魔女のミルクグレーテ

まじょのミルクグレーテ

スイスの伝説

この話は昔話ではなくて伝説です。

昔話の魔女には、人間に恩恵を与えてくれる場合と、害を与える場合の二面性があります。日本の山姥と同じですね。彼岸から訪れて、主人公を援助してくれる、または敵対して困難を与える。
 
でもこの話の魔女ミルクグレーテは、そう単純にはいきません。魔女のまねをした主人公を罰したのです。ただそれだけの話です。欲が深いのを戒めるだけの話にも思えません。何が言いたいのでしょう。
そうです、魔女の領域に入ってくるなということです。
伝説では彼岸とこちら側の世間とのあいだには、くっきりとした境界があります。昔話がふたつの次元の世界をたやすく行き来できる一次元性を持つのと対照的ですね。


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七羽のはと

ななわのはと

ドイツの昔話

森の中で道に迷ってこまっていると灯りがひとつ見えます。洋の東西を問わず昔話によくあるシチュエーション。状況の一致。

主人公は、池に水浴びにきた七羽のはとが美しい乙女になるのを目撃します。そして、いちばん美しい娘の肌着を盗んで、その娘を妻にします。羽衣をうばわれて天に帰れなくなった天女の話を思い出しませんか?そうです、日本では「天人女房」とよばれる話型の話で、たなばた伝説や羽衣伝説で有名ですね。

よく似た話が世界中にあるのがふしぎです。この「七羽のはと」は、ATU(国際昔話話型カタログ)では、400番「いなくなった妻を捜す夫」に分類されています。313番「呪的逃走」と結びつくことが多いそうです。「七羽のはと」も、伯爵と妻は、ばらの花と茂み、礼拝堂と神父に変身して、追っ手を出しぬきますね。呪的闘争のモティーフを持っています。

この話の最後に、魔女が、別れていく娘に贈り物をします。娘を自立させる母親の心境になって、ほろっとします。


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とらとほしがき

朝鮮半島の昔話

朝鮮半島では有名な話です。
日本ではパク・ジェヒョンの絵本(光村教育図書)がよく読まれています。

『国際昔話話型カタログ』によると、ATU177「泥棒とトラ」という話型です。
インドの説話集『パンチャ・タントラ』(西暦二百年ごろ成立)に記録があるので、古い話ですね。
ヨーロッパにはなく、アジア特有の話のようです。

とらが、その言葉を知らないために恐がるのは、ここでは「ほしがき」ですが、ほかに、「飴」「たそがれ」などがあるそうです。
日本では「雨もり」です。

日本の昔話「古屋のもり」は全国に伝わっているし、みなさんもご存知だと思います。古くは江戸時代の『奇談一生』(1768年刊)に「猿面赤無尾(猿のつら赤く尾なし)」として、類話が出ています。漢文なので、現代語にして語れるように再話しました。⇒こちら「さるの顔はなぜ赤い」

音声は3年生のライブです。

テキストは『語りの森昔話集2ねむりねっこ』に掲載しています。こちら⇒書籍案内

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年とった栗毛の馬

としとったくりげのうま

北米インディアンの昔話

先住民族の残している昔話は、広大な自然の中で展開する話が多いように思います。この北米インディアンの話も、遥かな大草原と、そこを移動するバッファローの群れが目に見えるようです。
そしてそこには、神話的な空気が漂います。骨を積み上げて再生させるのは、シャーマンの業です。

極端に貧しい、村社会の底辺にいた少年が、勇気とまっすぐな心を持ち、彼岸の力によって首長の地位にのぼります。いかにも昔話らしいハッピーエンドの物語です。


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ろばの数

ろばのかず

カビールの昔話

アフリカ、カビールの笑い話です。

エチオピアの「アディ・ニハァスの英雄」(『山の上の火』岩波書店刊、所集)は、村人みんなが数の数えちがいに気づきません。

自分の近くのものは見えないものです。このような人間のまぬけさかげんを描く「愚か話」はどこにでもあります。日本にも、愚か村の話や愚か聟、愚か嫁のたぐいの話は、数限りなく残っています。
これは、他人を笑うというより、自分にも同じようなことがある、それを笑うための話ではないかと感じますが、どうでしょう。

テキストは『語りの森昔話集1おんちょろちょろ』に掲載しています。こちら⇒書籍案内

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むずかしい遺産分け

むずかしいいさんわけ

アラビア半島の昔話

算数の問題ですね。ずいぶん前に六年生に語ったとき、先生も交えてにぎやかな議論になりました。
そろそろ夏休みも終わります。宿題の最後の一問として、頭をひねってください(笑)


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さるの裁判

さるのさいばん

朝鮮半島の昔話

話型名「恩知らずなヘビが捕らわれの身に戻される」。ATU155。

ほかの話では、とら以外に、へび、おおかみ、くまなどが、男をだます悪い動物として登場するようです。
「善い行いに対して悪い行いで報いてよいのか」ということがテーマですね。
さるの裁き、すかっとします。

北欧からアジア、アフリカまで、世界じゅうに伝わっている話です。
ところが、なぜか日本にはありません。「恩を仇で返す」ということわざはありますけれど。

ところで、イソップにはこんな話があります。
・・ひとりの農夫が、寒さにこごえたへびをみつけました。あわれに思った農夫は、へびをひろいあげてふところに入れてやりました。あたたまって本性をとりもどしたへびは、自分の恩人にかみついて殺してしまいました。死に際に農夫はいいました。「こうなってもしかたがない。たちの悪いやつをあわれんだのだから」・・・

哀しいですが、たしかに人間の一面を表していますね。

でも、さすがに昔話は、悪いやつがやっつけられて終わります。

テキストは、『語りの森昔話集5ももたろう』に掲載しています。こちら⇒書籍案内

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かきねの戸

かきねのと

ドイツの昔話

わたしの再話のなかでも大ヒット作!絶対に外さない(笑)。 音声は3年生のライブです。

兄妹がかきねの戸を外して出かけるところで、聞き手の子どもたちはこの話が笑い話だとわかります。4歳児でもわかる。ところが、森で迷子になるあたりから緊張しはじめます。恐いのです。それが私には意外でした。あくまでもちょっとした笑い話として語っているからです。木の下に泥棒がやってくるあたりから緊張は高まって、息をつめて聞きます。だからこそ、「 おしっこ 」 「 うんこ 」 で緊張が緩和して、ドカッと笑うんですね。桂枝雀さんの落語の理論とおなじです。

それから、兄妹がどろぼうたちの置いていったお金をみんな持って帰るところ、「 悪~っ 」 て言った子どもたちがいたのです。これも意外でした。な んて正義感が強いんだろうと思いました。そう、たとえどろぼうがおいていったものでも持って帰ったらどろぼうになるのです。ところが、それを知ったお母さんが大喜びしたっていうところで、子どもたち、笑ったんです。このユーモア感覚、すごいと思いません?

そのお金で一生楽に暮らしましたっていうと、「 ああよかった~ 」 と大満足します。昔話の主人公の幸せ = 富の獲得と身の安全で、めでたしめでたし。ほんのおまけの話として再話したのに、子どもたちのおかげで実のあるしっかりした、上質な笑いを引き出す話になりました。


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矢のくさり

やのくさり

アメリカ・インディアン トリンギット族の昔話

原話の出典には、「トリングギット族」とありますが、一般的には「トリンギット族」。北アメリカ大陸の太平洋岸に暮らしている先住民族です。彼ら自身は「リンギット」と呼び、「人間」を意味します。おなじみのトーテムポールを作る人たちです。日本のアイヌと似た文化を持っていて、交流が続いているそうです。

狩猟民族だから、たいせつな「矢」には特別の価値があるのでしょう。シンボルとしての矢には、「保護。自分を守る」という意味があります。クロスした二本の矢は「友情」。折れた矢は「平和」を意味します。

村長の息子が月への畏敬の念を忘れたために、月が罰をくだします。その罰は、村長の息子自身を痛めつけるというものではありません。むしろそれをたしなめた友達をさらって痛めつけるというものでした。このことが「罰」であるためには、少年たちの友情の深さが根底になければなりませんね。

主人公である村長の息子は、友人をすくうために危険な旅に出ます。月、星、矢、葬式の太鼓・・描かれる情景は澄みきった冷たい空気を感じさせます。テーマの扱いとともに、異文化の新鮮な発見があります。

にもかかわらず、おばあさんがくれたいくつかのものを後ろに投げながら逃走するモティーフは、日本の昔話「三枚のお札」とおなじ。帰ってきたら自分の葬式をしていたというモティーフは奈良の昔話「天狗のまな板石」とおなじ。
《日本の昔話》で確認してください。

高学年の子どもたちに聞かせたいお話です。

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半分のにわとり

はんぶんのにわとり

ロートリンゲン(フランス)の昔話

音声は小学2年生。

ロートリンゲンは、フランスのドイツ国境近くの地域です。フランス語ではロレーヌ地方。

にわとりが半分になっても生きているのが不思議なのですが、昔話には半分の人間の話もあるし、子どもたちは、え~っ!と驚きながらも、おもしろそうにストーリーについてきます。

にわとりのからだは、きちんと二つに分かれて血も流れない、横から見たら図形的には丸ごと一羽と変わりはない。《昔話の語法》のページ「図形的に語る」の項を見てください。平面性があらわれているところです。⇒こちら

にわとりが出かけるのは、貸したお金を返してもらうためです。「外的刺激」によって旅立つのです。
とちゅうで、鳥、オオカミ、池と道づれになり、からだの中にいれて、自分の力にします。

鳥、オオカミ、池の特性にぴったり合った難題がふっかけられ、みごとクリアします。状況の一致ですね。

用がなくなったら、鳥もオオカミも池も元に戻ります。援助者は必要なときに必要な場面でのみあらわれるのです。友達になっておつき合いを続けることはないのです。

主人公は本質的なものと出会うために旅に出なければならない、のです。

テキストは『語りの森昔話集1おんちょろちょろ』に掲載しています。こちら⇒書籍案内

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