耳からの読書

子どもが、身近な大人から本を読んで聞かせてもらうことを、耳からの読書といいます。 

人生のはじめは、わらべ歌などを楽しみますが、言葉の意味が分かりはじめると、言葉の音(おん)やリズムを楽しむとともに、ストーリーを楽しめるようになっていきます。

やがて、文字を覚えます。
環境によっては、まだ幼児のうちから、親が知らないまに覚えていることもあるし、学校に行くようになると、先生から教わります。

ただし、文字は読めても、自身の精神的な成長に合った物語を読みこむ力がつくのは、3年生くらいでしょうか。
個人差はありますが、だいたい3年生くらいまでが、耳からの読書の時代といわれています。

でも、子どもは、3年生になったからといって、すぐに喜んで本を読むわけではありません。
文字列のなかにおもしろい世界がかくれていることを知らずにいたら、本を手に取ろうとは思わないと思います。
年齢的にいっても、ギャングエイジ。自我が形成されてきているので、それまでの読書体験がなければ、自分から手を出さない可能性も多々あります。

もし、無理強いされて本嫌いになってしまうなら、その子の人生にとって、何と残念なことでしょう。

以前、低学年で、耳からのおはなしをとても上手に聞く、理解の早い子がいました。
ところが、自分で読んでいる姿を見ると、一字一字拾い読みで、内容を理解することより文字を追うことに夢中でした。
それは段階を追った学習なので、自然で必要なことだと思います。
が、本を読む本当のおもしろさは、わからないでしょう。それを教えられるのは、おとなが読んでやることだと思います。

子どもが自分から、自分で読むからもういらないというまでは、読んでやりましょう。
その時間を惜しまないでほしいと思います。
なぜなら、そのとき、日常生活では気付かないような、物語のなかの良いものが、子どもの中に流れこむからです。それだけでなく、読み手の大人の中にも流れこみます。
そして、それを通じて、子どもと大人が共感しあうことができるからです。

自分で読むようになると、子どもは孤独(悪い意味ではありません)のうちに作者と対します。親はそれを見ているほかありません。子どもの自立を見守るというように、関係が変化します。大人への一歩です。
しかし、その基本にあるのは、かつて共感した読書の喜びなのです。
耳からの読書の時代を、できる限り豊かなものにできればと思います。

ところで、小さい時は絵本が大好きだったんだけど、大きくなったら本を読まなくなったという経験談というか、親の悩みをよく聞きます。
絵本から読み物への移行がスムーズにいかない場合がけっこうあるようです。

その原因はどこにあるのか、個々人によって異なると思いますが、私は、二つ考えられると思います。

ひとつは、絵本の選びがどこかで間違っていたのではないか。幅広い選びは当然のことですが、そのなかで、内面の深いところに届くものも選べていたかどうかということです。
そして、そんな本を何度も何度も咀嚼してきたかどうか。
自分で読むという苦労をしても読みたいと思うためには、表面的なことではないものを求める気持ちがないと、なかなか難しいと思います。苦労する値打ちがあるということを体感していないと、難しいのではないかと思うのです。

もうひとつは、絵本ではなく物語を聞くという経験が浅いのではないかということです。

絵本は、絵というビジュアルなものがあって、絵と文章でひとつの文学として、完結しています。
読み物は、挿絵はあっても補助的で、ほとんどを自分の頭の中で想像し、創造しなければなりません。より主体的に自分の中で完結させなければなりません。

このジャンルの違いを乗り越えるのが難しい場合が多いんだと思います。

ストーリーテリング(語り)は、《おはなし入門》にもあるように、ことばから想像して楽しむものです。そして、聞いて想像する力は、訓練で育まれます。
その子にあったおはなしを読んでやること、語ってやることで、聞く力がつく。

「音としての言葉⇒物語の想像」という過程が、文字を自由に読めるようになったとき、「文字としての言葉⇒物語の想像」へとスムーズに移行するはずです。

絵本は、絵柄やキャラクターだけでも楽しめるものはいくらでもありますが、おはなしは、実質的に、内容だけで子どもを引き付けないと、存在できません。聞いてくれない(笑)
そして、文字だけの読み物も同じ宿命を持っています。

わたしは、できるだけ幼い時から、絵本とおはなしの両輪で文学の楽しさを教えるのがよいと思います。もちろん、義務としてではなく、一緒に楽しむことが前提です。

絵本は、本屋や図書館にいくらでもあってより取り見取りです。ありすぎて選ぶのに苦労するほどです。
けれども、耳で聞くだけで楽しめるおはなしの本は、あまりありません。

おすすめは、昔話です。もともと耳で聞き、口で語られてきたので、聞きやすくできているジャンルだからです。
ところが、昔話絵本は山ほどあるし、読み物としての昔話集もありますが、聞かせるための昔話集が絶対的に少ないのです。
そこで、自分でやろうと考え、語りの森から昔話集を出しました。

声に出して読んでくださったらわかるように、聞いて理解しやすい文章にしています。小説になれた人には、心理描写や情景描写が少ないので味気なく感じるかもしれません。けれども、本来昔話は、ストーリー中心に語りつがれてきて、詳細な描写がないために普遍性を獲得しているのです。幅広い年齢で楽しむことができるはずです。

わが家では、子どもたちが幼い時、寝る前に、絵本を2冊と昔話をいくつか読み、電気を消してからおはなしを語りました。いつも、語りながら、子どもより先に寝てしまいましたけど。
その習慣が子どもの成長にどう影響したかは、わかりません。子育ての結果なんて、求めるのがおかしいですものね。
でも、わたしにとっては、大変な毎日の中での至福の時であったことは間違いありません。

2 thoughts on “耳からの読書

  1. 耳からの読書があって、本が好きになる。
    ほんとにそうですね。
    わたしは本好きですが、自然にそうなっていたので考えたことがなく、おはなしを勉強するようになってからヤンさんの絵本の勉強会に参加し、そうだったんだと分かりました。
    わたしが幼稚園の頃、学年雑誌とキンダーブックがすべてでした。
    母に読んでもらっていたそうです。
    付録は昔話絵本が多く、文章を暗記していたそうです。
    つまり、それほど、本の数が少なかったんです(笑)
    今は、本の数が多いし、本以外の物もあふれているから、物語の世界の面白さを子どもが知るのには、わたしのころよりは大人のたすけが必要かもしれませんね。
    というようなことは、これから子どもを生み育てる若い人たちに知ってほしいですね。

    1. そうですね。
      若い現役のおかあさんに向けて、エールのつもりで書きました(^o^)v

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