ライブ録音から

語りの森では、子どもたちがどのようにお話を聞くのか、みなさんに実感していただきたくて、実際のおはなし会のライブ録音をときどき紹介しています。いろいろな条件をクリアした音源のみUPしています。 

「あなのはなし」小学1年生

あなのはなし1年生

お話を聞いていて、子どもが知らない言葉に出会うことはいくらでもあります。そのとき、子どもは、文脈から判断して聞くことが多いのではないかと思います。たいてい黙って聞いていますから。でも、ときどき、「~~~って、なに?」と声をあげる子がいます。
 
わたしは、子どもが自分で判断することも、声に出して質問することも、どちらも大切だと思っています。
 
お話は、聞き手と語り手の双方向で成り立つものです。だから、こちらからの言葉を子どもが前のめりに受けとめていれば(つまり、受け身で聞き流しているのでなければ)、思わず質問の声が出ることは、当然あり得ます。
 
では、質問されたとき、語り手はどうすればいいでしょう。
 
いま目の前に見えている物語の世界をこわさないこと。これがポイントです。
 
子どもは、その言葉が見えないから、見たいから、質問するのです。そうすると、対応は当然のことながら「説明してやる」のが正解です。世界が壊れない程度の短い的確な言葉で。
 
「あなのはなし」では、子どもが「小屋って何?」と聞いています。わたしは説明しています。そうでないと次の場面が見えてこないからです。
 
話が進んでいくと、「ひつじ」が出てきます。子どもが「ひつじ」と「やぎ」をごっちゃにしているのが聞き取れると思います。このときわたしは、「ひつじ!」ともう一度いうだけで、何の説明もしていません。質問ではないからです。すべてに正解を求めなくてもいいのです。 

「とりのみじいさん」小学1年生

とりのみじいさん1年生

これも、子どもの質問にどう対処するかの例としてUPしました。
 
最後の場面でお殿さまのくださる「ほうび」の語意を質問しています。わたしは、「たからもの」と答えています。もちろんこれは正確ではありません。でも「ほうび」はひとことでは説明できず、あえて説明すれば、物語の流れが途切れて世界が壊れてしまいます。そこで、この類話を参考にします。「はなさかじい」「へこきじい」などの隣の爺譚→昔話雑学 です。「ほうび」はたいてい「着物」や「たからもの」ですね。 

 「とりのみじいさん」図書館

とりのみじいさん図書館

上記1年生と同じ「とりのみじいさん」を図書館で語ったときの音声です。この日は0歳から10歳までの子ども20人余りと、大人が10人ほど聞いていました。上記1年生で質問が出た「ほうび」は使わず「たからもの」とテキストを変えて語っています。音声からわかると思いますが、幼児がとても楽しんでくれていたので、あえてわかりやすい言葉を選んでいるのです。
 
年齢に合わせて言葉を変えることは、少しは必要だと思います。でも何もかも変えてはいけませんし、たくさん変えないと分からない話やテキストを選ぶのも間違いです。
 
これが分からなければ全体の理解にさしつかえるようなキーワードの場合、変えます。また、子どもは、ちゃんと、キーワードを質問します。 

「おはなしの大好きな王さま」小学3年生

おはなしの大好きな王さま3年生

「かも取り権兵衛」小学5年生

かも取り権兵衛5年生

この2話は、演じなければおもしろくない話の代表的なものとしてあげました。
ただ、気をつけなければならないのは、「演じる」という言葉の定義です。
 
演劇では役者は登場人物になりきって話し、動きます。衣装もメイクも登場人物そのものです。役者が登場人物を「演じる」。とうぜん、人物に感情移入してその人物らしくリアルに演じます。リアルでなければ観ていておもしろくない。
 
お話の「演じる」はこの演劇の「演じる」ではありません。
 
ところで落語は、ひとりの人間が何人もを演じ分けます。でも歌舞伎の早変わりのようにいちいち衣装やメイクを変えません。ひとりの人間が話している。登場人物がおかみさんなら、おかみさんらしくしゃべりますが、だれがどう見てもそれは落語家さんです。それを前提に観客は観ています。
 
わたしたちのおはなし(語り)に話をもどずと、演じないと面白くないという場合、この落語的な「演じる」に近いものがあると思います。決して「同じ」ではありませんが。語り手は外から見ながら人物を描写する。演劇が人物の中に入って表現するのとの違いです。 

「ルンペルシュティルツヒェン」小学4年生

ルンペルシュティルツヒェン4年生

「三本の金髪を持った悪魔」小学5年生

三本の金髪を持った悪魔5年生

この2話は、結末部分で疑問を抱く大人が多いので、あげてみました。
 
「『ルンペルシュティツルヒェン』で、小人が自分の体をひき裂く場面って、残酷ではないでしょうか?」
「『三本の金髪を持った悪魔』で、主人公の若者がうそをついて王さまに復讐するのは、道徳的とは言えませんよね?」
 
これらは、どちらも昔話の語法で説明ができます。が、いまは、子どもの聞きかたから、答えを探してもらいたいと思います。
 
「ルンペルシュティルツヒェン」では、子どもたちはびっくりしながらも、いやがってはいないでしょう。ほんとうに残酷に感じるならしーんとするはずです。子どもはおとなよりもそういうことには敏感に反応しますから。ただ、語りかたにも気をつけて聞いてください。私の気持ちは語りに出ていますか? 出ているとしたら、「な、おもしろいやろ」という程度の軽い気持ちであって、からだを真っ二つにするという事柄の深刻さ残酷さとはかけはなれた感じがありませんか?
 
「三本の金髪を持った悪魔」の主人公。昔話は主人公中心にストーリーが進みます。主人公が幸せになるためには何でもありです。子どもたち、最後の場面をよろこんでいるでしょう。若者がうそをついた場面では、子どもたちの顔がぱっと明るくなりました。破顔一笑。
 
悪知恵も使いながら、人は人生を歩いていくものです。そうやって生き抜け、幸せをつかめ、という昔話のメッセージです。
 
このメッセージに語り手が共感しないとき、または疑問を持っているときは、この話は語ってはいけないと思います。その気持ちが聞き手に伝わるからです。先人が伝えてくれた昔話の知恵が台無しになってしまいます。わたしの語りを聞いてくださったら、共感していることが分かると思います。「ほ~ら、うまいことやったでしょ」という顔で語っていたと思います。 

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