話と伝説』のなかの「昔話」(高木昌史・髙木万里子訳/法政大学出版局)です。そこで、一語り手として、謙虚に、できるだけ本質をそこなわないようにして、まとめてみたいと思います。

まず、リュティは、「(子どもの)精神的な体験は高度なレヴェルでなおイメージ的な体験である」と、子どもを定義しています。
子どもは、精神的なことも含め、様々なことがらをイメージでとらえています。だから、おはなしを聞いているとき、幼い子どもは、イメージできないとストーリーが理解できません。大人は、イメージよりも意味・概念が先行します。
 
たとえば、「おむすびが入った穴の中におじいさんが入る」場面は、子どもは自然にイメージできるので、おどろきながらも受け入れられますが、大人は、論理的にあり得ないことは、子供だましだと感じます。「あなのはなし」では、大人は、結末まで「あな」の存在・意味が気になり続け、テーマが理解できないことがままあります。 

物語のストーリーというのは、じつは、聞き手にとってすべて「精神的な体験」ですね(つまり現実のことではない)。そして、上記のような特質を持つ子どもにとって、昔話は「精神的養分」なんだとリュティはいいます。

引用

「子供がうっとりと昔話に耳を傾けている様子を一度でも見たことのある人ならば、子供がそれを必要としていることを疑うことはできない」

つまり、子どもはイメージの世界に生きている。その子どもたちに応えるものを昔話は持っていて、子どもの心に栄養を与える、ということです。ほんとうに、昔話にはそのような力があるのでしょうか。

以下、4項目に分けてリュティの考えを紹介します。

1、文章表現(様式)

「子供は鋭い輪郭と強い色彩を欲しがる」と、リュティはいいます。あいまいでぼんやりしたものや、複雑な事がらは、イメージするのが難しいからです。それに対して、昔話は、くっきりした線でストーリーや物を語り、主人公もエピソードも孤立して、それ自身で完結しています。人物も少なく、ストーリーも単純に一直線に進みます。(このことは、《昔話の語法》に詳しく説明しています。)
 
これが、昔話が子どもを引きこむ原動力になっているのです。
 
それから、子どもは、思いがけない空想を次つぎと生み出して楽しみます。ごっこ遊びを見ていると分かりますね。これを「空想力の放浪願望」とリュティはいいます。そして、昔話は、立ちどまって説明することなく、「場所から場所へ、エピソードからエピソードへと迅速に突き進む」というきまりがあります。これも、子どもの心をとらえて先へ先へと導いていく原動力です。

これが、昔話が子どもをとらえて放さないからくりです。でも、文章表現の魅力だけが、子どもをとらえて放さない原因でしょうか?中身はどうでしょうか。 

2、リュティは、次のようにいいます。

「子供は、昔話のイメージの中で、人間にとって必要であり、子供自身の中で実現されることを望んでいるかあるいは子供が巻き込まれるにちがいない精神や魂の出来事と葛藤を理解する」

むずかしいですが、大切な事です。平たく言えば、昔話の世界に入りこんでいるうちに、精神的な何かを体験する、ということです。その体験は、人間にとって必要で、いつか実際に体験することであり、子ども自身もその体験を求めている、というのです。
 
これは、中学年以上の子どもが本格昔話を身を乗り出して聞くときの様子を思い浮かべれば、納得できるでしょう。グリムの「忠実なヨハネス」「金の鳥」、日本の「お月お星」「手なし娘」、ノルウェーの「心臓がからだの中にない巨人」などなど、夢中になっている子どもたちの瞳を、いくらでも思いうかべることができます。

「個々の昔話はどれも精神的な出来事や魂の発展を映し出す」
「さまざまな課題を出された人間、そしておのれの力で、此岸と彼岸の援助者と協力して、これらの課題を解決すべき使命を帯びた人間のイメージ」

それこそが、昔話が描く人間像で、子どもは、その人間像を自分の中にとりこんで、幸せを感じるというのです。

3、昔話では、善い人が報いられ、悪人は罰せられるのがふつうです。けれども、ときには、人をだましたり、約束を守らなかったりする主人公や、怠け者が幸せになる話もあります。このことについて、リュティは、

「人生の真実を描き出すものが子供に害を与えることはほとんどない」

といっています。
 
つまり、昔話で描かれる人間は、道徳的な理想像ではなくて、もっと現実的で本質的な真実だというのでしょう。自分の心をのぞいたとき、善い部分と悪い部分がありますね。悪い部分にふたをすることなく、昔話は描いていきます。そして、それを頭から否定せず、まずは肯定するのです。

4、その上で、

「善なる者への報酬と悪なる者への処罰は、子供の倫理的な発達を促進する」

というのです。

「主人公が報われることによって、子供は善なる原理が勝利することを体験し、悪人を殺すことによって悪の克服をみずからの中で体験する」

ここで、悪人が殺されることの重要さが述べられていますね。悪者はなぜ殺されなければいけないのか、それは、子どもにとって、悪を克服することだからです。最初にもどると、昔話は、精神的体験でしたね。現実の物語ではありません。ファンタジーだということを子どもは知っています。現実と物語の世界をはっきり分けています。
 
主人公に同化する中で、善は勝ち悪は滅びるという倫理観を持つことができるのです。喜びとともに。
 
厳しい処罰については、一般に残酷だと批判されることがありますが、それは当たりません。昔話は、極端に語るという表現方法をもっているからです。写実的な小説のように残酷な描写はしません。わたしたちは、その場面を語るとき、できる限りさらりと語らなければなりませんね。そして、悪が滅びる再話を選んで語りたいものです。

以上のように述べた後、結論として、リュティは、

「6歳から9歳あるいは10歳までの子供にとって、こういった昔話は実際、精神的な糧となるのである」

と書いています。
 
私自身の実感からは、もう少し高い年齢まで含めたいと思いますが。
 
自信を持って昔話を語りましょう。ただし、昔話の本来のかたちをくずさない良いテキストを選ばなければなりませんね。
あなたの語っている昔話の再話は、上記の4項目をクリアしていますか?