くろいはち
中国の昔話
ふしぎな呪宝の話です。
ばくちの好きな、どうしようもない父親が次々出てきて、困ったもんです。
笑い話なんですが、笑えませんねえ(笑)
ここでは、鉢ですが、類話によっては、甕(かめ)のときもあります。
たいていは、最後は父親がでてきます。何か意味があるのでしょうか?
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ようせいウールヴヒルドル
ATU306「踊ってすり切れた靴」
おなじ話型に、グリム童話KHM133「踊ってすり切れた靴」があります。また、イギリスの「カトリンがくるみをパチリと割った話」⇒こちら、ハンガリーの「靴をはきつぶす王女たち」⇒こちら、ロシアの「りこうなエレーナ姫」も類話です。地下の世界に行って妖精に会う話ですが、さまざまなバージョンがあって面白いです。
この「妖精ウールヴヒルドル」は、地名がはっきり示されていて、ほとんど伝説といっていいと思います。ふしぎな雰囲気を持った話ですね。
クリスマスにどうぞ。
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かがやくおひさまが、あかるみにだす
この話は、グリム童話の115番です。あまり知られていないと思いますが、実は、とっても古い話型の類話なのです。
語れる形に再話しました。
『日本昔話大成7』の関敬吾による注には、この話型は、「イビュコスの鶴」が由来となっていると書かれています。
イビュコスは、紀元前6世紀のイタリア出身の吟遊詩人。強盗に殺されるのですが、死のまぎわに、目撃していた鶴に復讐を託します。強盗たちは、劇場の人込みのなかで、飛んでくる鶴を見て、「イビュコスの鶴だ。復讐に気を付けろ」とさけびます。そのせいで、強盗たちは罪が明るみに出て、つかまえられてしまいます。
ATU960「太陽がすべてを明るみに出す」
類話は世界中に広がっています。
日本では、「むみょうの橋」(話型名「こんな晩」)⇒こちらや「いうなの地蔵」(話型名「いうなの地蔵」)⇒こちらがあります。
なお、グリム童話115番では「ユダヤ人」となっているところを「商人」、「名付け親」を「親」に変えて再話しました。グリムの時代のドイツの人たちの語感が、わたしには理解できないからです。テーマ優先で語を置きかえました。時代背景に理解のあるかたは、元の語に戻して語ってください。
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スウォハムのぎょうしょうにん
「ノーフォーク州スウォハム」と、地名が明記されていますから、その土地の「伝説」のようです。
けれども、まったく同じ話がヨーロッパ各地に伝わっており、さらにさかのぼると中近東に起源を持つとなれば、これは、土地から離れた、より普遍的な「昔話」と考えたほうがよいでしょう。
ATU1645「宝は自分の家にあり」。
マケドニアの「福の神はくさったさくらんぼの中に」と同じ話型です。⇒こちら
日本の「みそ買い橋」は、「スウォハムの行商人」が日本語に翻訳されてそれをもとに日本の話として語り直されたものです。⇒こちら
この3話、くらべてみてくださいね。
「伝説」と「昔話」の違いについては、《昔話雑学》をご覧ください。⇒こちら
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おうさまのびょうき
大笑いしながら心が温まる話ですね。
この魔法、偶然といってしまえばそれまでですが、主人公のまっすぐな思いが生んだ奇跡だと感じます。
地中海のマルタ島は、日本の屋久島の半分くらいの面積の島です。そんな小さな島に伝わる小さなほほえましい昔話です。
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おはなしをしていのちがたすかるはなし
深い森のある国には、森の中に森女っていうのがいるんですね。妖精や山男やババ・ヤガーの仲間なんでしょうか。
森女は、どうしてお話がきらいなのでしょうね。
でも、パンの作り方や食べ方が、お話になるんですね。パンの一生っていうお話でしょうか。
そういえば、ずうっと昔、ストーリーテリングの本の中で、子どもたちに何時間でも電話帳を読んで楽しませるおじさんの語り手がいたって読んだことがある。そのときは理解できなかったけれど、今は少し分かるような気がします。
聞き手がいて語り手がいたら、何でもお話になるんです。
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むらのおばあさん
インドの北西部にあるグジャラート州に伝わるはなし。
グジャラート州は、マハトマ・ガンジーの生地です。
さまざまな民族の往来する地域なので、宗教も複雑ですが、この話は、いい意味での宗教的な色合いが強く感じられます。と同時に、為政者はどうあるべきかを訴えています。
高学年のおまけの話にどうぞ。
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ぺどろのふしぎなはなし
不思議な雰囲気を持つ話です。
まず盗賊を追いかけている男がいったい何者なのかという疑問が、暗闇の中に浮かび上がります。
川を越えると、そこは知らない土地。
水が異界との境界になっている話はよくあります。
「かしこいモリー」の髪の毛一本橋。橋だから、川をわたるんですね。
「浦島太郎」の、海の向こうにある異郷の地。
グリム童話の「踊ってぼろぼろになった靴」では、地下に湖があって、それを越えてお城に着きます。
などなど。
三途の川もそうですね。
ペドロはあちらの世界で結婚し、孫も生まれ、年老いて、やっと故郷に帰ってきます。すると、ふるさとの家では、たったひと晩しかたっていないのです。
「浦島太郎」の逆バージョンです。たった3日だと思っていたのが300年たっていたというのが浦島太郎ですね。
時間の経過の点では、《日本の昔話》で紹介した「さかべっとうの浄土」こちら⇒と同じですね。でも、「さかべっとうの浄土」の主人公は、異界から帰ってきたとき、出て行った時と同じ年齢です。ところが、ペドロは異界での年数分だけ年を取って帰ってきます。
異界についての人間の想像力を面白いなあと感じます。
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ひとくちぶんにはひとくちぶん
アラビア半島は、『アラビアンナイト』でおなじみですね。壮大なファンタジーの伝わる地域です。
アラビアンナイトだけでなく、さまざまな昔話が語られて文献に残って来たそうです。これは、その中の一冊からの再話です。
物乞いが恩返しをするんだけれど、この物乞いはただの人間ではありません。
ふしぎななかにも心があたたかくなる話です。
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