のこりのめだま
イスラエルの昔話
貧しくてどうしようもなくなった男が助けを求めるのが、神さまではなくて、悪魔というのが意外です。そして、その恐ろしいはずの悪魔が、ひとりの子どもに追い払われます。ここでも、逆転のおもしろさがあります。
子どもの生きるパワーにスカッとする話です。
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ドイツの昔話
悪魔というのは、本来、恐ろしい存在なのですが、なぜか人間にやっつけられる愚かな面があります。
そんな話が世界じゅうにあって、国際昔話話型カタログ(ATU)では、「愚かな鬼(巨人、悪魔)の話」として第1000番から200種類ほどあります。
こんな話を生み出す民衆の精神がとても健康で愛すべきだなあと感じます。
「ちょうむすび」は、人間が悪魔に、悪魔のできないことをやらせて、自分の魂を救う話型に属します。
類話には、悪魔に、おならや息をつかまえて結び目をつくらせたり、こぼしたブランデーで結び目を作らせたり、音をつかまえさせたりします。
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まだらのめうしよ、ふるふる
田んぼのお米を食べる鳥をつかまえたのですが、命を助けてやると、恩返しにまだらの雌牛をくれます。
この鳥は、主人公のおじいさんを助けてくれる援助者ですね。
鳥は、雌牛といっしょに言葉の贈り物もします。「まだらの雌牛よ、フルフルといってはいけませんよ」
ところが、おじいさんは、さっそくこの言葉を唱えます。そしてそのおかげで富を手に入れるのです。
昔話では、禁令は破られるという構造を持っていますが、あまりにもストレートなので、思わず笑ってしまいます。
ATU563「テーブルとロバとこん棒」。
よく知られているノルウェーの昔話「北風に会いに行った少年」と同じ話型ですが、主人公のおじいさんが、したたかなのに、のんびりした空気感があっておもしろいです。
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ぱんのかわ
若い悪魔が、貧しい人から、わずかなパンの皮を盗んで得意になっていたら、家に帰るとおじいさんから叱られます。
悪いことをするのが悪魔の仕事ですから、若い悪魔のやったことは、悪いこととは言えないというのでしょう。
では、何が本当に悪いことなのかと好奇心がわいてきますが、それはさておき、パンの皮とは極端に豪華なものをお返しにくれます。しかもまじめに一生懸命働いて。
おかしくて、ほっと心が温まるお話です。
ところで、悪魔の家って、どんな家なんでしょうね。
地獄のことかと思いましたが、ちょっとイメージが違うようです。
ATU810A「悪魔が罪ほろぼしをする」。
ちょっと珍しい話で、北欧から東欧にかけて語られているようです。
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笑い話です。
笑い話ですが、欲張ってはだめだよという教訓を伝えようとしています。
欲のない主人公が富を得て、欲張った者が失敗をする話は、日本では、隣の欲ばりじいさんの話が多いです。それと、欲ばりばあさん。「はなさかじいさん」や「したきりすずめ」がゆうめいですね。
でも、なぜか中国や韓国では、兄弟の話になっていることが多いです。
日本の話でも、「金噴き明神」⇒こちらは兄弟の話です。しかも、石人ではありませんが、石の狛犬の口から大判小判が出て来ます。
この中国の「ちぢまれ、ちぢまれ」とよく似ていますよね。大陸から日本に渡った話なんでしょうか???
ところで、このお兄さん、この後どうなるんでしょうねえ。
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とうふうやう
中国版の貧乏神と福の神の話です。
この神さまたちは、おかみさんから逃げましたが、金神さまは逃げそこなってしまいます。
パワフルなおかみさん、女はこうでなくっちゃ。
ご亭主は影が薄いですが、正直で誠実なのは、おかみさんと同じです。
ラスト、ほっとして思わず微笑んでしまいます。
原話では、福の神は「増福神」、貧乏神は「掠福神」、金神は「財神」となっています。財神は福をあたえる神で、増福神との区別がつきにくいですが、この話が語られた中国の江蘇省灌雲の石仏寺には財神殿という建物があります。
民間信仰の神さまなのでしょう。神さまがお寺に祀られているのも興味深いです。
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