「笑い話」カテゴリーアーカイブ

ライオンの王

エジプトの昔話

この昔話は、古代エジプトのファラオの国の影響が残っているコルドファン地方で語られていて、1923年に記録されたそうです。
古代エジプトは紀元前3000年位から紀元前30年といわれているから、ほんとうに古くから現代まで語られてきたわけです。もしかしたら5千年もの間語りつがれていたかもしれない。
人びとの考え方の変化によって、話の内容は変わっているかもしれないけれど、とにかく驚くべき長命のおはなしですね。

後半に、ライオンたちが肩車をしてはしごを作り、木に登っていくモティーフがあります。どこかで見た光景ですね。
日本の昔話では、狼がはしごを作ります。「千匹狼」とか「鍛冶屋の姥」などと呼ばれる話です。
世界的には、ATU121「オオカミたちが積み重なって登る」という話型があります。ここでも狼ですが、虎の場合もあります。
よく知られているのがフランスの昔話で「きこりとおおかみ」。これは、福音館書店から絵本で出ていて、おすすめです。山口智子再話/堀内誠一画。

テキストは、『語りの森昔話集5ももたろう』に掲載しています。こちら⇒書籍案内

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パティルの水牛

インドの昔話

パティルのすいぎゅう

話型名「運のいいハンス」
グリム童話の「幸せハンス」の類話です。
「幸せハンス」についてのマックス・リュティの興味深い解釈を、ブログ井戸端会議に紹介しています。こちら⇒

主人公が、つぎつぎに値打ちのないものと交換する話としては、ブータンの「ヘレーじいさん」があります。こちら⇒
これらはどれも笑い話ですが、どこがおもしろくて笑えるのかというと、思わず値打ちのないものと交換してしまうところ、そのたびに満足するところ、その愚かさでしょう。愚かさを笑うのは、優越感からと、自分にもそんな部分があるとの共感からとですね。
笑い話ならば、オチがあるはずです。オチつまり物語の結末が、類話によってずいぶん違います。語り手のの思いや、民族性によるのでしょう。興味深いです。これも井戸端会議で確かめてください。こちら⇒

重荷を下ろして楽になったハンス、嬉しい心のうちを歌いながら帰って行くヘレーじいさん。どちらも、なるほどと考えさせられますが、パティルは、物乞いにわずかだけど全てをあたえることで、全てを手に入れています。
無一文で帰って来たパティルをやさしく迎えるおかみさんは、まるで「かさじぞう」のおばあさんのようです。ふたりが翌日の朝日のもとで見た光景に、思わず涙が出ます。


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七十持ちのじいさん

ななじゅうもちのじいさん

モンゴルの昔話

おろかな巨人の話。
主人公のおじいさんの名前がおもしろいですね。

巨人は、牛をよこすか、それともベーコンをよこすかと、脅かしているのですが、あまり恐くありません。おじいさんがのらりくらりと指図するのに、素直に従おうとしています。
おじいさんとの会話は鎖のようにつながって、累積譚(こちら⇒)のようです。モンゴルの言葉で語れば言葉遊びのような楽しさがあるのかなと思います。

中学年以上のおまけの話にどうぞ。


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うさぎとねずみ

シベリアの昔話

数ある累積譚(こちら⇒)のひとつです。

ATU2030「おばあさんと彼女の豚」

うさぎは干し草を食べていて、葉で口を切ってしまったので、干し草に仕返しをしようとします。つぎつぎと手助けを頼み、聞入れてもらえないと、脅迫します。
結局うさぎの思い通りになって、干し草への復讐は成就するのですが、干し草がなくなっちゃって、いいのかな?
うさぎはかしこいのか、愚かなのか。子どもたちはいろんなとらえ方をするでしょうね。
真剣に考えてもいいし、でも累積譚はもともと言葉遊びだから、煙に巻いて笑っておしまいでもいいですね。

国際昔話話型カタログによると、ヨハン・フィッシャルト『遊び一覧』(1575年)に載っていて、子どもの遊びとしても知られているそうです。
1575年と言えば、日本では、武田勝頼と織田信長・徳川家康連合軍が、三河の国の長篠で戦った年。古くからある話なんですね。

累積譚は、「逃げだしたホットケーキ」など、いろいろなタイプのものがあります。しっかりした話のおまけにもなるし、2~3話レパートリーに入れておくといいでしょう。《昔話雑学》に「累積譚」として説明しています(こちら⇒)。


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さいふと笛とぼうし

さいふとふえとぼうし

フランスの昔話

ATU566「3つの魔法の品と不思議な果物」
この話型では、お金のなくならないさいふ、どこへでも行けるコート(または帽子)、兵隊を出す(または力をさずけてくれる)笛といった魔法の品と、不思議な果物(食べると頭に角が生える、または鼻が伸びる、またはロバに変身する、など)を主人公が手に入れて、それを使って幸せになります。
ただ、フランスのこの「さいふと笛とぼうし」、何が主人公の幸せなのかよくわかりませんね。分からないながらも、なんだかとっても愉快な結末です。

この話型の起源は古く、ヨーロッパ中世の文献にすでに記録されているそうです。
グリム童話のKHM122「キャベツろば」も同じ話型ですね。グリムのほうはちょっと教訓的です。

魔法の品については、《昔話雑学》「呪宝譚」を見てください。こちら⇒


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なぞなぞの好きなお姫さま

なぞなぞのすきなおひめさま

トリニダード・トバゴの昔話

ATU851「謎を解けない姫」
姫に解けない謎を出すことができた者と姫が結婚する話。主人公の男は、自分が経験したり見たりしたことをもとに謎を出します。
紹介したトリニダード・トバゴの「なぞなぞの好きなお姫さま」は、お姫さまが謎を解けずに主人公と結婚して終わりますが、お姫さまが謎の答えを知るために、寝ている主人公の所にしのびこんで、答えを聞きだすというモティーフが付くこともあります。その場合は、男は証拠としてお姫さまの着物を取っておき、あとでお姫さまの策略を暴きます。グリム童話22「謎」がこのパターンです。比較してみてください。

ところで、冒頭で、母親が毒入りの弁当を息子のジャックに持たせますね。ちょっとびっくりです。これはどう考えたらいいでしょう。
グリムの「謎」では、毒を盛るのは母親ではなく、森の中の悪いおばあさんになっています。
イタリアの類話「ソルダティーノ」では、なぞ解きに行くという息子に対して、母親はこう考えます。「王女さまに殺されるよりは、その前に、この手で息子を殺したほうがましだ」そして、パンケーキに毒を入れるのです。
ジャックの母親もこの心理だと解釈すればいいのかもしれません。でも、こじつけのようで無理があるような気がします。

そこで、この話全体がナンセンスな笑い話である、というところに解決を見つけました。
中盤の鎖のような展開は状況の一致が繰り返されます。小さな奇跡の連続です。日本の笑い話「間のいい猟師」のような展開ですね。
冒頭で母親が毒を入れた場面で、聞き手が「え~っ」とびっくりした後、考える間をあたえず、すぐさま中盤に入って行きます。驚きは笑いに変わります。
最後のジャックの出す謎は、中盤の出来事の言葉によるくりかえしです。ここも意外性があって笑えるところ。このなぞなぞの部分は遊びのようにリズミカルに語れるような言葉で再話しました。

結局、母親が毒を盛ったおかげで、ジャックはお姫さまと結婚して目的を果たすことができたのですね。

謎かけ姫については、ブログ井戸端会議で、マックス・リュティの解説を紹介しています(こちら⇒)。


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リカベール・リカボン

フランスの昔話

ATU500話型名は、「超自然の援助者の名前」
井戸端会議の、グリム童話「ルンペルシュティルツヒェン」を調べたときに見つけた昔話です。こちら⇒
主人公の設定、彼岸者の間抜けさ、などから、笑い話としてのおもしろさを楽しめると考えて再話しました。

リカベール・リカボンは、自分の名前を告げています。本来なら言ってはならないはずで、間抜けだなと思います。が、主人公は、気楽に考えてしまって、名前を忘れてしまうのです。やっぱり間抜けですね。
怠け者で忘れん坊の主人公に聞き手はいやされるのではないでしょうか。

歌の部分は、歌ってもいいし、ただ唱えるだけでもいいと思います。
1700年前後のお伽噺(ペローの姪レリチェ・ド・ヴヴィランドン)の物語(昔話をもとにした創作)に「リクダン・リクダン」というのがあって、この話には、歌に楽譜がついています。

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ねこのしっぽ

ポルトガルの昔話

この話の主人公は猫。この猫は、心優しいように見えて、自己中心的ですね。子どもの特性を備えています。だから、人に物をやっては惜しくなってとり返しに行ったり、もっといいものを盗んだりする猫に、子どもは、心の奥でこっそり共感します。道徳的にはよくないと分かっているから、こっそりとです。

でも、猫の表情は明るく、話全体が日の光を浴びているように思えます。結末では、猫自身が努力をして才能を磨き幸せになります。

このような、子ども自身の欠点をそのまま認めてくれる話を、信頼する大人から聞くことは、とても大切だと思います。幼児から低学年向きに再話しましたが、大きい子のサブの話としても使えると思います。

話型は、いま調べ中。該当するのは3話型。

ATU1415「運のいいハンス」・・グリムの「幸せハンス」

ATU1655「有利な交換」・・日本の「わらしべ長者」

ATU2034C「貸すことと返してもらうこと:損をしていく(よくなる)交換・・連鎖譚です。

どちらにしても、どこかで聞いたことがあるような話ですね。

テキストは『語りの森昔話集4おもちホイコラショ』に掲載しています。こちら⇒書籍案内

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導師、川をわたる

どうし、かわをわたる

インドの昔話

導師というのは、仏教やヒンドゥー教で、人びとを教え導く人のこと。
 
この話は、南インドでは、導師パラマルタと彼の弟子たちについての陽気な連作のひとつだということです。この本を編集したラーマーヌジャンさんが、子どもの頃聞いた話だそうですが、7世紀にはすでに語られていたという文献があるとのことです。
 
ATU1287。話型名は「愚か者たちが自分たちの人数を数えることができない」です。自分を数に入れずに人数を数える笑い話ですね。このサイトで紹介している「ろばの数」もそうです。こちらはカビールの昔話です。
 この話型は、ヨーロッパ、アジアに広がっていますが、今回再話した導師パラマルタの話は、さかのぼれる限りで一番古いものだということです。

高学年以上のおまけの話におすすめです。
 
日本の愚か村話については、《昔話雑学》をみてください。


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ゴタム村のかしこい人たち チーズ

ゴタムむらのかしこいひとたち チーズ

イギリスの昔話

愚か村話です。昔話雑学では、日本の愚か村話について書きました。こちら→ が、じつは、愚か村の人たちの話は、日本だけでなく世界じゅうにあるのです。ヨーロッパでの有名な例として、イギリスのゴタム村の話をご紹介しました。
ここに出てくるチーズは、私たちがスーパーで見かけるようなものとは違います。一かかえもあるような大きくて丸いチーズです。
愚か村は、実在の村や町です。そこの人たちが本当に笑い話のネタになるようなことばかりをしているはずはないのですが、どうしてこんな話が語られているのでしょうか。


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